ものもらい
一昨日から右目が痛かったのですが、昨日の朝起きたらものもらいでした。
ものもらいは医学的に言うと麦粒腫や霰粒腫と呼び、地域によっては「めっぱ」「まばちこ」など様々な呼び名があるようですね。もっとも一般的な俗称がものもらいで、由来は全国各地に「この病気を治すには人からものをもらうと良い」という意味合いの言い伝えが残っているから、というのが有力だそうです。
わたくしが初めてものもらいになったのは七、八年前だったと思います。
それまでは自身に経験はありませんでしたが、小学生の頃、友達の妹が頻繁にものもらいになって最終的には切開することになったと聞いて、瞼を切開するとはなんて痛々しい、と恐怖したのを憶えています。
わたくしのものもらいはさほど悪化することはなく、勤めているドラッグストアで買った目薬を数日つけていれば治りました。今回もたぶん、すぐに治ることでしょう。
ふと思い出したのですが、子どもの頃にはなぜか憧れの傷病ってありましたよね。
ものもらいではつけないほうがいいらしいですが、眼帯をつけるとか、ギプスをつけるとか、松葉杖をつくとか。
わたくしはどれも経験がないのですが、実際経験するとなるとどれも大変なことだと思います。
そんな感じでわたくしは大病を患ったことはそうありませんが、小学一年生のとき、マイコプラズマ肺炎に罹って学校を長期間休みました。正確な日数はわからないのですが、二週間以上は休んでいたのではないでしょうか。
ある日、担任の先生が家にお見舞いに来てくださり、そのときクラスのみんなが書いてくれた手紙も一緒に持ってきてくださいました。その頃の小学一年生は学校で初めてひらがなを習う子も多く、三歳から読み書きを特訓させられたわたくしにとっては奇想天外で楽しいものでした。鏡文字なんて可愛らしいもので、解読不能な文字がつづられていたり、勝手に入院していることにされている文章もあり、母と笑いながら見た記憶があります。
でも元気になって登校したわたくしに、他人を笑っていられない悲劇が待っていました。
読み書きができるので国語は得意だったのですが、算数は家で教えられていませんでした。その算数が、わたくしが休んでいる間に足し算から引き算に進んでいたのです。そんなある日、引き算のテストがあったのですが、まるでわかりません。
わたくしはその前にも後にもない、人生初の零点を取りました。
その後、先生に丁寧に教えていただいたと思うのですが、苦手意識を植え付けられたのか算数が苦手になっていきました。心配した先生が再び家庭訪問に来たような気もします。
母も悩み、小学校の先生をしているママ友に相談したのだと思います。そこで近所に教室があった公文を勧められ、わたくしは公文の教室に通うようになりました。
おかげで計算だけは得意になりました。ええ、計算だけ、です。
それから、ちょっと面白い癖もつきました。数字を見ると約分してしまうのです。例えば、車のナンバーが12-48だったら1-4のような感じです。
これを娘の公文の先生に話したところ盛大にウケていただき、中高生の生徒にまで話して盛り上がったと後日教えていただきました。そんなに面白い話ですか、これ?
とにかく、計算ができるかできないかは後々の数学の好き嫌いにも関わってくる結構大きな問題です。わたくしは娘も公文に通わせました。数学だけでなく国語もやったほうが良いといわれたのですが、英語にすり替え英語も習わせました。
おかげで娘は中三で英検準二級に合格し、高一で英語は最終教材まで終わらせました。
ですが、現在の娘は英語が得意かというとそうでもありません。わたくしには違いがいまいち理解できません。
ということで皆さま、公文の算数は間違いなく計算が得意になるのでお勧めです。
本日も、ものもらいから公文へと、見事に話題が変わったところで終わりにしたいと思います。
三連休だった皆さま、今週も微妙以下はやり過ごしてまいりましょう。