看病される
翌朝、フィオナはノックの音で目が覚めた。
「入ってもいいか?」
マティアスの呼び掛けにむくりと起き上がる。ふくらはぎまで長さのあるワンピースタイプの寝巻き姿で、長い鎖をずるずると引きずりながら扉まで歩いていく。
「おはよ……マティアス」
扉を開けて目をこすりながら挨拶をする。まだ半分寝ているようだ。
「今起きたところか。朝食は早かったようだな。もうとっくに起きているかと思って持ってきてしまったのだが、もう少し後にするか?」
「……ごはん……食べたい」
フィオナはぼーっとしながらも意思を伝える。
「そうか、それでは準備をする。君は顔を洗って目を覚ましてくるといい」
「……ん……分かった」
マティアスはワゴンを押して部屋に入ると、ポケットから鍵を取りだして枷から鎖を外した。
彼女はふらふらしながらも言われた通りに洗面所に向かう。冷たい水で顔を何度か洗うとスッキリ目が覚め、髪は後ろでお団子にした。
部屋に戻ると朝食がテーブルに並んでいた。
パンにオムレツ、スープ、ウインナー、サラダ、ヨーグルト、果物など。昨日の夕食時に改めて好きな食べ物を聞かれ、彼女が好きだと言った食材を使ったものばかりが並ぶ。
「ねぇ、すごく量があるんだけど一緒に食べてくれるのかな?」
「そのつもりだ」
マティアスは手早く取り皿などをセッティングしながら答える。
「ありがとう」
嬉しくなって感謝を口にすると、彼はほんの少し表情を和らげた。
向かい合わせに座って共に朝食をとり始める。彼女は食べられる量だけ取り皿に取っていった。
マティアスが大きなオムレツにナイフを入れると、中からとろりとチーズが出てくる。朝からなんて贅沢な光景だろう。
「わぁぁ……」
フィオナは瞳を輝かせる。『とろりと溶けたチーズが好き』と言ったが、まさか朝食で出てくるなんて。感動しているうちに皿に取り分けた分が目の前に置かれた。
「ありがとうマティアス。本当に嬉しい」
「そうか。それなら良かった」
朝から幸せそうな顔が見られただけで彼は大満足だ。
取り皿に取った料理を食べ終えると、彼女は最後の楽しみに残しておいたヨーグルトを目の前に置く。そして上からかけようとハチミツの小瓶を持った。
その様子を見たマティアスは、近くに置いてある小さな器を手に取る。
「ここにベリーソースもあるが……あぁ、もう遅かったか」
渡そうとした時には、ヨーグルトにはハチミツがたっぷりとかけられていた。しかし彼女は顔を綻ばせて手を差し出す。
「わぁ、もらっていいかな?」
彼は手の上に器をポンと置いた。彼女は受けとるとすぐにハチミツをかけた上からベリーソースをとろりとかける。
あまり甘いものを好まないマティアスは顔をしかめた。
「……君は甘いものが好きだと言っていたが、相当なんだな」
「うん、大好きなの」
甘いものをこれでもかとたっぷりかけたヨーグルトをスプーンですくい、パクりと口に入れる。とろんとした幸せそうな表情から、美味しくてたまらないんだなということは容易に窺える。
マティアスは彼女の食事に甘いものを増やすことを心に決めた。
「今日は天気が良いから外に出て散歩するか? ここの敷地内の庭を歩くぐらいしかできないがな」
「外に出ていいの?」
「当たり前だろう。もちろん監視が必要だから俺と一緒だがな」
「やった。ありがとうマティアス」
部屋から出てはいけないものだと思っていたので、思わぬ申し出に心が弾む。
朝食を終えて着替えると、食器を載せたワゴンを押して歩くマティアスの後ろを付いて行った。
「ねぇ、マティアスは私のこと監視しないといけないんだよね? 私、前を歩かなくていいの?」
「問題ない。後ろから何かしようとしてもすぐ対処できるからな」
「そっか……そうだね」
彼は自分がどの方向から攻撃を仕掛けようが、すべて斬り裂いてしまうような人だったと思い出した。
もちろん今の彼女は何もする気はないが。
ワゴンは昇降機に乗せて下ろし、二人は階段で一階へと下りる。
一階には魔術師や騎士が利用している食堂があった。食堂の中は通らず、裏口から厨房へ入った。
「あの、ごちそうさまでした」
食器を返却する時に、居合わせた年配の女性にお礼を言う。
「あんらまぁ、この子が噂の子かい。可愛らしいお嬢さんだねぇ」
女性は意味深な笑みを浮かべマティアスに目をやる。彼は顔をしかめた。
「フィオナっていいます。ご飯とっても美味しかったです」
「そうかいそうかい、そりゃ良かった。ほら後でこれお食べ」
女性はポケットから飴を取り出して手渡す。フィオナはありがたく受け取ってまたお礼を言った。
隣のマティアスとお喋りをしながら庭を散歩する。途中ですれ違う魔術師や騎士たちにはペコリと頭を下げていく。
先程もらった飴を口に入れながら、ぽかぽか陽気の中でじんわりと幸せを感じる。目が覚めてからまだ二日目なのに、もうこの国が好きになり始めていた。
* * *
翌日、フィオナは熱を出した。溜まっていた疲れが出たのだろうと診察した医者は言う。
治癒士は体の損傷を癒すことができるが、病気や発熱などの体の不調を取り除くことはできないので、薬を飲んで寝て治すしかない。
彼女は高熱で顔を真っ赤にして寝込む。ゼーゼーと肩で息をして目の焦点も合っておらずぼんやりと虚ろだ。
マティアスは鎖を外し、付きっきりで看病をした。冷たく濡らしたタオルでおでこを冷やし、少しでもぬるくなってきたら瞬時に冷たいものを用意し取り替える。
頭の下の水枕も冷たすぎない絶妙なひんやり感を維持し、定期的に取り替えた。
「うぅ……お水……」
「よし、飲ませてやる」
彼女が熱に浮かされている間は、細長い飲み口の付いた容器でマティアス手ずから水を飲ます。
「うぅ……トイレ……」
「よし、任せろ」
ひょいと抱き上げトイレの扉の前まで連れて行くほどの献身ぶりだ。トイレを済ませてふらふらと扉から出てきた彼女をまた抱き上げ、洗面所で手を洗わせることも忘れない。
部屋に泊まって看病するわけにはいかないので、夜は彼女の部屋の扉の外で座って眠ることにした。そして一時間おきに中に入って様子を見る。
おでこのタオルを冷たいものに取り替え、『お母さん』とうわ言を言いながら涙を流す彼女の頬をそっと撫でた。
熱が少しだけ下がり何とか会話ができるまで回復すると、彼は厨房で特別に作らせた氷菓を持ってきた。
「美味しい……ありがとう、マティアス」
背中にクッションを詰めて上半身を少し起こした彼女に、マティアス手ずからスプーンで口に運ぶ。
「ほら、まだあるぞ。口を開けろ」
「ん……」
言われるがまま口を開けパクリと食べるとへにゃりと顔を緩ませた。
何とも形容し難い欲が満たされていくマティアス。これはたまらない。病みつきになりそうだと喜びを噛み締めながら食べさせた。
翌日には微熱にまで下がり、フィオナは上半身を起こして座れるほどに回復した。
彼は厨房で特別に作らせた食事を持ってきた。米と野菜を鶏のスープで柔らかく煮たものだ。
スプーンですくい少し冷ましてから彼女の口に運ぶ。
「美味しい。マティアス本当にありがとう。もう自分で食べられるから大丈夫だよ」
そう言いながら両手を前に出した。
「……そうか」
彼はとてつもなく残念そうな顔で食事を載せたトレーを渡す。
フィオナは食事を完食してからまた少し寝た。数時間して目が覚め横を見ると、ソファーには本を読むマティアスの姿があって、自身の手首には鎖が繋がっていなくて。それだけのことが堪らなく嬉しくなった。
体調を崩したときに誰かが側にいてくれるなんて子供の頃以来だ。
フィオナが目覚めたことに気付いたマティアスは、ひんやり冷たいミルクプリンを運んできた。
彼女好みの甘い甘い味付けで、幸せそうな顔をして食べる様子を満足気に眺める。
「食べたら寝る前にきちんと口をすすぐんだぞ。虫歯になってしまうからな」
「うん、分かった」
お口の健康にまで気を遣うほどの徹底ぶりだ。彼女は言われた通りに洗面所に行きしっかり口をすすぐ。ベッドに戻って彼と少し話をしていると眠くなってきたので、また少し眠った。
翌日にはすっかり熱も下がった。マティアスが部屋を訪れたので鎖を外してもらい、シャワーを浴びてさっぱりとする。
「もう何でも食べられそうか? どこかつらくはないか?」
「体は元気だけど喉が痛いから、辛いものは食べたくないかな。それ以外なら何でも食べられそうだよ」
「そうか、分かった」
マティアスは朝食を取りに行った。そして戻ってくると、二人でテーブルを囲む。
朝食が済み着替えると、彼は用事があると言って出掛けて行った。
フィオナは部屋で一人、ソファーに座って本を読む。しばらく本に没頭しているとマティアスが戻って来た。その手にはガラス瓶を持っている。
「喉の痛みを和らげる飴だ。これを食べるといい」
「わぁ……!」
手渡された手のひらサイズのころんと丸いガラス瓶には、琥珀色の丸い飴が入っている。
キラキラと綺麗で食べるのが勿体ないほどで、しばらく両手で持って中を覗き込んでいた。
「すごくきれい。ありがとうマティアス」
フィオナはありがたくいただくことにして、蓋を開け一粒取り出して口に入れた。優しい蜂蜜の甘さが口に広がって喉を潤す。そのとろけるような表情で、聞かなくても美味しいのだなと分かる。
「好きなだけ食べていいからな。無くなったらまた持ってこよう」
「ありがとう」
マティアスは午後から少し任務があると言い、彼女と一緒に昼食を食べた後は出かけて行った。
また部屋で一人ソファーに座って本を読んでいると、ルークが訪ねて来た。
「熱は下がったって聞いたっすけど、元気になったっすか?」
「うん。もう大丈夫だよ。ありがとう」
「そっすか。それなら良かったっす」
彼は頭の後ろで手を組みながら朗らかに笑う。ふとソファーの横のテーブルに置いてあるガラス瓶が目に入ると、その顔からは笑顔が消えて、そのままじーっと見つめた。
「その飴持ってきたのはマティアスさんっすね」
「うん、喉が痛いって言ったら持ってきてくれたの」
「そっすか……」
苦笑いをしているルークに、彼女は何だか嫌な予感がした。
「ねぇルーク、もしかしてこの飴すごく高価なものだったりするのかな?」
「へぁ? いや、そんなことないっすよ。普通のごくありふれた飴っす。どこでも手軽に買えちゃうやつなんで、遠慮しないでどんどん食べて大丈夫っす。ほんと、しっかりいっぱいガッツリと食べて喉を治して欲しいっす。それはもう切実に」
ルークはにっこり笑っているが、内心ドキドキでかなり焦っている。
彼は思い切り嘘をついた。その飴はありふれてなどいないから。
遠い国でしか採取されない希少な蜂蜜で作られた、とてつもなく貴重で高価なもので、国への献上品として差し支えないほどの品である。
それをマティアスはフラッと手に入れてきて、彼女にポンと渡したのだ。
高価だと知って彼女が食べることを躊躇ってしまい、それが自分が教えたせいだなんてマティアスに知れたら。考えるだけで身震いする。どんな目に遭わされるかなんて想像もしたくない。
自分は何も見ていない。ルークは飴のことは忘れることにし、小さく呟く。
「……ここまでご執心になるだなんて思わなかったっすよ」
「何か言った?」
「何もないっすよ」
マティアスの熱の入れようには軽く引いているが、この不憫な女の子には幸せになってもらいたいと思う。ルークは陰ながら見守ろうと決めた。