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離宮の片隅で

 

 自分にとって一番大切なものは何か。

 失ってから気づき、どうにか取り戻して、そしてまた失った。

 もう二度と取り戻せない。


 その日を境に、帝国の第一皇子ジルベートは生気を失った。


 大切なものを失っただけでなく、数々の制約を身に刻まれてしまった。

 自分はもう皇帝にすらなれない。この国の行く末なんてもうどうでもいいと全てを諦めた。


「父の後継は君たちで勝手に────……ッ」


 部屋を訪れた宰相達に投げやりに言葉をぶつけようとして、声を発せられなくなる。

 胸の奥に刻まれた呪印は熱を持つ。締め付けられるような痛みは一瞬で治まったが、あまりの不快さに顔を歪めた。


 程なくして、蒼い神器を持った男の言葉を思い出す。


 ────次期皇帝には他国を侵略しようとしない奴を選べ。国民を大切にする人徳のある奴だ。


 そうして王国の呪印士によって刻まれた制約は、決して反することができない呪いとなった。


(……そうか。僕が選定しなければいけないのか)


 国民を大切にする者。

 そんな人物に心当たりがあるはずがない。


 帝国の第一皇子として生まれてからというもの、畏怖され、崇められ、持て囃されることは当たり前であった。

 皇族以外の他人など意のままに命じて動かすだけの駒。

 それ以上でも以下でもない存在。


 自分に異を唱えた者は少なからずいたが、そんな者達などもうこの世にはいない。


 困惑の表情で言葉の続きを待つ宰相達に苛立ちを覚えながら、ふと頭に一人の人物が浮かんだ。


(……あぁ、一人だけ生かしておいた気もするな……名はなんといったか……)


 ただ一人だけ、人一倍仕事ができる優秀な男がいた。

 殺すのは惜しいと、命だけは取らなかった気がすると朧気に思い出した。


 数日間の拷問という処罰で済ませてやったはずだから、まだ生きているだろう。

 もうその男でいい。


「後継についてはおって沙汰を出す。僕はもう疲れた。あとは勝手に────……チッ」


 命令口調で言いかけたところで、また言葉に詰まる。

 自由に言葉を発せられないことが煩わしい。なぜ自分が言葉を選ばなければいけないのか。


 苛立ちながらも口にすることができる言葉を探す。


「…………君たちの勝手にしてくれて構わない。だからもう下がって……もらえるだろうか」


 言い慣れない言葉で退室を促した。宰相達が部屋から出ていくと、ソファーの背にもたれかかりながら目を閉じた。


 ほんの数分間の会話で、なぜこんなに疲労を感じなければいけないのか。

 苛立ちながら、しかしどうすることもできない。


(……何もかもが面倒だ)



 もうできる限り他人と関わりたくないと、ジルベートは離宮で静かに余生を過ごすことにした。


 日当たりの悪い離宮の片隅の部屋。

 目の前には手入れされていない草が伸び放題の庭があり、窓から入る貴重な日の光を遮るように、一本の大きな木が生い茂っていた。


「申し訳ございません。直ちに整えてまいりますので、どうかご恩情を」


 全く使われていなかったこの場所は、表からは見えないため放置されていた。

 急なことで外観を整える暇もなかったが、だからといって許されることではない。

 使用人の女性はひれ伏した。


「どうでもいいよ」


 部屋の窓から見渡せる景色など何でもいい。

 部屋が薄暗いのはむしろ好都合。ただ静かに、何も考えずに過ごせればそれでいい。


 窓から青空が見えないことは、今の彼にとってはいいことのように思えた。

 彼女を思い起こすような色はもう一生見たくないから。


 庭を整えるのは勝手にすればいいが、この大きな木を切られたら困ると思い、口を開いた。


「この木の枝は────……」


 命令口調で言葉を発しようとしたが、それは叶わない。

 胸はまた強く締め付けられた。


「っっ、くっそ」


 思うように言葉を発せられない不自由さ。苛立ちを抑えられず、壁を強く殴り付けた。

 使用人の女性は色を失いながら縮み上がる。


 ジルベートは痛む右手を握りしめたまま、ギリリと歯を鳴らした。


「この木は整えなくて大丈夫だ。君にはもう下がってほしい。一人に……なりたいんだ」

「っ、はい! ではこれで失礼いたします」


 どうにか言葉を絞り出して横目で睨み付けると、女性は慌てて退室した。


 ジルベートは革張りのソファーに倒れこむように腰かけた。


 彼にとって誰かに命令することは、呼吸することに等しい。

 皇族としてそれが当たり前だったのに、それができなくなってしまった自分は、一体何なのだろう。


 一人で考えたところで答えなどでるはずもない。


「何もかもが面倒だ……」


 ジルベートはそのままソファーに寝転び目を閉じた。


 眠ってしまいたい。それなのに、眠れない。


 頭の中に浮かぶのは長い空色の髪をした女性。

 薄紫色の瞳に感情がこもることは滅多になく、時たま浮かべるふわりとした微笑みを自分に向けられたことは一度もなかった。


 無表情で淡々としていて、礼儀知らずな唯一の存在。


「っくそ、出てくるな」


 苛立つ気持ちに逆らうように、涙が勝手に滲み出てくる。

 こんな感情など必要ない。

 手に入らないのなら、最初から気づかなければよかった。


 虚空を見つめながら、彼は自然と小さく名を口にしようとした。


「────………………くそ……」


 もう呼ぶことすらできない。


 記憶の中にしか存在しない女性には二度と手が届かない。

 もう何度目か分からない涙が静かに流れ落ちた。




 ***




 ジルベートは離宮で抜け殻のように過ごし、食事すら進んでとらなくなった。


 着替えも入浴も何もかもがどうでもいいのに、使用人の女性達は今までと変わらず献身的に世話を焼いてくる。

 そんなことをするなと命令することはできず、言葉を選ぶことすら煩わしい。


 もう勝手にすればいいと身を任せた。

 何もかも失ったのに、身の回りの世話を焼く女性達は今までと何ら変わらない。


 しかし、徐々に口うるさくなってきたように感じる。


「ジルベート様、ずっとお部屋の中にいるだけではお体によくありません。少しだけでもお散歩することをお勧めいたします」

「ジルベート様、お髪を整えさせていただきます」

「ジルベート様、今日は顔色が優れないようにお見受けします。医者をお呼びしてもよろしいでしょうか」


「……分かった」


 拒絶すら煩わしくて、静かに全て受け入れた。



「ジルベート様、せめてあと少しだけでもお料理を口にしてください」

「……分かった」


 料理をスプーンにのせて目の前に差し出してくる女性に小さく返事をして、ジルベートは口をあけた。


 食べることなどどうでもいいはずだが、好物は素直に美味しいと思える心はまだ残っている。


「これは美味しいな」


 自然と口からこぼれ落ちた言葉に、目の前の女性はなぜか涙ぐみながら微笑んだ。


(こんなことで喜ぶのか……)


 自分にはもう地位も名誉もないというのに。


 持って生まれた美貌だけは有り余っているが、もう本当にそれだけしかない。

 こうやって世話を焼かれることも、美しさを保っていられるうちだけだろうと卑下しながら、静かに全てを受け入れた。


 食後は少しでもいいから庭を散歩してほしいと言われ、仕方なく外に出た。

 灰色の雲に覆われた空からいつ雨が降ってきてもおかしくないような天気だ。


 ジルベートは使用人達に『青空は見たくない』と伝えてあるため、絶好の散歩日和といえる。


 ここに移り住んだ時は雑草が生い茂っていた庭も、すぐに手配された庭師によってその日のうちに整えられた。


 何を見るわけでもなくゆっくり歩く。

 自分から進んで散歩することはないが、こうやって外に出ることは気分転換になるため悪くはない。


 だからといって、何かする意欲も気力も湧いてはこないが。


 ひたすら黙々と歩いていると、一匹の茶色い猫に出くわした。

 猫はジルベートを横目で見ただけで、すぐにフイと目を逸らした。そのまますたすたと彼の前を横切る。


「どこかから紛れ込んできてしまったのでしょう。すぐに追い出しますので」

「……いい。放っておいて構わない」


 ジルベートも興味なさげに顔を背けて、猫と反対側へと歩きだした。


 以前ならその場で処分を命じていただろうが、今はもう猫の一匹や二匹がどこで何をしようとも気にならない。


 怒りの感情はわいてこない。ただ記憶の中の面影と重なった気がして、ほんの少しだけ胸の奥がチクリと痛んだ。





 ***





 ジルベートが宮殿の片隅で静かな生活を送るようになって半年が過ぎた。


 外界から切り離されたように緩やかに時が流れていく空間で、彼は椅子に腰かけていた。

 何も考えずにぼんやり過ごす日々にいつしか退屈をおぼえるようになり、少しずつ本を読むようになった。


 物語は好まないため、辞書や雑学の本などが本棚に並ぶ。

 覚えたところで使いようのない知識ばかりが増えていき、それも悪くないと思えた。


 窓から吹き込む穏やかな風が頬を撫で、木の葉が風で擦れる音に心地よさを覚える。

 静かに読み耽っていると、ふと視界の端に茶色いものが映りこんだ。


 彼はゆっくり視線を移した。

 木の枝から窓枠に飛び移った猫と目が合ったのは一瞬だけ。

 彼はすぐに視線を手元に戻した。


 猫はそのままそこに居座り、毛繕いを始める。どこまでも自由だ。


 ジルベートの視界の端にはもぞもぞと動く茶色いものが居続けているが、気にすることなく読書を続けた。


 もうお馴染みの光景であり、苛立ちはない。

 その代わり、いつも決まって物寂しさが押し寄せてきた。


 猫は悠々自適に寛いでいるようで、ジルベートは少し気になって、もう一度視線を向けようと顔をあげた。

 それと同時にノックの音がして、使用人の女性が部屋に入ってきた。


「お部屋の掃除を始めますね。……あら、また入ってきたんですね」


 女性はそう言いながらゆっくりと猫に近づき、そっと顎下を撫でた。

 猫の甘えるような仕草をジルベートは初めて目にした。

 自分に対しての態度と明らかな違いを感じる。



(優しくされると懐くものなんだな……)


 漠然とそう思いながら、目の前のやり取りをただ静かに眺めた。



 掃除を終えた女性が部屋を出ていった頃には、猫も姿を消していた。

 ジルベートは本を読むことを止めて立ち上がり、ゆっくり窓に近づいて窓枠にもたれかかった。


 そよそよと吹く風に髪を靡かせながら、ぼんやりと考える。



 もっと大切にしていれば、優しくしていれば、何かが違ったのだろうか。

 今もまだ彼女はここにいて、自分に笑いかけてくれたのだろうか。


 叶わぬ願いが込み上げてきて、涙が一筋流れた。


「……っ、くそ……出てくるな」


 ジルベートは胸を強く押さえつけた。


 時が経てばこの痛みは消えて、青空を見上げられるようになるのだろうか。


 記憶の中に居続ける、愛想も可愛げもない女性が早く自分の中から消えることを静かに願いながら、彼は今日も離宮の片隅で静かに佇んでいた。




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