第1章:転生と理解 シーン1:目覚めと既視感
目を開けたとき、最初に思ったのは「遅れてしまった」という感覚だった。
何に対してかは分からない。ただ、起きるべき時間に起きなかったような、わずかな負債意識だけが身体の内側に残っていた。
天蓋の縁が視界に入り、淡い色のカーテンが静止している。
部屋は明るすぎず、暗すぎもしない。
朝というには完成しすぎていて、夜というには責任感がある光だった。
身体に違和感はなかった。
手足は思った通りに動き、呼吸も深さを誤らない。
むしろ整いすぎていることが、少しだけ気になった。
視線を巡らせると、机、椅子、クローゼット、窓。
すべてが初対面でありながら、配置だけは知っていた。
距離感も、用途も、触れたときの重さまで予測できる。
私はここに来た、という感覚はなかった。
代わりに浮かんだのは、
戻ってきた、という認識だった。
異世界という言葉は、出来事を派手にする。
だが、この部屋は出来事を必要としていない。
最初からここにあったものが、予定通りそこにあるだけだ。
ベッドを降り、鏡の前に立つ。
鏡の中の少女は、私ではなかった。
少なくとも、記憶の中の私とは一致しない。
それでも、驚きは薄かった。
心拍数は変わらず、声も出ない。
髪の長さ、瞳の色、整えられた輪郭。
どれもが過不足なく、意味を持ちすぎない造形だった。
私はその顔を見て、理解する。
これは「始まる前の顔」だ、と。
感情が描かれていない。
期待も、不安も、覚悟もない。
ただ、物語に差し出される準備が整った表情。
いわゆる――
ヒロインの初期状態である。
私は鏡から視線を外した。
納得はしていないが、否定もしない。
世界は、既に準備を終えている。
あとは私が動くだけだ。
もっとも、その必要があるかどうかは、
まだ誰も決めていなかった。




