振り返ってみれば、この世界で狂っているのはむしろ俺なのだろう。
地方都市、ザル=メルカ。
統一帝国イル=ヴァリアの南方に位置する商業都市で、なんでも街の名前は古い言葉で「交易の砦」という意味らしいが、それを知ったのはだいぶ後になってだ。
皇族が治める街なだけあって、表向きは明るく、それでいて秩序だった街だ。
──が、その実は犯罪の絶えず、貧富の差が大きい腐った街。あるヤツはチャンスの街だと言い、別のヤツは最悪の街と呼ぶ。
領主の皇女様……エリサ? エルザ?・セレファーンは最近役職に着いたばかりで、過去含め実績も特にないそうだ。
一応、皇位継承者ではあるものの位は低く、発言権も弱いため、古参の貴族連中に我を通されがちなんだとか。
そのせいか、年々貧富の差は開いていくそうだ。その象徴がこの地区、旧城壁外区。通称: ロウ・ネスト。
スラム街のこの地区は、もともとこの町の住居地区だった。前に聞いた話だと、昔ザル=メルカが今よりも栄えていたころ、爆発的に店が増え、それに合わせて不足した住居を補う形でもともと存在していた外壁の外に新たに築かれたそうだ。しかし、爆発的に増えた店はすぐに貴族の利権争いに巻き込まれ規模が縮小、結果として拡張された地区は住民が減り、中央から追い出された人間の掃きだめとなったのが始まりだそうだ。
実際、この3年でも色々な奴が廃業したり、家なしになったりしてここに流れ着いている。後輩が増えたと言えるが、面倒を見るつもりは無い。自分のことで精一杯なのだ。変な希望を持たせた上で苦しめるくらいなら希望は与えない方がいい。
ここに俺、ケイが来たのは、おおよそ3年前。14の時。
アニメや小説でよくある"異世界転移"ってヤツだ。トラックに撥ねられてとか、急に足元に魔法陣が現れてとか────そんな類だ。
ただ、よくある英雄譚的なものでも、最強の能力を手に入れて、みたいなものではなかった。
もしかすると、その英雄の転移に巻き込まれたのか、ただの怪奇現象に運悪く巻き込まれたのかはわからない。
ともかく、家に帰った直後、急に意識が遠のいた。
気が付けば、この町の片隅で目を覚ましていた。
しかもチンピラ連中か物乞いかわからないが、荷物を既に盗まれており、身一つだった。
知らない土地、それも異国、そんなところに放り出されて困惑して、取り乱した。
常識も通じなければ、持ち物も使えない。というか何も無い。唯一通じたのは言葉だけ。一番そうはならないだろ、と思ったが、なんにせよありがたかった。
振り返ってみれば、この世界で狂っているのはむしろ俺なのだろう。世の理から外れている上に常識を何も知らないのだから。
しかし、言葉が通じたところでできることは少なかった。
そして何より、俺の中の常識が足りてなかった。社会勉強というべきか。
なんとか金をやりくりしようと仕事を探してみたが、はたから見れば流れ者で金も信用もない俺に仕事を回してくれる"優しい人"なんてのはほとんど存在せず、金だけを求めていた俺はまんまとアングラな世界に足を踏み入れ、引き返せないところまで進んでしまっていた。
最初の仕事は、簡単な運び屋の仕事だった。
当時の俺はお使い程度に考えていたが、今になって考えてみれば昔聞いた観光客を使った密輸の手口に近い。
何も知らない相手にブツを持たせ、本当に何も知らないまま品を検問に通させる。知らないが故に疚しさの一切ない表情で歩く者を誰がわざわざ止めようか。
初仕事は、あまりにも早く、順調に終わった。
こんなことで良ければ続けよう、そう思っていた。
そして続けるうちに、生活こそできるものの目に見えて貧しくなっていった。
それからは、まさに底辺の生活だった。
その日を生きる金のために合法なのか以前に中身のわからない品を言われたままに運び、時に喧嘩して生活する日々。
先が無いことはわかっていた。
何より、この世界に来て初めに着ていた衣類──ある意味唯一の持ち物、過去の俺がわかるものはほぼすべて売った。それでもこうなった。
このまま終わるつもりはなかったが、具体的なプランは何もなかった。
そうして暮らすこと3年。よく持った方だと思う。
奇跡的に命の危険は少なく、あっても軽いけがで済んだ。
衛兵に追われることも何度かあったし、数回捕まったこともある。
家は仕事で知り合った連中の住んでいる廃屋街にバラックを作って過ごした。
はっきり言って最悪な環境であったが、「一人で生きている」という実感は強く、少し誇らしくもあった。
だが、そうして築いた日常も崩れるのは案外早いものだ。
ある日、いつものように運び屋の仕事を頼まれた。
やけに報酬が高かったが、内容はいつもとかわらなかったため、物価の変動のようなものだろうと思いながら運んだ。
しかし、箱に対して中身が重い。中身が気になったが、この手の仕事で中身を覗いたやつが長くないのは知っていたから、考えないようにした。
だが、どのみち見ても見なくても俺の運命は決まっていたのだろう。
目的地の酒場に到着し、荷物を置く。
受け取りの男が、やけにニヤついていた時点で少し嫌な予感がしていた。中身がよっぽどヤバいか、俺の状況がヤバいかのどちらかだからだ。
そして、今回は両方だ。
酒場にいた男たちはいつの間にか俺を取り囲んでいるし、全員今にも飛びかかってそうな勢いだ。
ああ、嵌められたのか。誰が? なぜ? 目的は?
そんなことを考えている場合ではない。それでも考えてしまう。
そうこうしているうちに、すでに一人がこちらに飛びかかっていた。
反射で振り下ろされたナイフを間一髪横に躱す。
横のテーブルに体をぶつけるが、直後に別の男が殴りかかる。
それも避け、隣のテーブルに置かれていたボトルを手に取り、反撃の態勢を整える。
先ほどナイフ攻撃を躱された男はこちらに向き直ると、再び突っ込んでくる。同じ振り下ろし。
先ほどよりは余裕をもって避けると、男のナイフがテーブルの天板に突き刺さった。
──今だ。
左腕で男の腕を押さえつける。
「──ッラァッ!!」
そして本能のままに出た声と共に全力で右手に握っていたボトルを顔面に向かって降りぬいた。
バキャッという音と共にボトルと男の鼻骨が砕け、吹っ飛ぶ。
これなら、と思った瞬間、後頭部に大きな衝撃が走る。
その辺に転がっているような材木だが、鈍器としては十分で、意識が飛びかける。
かろうじて意識を保ち、まだ手に持っていた割れたボトルを目の前の男に突き刺した。
その勢いのまま、刺さったボトルから血を吹き、うめく男を力任せに後ろに押し飛ばし、後ろからくる新手の妨害をする。
そこから先は無我夢中だった。
使えるものはなんでも使って、とにかく目の前の6人を無力化しなければ───────!
殴られ、蹴られ、朦朧とする視界の中、はじめにぶっ飛ばした男がテーブルに刺したままのナイフを見つけた。それを手に取ったところまでは覚えている。
……気が付けば、朦朧とする意識の中、むせかえるような血の匂いに満ち、夕日に照らされ真っ赤に染まった酒場に一人、立っていた。
ここが俺の居場所のように思えた。死にたくないと願って生き続け、こうして鉄火場も切り抜けられた。
このまま死んだとしても、俺が俺のままであれた。
これでいい。そう感じた。
旧城壁外区
通称:ロウ・ネスト(底辺の住処)
かつてザル=メルカの最盛期に爆発的に増えた人口、店に対応する形でもともと存在していた城壁──現・外壁の外に新た造られた地区。
しかし増えた店は貴族の利権争いに巻き込まれる形で廃業、吸収により減少、拡張された旧城壁外区に住む住民は減少、中央からあぶれた人間が集まるようになり、スラム化した。
法的にはザル=メルカのいち区画だが、行政上存在しない場所として扱われており、司法の目は届かず、公共事業も一切行われていない。
そのため犯罪の温床と化しており、クロウズ・マーケット、ドッグヘッド、セイントブラッドの3大ギャングが幅を利かせている。
上記の通り非常に危険な地区であり、ザル=メルカを出入りする際は可能な限り近づかないことをお勧めする。
どうしても近づかなければならない場合、可能な限り速やかに抜けること。
*ローデン商会刊 「商道秘伝録 第十五版」 帝国内主要都市概要章 ザル=メルカ頁より引用。




