霧中の舞踏
濃霧の向こうから、その一団は現れた。数は二十数名といったところか。先頭を歩くのは、ひときわ冷たい空気を纏った、鋭い目つきの男。腰には細身の剣を佩き、その銀色の鎧には他の兵士とは違う、精緻な装飾が施されている。あれが、斥候リーダーが言っていた隊長、『氷刃』に違いない。彼の隣には、杖を持ち、ローブを深く被った人物――魔法使いだろう――が控えている。後続の兵士たちも、斥候とは比較にならないほど統率が取れており、隙のない動きで沼地へと足を踏み入れてきた。
「……隊長、やはりこの沼地に逃げ込んだようです。例の竜の足跡と、斥候ロイドが身に着けていた手甲の破片が」
兵士の一人が報告する。隊長『氷刃』は、泥濘に半ば埋まった手甲の破片を冷ややかに一瞥し、低く呟いた。
「フン、小賢しい真似を……。だが、ネズミが袋小路に逃げ込んだに過ぎん。魔法使い、霧を払え。毒にも警戒しろ」
「はっ!」
ローブの人物が杖を掲げ、呪文を唱え始める。しかし、呪文が完成しても、周囲の濃霧はわずかに揺らめくだけで、晴れる様子はない。
「……隊長、この沼地の霧と瘴気は特殊です。私の魔法では完全に払うことは……」
「チッ、使えんな。構わん、索敵を密にし、警戒隊形で進め。目標は、逃亡者レントとその連れている赤竜、および『星霜の結晶』の確保だ。抵抗するなら殺しても構わん」
氷のように冷たい声で指示が飛ぶ。騎士団は密集隊形を組み、盾を構えながら、慎重に沼地の奥へと進み始めた。俺が残した痕跡を辿るように。
(……かかったな)
俺は茂みの中から、彼らが最初の罠のポイント――特に足場の悪い泥濘地帯――に差し掛かるのを確認した。
(――今だ!)
スキルを発動し、【収納∞】の時間停止空間から、事前に隠しておいた複数の巨大な岩を実体化させる! 目標は、騎士団の中央付近!
ドゴォォン! ドシャァッ!
重い岩が、轟音と共に騎士団の頭上や足元に降り注いだ!
「ぐわぁっ!?」
「な、なんだ!? 落石か!?」
「足が、足が沈む!」
突然の出来事に、騎士団は完全に不意を突かれた。数名の兵士が岩の直撃を受け、あるいはバランスを崩して深い泥濘にはまり込み、動きを封じられる。統率の取れていた陣形は一瞬にして崩壊し、混乱が広がった。
「落ち着け! 慌てるな!」
隊長『氷刃』が鋭い声で怒鳴るが、さらなる追撃が彼らを襲う!
「プル!」
「ぷるしゅぅぅぅ!!」
茂みの中から飛び出したプルが、混乱する兵士たちに向かって広範囲に《粘着液》を撒き散らす! ただでさえ悪い足場が、さらに絶望的な状況になる。
「うわっ、なんだこのネバネバは!」
「動けん!」
「リンド!」
「キュアアアアアッ!!」
咆哮と共に、リンドが霧の中からその巨体を現した! 低空を滑るように飛行し、高温の熱波を騎士団に向かって放射!
「ぐおおおっ! 熱い! 鎧が!」
「竜だ! やはりいたぞ!」
熱波で兵士たちは怯み、後退しようとするが、粘着液と泥濘に足を取られてそれもままならない。リンドはさらに、その巨大な翼で沼の泥水を巻き上げ、彼らの視界をさらに奪った。
奇襲は大成功だった。騎士団は開始早々、少なくない損害を受け、完全に混乱状態に陥っている。
「……なるほど。偶然の落石でも、魔物の襲撃でもない、か。我々を嵌めるための罠、ということだな」
その混乱の中にあって、隊長『氷刃』だけは冷静さを失っていなかった。彼は泥濘から部下を引き上げさせつつ、素早く状況を分析していた。
「魔法使い! 防御障壁! 前衛は盾を構え、円陣を組め! 敵の位置を探れ!」
彼の的確な指示により、騎士団は驚くほどの速さで体勢を立て直し始めた。魔法使いが杖を掲げ、半透明の障壁を展開する。兵士たちは盾を密集させ、全方位に警戒の目を向け始めた。
(……さすがは隊長、か。だが)
俺は霧に紛れながら、彼らの様子を観察していた。そして、わざと彼らに聞こえるように、嘲るような声を投げかける。
「ようこそ、騎士団諸君。歓迎するぞ。……この、死の沼へな」
俺の声に、兵士たちが動揺するのが分かった。隊長『氷刃』が、声のした方向――俺がいるであろう茂み――を鋭く睨みつける。
「……姿を見せろ、卑怯者めが」
「さあ、どうするかな?」
俺は不敵な笑みを浮かべ、再び霧の中へと完全に姿を消した。
ショーはまだ始まったばかりだ。この腐蝕の沼で、彼らに絶望という名のダンスを踊ってもらおうじゃないか。
俺は次の罠を発動させるべく、静かに動き出した。




