肩身
窓も一つしかなく日中も薄暗い部屋で、一人の青年・神楽ニヒルが一冊の本を読んでいた。此処は通気性も悪く、梅雨時になると湿気等でカビの臭いが充満する。夏はとても暑く冬もかなり寒い。
正直、人が住むに適した場所とは言い難いが、生命力とは強いもので、生きる事に対して欲すらないニヒルもこうして、生きてしまっている。無論、ニヒル自身も、自ら自分の部屋が欲しいからと無理矢理貰った訳でもなかった。
──半ば強制的。否、強制的にニヒルはこの部屋に追いやられたのだ。
理由は明確だった。ニヒルが一家の恥だから。
「そんなに【転移者】とか【転生者】って偉いのかね……」
賢人・ルミナス=フィンリアの本を見ながら、ニヒルは自身と転生者──兄と比べ虚しさがこみ上げる。
ニヒルの母・神楽=グロリア。旧姓、ルミナス=グロリアは転生者であり、父、神楽優輝は転移者。そして、この二人は魔王を打ち倒した四大英雄の中の二人。
だが、ニヒルが両親を誇りに思った事は当然なく、十七になった今日でさえ、それはない。
けれど、両親もまたニヒルを誇らしいと思った事は一度もないだろう。
双子の兄である神楽イロアスは、聖女と謳われた母の力と英雄と称えられる父の力を完璧に引き継いだ神々の奇跡。しかし、ニヒルは英雄二人の元で産まれながらも、中途半端にしか力を受け継がなかった。転移転生者は、嘲笑と蔑視の象徴として、ニヒルをこう呼ぶ──英雄の残り粕と。
「おい、お前もこっちに来い」
扉の先から、嫌悪に満ちた冷たく突き刺さる声が三日ぶりにニヒルを呼ぶ。
「……はい」
ニヒルの返答に声の持ち主である父・優輝は無言で外側から施錠した鍵を解錠する。足音が遠のくのを確認し、ドアをゆっくり押し開いた。廊下に出たのは三日前に風呂を入った以来になる。
長い廊下を歩き、まずは洗面所に向かう。鏡に映っているのは、よれた白いシャツを着た冴えない男だ。数カ月、手入れをしていない黒髪の毛は無駄に伸び、見え隠れする目には覇気が全く宿っていない。
ニヒルは自分の瞳があまり好きではなかった。母・グロリアが持つ真紅の凰眼と父の黒い瞳を授かった所で、ニヒルには重荷でしかない。
支度を終えて向かったリビングでは、三人が机を囲うように椅子に座っている。当然、ニヒルの椅子はない。
扉の脇に立つニヒルを三人は冷たい双眸で見ると、優輝は口を開いた。
「お前達は今日で成人を迎える。よって、互いにチームを作り明日、ダンジョンに潜ってもらう」
「急にダンジョンに潜ると言われても、僕は戦い方なんか分かりません。ましてや、友と呼べる存在だって」
視線を伏せ、弱々しく苦言を呈すると兄であるイロアスは長い溜息を吐いてニヒルを睨み付ける。グロリアの血を濃く受け継いだ兄・イロアスは、両眼が凰眼であり髪色も白銀。ニヒルはイロアスに一度も弟と呼ばれたことはない。
「父様の優しさを無下にするんじゃねぇよ。いいか? 本来、お前は矢面に立つことなんか許されない。でもせっかくの成人。儀式は出してやろうって言ってくれてんだぞ? そんな事も分からねぇから欠陥品なんだよ、お前は」
そもそも、成人の儀式なんか初めて聞いた事だし。優しさだがなんだか知らないけど、無謀に変わりはない。
ダンジョンって事は魔獣が蔓延ってる場所って認識だ。そんな所に、武が何たるかすら分かりもしないのに行くなんて死にに行くみたいなもの。
「安心しろ、ニヒル。ダンジョンと呼ばれても、大した場所ではない。仲間も冒険者ギルドからしっかりと依頼をしているから安心しろ」
「ごめんなさいね、今まで肩身の狭い思いをさせて。でもこれも一重に貴方の為を思ってだったの」
貴方の為って。その答えが軟禁まがいな事をする事になるのだろうか。なるはずがない。どれだけ苦しかったか。どれだけ辛かったか。
きっとこれはここに居る三人には分からないのだろう。恵まれた三人には。
「だが、成人の儀が終わればお前は独り立ち出来る。この家を出て、自分の足で進む事ができるんだ」
──そうか。そう言うことか。どれだけ聞こえのいい言葉を吐き出そうが、根底にある部分は一緒。
ただ、この家に居られるのが邪魔なだけ。冒険者訓練所に幼い頃から通い、エリートの道を進み続ける兄も。聖女として勇者メンバーを支えた凰眼のグロリアも。英雄優輝も。
家名を汚す者としてニヒルを追い出したいだけなんだ。ここまで露骨に差別され、無感情で居れるほどニヒルの心は壊れていなかった。
視線は伏せたまま、握った拳は強く。つま先には力が入る。
「……分かりました」
「そうか。それなら良かった。では明日、また呼びに行く」