解放
町に出掛けてから数日後、再び陛下との謁見が入ったというので、フィオナは前回と同じ服に着替える。
マティアスにおかしなところがないかチェックしてもらっていると、ルークが部屋にやってきた。
「そんじゃ行きましょか」
三人で王城へと向かうためレンガの小道を往く。マティアスは今日は黒い騎士服だ。
入り口の前まで到着すると、前を歩いていたルークはフィオナに向き合った。
「念のため枷の呪印を新しく描き直していいっすか」
「うん」
すぐに両手を前に差し出すと、ルークは左手の枷にそっと触れ、描かれていた紋様を払い除けて消し去った。そして指先に黒い魔力を纏い新たな紋様を描いていく。
元々あったものとは形が違うが、呪印に詳しくないフィオナには効力の違いは分からない。万が一に備えて威力を上げたのかなと思ったくらいだ。
「これでよし、と。それじゃ行きましょか」
王城に入ると前回と同じく騎士二人がフィオナたちの後ろを付いてくる。そして玉座の間へと入った。
挨拶もほどほどに国王はフィオナに質問を始める。
「帝国への忠誠心はないと言っていたが、それは今も変わらないか」
「変わりありません。忠誠心など元々微塵も持ち合わせておりませんでした」
「そうか。ではこの国の魔術師として忠誠を誓う気はあるか」
「この国の魔術師として力を振るい、裏切るような真似は決してしないと誓います。ですが非道な行いはしたくありません」
フィオナは今思っていることを臆することなく正直に答える。国のために非道なことをしろと言われたら、今度は潔く死を選ぶつもりだから。
その前にマティアスたちに恩返しができたらいいなとは思っている。
「そうか。裏切るつもりがないならそれで構わん。ここの魔術師や騎士たちとは上手くやっていきたいと思うか」
「まだここの人たちとはあまり交流はありませんが、今まで迷惑をかけた以上に彼らの役に立ちたいと思います。ルークやレイラさんには優しくしていただいていますし、マティアスにもすごくお世話になっています。何だか過剰に甘やかされていますが……」
フィオナがマティアスのことを語りだしたので、ルークは後ろで口に手を当てながら狼狽えていた。
──ダメっす。余計なことは言っちゃダメっすよ!
心の中で切実に願ったが、その願いは届かなかった。
「だけど気持ちには感謝しています。いつも優しくて私の世話を焼いてくれてお母さんみたいで……あ」
なぜか言うつもりはなかった余計な言葉まで付け加えてしまった。パッと口を押さえたがもう遅い。
「お母さん……」
マティアスはボソッと言う。
ルークはあちゃーという顔をして頭を押さえ、国王は顔を背けて震えている。
「くくく……君の気持ちの確認は以上だ。もう下がっていいぞ」
「……はい。失礼いたします」
微妙な空気が流れる中、謁見は終了した。
王城から出ると、とぼとぼとレンガの小道を戻る。
マティアスは暗い顔をして『お母さん……お母さんか……』とぶつぶつと呟いていて、おぼつかない足取りだ。
その背中を見ながらフィオナは罪悪感でいっぱいになり、泣きそうな顔をしていた。
「どうしよう。言うつもりはなかったのに余計なことまで言っちゃった」
「すんません、オレのせいっす。王城に着いたときに枷の呪印を描き直したでしょ。あのとき実は、嘘偽りなく話すようになる呪印を施して発動させてたんすよ」
ルークは申し訳なさそうに両手を合わせて頭を下げる。
「……そうだったんだ。……うん、それはしょうがないと思うよ」
陛下の前で自分が危険な存在でないと証明できて、嘘偽りない思いを伝えられたのだからそれは良かったと思う。
だけどマティアスを傷付けてしまったのは良くない。
「ねぇ、今もまだ呪印の効力は続いてるんだよね?」
「はいっす。もう必要ないんで解除するっすね」
「ううん、ちょっと待って」
そう言って、フィオナはマティアスに近づいた。
「マティアス、ごめんなさい。お母さんみたいだなんて言われたら男の人にとっては屈辱だよね。だけど悪い意味じゃなくて、お母さんみたいに身の回りのお世話をしてくれて気遣ってくれる素敵な人っていう意味なの」
「……そうか」
マティアスの声色はとてつもなく暗い。
「マティアスと一緒にいると安心できて幸せな気持ちになれるの。それにね、すごく男前で逞しくて素敵だと思う。声も格好いいし優しいし全部好きだよ」
「……す……き……?」
好きという言葉にピクリと反応するマティアス。ずっと下を向いていた顔を上げると、目が合ったフィオナは微笑んだ。
「うん。好きだよ。今まで出会った人の中で一番好き。嘘じゃないよ。まだ嘘偽りなく話す呪印がかかってるから」
フィオナが左手の枷を見せると、後ろで見守っていたルークは『ほんとっすよー』と言った。
「一番……そうか」
フィオナが口にした好きには恋愛的な意味は含まれていない。平然としている様子からもそれは明らかだ。
それでもマティアスにとってはじーんとくる言葉だった。一番という言葉を頭の中でこだまさせながら嬉しさを噛みしめる。
「そう思っていてくれて嬉しい。君の中で一番でいられるのなら、今はまだお母さんと思われていても平気だ。別に屈辱だなんて思っていないから大丈夫だぞ」
「本当に? でも陛下は『不憫だな』って言ってたよ」
「……あの人は常人と感覚が違うから気にしなくていい」
「そうなんだ。それなら良かった」
マティアスの表情が和らいだのでフィオナは安心した。後ろで見守っていたルークもホッと息を吐く。
「あれ? でもあの時ルークはすごくおかしそうに──」
「あーあー! フィオナさんストップっす! その話はお仕舞いにして、左手を出してほしいっす」
危険を察知したルークは、火の粉が飛ぶのを未然に防ぐため彼女の言葉を遮る。慌てて二人の間に割り込んできた。
フィオナは左手を出してと言われたので前にすっと出す。ルークは嘘偽りなく話す呪印を解除し、そのまま枷も取り外した。
「これでおっけーっす。右の魔力封じの枷はまだ外せないけど、今日からは左の枷と鎖は必要なくなったっす。ここの敷地内では自由にしていいっすよ」
「え? 何で?」
「君は害のない存在だと認められたからな。逃亡する意思がないこともすでに確認済みだ」
「確認……もしかしてこの前のお出かけって……」
町中で何回か一人になっていたのはそういう意図だったのかと腑に落ちた。
このまま逃げてどこかで呪印士に呪解してもらったら自由になってしまうのに、いいのかなぁと思っていた。そんな気は一切起こさずにぼんやりと待っていたけれど。
「俺にとってはそっちはついでで、君を町に連れ出すことの方が重要だったがな」
「ちがいないっす」
マティアスはフィオナを楽しませることに全力を注いでいた。本当はずっと側にいたかったのに、何回か側を離れなければいけないことを不満に思っていたほどだ。
詰所ではずっと眉間にシワを寄せてブツブツと小言を言っていた。
「そっか……自由か」
フィオナは浮かない顔をしている。
魔力はまだ戻らないから役に立てる訳ではない。だけど行動は自由になったのだ。
「それじゃもうマティアスと一緒に過ごせなくなるんだね……」
「ぐ……」
俯き加減で寂しそうに言う姿にマティアスはキュンとなる。しかし細やかに世話を焼きに行かなくなることは事実。彼はしばらく疎かにしていた任務に本格的に戻らなければいけないのだ。
「世話を焼くことは減るが朝晩一緒に食事を取ることはできる。休日や時間がある時は会いに行くつもりでいるが構わないか?」
「ほんと? やった。ありがとうマティアス」
顔を綻ばせる姿に、マティアスは心の中で歓喜し拳を強く握った。
* * *
自由になったことにより、フィオナは食堂で食事をとることになった。
部屋で食べてもいいんだぞとマティアスは言うが、手間になるからいいと断った。彼が残念そうな顔になったのは言うまでもない。
昼食の時間になったので、部屋まで迎えに来たマティアスと共に食堂に向かう。
食堂では数十人の魔術師や騎士たちが食事を取っている最中だった。
ローブを身に着けている者や騎士服、私服姿の者など様々で、彼女は目が合った人たちにペコリと頭を下げていった。
食事を注文し、少しその場で待ってから受けとると、トレーを運んで空いている席に座った。
フィオナは小盛りのトマトパスタとサラダ、マティアスは山盛りの角切りステーキに山盛りのパン、サラダ、スープだ。
「マティアスはいつもいっぱい食べるね」
「あぁ、神器を使用しているとすぐに空腹になるからな。君もそうだったのではないのか」
「そうだね。でも私はあまり量を食べられないから甘いもので凌いでいたよ。甘いものは好きだから苦にならないの。帝国で粗末な食事になってからは、甘いものはもらえなくなって代わりに丸薬を与えられたから辛かったな……」
「それは辛かったな。ここでは沢山食べるといい」
「うん、ありがとう」
後でデザートを取りに行くといいと言われ、楽しみにしながら食事を取り始めると、レイラがやって来た。
「フィオナ、明日からうちの訓練に参加するんだってね」
「はい。まだ魔力は使えませんがよろしくお願いします」
「ええ、よろしくね」
フィオナはレイラが団長として率いる第一魔術師団の一員となることが決まった。封じられている魔力は様子を見ながら少しずつ解放されていくことになる。
「うちはひねくれた子がいるから、ちょっと苦労するかもしれないけど。できるだけサポートするからね」
「ありがとうございます」
ひねくれた子と聞いて、真っ先にグレアムの顔が浮かんだ。廊下でフィオナに水をぶっかけてきた人だ。
* * *
翌日。フィオナは黒いズボンと白いシャツに着替え、髪は後ろで緩く編み込んだ。食堂に向かい、マティアスとルーク、レイラと共に食事を取ると、部屋にまた戻ってきた。
訓練の開始時間は一時間後なので、それまで椅子に座って本を読んだりぼーっとしたりして過ごす。時間になるとクローゼットを開けてローブを取り出し身に着けた。
王国の魔術師としての深緑色のローブだ。
ここでは一般的な魔術師は深緑色のローブ、治癒士や呪印士などの専門職は白いローブを身に着けている。
部屋に迎えにきたレイラと共に外に出てしばらく歩き、第一魔術師団が訓練を行う演習場に着いた。
だだっ広い演習場には二十名の団員が揃っており、その中には長い前髪を真ん中で分けた黒髪の男性、グレアムの姿があった。フィオナはやっぱりなぁと思った。
「今日からうちの仲間になったフィオナよ。もう敵じゃないんだから仲良くすること。苛めたら許さないからね!」
レイラが腰に手を当ててビシッと言い放つと、『はいっ』『はぁーい』『うっす』『えー……』『めんどくせ』などと全く統一感のない返事がくる。『めんどくせ』はグレアムだ。
「フィオナです。今までご迷惑をおかけしてすみませんでした。しっかりと働いて役に立ちたいと思っています。今日からよろしくお願いします」
彼女はいつものようにのんびりゆったりと挨拶をした。
団員たちはしばし固まる。あれ、何かイメージと違うぞとなり、隣合った者同士ヒソヒソと話しだした。
「さぁ、お喋りは終わりにして走り込みからよ。演習場三十周ね。フィオナは久しぶりの運動だろうから、限界に思ったら歩いていいわ」
「はい」
フィオナは最後尾を付いていった。
ここ数日まともに運動していないし元々あまり持久力はない。最後まで付いていくのは無理かもしれないけれど、できる限り頑張ろうと気合を入れて走る。
そしてなんとか歩かずに三十周走り終えた。
「頑張ったわね。ちゃんと最後まで走りきれたじゃない」
「はひぃ……」
他の団員とは二周遅れで走り終え、その場にペタンと座り込んで力なく笑う。すでにヘロヘロだ。
「グレアム、フィオナにお水飲ませてあげて」
レイラはすぐ横にいたグレアムに声を掛けた。
「あー? なんで俺なんだよ」
「そこにいるからよ。団長命令」
グレアムは心底面倒くさそうな顔をしながらもフィオナに近付き、やる気なさげに右手をぶらんと前に出した。
「ほら、口あけろ」
フィオナは上を向いて言われるがまま口を開ける。しばらく待つと彼の指先から水が出て程よい量が彼女の口に入ってきた。口を閉じてごくんと飲み込むと、また口を開けろと言うので再び水を貰う。
「もう良いか」
「もうちょっと」
「っったく」
面倒くさそうにしながらもグレアムは水を数度出してくれるので、彼女はごくんと飲み込んでいった。
「ありがとう、グレアム」
喉が潤ったフィオナは微笑みながらお礼を言う。
「団長命令だからな」
素っ気なくそう言って、グレアムは後ろを向いて離れて行った。
レイラは彼が素直に水を飲ませると思っていなかったので少し驚いている。まずは今までの腹いせに頭から大量の水をぶっかけるものだと思っていたから。
彼女は彼がもうすでにフィオナにぶっかけ済みなことは知らないのだ。
少し休憩した後は、各自で中型の魔術を遠隔で放つ訓練をする。フィオナは魔力を封じられているので見学だ。
広い演習場に皆それぞれ散らばり、空中に魔法陣を描いて空に向かって魔術を放っていく。
「何か気になることがあったら言ってくれるかしら」
隣で団員たちの様子を見ているレイラがそう言うので、フィオナは前方で竜巻を起こしている女性を指差した。肩より少し長い青髪の二十歳前後に見える女性だ。
「あの青い髪の人の魔法陣、ちょっと改良したほうが良いと思います」
「え、そうなの?」
二人は女性の元へと近付いた。フィオナは彼女が描いた魔法陣の一部を指差す。
「ここを変えた方が良いと思うの」
そう言って地面により良い紋様を描く。これは魔術書をいくつも読んだ末にフィオナが独自に生み出した紋様だ。
女性は眉をひそめながらもレイラに促されて渋々魔法陣の一部を変更する。再度魔術を放つと竜巻は先ほどより空高く上がっていった。
「っっわ、威力倍になりましたよ。魔力消費量は変わっていないのに」
「本当に!? フィオナお手柄よ」
「ありがとう。すごいねフィオナさん」
「どういたしまして」
二人に褒められて恥ずかしくなり、フィオナは頬を少し染めた。
その後もレイラに連れられて演習場内を見回り、改良した方がいいところを指摘していった。
訓練は午前中で終わり、フィオナは部屋に戻ってシャワーを浴びることにする。久しぶりにしっかりと運動をして汗をかいた。疲れたけれど清々しい気分だ。
シャワーを終えると魔道具で髪を乾かし、髪はポニーテールにする。
黒い半袖ワンピースを着て昼食を取るために食堂へと向かった。
お腹が空いているので魚料理とサラダ、パンは二つにした。
マティアスとルークは任務に出ていて不在なので、窓際のカウンター席に座り一人で食べる。
しばらく黙々と食べていると、すぐ隣の席にカタンとトレーが置かれたので、誰だろうと見上げた。
「隣いいかな」
青髪の女性がフィオナに声をかける。
「うん」
彼女はにっこりと笑って返事をし、第一魔術師団の女性、ニナと隣り合わせで食事を取ることになった。
フィオナの隣の席に行こうかと思っていたレイラはその様子を後方から眺め、口元に笑みを浮かべ違う席に行くことにした。