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大地讃頌からのタイムトリップ

 『大地讃頌』という合唱曲を皆さまはご存じでしょうか?

 ウィキペディアによると、

 一九六二年に、大木惇夫の作詞、佐藤眞の作曲により書かれた、「混声合唱とオーケストラのためのカンタータ『土の歌』」の終曲。

 だそうです。

 わたくしは、中学生の時の合唱コンクールで歌った課題曲として強く印象に残っています。


 なぜ急に思い出したかといいますと、わたくしの推しの歌い手さんが一人で全パート歌ったものを最近聴いたからです。ちなみに、めちゃくちゃ本格的で上手です。

 ですが彼、たしか二十九歳なのです。合唱曲も時代とともに変化しているはずですので、ちょっと意外でした。


 皆さまも合唱コンクールの思い出が一つくらいはあるのではないでしょうか。

 わたくしの中学校もかなり力を入れていました。

 正確には覚えていませんが、一か月くらい前から戦いは始まったと思います。各学年の課題曲が決まると、各クラスで自由曲と指揮者、ピアノ伴奏者を決め、放課後もほぼ毎日練習しました。

 一年生の時のわたくしのクラスの自由曲は『遠い日の歌』でした。初めての合唱コンクールになかなかクラスの息が合わず、担任の先生が激怒して教室を出て行ってしまう事件が起きたりもしました。最終的に順位は十組中三位か四位だったと思いますが、とても印象に残っています。


 高校生になってからの朝の通学時、この一年生の時の担任の先生に何回か会ったことがありました。ある時、「うちのクラスが合唱コンクールで一位になった」と嬉しそうに話してくれました。先生にとっても合唱コンクールは大きな行事だったんだなと改めて感じる出来事でした。


 実はわたくし、中学生時代この先生に恋しておりました。

 先生は新卒でしたが、一年浪人していたので歳の差は十歳。わたくし、初恋が父の弟というほど筋金入りの年上好きなのです。

 でも先生にはわたくしたちと同い年の妹さんがいましたし、立場的にも当然相手になどしてもらえません。それでもわたくしは諦めず、担任だったのは一年生のときだけでしたが三年間先生につきまとい続けました。


 大人になって改めて振り返ると、実に迷惑な生徒だったと思います。でも先生はわたくしを邪険に扱ったりせず、きちんと相手してくれました。放課後は、理科の先生でしたので理科準備室や、放送局の顧問になってからは視聴覚準備室で話を聞いてもらっていました。

 中学生時代の思い出の半分は先生とのことだったと言っても過言ではありません。


 そしてわたくしが卒業してから約三十年後、先生は娘が入学した中学校に在籍していました。まさか再会できるなんて、奇跡だと思いました。

 娘の学年の担任ではありませんでしたが、理科の教科担任でした。さすがわたくしの娘と言いますか、娘もしっかりと先生に懐きました。娘に聞いたところ、先生は数年エジプトに行ったり、ガンを患ったりもしたそうです。

 わたくしは学校祭のボランティアに参加し、そのとき久しぶりに先生と話すことができました。驚くことに見た目もあまり変わっていませんでした。先生もわたくしを覚えていてくれて、変わっていないと言ってくださいましたが……お世辞でしょう。当時を思い出しタメ口で先生と喋るわたくしは、周囲のお母さんからさぞ異質に見えていたことでしょう。

 その後コロナ渦となり、先生と話すことはありませんでした。娘の卒業式後にお話しするチャンスはあったのですが、なんだか恥ずかしくて早々に帰宅してしまいそれきりになってしまいました。


 先生、元気にしてますか?


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