泥水は困る
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フィオナはさっそく第一魔術師団の団員であるニナと仲良くなった。
気さくなニナから第一魔術師団のことをいろいろと教えてもらいながら食事を取り終えると、彼女は午後は任務に出ると言うので食堂を出てすぐに別れた。
魔力を封じられているフィオナにはもちろん任務はない。
少しの間中庭を散歩をしていたが、眠くなってきたので自室に戻ることにした。今日は久しぶりに走ったので疲れたのだ。
* * *
コンコンッ
「入ってもいいか?」
フィオナの部屋をノックして呼び掛けるが返事はなく、マティアスは扉の横にもたれかかる。
どうしようかと悩むこと数分、レイラが前を通りがかった。彼女の部屋は同じ五階にあるのだ。
「どうしたの?」
「夕食に誘いに来たのだが返事がない」
「あら、そうなの」
そう言うと、レイラは何の躊躇いもなくフィオナの部屋の扉を開けた。
「鍵もかけずに何やってるのかしら……あら、ふふふ」
中を覗いたレイラは口に手を当てて笑うので、マティアスも後ろから覗き込み、そして固まった。
フィオナは膝丈のワンピースのままベッドでクッションを抱きしめながら寝ているからだ。足をくの字に曲げているため太ももが露になっている。
彼は他の人間が通りがかる前に、慌ててレイラを部屋に押し込み扉を閉めた。
「あらあら。独占欲かしら」
「うるさい」
何とでも言うがいい。マティアスが彼女にご執心というのは知れ渡っているから今更だと開き直っている。
彼はフィオナにそっとタオルケットをかけた。
「今日は久しぶりに走ったから疲れたのね」
二人は気持ち良さそうに眠っている様子を見ながら話をする。
「彼女は第一でうまくやっていけそうか」
「そうね。グレアムは何だかんだ文句を言いながらも世話を焼いていたし、ニナとはさっそく仲良くなったみたいよ。問題なのはミュリエルくらいかしら……」
レイラは頬に手を添えて苦笑いをする。
「ミュリエル? あいつは怒りっぽいが新入りをいびるような子じゃないだろう」
「そうだといいけどね……」
「それよりグレアムが世話を焼いたというのを詳しく聞かせろ」
マティアスの目は据わっている。レイラは呆れてじとーっとした目で彼を睨んだ。
今日の訓練後、彼女はグレアムにある話を聞いていたのだ。
グレアムがフィオナにすでに水をぶっかけ済みだったこと、そのせいで彼がマティアスにどえらい目に遭わされたことを。
「あなた、大概にしておかないとそのうち嫌われるわよ。この子が居づらくなるようなことはしないでね」
「ぐっ……」
思い当たる節があり彼は口ごもる。
「……ん」
何だか話し声が聞こえるなぁとフィオナはもぞもぞと動きだした。むくりと起き上がり、ぼーっと目をこすりながら二人を見る。
「……マティアス?……レイラさん?」
「フィオナ、夕食の時間だぞ」
「……ごはん?……行く」
彼女はまだ頭がぼんやりとしているようだ。ベッドから降りてそのまま扉へと向かおうとするので、マティアスに腕を掴んで止められた。
「待て待て、そんな頭で行こうとするな」
「あたま?」
彼はボサボサになったポニーテールのまま行こうとするフィオナをベッド横の椅子に座らせる。洗面所から櫛を持ってくると、ゴムを外して彼女の髪を丁寧にとかしサラサラに仕上げ、後ろで一纏めにする。
その間にフィオナの目はしっかりと覚めた。
「よし、これでいい」
「ありがとう、マティアス」
「何か羽織っていくんだぞ」
「はーい」
フィオナはクローゼットからカーディガンを取り出して羽織る。その様子を眺めていたレイラはボソッと呟いた。
「あなた母親みたいね」
「ぐっ……」
マティアスの胸に重い一撃が入る。フィオナはやっぱりそうだよねとしみじみ思ったが口には出さなかった。
レイラも夕食はまだと言うことで三人で食堂へ向かった。少し遅い時間なので人はまばらだ。
カウンターで注文をし、受け取った食事をトレーに乗せて運ぶ。マティアスとフィオナは向かい合わせに座り、レイラはフィオナの隣に座った。
「今日は走ったそうだな。足は大丈夫か?」
「足? 何で?」
「前に俺が右足のひざから下を切り落としたことがあっただろう」
「あぁ……そんなこともあったね」
マティアスと戦っていたことが遠い昔のように感じるが、彼女は当時を思い出す。
戦場で彼と相対した時に、魔術障壁の強度が足らず攻撃をまともにくらったことがあったのだ。
すぐに切り口を凍らせ止血し、特大魔術をいくつも放って撤退した。
焦っていたのでやりすぎてしまい、あの人死んじゃったかも……と不安に思いながらしばらく過ごすことになった。
その数日後にマティアスの姿を確認でき、生きていたことに心から安心したなという記憶が蘇った。
「帝国の治癒士に癒してもらったから何の違和感もなく動くよ」
「そうか、良かった。あの時はすまなかったな」
「謝らないで。私もマティアスの腕を吹っ飛ばしたことあるしお互い様だよ」
「あぁ、あれはわざとくらったんだ」
マティアスはしれっと言うのでフィオナはきょとんとなる。
「え? 何で?」
「君の反応を見たかったからだ」
「えー……何それ……」
フィオナが味方を妨害して自分たちの手助けもしている。それに気付いて以来、彼は幾度となく彼女を試していた。
彼がわざと隙を見せても攻撃してこず、疲れた様子を見せると攻撃の手を緩めてくる。
面白くなったマティアスは、彼女が放った風の刃を防御することなく受けてみることにした。
手首から下が切れる程度で済ませるつもりでいたが軌道を読み違えてしまい、左手をごっそり切り落とされてしまったのだが、後悔はしていない。
「マティアスこそ左手に違和感はない?」
「問題ない。むしろ新品になって調子が良くなったように思う」
「それ私もだよ。大怪我をした時にそこだけ治癒するより、思いきってスパッと切り落とした方が良いのかなって思った」
「そうかもしれないな」
目の前で朗らかに切り落としトークに花を咲かせている二人をレイラはじとーっと見る。スペアリブにかぶり付きながら。
「ねぇ、その話は今しないでもらえるかしら」
ひときわ低い声でそう訴えると、二人は『はい……』と言って静かになり食事に集中した。
* * *
とある日の昼食後の昼下がり。フィオナはベンチに座りながらぼーっと空を見上げていた。
流れる雲を眺めながら、どうしたものかとぼんやりと考えているところへ、グレアムが後ろから覗き込む。
「オマエ何やってんの?」
グレアムは眉をひそめている。なぜなら彼女は泥水にまみれているから。
「どうしようかなって考えていたところだよ。ねぇ、頭から水かけてくれない?」
「めんどくさい奴だな」
そう言いながらも水をかけてしっかりと泥を洗い流し、そしてしっかりと乾かした。
「ありがとう。廊下を汚しちゃうから部屋に帰れなくて自然乾燥を待ってたの。だけどそれでも土で廊下を汚しちゃうしなぁって思ってたんだ」
「それやったのミュリエルだろ。栗色の髪を耳の上の高さで二つに括ったヤツ」
「あー……うん、そうだね」
誰にやられたのかはわざわざ言うつもりはなかったが、ピンポイントでその人物を言い当てられてしまった。
「アイツやっちまったな……余計なことしたら酷い目に遭うって教えといたらよかったか……」
グレアムはベンチにもたれ掛かり、遠くを見ながら目を細めてしみじみと言う。
「酷い目って何?」
「マティアスに半殺しにされるってことだ。あの野郎まじ鬼畜」
そう言ってフィオナの隣にどかっと座った。
「半殺しって何で? 何したの?」
「何って……オマエ心当たりあるだろ」
「??」
フィオナはよく分からず首を傾げる。心当たりと言われても、グレアムのことはまだあまりよく知らない。廊下で水を掛けられたり訓練の時に水を飲ませてもらったくらいだから。
水を……
「まさかとは思うけど、私があなたに水を掛けられたからじゃ無いよね?」
「そのまさかだよ」
「ええー……」
フィオナはドン引きだ。水を掛けられた報復に半殺しだなんてさすがにやり過ぎである。自分はそんなことを頼んでいないし、そもそも報告すらしていない。
マティアスに伝えたのはおそらくルークだろうと考えた。
「アイツ、俺を延々と繰り返し半殺しにするために、側に治癒士を控えさせてたからな」
「うわぁ……」
話を聞いて言葉を失っていると、ルークが二人の方へ走り寄ってきた。
「窓から何だか汚れてるフィオナさんが見えたから来てみたんすけど、グレアムさんが綺麗にしたっすか?」
「あぁ、めんどくせぇが水で流してやったんだよ」
「そっすか。……もしかしてミュリエルさんっすか?」
なぜかルークもその名前を言い当てた。彼女が自分を嫌う理由に心当たりがあるようだ。
しかし今はそれを聞くことよりも、惨事を未然に防ぐことに努める。
「マティアスには内緒だよ。じゃないと酷いことするみたいだから。グレアムが私に水をかけたことを話したのってルークだよね? 酷い目に遭ったみたいだから今度からは言わないで欲しいの。女の子に酷いことしたらさすがに嫌いになっちゃうよ」
「グレアムさんのことは、黙ってて後からバレた時にオレが酷い目に遭うから報告したんすよ。フィオナさん、今の話は本人に直接言ってもらえると嬉しいっす」
「そうだな。『女の子に』ってところを『仲間に』って言葉に言い換えといてくれ」
真剣な顔をした二人から頼まれて、フィオナは快く承諾する。
そしてその日の夕食時にさっそく伝えた。フィオナから窘められたマティアスは『ぐっ……』と小さく唸った。
* * *
フィオナが第一魔術師団の一員になり二週間経った。
団員たちと彼女は気軽に接するような仲になった。しかし彼女に泥水をかけたミュリエルだけはツンとしたそっけない態度のままで、頑なに仲良くしようとしない。
フィオナは悲しく思ったが、自分が敵だった時に酷いことをしたから恨まれているのだろうと諦めていた。
グレアムとルークに詳しい理由を知っているか聞いても教えてもらえなかったが、それしか理由に心当たりはないのだ。
ある日の夕食後、フィオナはルークとマティアスと共に部屋に戻った。何やら話があるとのことだ。少し経ってからレイラもやって来た。
フィオナはソファーに座るよう促されて腰掛ける。前にはルークとレイラが立っていて、マティアスは椅子に腰掛けて見守る。
「フィオナさんの魔力を少しだけ戻す許可が降りたっす。右手を出してください」
ルークにそう言われて右手を頭の位置まで上げて差し出すと、彼は枷に人差し指を当てた。一つの紋様がスッと消えたと同時に、彼女は少しだけ魔力が戻った感覚を覚えた。
「これで二十分の一だけ戻ったはずなんで、ちゃんと魔術が使えるか確認してみてほしいっす」
フィオナは両手のひらを上に向けた。小さな火の玉、水の玉、氷、竜巻とパパパパッと両手同時に次々と出していき具合を確かめる。
「うん。問題なく使えるよ」
手から視線を上に移すと、ルークとレイラは驚いた顔で固まっていた。
「ちょっと、今の何? どうやったの?」
「早すぎっすよ。魔術式の構築速度が半端ないっす」
より早くスムーズに魔術を使えるように訓練をすることは、魔術師にとって当たり前のことだ。だけどフィオナの術発動の速度は常軌を逸していた。
「流れるような魔術操作は神器のおかげじゃなかったんすね」
「あの金の腕輪には使い手の魔力を増幅させる以外の効果はないよ」
「そうだったのね。本当に驚いたわ。どうやったらそんな風になれるの?」
レイラはフィオナの顔を上から覗き込み興奮ぎみに質問をする。
「えっとですね、毎日十三時間くらい魔力操作の訓練をしてたら数年でできるようになりました」
「……そんなに長時間訓練を続ける魔力を持ってる人間はいないと思うわ」
フィオナの答えにレイラは苦笑いだ。
「そうですか……それじゃやっぱり腕輪の力ですね」
魔力を増幅させる腕輪がなければ成し得なかったことなんだと納得していると、ずっと座って見守っていたマティアスが立ち上がり、フィオナの前でしゃがんだ。
「いや、君の努力の成果だ。辛かっただろうによく頑張ったな」
藍色の優しい眼差しで労るようにそっと言葉を掛けられ、彼女はじんわりと胸が熱くなる。
なかなか上手く魔力を扱えなかった頃は、魔術講師からはいつも叱られてばかりで。どんなに辛くても誰にも弱音は吐けずに独りぼっちの寂しい部屋でいつも泣いていた。
両親の前では心配をかけないように笑っていたから。
「……うん。いっぱい頑張ったんだ」
マティアスに褒めてもらえた。それだけで辛かった日々が報われた気がして、フィオナは少し涙を浮かべて微笑んだ。
* * *
魔力が少しだけ戻ったことにより、翌日の訓練からはフィオナも魔術を使えるようになった。
「今日は一対一での対人訓練よ。フィオナはまだ少ししか魔力を使えないから、魔力が尽きる前に降参するのよ」
「はい」
団長であるレイラが組み合わせを決め、選ばれた二人は鍛練場の真ん中に向かい合って立つ。残りの団員たちは離れたところから見学する。
比較的大規模な魔術も使用しながら戦う。遠慮は一切なしだ。双方ともに怪我をするが、治癒士が一人待機しているので、手合わせが終わるとすぐに傷を癒す。
「それじゃ次、ミュリエルとフィオナ!」
「はぁ!?」
レイラが次の対戦の組み合わせを言うと、ミュリエルは立ち上がって文句を言った。
「ちょっとお姉……団長! 何で私とこの子なのよ? こんな魔力を少ししか使えないような子と相手したって訓練にならないじゃない」
ミュリエルは耳の上の高さで二つに括った栗色の髪を激しくゆらしながら抗議する。
「うるさい。文句なら手合わせした後に言いなさい」
レイラはそう一喝すると、フィオナの方を向いた。
「フィオナ、遠慮はいらないから全力で叩きのめしなさい。団長命令よ」
「分かりました」
ここにいる治癒士の腕の良さは先ほど確認済みなので、フィオナは躊躇いなく了承する。
ミュリエルは眉を吊り上げまだ文句を言いたげだったが、さっさと鍛練場の真ん中へと向かった。フィオナもすぐ後を追って、二人は向かい合って立つ。
ミュリエルはキッとフィオナを睨んだ。その青い目には憎しみが溢れている。
開始の合図と共にミュリエルは大きな炎の渦を放とうと右手に魔力を集めた。
本来ならまずは防御力を高めるために体の周りに魔力障壁を張らなくてはいけない。だけど目の前の相手は少ししか魔力を使えないのだから張る必要はないと考えた。
この攻撃だけで終わらせようと術式を構築する。
しかし炎の渦を出現させる前に全身に鋭い痛みが走った。
「痛っっ……!?」
自身の腕や足、肩にいくつもの細く鋭い氷の矢が刺さっていた。
──なんで? いつのまに?
だが今は考えている場合ではない。術式を中断されてしまったが、とにかく何か放とうと両手から炎の矢を放った。しかし放った直後に水の玉に飲み込まれて消えてしまう。
いつの間にか目の前に現れていた小さな魔法陣から放たれた水の玉だ。
「っっ」
先を読まれて焦るミュリエル。それなら竜巻をと術式を構築し始めてすぐに頭上から二筋の雷が落ちる。背中を撃たれ術式は中断された。
「〜~~っっ」
その場に倒れ込み頭上を見上げる。そこには新たな小さな魔法陣が二つあり、炎の矢がミュリエルの両手を襲った。
「っっあぁぁあ」
手の甲を焼かれうずくまる彼女は、風の刃に切りつけられる。いつの間にか三方向に現れた小さな魔法陣から放たれたものだ。腕と背中に痛みが走る。
その後もミュリエルは反撃する隙を一切与えられず、フィオナの小さな攻撃に撃たれ続けた。
「フィオナ、そこまでで良いわ!」
離れた所からレイラが叫び、二人の手合わせは終了した。
すぐに治癒士がミュリエルの元へと駆けつけ治癒を始める。いくつもの攻撃を受けたが一つ一つは小さな怪我なのですぐに癒し終えた。
ミュリエルはその場にすっと立つと、手合わせ前と同じようにフィオナをキッと睨み付けた。その目には涙が浮かんでいる。