温かくて安心できて
フィオナが王国に来て二週間経った。今日もマティアスと共に庭を散歩している。
「ねえ、マティアス。部屋の掃除くらいは自分でしてもいいかな?」
彼女は手持ち無沙汰だ。ご飯を食べて本を読んでマティアスとカードゲームで遊んで散歩をしておやつを食べて……のんびりするだけの日々は幸せすぎる。
捕虜なのにこんなのダメだよねと思う気持ちが日に日に増していく。
「暇ならもっと遊べるものを持ってきてやるぞ?」
「そうじゃなくて仕事が欲しいの。幸せすぎてダメになっちゃう」
「なるほど? よく分からんが掃除がしたいのなら道具を手配しよう」
「うん、よろしくねマティアス」
そうして手配してもらった道具は、どう見ても新品でお高そうなもの。ホウキとちりとりは持ち手が高級感溢れる黒光りで、ハタキは黄色とピンク色の色彩が綺麗で希少な鳥の羽が使われているんだぜと主張してくるようなもの。
水色のブリキのバケツなんて猫と草花が描かれていて可愛すぎる。汚れた雑巾をすすぐために使うのは勿体なく感じでしまう。
「使い古したやつで良かったんだよ……」
「どうせ使うなら使い心地の良さそうなものの方が良いだろう。気に入らないのか?」
「ううん、そんなことないよ。ありがたく使わせてもらうね」
せっかく用意してくれたのだからこれ以上は何も言わず、大切に使うことにした。
彼女が使っている部屋には毎日掃除係の女性が来ているので、どこもかしこもピカピカだ。その状態を維持できるよう、こまめに掃除をすることにした。
毎日自分で掃除するようになり、手持ち無沙汰が少しだけ解消された。
洗濯は自分ではできないので、洗濯係に洗ってもらっている。今日はシーツの交換日だと昨日聞いていたので、自分で外して脱衣籠に入れておいた。
朝食後しばらくすると回収に来てくれる年配の女性に脱衣籠ごと手渡す。
「いつもありがとう。よろしくお願いします」
「はいはい、おばちゃんに任せなさい。シーツは週に一度じゃなくてもいつでも出していいからね。遠慮しなくていいんだよ」
「うん、ありがとう。でも寝込んだ時しかベッドの上では食事してないから汚さないよ」
「ふふふ……そうかい。あの色男にちゃんと大事にされてるんだねぇ」
女性は少しだけ下品に笑ったが、フィオナは余計な気遣いには全く気付いていない。
「うん、マティアスは優しいよ」
「そうかい。良かったねぇフィーちゃん」
女性はニコニコしながら籠を持って出ていった。
「みんな優しいなぁ……」
彼女は今日も朝から心がほっこりとなった。
* * *
翌日、朝食を一緒に食べながらマティアスはその日の予定を話す。
「俺は今日は任務が入ったから留守にする。君の監視はルークが務めることになるのだが、今日、急遽君は陛下と謁見することになった。ルークに付き添ってもらって行ってくれるか」
「うん、分かった」
「本当は俺が付き添いたかったのだがな……あのタヌキおやじめ、わざと俺が不在の時を狙いやがって……」
彼は眉間に深いシワを刻みながらブツブツと呟く。
フィオナは『タヌキおやじ?』と言いながら、ハチミツをスプーンですくいパンケーキにたっぷりとかけていた。
朝食を終えると、彼女は脱衣所に行って着替えた。
今日着る服は黒いタイトスカートと白いシャツ、胸元に青いリボンだ。髪は後ろで緩く編み込む。
魔術師としての正装はローブ姿なのだが、彼女は今は微妙な立場なので身に着けられるローブはない。なのでこの国の女性として一般的な正装をする。
「変なところない?」
「そうだな、じっとしててくれ」
マティアスは襟元を確認し、首の後ろ部分の折り目が少しズレているところを整える。そしてリボンの歪みをきっちりと直す。
「よし、いいぞ」
「ありがとう」
確認が終わるとマティアスは彼女に鎖を取り付け、任務へと出ていった。
手を振って見送ったフィオナは外を眺めながら過ごす。しばらくするとルークがやってきた。彼は白いローブ姿だ。
「フィオナさん、はよーっす。そんじゃ行きましょか」
「おはようルーク。よろしくね」
「はいっす」
鎖を外してもらい、彼と共に部屋の外に出た。
長い廊下を歩いて行くと私服姿やローブ姿の人たちとすれ違うので、彼女は軽く会釈をしていった。
階段を下りて外に出て、目の前にそびえ立つ王城に向かってレンガの小道を行く。
彼女は行ったことのない方へ歩いていくので少しご機嫌だ。緊張した素振りも見せずに景色を楽しんでいる。
「緊張してなさそうっすね」
「うん。したところでどうなる訳でもないしね」
「ははっ、違いないっす」
ルークと話しながら数分歩き、王城に到着した。入り口からは紺色の服を着た二人の騎士が後ろに付き添って歩く。
中は白い石造りで、壁に飾られた絵画を横目に歩く。しばらくすると目の前に金の装飾が施された青い大きな扉が見えてきた。扉の先は王の間だ。
フィオナたちが近づくと、扉の両側に立っていた騎士たちは扉を開ける。
中に足を踏み入れ、ルークに先導されながら真ん中に敷かれた赤い絨毯の上を進む。
王の間には護衛騎士が六名、王の側近が二名、それぞれ玉座を囲うように立つ。
そして玉座にはこの国の王が鎮座していた。赤髪をオールバックにした茶色の瞳を持つ壮年の男性だ。
彼女はルークに倣って片膝をつき、頭を下げた。
「よく来たな、金の魔術師。私の名はディークハルト、この国の王だ。面をあげて楽にしていいぞ」
低くよく通る声でエルシダ王国の王はフィオナに声を掛けた。
顔を少しだけ上げて目の前のルークをちらりと見る。国王の御前だというのに後ろを向いてニカッとして立ち上がったので、彼女も立ち上がる。
「ご尊顔を拝しまして恐悦至極に存じます、国王陛下。フィオナと申します」
右手を胸にそっと当て軽く頭を下げこの国の挨拶をする。頭を上げると国王の顔をじいっと見た。
この二人、すごく似てるな。
そんな心の声は筒抜けのようで、国王は彼女の疑問にすぐさま答えた。
「そこにいるエディルークは私の甥だ」
「甥……ですか」
甥ということはルークは王族に連なる血筋ということだ。そして本名はエディルークというのだと今知った。
フィオナは少しだけ悩み、目の前のルークにだけ聞こえるようにボソッと呟く。
「エディルーク様?」
「いやもう今さらいいっすから」
彼はまた後ろを向いて、苦笑いで王の間に響き渡るほどの声で言い放つ。そうだよね、今さらもう良いよねと彼女もすぐに納得して、『そっか』と小さく呟いた。
「さてと、君のことはマティアスから大体聞いているが、こうやって顔を合わすのは初めてだからな。改めていろいろと聞かせてもらおうか」
「はい。何なりとご質問ください」
フィオナはルークの前に出た。国王は前もって聞いていたが、彼女の口から改めてガルジュード帝国の現在の内情を聞き出すことにし、彼女は知っていることを全て話す。
帝国がエルシダ王国への略奪を試みるようになったのは約一年前から。皇帝が病に倒れ、第一皇子、ジルベートが全権を握るようになってからだ。
欲深い皇子は神器の使い手であるフィオナの力を使って、他国の豊かな領土を手に入れようと画策しだした。
そのためにまずは自国の力をより強めようと隣接する王国の資源の略奪から始める。
防御力を上げる守護石、武具や魔道具の核となる魔石を産出する土地にフィオナを含む魔術師を幾度となく派遣し、その土地から資源を奪うことをひたすら繰り返す。
いつしか土地の守りは強固になっていき、激しい戦闘が繰り返されるようになっていった。
友好的とは言えないが、帝国と王国はお互い深く干渉することなく、無難な関係を保っていた。両国の行き来は比較的自由に行われる間柄だったのだが、皇帝が臥せったことにより関係が悪くなる。
平和主義である王国側からは文書での抗議が幾度となく入ったが、帝国側は全て無視し続け、略奪の手を緩めることはしなかった。
国王は、帝国の皇子はどのような人物なのかと彼女に尋ねたので、彼女は『横暴で傲慢で冷酷非道でエッチで最低な人です』と淡々と答える。
エッチという部分は本来ならこの場では必要のない情報だが、彼女は言わずにはいられなかった。
エロ皇子だと他国に知れ渡ってしまえという願いを込めて伝える。だって大嫌いだから。
「君には帝国への忠誠心はないようだと聞いたが、本当か?」
「はい。そのようなものは元々持ち合わせておりません。大切な故郷はありましたが、そこにはもう大切な人はおりません」
「そうか……ではもう戻れなくても構わないのだな」
「はい。二度と戻りたくありません」
フィオナはきっぱりと言い放つ。
「ふむ。ところで君はマティアスのことをどう思う」
何の脈絡もない唐突な質問に、彼女は『なぜ?』と思ったが、国王からの質問なのだからきちんと答えないといけない。彼女はしばし考えた。
マティアスとは口を利いたこともない敵同士だったにもかかわらず、ここに来てからはずっと優しくしてくれている。
細やかな気遣いをしてくれて、望みを聞いてくれて世話を焼いてくれる。温かくて一緒にいると安心する存在だ。
そう、まるで──
「お母さん……? マティアスはお母さんみたいです」
「ぶはッ」
一番しっくりくる表現をしてみたら、後ろから吹き出す声が聞こえてきた。振り返るとルークが口を押さえてぷるぷると震えていた。
「おかっ、お母さん……」
堪えきれずにその場にしゃがみこんでしまった。
彼女は思ったことを口にしただけなのに、そんなに面白かったのだろうかと疑問に思いながら前を向き直すと、国王も少し震えて下を向いていた。
護衛騎士や側近も表情こそ変わらないが小刻みに震えているように見える。
「くくく……お母さんか……あいつ不憫だな……」
国王は笑いを堪えながら呟いた。
不憫か。そうかなるほど、男性はお母さんと言われたら屈辱なのだなと彼女は感じ取った。マティアスを辱めるような表現をしてしまい申し訳ない気持ちになる。
「あの、マティアスには言わないでいただけますか」
「くく……分かった。黙っていると約束しよう」
「お心遣い感謝いたします」
フィオナは本人の前でうっかり言ってしまわないように気をつけようと心に誓った。