腕輪に選ばれて
トイレを済ませたフィオナは部屋に戻り、ベッドにちょこんと腰かけた。
「それじゃオレは仕事に戻るっす」
ルークはついでに片付けてくるからと、空いた食器を載せたトレーを持ち部屋から出ていった。
「さて、君のことをもう少し詳しく聞かせてもらっても良いだろうか」
ずっと立っていたマティアスはベッド横の椅子に座り、フィオナに向き合う。
「なにを話せばいいの?」
「そうだな。君が神器に選ばれたところから聞かせてもらおうか」
「それだと十二年前からだから話長くなっちゃうよ」
「長くてかまわないから、聞かせてもらえるか」
「うん、分かった」
フィオナは六歳の頃からの話をし始めた。
彼女の生まれた国、ガルジュード帝国は三つの神器を所持している。
その中の一つが装着した人間の魔力を無限大に高めると言われている金色の腕輪だ。
神器とは古来存在し、神々が造り出したものだと言われている。世界中に散らばっており各国それぞれ数個は所持しているが、選ばれた人間にしか扱うことができないので使い手は滅多に存在しない。
金色の腕輪も二百年以上使い手が存在しなかった。
帝国では年に一度、国中の六歳の子供が中央神殿に集められる。一人ずつ順に三つの神器に触れていき、扱える者がいないかを確認する儀式だ。
フィオナも六歳になった年に両親に連れられて神殿に赴いた。
さっと触れた者からすぐに帰れる簡単な儀式だ。田舎から帝都まで出て来た彼女は、これが済んだら町を観光するのだと楽しみにしていた。
長時間待ち自分の順番が回ってきたので、やっと遊びに行けると軽い気持ちで腕輪にそっと触れる。
瞬間、腕輪は金色の光を放った。彼女を持ち主と認めたのだ。
瞬く間に宮殿へと連れて行かれ、皇子を主君とする隷属の契約を結ぶこととなった。
本当は皇帝と契約を結ぶ予定だったらしいが、彼女を目にした皇子が自分が結ぶと言って聞かなかったようだ。
フィオナは嫌だった。艶やかな黒髪にルビーのような赤い瞳を持つ目の前の皇子は、見た目こそ整っているが何だかいやらしい目をしていて気持ちが悪い。生理的に受け付けなかった。それならまだ皇帝の方がマシなのに。
しかし断れるはずもなく、渋々彼を主とする呪印をその身に刻んだ。
その日から魔術師として帝国のために尽くす人生が始まった。
無尽蔵の魔力があれば、特別魔力の多い者ですら一日に一度が限界の特大魔術を際限なく放てるようになる。彼女は一軍を一人で相手できる程の力を手に入れてしまったのだ。
しかし魔術を自在に扱えなくては話にならない。大量の魔術書の暗記を言い渡され、講師に厳しく指導されながら魔力操作の訓練をする日々が始まる。
宮殿の片隅、古いベッドと最低限の家具しかない部屋に一人で住むことになり、家族とは引き離されてしまった。
月に一度の両親との面会だけを楽しみにフィオナは魔術を学び続ける。
外に自由に出ることさえ許されず、朝から晩まで魔術の習得に励む。貴重な休憩時間は皇子に呼び出され、暇潰しの相手をさせられるという辛くてつまらない毎日を送る。
独占欲の強い皇子は、自分は数々の女性を侍らせているくせに、彼女には友人を作ることや若い異性と接することを禁じていた。
数年経ち自由自在に魔術を扱えるようになってからは、任務を与えられるようになった。主に魔物の討伐や土地の開拓などだ。
せっかくの無限大の魔力なのだ。使わなければ勿体ないと言わんばかりに、毎日毎日どこかしらに駆り出される。
フィオナの呪印の主君は皇子だが、任務を言い渡すのは国の最高権力者である皇帝だった。
膨大な量の任務をこなしながら、空いた時間は皇子の暇潰しの相手をさせられるという辛くてつまらない毎日を送る。
せっかく休憩できるという時に呼び出され仕方なく皇子の部屋に足を運んだら、女性とお楽しみ中だったなんてこともしばしば。
幾度となく情事を目撃させられうんざりとするが、自分が誘われないだけまだマシだなと思っていた。
しかし十六歳のとある日の夜、ついに彼女は皇子の寝室へと呼ばれてしまった。そこで身体の関係を持つよう命令を受ける。
こんな男に抱かれるなんてとんでもない。絶対に嫌だ。断ったフィオナには呪印によって凄まじい痛みが襲う。
それでも頑なに断り続けていると大量の血を吐いた。倒れて命が尽きる寸前にまで陥る。
皇子は焦って命令を取り消し、治癒師を呼んで彼女を癒させた。体が癒えるとふらりと立ち上がり、皇子の顔を見ることなく無言でさっさと退室し、自室に戻って寝た。
そして翌日から嫌がらせのように粗末な食事しか与えられなくなったのだ。
数少ない日々の楽しみが無くなってしまった。
エロ皇子のばか、大嫌い。心の中で呟くだけで襲ってくる痛みにもうんざりだ。
月に一度会える両親との一時だけを心の支えにして過ごした。
十七歳になると、ある日を境にして急に国外での任務を言い渡されるようになった。他国の資源を略奪するため、邪魔をしてくる騎士や魔術師を退けろという任務だ。
『敵は全て皆殺しにしろ』だなんて言われても、首を横に振り拒絶した。そんなことは絶対にするもんかと反発する。
呪いが発動し体に激痛が走っても、口から血を吐いても、首を縦に振ることはしなかった。
床に大きな血溜まりができたところで、皇子は命令を取り消した。またしてもフィオナの命は尽きる寸前まで陥る。
『なぜ命令を聞かない。死にたくないだろう』と言われ、『人殺しになるくらいなら死んだ方がマシです』と淡々と答えた。
諦めた皇子は渋々、『敵は全て退けろ』という命令に変えたので、それにはおとなしく従うことにした。
十八歳を目前としたある日、彼女は唐突に心の支えを無くしてしまう。両親が宮殿に向かう途中で暴漢に襲われ命を落としてしまったのだ。
心にぽっかりと穴が空いた。それでも毎日与えられた務めを果たす。
自分は何のために生きているのだろう。なぜ戦っているのだろう。分からない。分からないけれど何日もずっと寝不足で、考える気力すらなくて。
もういろいろと疲れて何もかもがどうでもよくなった。
だけど皇子の『敵を全て退けてこい。任務を終えたら必ず帰ってくるんだ』という命令を受けて、いつものように戦場に降り立った。
そこでマティアスが立ちはだかり、もういいや、楽になりたいと生きることを諦めたのだ。
「その場で真っ二つにしてもらおうと思ってたのに、こうしてまだ生きてて、あなたとこうやって話をしているなんて不思議な気分なの」
「……そうか」
静かに話を聞き続けていたマティアスの眉間にはかつてないほどの深いシワが寄っている。
「何か望みはあるか? 行動に制限はつくがある程度のことなら聞いてやる」
「望み?」
「ああ、今したいことでもいい」
なぜか唐突に望みを聞かれ、フィオナは顎に手を当てて少しだけ考えた。
「えっと、それじゃあね、シャワーを浴びたいんだけど……いいかな?」
寝汗でじっとりとしていて気持ち悪く感じていたのだ。今一番したいと思ったことを素直に言ってみたが、マティアスは複雑そうな表情を浮かべたので、あぁダメそうだなとフィオナは一瞬諦めた。
「そんなことならもちろん構わない。だが条件があってな……君を鎖から解き放っている間は、俺かルークのどちらかができるだけ近くで待機していないとダメなんだ。つまりだな、君がシャワーを浴びている間、俺はこの部屋で待機することになる。不快に思うだろうが我慢してもらえるか」
「うん。それは当たり前だと思うし、そうだと思っていたから大丈夫だよ」
「そうか。着替えはそこの引き出しに入っていると思うのだが……」
コンコンッ
「入ってもいいかしら?」
話している途中で不意にノックの音が響き、落ち着いた女性の声が聞こえてきた。
「どうぞ」
フィオナの了承を聞き届けてすぐに部屋に入ってきたのは、栗色のボブヘアーの女性。深緑色のローブを身に着けた二十代後半ほどに見える魔術師だ。
「目を覚ましたって聞いたから来ちゃった。こんにちは金の魔術師さん」
女性は赤い口紅で鮮やかに彩られた口に笑みを浮かべ、フィオナに話し掛けた。
「こんにちは。お姉さんとは何度か会ったことがありますね」
ゆったりとそう挨拶を返すと、女性は不自然すぎるほどの美しい笑みを顔に貼り付ける。
「ふふふ、そうよ。いつもあなたにこっぴどくやられて散々だった第一魔術師団、団長のレイラよ、よろしくね」
言葉の端々にとげを感じる。やっぱりそうか。そうだと思ったと、ちょっとだけ気まずくなった。
だけどここは敵国なのだから、それは仕方ないことだとすぐに気持ちを切り替え、いつものようにのんびり口調のまま自己紹介をする。
「その節はご迷惑をおかけしました。私はフィオナって言います。よろしくお願いします」
そう言ってペコリと頭を下げる。
レイラはマティアスの腕をぐいっと引っ張り、フィオナに背を向けてひそひそ話をしだした。
「ねぇ、なにこの子。イメージ違うんだけど。いつもの凛とした姿の欠片もないじゃないの」
「あぁ、これが素のようだ」
「そうなのね……日頃の恨みをこれでもかとぶつけてやるつもりだったのに気が削がれちゃったわ。どうしてくれるのよ」
「知らん」
フィオナは二人がやいのやいのと言い合っている後ろ姿を見ながら、ここの人たちはみんな仲がいいんだなぁと、また羨ましく思った。
「あら、シャワーを浴びるところだったのね。えっと、着替えはここに入れてあるはずよ」
レイラはマティアスに不満をぶつけることをやめ、チェストの前に移動して引き出しを開けて中をゴソゴソしだした。
「はい、これ使って。タオルは脱衣所にあるからね」
「ありがとう。レイラさん」
フィオナは着替え一式を受け取るとふんわりと微笑み、脱衣所へと向かった。
「……何とも言えない空気感を持った子ね」
レイラはポツリと呟いた。
フィオナは脱衣所のタオルを確認すると、服を脱ぎ髪をほどいて浴室に入った。
魔石が埋め込まれた蛇口をひねると、温かいお湯のシャワーが出てきたので存分に堪能する。
浴室に置いてある石鹸は使っていいのだろうと判断しありがたく使った。髪と身体を泡でしっかりと洗い、シャワーでスッキリと流し終える。
長い髪の水分をぎゅっぎゅっと絞り、浴室から出てタオルで身体を拭きながらふと思った。この髪、邪魔だなぁ。
先ほど受け取った着替えである下着と半袖の膝丈ワンピースを着ると、タオルで髪の水分を拭き取りながら部屋に戻る。
マティアスの前までやって来ると、フィオナは髪を高く持ち上げながら言った。
「ねぇマティアス、お願いがあるの。ここからバッサリと切り落としてくれないかな」
「……は?」
マティアスは色っぽいうなじに一時釘付けになったが、コホンと咳払いを一つし、気を取り直して言葉を返した。
「なぜ切り落とすんだ?」
「邪魔だから。今は魔力を使えないからさっと乾かせないし、もともと皇子の命令で伸ばしていただけだから、もう必要ないの」
「いや、しかし……」
眉間にシワを寄せて言い淀むマティアス。
「何いってんの。ダメに決まってるでしょっ!」
マティアスをぐいっと押し退けると、レイラはフィオナの髪に触れる。
髪全体をふわっと風に包み数秒でしっかりと乾かし終えた。
「勿体ないことしちゃダメよ。自分で乾かせないなら魔道具を使えばいいのよ。後で持ってきてあげるから、だから切っちゃダメ。ほらマティアス、あなたもそう思っているならはっきりと言いなさい」
レイラは青い目をつり上げてマティアスの顔を下から覗き込む。
「……そうだな」
マティアスはフィオナに向き合った。いつも後ろで編み込まれていた空色の髪をさらりとおろす姿に見とれそうになったが、すぐに気持ちを切り替えて少しぶっきらぼうに告げる。
「綺麗だから勿体ないと思う。だから切るのは無しだ」
「……そう」
フィオナは少しだけ胸がどきっとした。皇子から容姿を褒められても不快感しか抱いたことがなかったのに、今はすごく嬉しいという新鮮な感情を抱いている。
だけどすぐにあることを思い立った。
「でもどうせいつかは処刑されるんだし、バッサリ切ってすっきりしてもいい気がするんだけど……」
「「はぁ!?」」
マティアスとレイラは同時に声をあげて、眉をひそめた。
「処刑って何の話だ?」
「え。何って私の話だよ。いつかは処刑されるでしょ」
「何でそうなる?」
「何でって……」
敵国の人間なのだからそれが普通なのでは。首を傾げて淡々と告げたフィオナは、ようやくマティアスから自身の置かれた状況の説明を受けることとなった。