第二十七話『影をそっと近づける』
ハッと目が覚めた。
と言う事は、いつの間にか寝てしまっていたようだ。
あくびを噛み殺しながら上体を起こし、首を回し、腕を回し、腰を回す。
「……んっ……!」
小さく唸りながら伸びをして、ベッドから足を床に降ろして、靴下とブーツを履く。
「んー……」
__目が覚めると、知らない天井があった……。
__という古典的かつ、何処かで聞いたような表現が頭をよぎった。
どーやらまだ寝ぼけているらしい。
『おはよう、カノン』
『良く眠っていたでござるな、主人殿』
私が起きるのと同じタイミングで目を覚ましたらしい精霊達が言った。
「ん、おはよう。ヒート、ハヤテ」
やはりスイートだけあって、寝心地が違う。
シーツの下は藁ではなく、贅沢に羽毛が敷き詰められていた。
おかげでぐっすり眠れたし、久しぶりにスッキリ爽快な目覚めで起きれた。
__触覚と気温の変化にビミョーに鈍いホムンクルスに転生したとはいえ、私自身の精神的な感覚は科学が発展したバリバリの現代人なのだ。……転生前の自分が日本生まれの一般人である以外、何者なのか、細かいところは覚えていないけど。
「……ちょっと寝過ぎた……?」
床から天井まで届く大きな窓から、煌びやかな夜景が見える。
洒落た内装の一室だった。
ウッドで統一された室内は、どこにも合板など使われていない。廊下に面したドアも、内側は恐らく金属製だが本物の木の板が張られている。
廊下とデザインを合わせた壁面の腰板も、そこに置かれたチェストやテーブルも本物の木製だ。
床のカーペットも、落ち着いたブラウンである。
広々としたラウンジには、手入れの難しそうな観葉植物だけでなく、大理石の胸像やブロンズ像の他に、古い油彩の風景画、ラッパ型蓄音機、振り子のついた柱時計が並ぶ。
『いや、丁度いい時間だと思うよ』
部屋の中央に低いコーヒーテーブルが置かれ、それをソファと二脚のボックスチェアが挟んでいる。
そのコーヒーテーブルの上に、ベッドに横になる前に置いた眼帯と、豚のマスクもとい【黄金のセルド】。それから誰かが置いたらしいドレスが置かれていた。
『使用人が置いて行ったでござる』
「そう……ふぅん……」
ハヤテの言葉に頷きながらドレスをタップすると『【夜会のドレス】を装備しますか? はい/いいえ』と言う羊皮紙色のウィンドウが表示される。
取り敢えず『はい』を選択して、私は一瞬だけ光に包まれた。
この世界の【装備品】と記されている物は、タップして選択することで、例えそれが自分のサイズに合った物でなくても自動的にベストサイズで着替えることができる。
「じゃあ行こうか」
両肩にヒートとハヤテを乗せて、ドレスに着替えた私は部屋を出た。
目指すはパーティー会場だ。
会場に到着した私は、入り口で渡されたカクテル・グラス(中身はジュースだった)を片手に赤い大理石の上をなんと無しに歩いていた。
肩や鎖骨を見せるのは嫌だったが、それでも胸元は大きく開き、たっぷりとしたフリルが腰から始まってスカートの裾まで、螺旋を描いてまといつくようにデザインされている。
「……ちょっと、恥ずかしい……」
『ニヒヒ……似合ってるよ』
『これ、ヒート殿。主人殿が困っておるではござらんか』
……せめてストールとか、何か羽織る物が欲しかった。
ふたりが肩に乗ってくれているのと、会場自体がやや薄暗いのが、唯一の救いか。
それにしても__
私は周りを改めて見渡した。
等間隔で吊り下げられた純金のシャンデリア、分厚いベルベットのドレープカーテン。
百を超える数の大きな丸テーブルには、脚まで隠すレース付きの白いクロスが掛かり、中央には蜜蝋の燭台や花籠が並ぶ。
それと同列するように、大きな銀色のバケツのような容器が置かれている。
大量のクラッシュ・アイスを満載したそれは、シャンパン・クーラーと呼ばれるシャンパンを冷やすものだ。
何本ものシャンパンやワインのボトルが、仄かに冷気の煙を上げる氷の中に突き立っている。
耳を澄ませば、風に乗って弦楽四重奏が聞こえる。
そして__そのテーブルの周りには、私と同じように【黄金のセルド】を被り、イヴニング・ドレスとタキシードで着飾った老若男女が、優雅な笑い声を混じえて立ち話に花を咲かせていた。
壁際には宝石のように輝く果実や、この世界の高級料理が惜しげもなく並んだ長大なテーブルが置かれている。
「……おぉ〜……!」
凄い! パーティーだ! 舞踏会だ!
それも剣と魔法のファンタジーな世界の!
濃厚な甘さとフローラルな爽やかさが相まった花の香りは、会場内の至る所に飾り付けられた乳白色の可憐な花__月下香からだった。
高いリラックス効果を発揮するこの花は、夜になると上品な色気のある強い香りを放つという特徴を持つ。
その匂いに、微かに食べ物の匂いが混じる。
「……お腹、すいた……」
突然、思い出したかのように湧いてきた空腹感に、ぽつり、と呟く。
『何か食べよう』
『こう言う時は、遠慮してはダメでござる』
「うん」
引き寄せられるように、私は料理が満載に並ぶ面長のテーブルへと向かう。
一応テーブル横にボーイはいるが、基本的に料理は自分で取るセルフサービス形式のようだ。
__あ、ちなみに豆知識。ビュッフェ=食べ放題だと思っているのは日本人だけである。
本来は『皿に好きなものを取り、取った分だけの料金を払う』というシステムであり__セルフサービス形式の料理で、食べ放題ではない。
さらに言うと、バイキングは和製英語である。
定額で料理が食べ放題のサービスで、日本でしか通じない。
なので食べ放題は、正確には『ビュッフェ』ではなく『バイキング』と表記するのが正解である。
「…………?」
私が『何か』を感じたのは、手にしたフォークでタコのマリネを口に放り込んだ、まさにその瞬間だった。
私はいくつもの視線を感じていた。
参加者だ。
彼らは手近の知り合いと会話しながらも、ちらちらと視線を飛ばしてくる。
__そりゃ、見るだろうな。
側から見れば、子供がひとりで肩にペットを連れてパーティーに来ているのだから。
この場に珍堂の店主がいれば、また話は違ってきたのだろうが__そーいえばどこ行った、あのおっちゃん……。
「やあ」
と言う声に顔を上げると、長身にイヴニング・ドレスを纏った一人の淑女が、いつの間にか隣に立っていた。
「……どうも」
未だに残ったマリネを口の中でモゴモゴしながら、私は答えた。
淑女はそんな私に笑みを向けながら、
「隣に座っても?」
「え……?」
__今、なにかデジャヴが……?
仮面越しに瞬きを数回してから、
「……アルエ、さん?」
私は首を傾げた。
「やあ、カノン殿。こんなところでまた君に会えるとは、奇遇だね」
相手は、キャラバンで一緒になった女騎士だった__




