生きる為に
赤紫の血に浸かるアル・フェレスを見て、ニヒルの顔は蒼然と引き攣る。確かにアル・フェレスの見た目は、狼に限りなく近い。ゴブリンなどよりはよっぽどマシかもしれないが、だからと言って食べる気になるかと問われれば別の話だ。
なにより、この鼻腔を衝く激しい獣臭が食欲を激減させる。
『あ、それと申し訳ないのだが……一つ頼まれてはくれぬか??』
「頼み事? 俺に出来る事ならやるけれど」
『うむ、助かる。ではアル・フェレスの前に手を翳し【ハワ・アドラシオン】と唱えて欲しい』
頷くと、ニヒルはゼ=アウルクに従い言葉を紡ぐ。高らかに唱える訳でも、力を込めて、思いを込めて。ってわけでもなく、紙に書かれた文字を朗読するような、例に習った様な棒読み。一瞬、アウルクの溜息が聞こえた気がしたが、そんな些細な事が消し飛ぶぐらい、眼前では不可思議な事が起きていた。
言い方を変えるなら、ニヒルは今、奇跡を目の当たりにしていた。
「おい……おいおい、なんなんだよこれは!!」
『ふむ。やはり、これぐらいは使えるようじゃな』
アル・フェレスの体から浮き上がる青白い炎を纏った球体──の、様なものが揺蕩っている。好奇心は自然と、その球体に手を伸ばさせた。が、生きているかのように避ける。
ますます面白い。
『それは、そやつらの魂じゃよ。では次に【エア・アルナ】と唱えてくれぬか』
次はどんな事が起こるのか。初めて【放電】以外の魔法を使えた興奮は、筋肉の痛みすら微かに忘れさせた。
ニヒルはわかったと頷くと、先程よりも感情を込めて唱える。
「エア・アルナ!!」
ニヒルが唱えた直後、揺蕩っていた魂が右目に吸い込まれる。ドンッと、胸を強く打ち付ける鼓動の衝撃が、僅かだが視界が揺らがせる。詰まる呼吸に、胸を押さえ付けること数秒、徐々に落ち着きを取り戻すと深呼吸をニヒルはした。
「一体僕に何をさせたの?」
『募る話は後じゃ。とりあえず今は、一匹を持ち運び、至る所にある空洞で身を潜めるのが先決じゃな』
先程もそうだが、ゼ=アウルクはニヒルが見ていない箇所に良く気がついている。これが経験の差というものなのだろうか。
「ここなんてどうかな?」
ニヒルが提案したのは、あれからアル・フェレスを担ぎながら比較的近い場所で見つけた壁にできた空洞。中腰で数十歩進み、辿り着いたのは人一人程度なら十分に休める空間だ。
『良かろう。では、早速調理に取り掛かろう』
「でも調理って何をしたら」
精肉されてるならまだしも、アル・フェレスのままの状態で何をどうしたらいいかなんて、台所に立ったことの無いニヒルには到底分かるものではない。
『まったく……。まずは、腰にぶら下げた剣で腹を切るんじゃ』
「わ、わかった」
命の駆け引きをしていた時には感じなかった、命の重みがアル・フェレスの腹部に刃を突き立てた時、ひしひしと感じる。
ニヒルは息をのみ、手を若干の震えさせながら腹部に剣を突き刺した。生々しい肉の感覚が手から伝わり、同時に溢れ出る大量の血。
『はよ続けろ』
「う、うん」
腹を首めがけ割くと、ぬるりと臓物が零れ出る。吐き気を催うする眼前に息は詰まった。
『これが命じゃ。さて、はよせんと血の臭いを嗅ぎつけて魔獣がここまでやってくるぞ』
「わ、わかってるって!!」
ニヒルは剣をぎこちなく扱いながらも、どうにか肉を捌ききる。そして余ったものは血諸共、【放電】によって燃やし、血の臭いをかきけした。
『さて、それで──うぬは、朕に何を聞きたかったんじゃ??』