ルークのお仕事
呪印士であるルークには、呪力と呼ばれる特殊な黒い魔力が備わっている。
呪力を扱える者しか就けない専門職である呪印士は、治癒の光を扱うことができる治癒士よりも更に珍しい。
しかし呪いを専門とすることからあまりいいイメージを持たれず、素質があっても進んでなろうとする者は少ない。
「さてと。今日も頑張りましょかね」
朝の自室にて。
ルークはうーんと伸びをしながら、朝から夕方までみっちり詰まった予定に意気込んだ。
呪印士の仕事はなんだかんだで沢山ある。
そのうちの一つが、呪いや呪具の影響で苦しむ人々の救済だ。
彼らを救えるのは呪印士だけであり、その者達にとっては唯一の救いの手である。
そういった需要は多いのに、誰も呪いを扱う専門職に就きたがらないため、相対的に呪印士の人数が足りていない。
そして強力な呪いを解ける力を有する呪印士となれば、また更に希少な存在となる。
ルークは『国一番の呪印士』と謳っていつも自信満々に振る舞っているが、それは事実だ。
誰にでも気さくで優しく朗らかで、真面目さを感じさせない空気感を持っているため軽く見られがちであるが、ものすごく貴重な存在である。
元々実力があった上に、呪いを司る神器の所有者となった今では、この世に彼に敵う呪印士はいない。
そんな彼は今日は護衛の騎士二人に付き添ってもらい、町の教会へと足を運んでいた。
「おー、今日はまた多いっすね~」
ルークは扉を少し開けて中を覗き込んだ。
教会内の中央にたてられた女神像が、天窓から差し込む光を受けて白く輝いていた。
それを取り囲むように、十代から七十代までと幅広い年齢層が大勢集まっている。
彼らの表情は暗い。
しかしルークが中に足を踏み入れると、途端に期待の色を浮かべた。
ルークが羽織っている白いローブは王国の専門的な魔術師である証だ。
彼は自分に集まる視線に気負うことなく、いつものように朗らかな顔でひらひらと手を振りながら奥へと足を進めた。
「おはようございます、ルーク様。お待ちしておりました」
騎士二人と一緒に個室に入ると、この教会の管理者である老神父が出迎えた。
彼は挨拶をしながら丸眼鏡の奥を優しげに細める。
「おはようございます。さて、それじゃさっそく始めますんで一人目を呼んでください」
「かしこまりました」
神父が退室すると、ルークは気合いを入れるために胸元に手を当てた。
服の下には神器である黒い首飾り。これを持ち歩くことや使用することは好まなかった彼だが、何だかんだと必要になる機会が多いため、念のために身につけることが増えていた。
きちんと自分を律することができ、使用方法さえ間違えなければただの悪趣味な首飾り、そう割り切ることにしている。
一分も待たないうちに、一人目の相談者が部屋に入ってきた。
「そこの椅子に座ってください」
ルークは右手を前に出し、相手の不安を消し去るようにニカッと笑顔を向けた。
「……はい」
小さな少女はおずおずと椅子に腰かけると、両手で大事そうに抱えていた箱形のオルゴールを前に出し、ぽつりぽつりと話し出した。
ルークは少女の前に屈んで、静かに話に耳を傾ける。
「あの、これママの形見なんです。だけど、たまに勝手に移動してて……触れてないのに音が出たりもして……あと最近よく怪我をするようになって、これのせいなのかなって……」
少女は暗い顔でオルゴールを見つめた。
「なるほど。ちょっと見せてもらっていいっすか」
「はい……どうぞ」
ルークは右手を差し出した。遠慮がちに置かれた箱に黒い魔力を流し込むと、反発するように中から黒い靄が滲み出てきた。
少女は驚いて身を縮める。
「大丈夫っすよ」
不安を消し去るように笑いかけて、再び箱に意識を集中させた。
黒い靄はルークの手を伝い、体の中に侵入してくる。
彼は真剣な表情でいたって冷静に、箱に組み込まれた呪詛を解析しながら、頭の中に流れてくる意思を読み取った。
しっかり全て読み終えると、また少女に笑いかけた。
「この中にはお母さんが君を案ずる気持ちが込められていて、移動したり音が出たりするのはそれの表れっす。怪我についてはこの箱は全く関係ないっすね」
ルークは何の迷いもなく、事実をきっぱりと言い放った。
「本当ですか……? でもお母さんは私のことを恨んでいたと思うんです……だって私のせいでいつも忙しそうで、おしゃれする暇もなくて……」
母のことを話しながら、少女は涙ぐむ。
「怪我はただの不注意か原因は他にあるか、さすがにそれは分からないっすけど。ここには恨みの気持ちなんてこれっぽっちも含まれていない、それだけは断言できるっす」
「そう、ですか……」
「それで、どうしましょ。君のお母さんの思念を消し去ってただのオルゴールに戻すことも、思念を残したまま封印することも可能っす。人に害をなすものじゃないんで、好きな方を選んでもらって大丈夫っすよ」
「……」
選択肢を与えると、少女は部屋に入ってきたときよりも暗い顔になり、俯いてしまった。
ルークは困ったように眉尻を下げ、フムと考える。
「悩むくらいなら消さない方がいいっす。消えてしまったものはどれだけ後悔してももう二度と戻らない。だから今回は封印にしましょ。やっぱり消したいと思ったら、その時にまた来てくれたらいいっすよ」
「…………はい、そうします」
小さな返事にルークは笑みを返した。
彼は手持ちの白く細い布をポケットから取り出して、箱にぐるりと巻き付けた。
端同士をしっかりと結び、指先に纏わせた黒い魔力ですらすらと紋様を描いていく。
「これでよし、と。はいどうぞ」
完成した呪印を発動し終えると、箱を少女の手の上にポンと置いた。
大切そうにぎゅっと抱きしめる様子に、これでよしと満足げに目元を和らげる。
「お母さんのこと好きっすか?」
「もちろんです」
即答した少女の目の前で、ルークは人差し指をピンと立てた。
「それならいいものを見せてあげますんで、目を瞑ってほしいっす」
「?」
見せると言いながら、なぜ目を瞑らないといけないのか疑問に思いながらも、少女はしっかり目を瞑った。
「そんじゃ今から、箱に込められていた君のお母さんの想いを頭の中に流しますね。怖くないんでリラックスしてください」
ルークは左手を胸元に当てて、右手をすっと前に出した。
右手のひらから出てくる黒い靄を少女の額に近づけて、先ほど読み取った思念を少女の頭の中に流し込んだ。
これは神器があるからこそ為せる業であり、初めての試みである。
母の愛情がどうにか伝わるようにと願いを込め、丁寧に流し込む。
娘を想う温かな感情、こんなにも美しい想いが伝わっていないのは嫌だと思ったから。
「もう目を開けていいっすよ」
ルークは余裕の笑みを浮かべ、内心ではドキドキしながら反応を待つ。
少女の顔は見るからに明るくなり、心から嬉しそうに涙目で微笑んだ。
(はー……よかった)
心の中で安堵の息を吐きながら、深々と頭を下げて退室する少女に手を振って見送った。
次に部屋に入ってきたのは、人相の悪い大柄の中年男性だ。
(うわー……)
人を見た目で判断してはいけないと思いつつ、ろくな相談ではなさそうだなと薄目になる。
胸元に手を当てながら男性をじっと観察し、やはりろくな相談ではないなとこっそり溜め息を吐いた。
男は座るよう促された椅子に座ってふんぞり返った。ルークに見せるように前に出した左手は、中指と薬指の先が消失している。
「この指を元通りにしてくれ」
「無理っすね」
ルークは男の相談を瞬時に断った。
「お前、ふざけてるのか? 治療院に行ったらこれは呪いだって言うから来たんだぞ」
「オレはいつだって誰にでも真摯に向き合ってますよ。その指はあなたの自業自得なんで、もう二度と元には戻りません」
事実を淡々と答えると、男は立ち上がって椅子をけり飛ばした。
「ふざけんなよ! 何のためにわざわざ遠くから来たと思ってんだ。もっと真面目に見ろや!」
「少し見ただけで分かるんでどれだけ時間をかけても無意味っす。あともう少し冷静にお願いできますかね」
「っのガキ」
男は強く握りしめた右の拳を大きく振りかぶる。
しかし喉元に向けられた二つの鋭い切先に動きを止めた。
「暴力行為はご遠慮ください」
抜身を向ける騎士の一人が冷ややかな声で牽制する。
「……分かった」
男は冷や汗をかきながら両手をあげ、忠告に従う意思を見せた。
二人の騎士が剣を鞘に戻すと、終始穏やかな顔で静観していたルークは人差し指をピンと立てた。
「呪われた側なら力になれたっすけど、あなたは呪った側でしょうが。その指はその対価として消えたもの。対価となったものは最初から存在しなかったことになるんすよ。だから治癒士には癒せないし、もう二度と戻らない」
淡々とした説明に男は無言になる。
「呪いに手を出した自分のせいだと諦めるほかないっす。ご理解いただけましたか? やむを得ない事情があるなら、そっちの相談になら乗ってもいいっすけど」
「…………もういい」
「あ、懐のそれは違法呪具なんで置いてってくださいね。万一暴発したら……今度は指先なんかじゃ足りないでしょうね。楽に死ぬことすらできない可能性は否定できないっす」
「────ヒッ」
ニコリと笑いながら警告すると、男は慌てて懐から呪具を取り出した。
「おっと」
投げつけるように渡されたそれをルークが両手で受け止めると、男は足早に部屋から出ていった。
「はー、せっかちっすね」
素直に渡してくれてよかったけれど。
これで懲りただろうか。男がもう悪質な呪具に手を出さないことを願いながら、受け取った呪具に黒い魔力を流した。
解呪し終えたブレスレットをじっと見つめながら思案する。
明らかに悪意を込めて作られたそれには魔石がついていて、呪力を持たない一般人でも魔力を流せば発動させられる代物となっていた。
ただし効果と安全性は保証されていない。
(こんなの作って裏流しするなんて、あの国しか思い当たらないんすよね……)
出所であろう国を思い浮かべながら遠くを見つめた。
先ほどの男は跡を追うように出ていった騎士の一人に任せたが、どうせ出所についての情報は何一つでてこないだろう。
証拠は何一つないのでどうにもできないが、本当にどうしようもなく迷惑な国だと呆れ果てる。
そして、先ほど『ガキ』と言われたことに地味に落ち込んだ。
実年齢より若く見られがちであるが、彼はとっくに成人している。
「はぁ…………さて、次はどんな呪いが出るっすかね」
気持ちを切り替えて笑みを浮かべ、次の相談者を待つ。
その後はトラブルなく相談者の悩みを次々と解決していき、最後の一人を解呪し終えた。
「ふぃー……つっかれたぁ~」
ルークは先ほどまで相談者が座っていた椅子に座り、背もたれに溶けるようにダラリとなった。
様々な強い感情が込められた呪いに触れて、それらを繰り返し解呪することは、精神的負担がとにかく大きい。
魔力と体力だけでなく、気力もごっそり減ってしまう。
本日ここで予定していた解呪の仕事はこれで完了だ。
ホームへ戻り、護衛してくれた騎士二人にお礼を言って解散した。
昼食をとるために食堂へ向かうと、食事中の人達を右から左へ見渡した。
一人で黙々と食事する魔術師や集団で賑わっている騎士達など、席によって人数も賑わいも様々だ。
ルークは人付き合いに長けているため、男女問わずどの席に混ざりに行っても自然と溶け込める。
一対一でゆっくり静かに語らいたい日や大人数で楽しく盛り上がりたい日など、その日の気分に合った席にふらっと混ざりに行くことが多い。
今日は朝からたくさんの呪いに触れた。
その多くが怒り、恨み、悲しみといった負の感情であり、立て続けに読み取っていると、さすがのルークも滅入ってしまう。
こういう日は特に、生身の人間と楽しく過ごしたい。
(やっぱあそこっすね)
提供カウンターで食事を受け取ったルークは、迷うことなくその席に向かった。
輪の中心でデザートを楽しむフィオナは、今日も幸せそうに微笑んでいる。
その隣で口喧嘩するマティアスとグレアムに、呆れ顔でサラダを咀嚼するミュリエル。
静かに見守っているレイラは、美しい笑みを浮かべているがそろそろぶちギレるだろう。
「お疲れっす。今日も賑やかっすね」
ルークはいつものように朗らかに声をかけて、愉快な仲間達の輪に入った。
気の置けない彼らとの時間は何より心地よい。
ケンカをしていることが多く、たまにとばっちりを受けそうになるのは勘弁願いたいが、フィオナに頼めばしっかり窘めてもらえるから安心だ。
午後からの仕事にむけて、楽しい昼食の時間で英気を養うことにした。






