最強魔術師は今日も幸せ(番外編最終話)
この日、フィオナはいつもよりずっと早く目が覚めた。
しばらく天井を見ながらぼーっとした後、ムクリと起き上がりゆっくり窓際に近付いた。
まっ白に曇った窓の一部を手でキュキュッと拭いて、白んできた遠くの空を眺めた。
「晴れると良いなぁ」
今日はエルシダ王国にとって大切で特別な日。建国記念日だ。
各地で祭りやイベントが催され、国中が祝う。そして国で一番栄えた地である王都では、王家主催の建国祭が開かれる。
そこでフィオナは重要な役目を与えられている。
万全な状態で挑めるように昨夜は早くに就寝し、そしていつもよりずっと早く目が覚めた。この国で参加する初めてのお祭りに、期待で胸がいっぱいだ。
今日は重要な役目の他に、町の巡回という任務も与えられている。騎士団、魔術師団のほぼ全員に与えられた任務。
任務中の遵守事項は三つだけ。
『制服着用』『お酒は程々に』『揉め事厳禁』
それさえ守っていれば、恋人とデートしていても構わないという。カフェでまったり寛ごうが、昼寝をしようが、屋台巡りをしようが、各々好きに過ごしていいのである。
国の最高戦力が町中をうろついているというだけで、祭りを楽しむ人々には安心安全を、悪事を働こうとする輩には牽制を与えられる。
そしてもちろん、目の届くところで行われた犯罪や迷惑行為などは、各自で対処するというのが暗黙のルール。
祭りを心ゆくまで楽しみたい者は、後始末を通りがかった仲間に押し付けて逃げるなんてこともあるそうだ。
フィオナが帝国の魔術師だった頃は、分刻みのスケジュールをこなし、少しの自由もなく任務に縛り付けられていた。
その時のことを思えば信じられないほど、エルシダ王国はどこまでも自由な国風だ。
今日はマティアスと一緒にお祭りを見て回ることになっている。
彼と両思いになり、恋人と呼べる関係でお祭りを楽しめることにわくわくが止まらない。
白いシャツと黒いズボンに着替え、髪は後ろでゆるく編み込む。
いつものように仲間達と一緒に朝食をとった後は、部屋に戻って少し時間を潰し、深緑色のローブを羽織った。
右腕に金の腕輪を装着すると、自然と気が引き締まる。
「よしっ」
準備を終えると階段を駆け下りる。逸る気持ちから途中で足がもつれて落ちそうになったが、風でふわりと体を浮かせるので問題ない。
どれだけ鈍臭くても、魔術さえ使えればいくらでもカバーできる。
一階で待っていたマティアスの元へ駆け寄った。
彼は黒い騎士服姿。腰には蒼い剣を携えている。
「よし、それでは行こうか」
「うんっ」
二人で並んで町へと向かう。
見上げた空は快晴。絶好のお祭り日和だ。
* * *
「わぁぁ……」
辿り着いた町の賑わいにフィオナは瞳を輝かせる。
大通りにいくつも並ぶ屋台には、見たことのない食べ物や異国から仕入れた雑貨の店などが並ぶ。
「さて、どこから見て回ろうか」
隣から掛けられた優しい声に返事ができず、しばらくきょろきょろと辺りを見回す。
気になるところが多すぎて、どうすれば良いのか分からない。
「えっと……マティアスの行きたいところに付いて行くよ」
散々悩んだ末にそう言うと、マティアスはフッと笑った。
「そう言うと思った。それでは南通りの方から回るか」
「うんっ」
行き先が決まり二人で並んで歩き出す。
もちろんマティアスはフィオナを注意深く観察している。
彼女が興味深そうにじーっと何かを見る瞬間を見逃さないように神経を研ぎ澄ませているが、さすがに今日は気になるものが多すぎるようだ。
フィオナはほぼ全ての店を食い入るように見ているため、観察は無意味だと早々に止めた。
「気になる店で立ち止まって好きに見て良いんだぞ。遠慮はなしだ。遠慮するなら全ての店で土産物を買って渡そうか?」
「え……」
何という脅し文句。冗談めかして言っているが、今までの経験上、冗談でないことは確かだ。
フィオナは直ちに従うことにした。
繊細で彩り豊かなガラス細工や、温もりを感じる木彫りの置物の店で立ち止まり、興味深く眺めていく。
欲しいと思ったものは、プレゼントされる前に自分のお金で購入した。店主から商品を受け取ってほくほくと袋を眺めるフィオナは、マティアスの残念そうな顔には気付かない。
今日は祭りなだけあって、若い男女が連れ添って歩く姿をよく目にする。
手を繋ぎ、腕を組み、抱き合う姿。
お祭り気分で浮かれているのか、人目を気にせずいちゃいちゃする姿が多く見受けられる。
そんな人々をフィオナは興味深くじぃっと眺めていた。
「君もああいったことをしたいのか?」
「ううん。人前でいちゃいちゃするのは恥ずかしいから良いよ」
「そうか」
フィオナは少しも悩むことなくきっぱりと言い放つ。
マティアスは残念に思ったが、彼も人前で触れ合うのはあまり好まないから良かったかもしれない。
(手を繋ぐ程度なら請われれば喜んでするのだがな……)
やはり少しだけ残念に思いながら、飴細工の実演販売に目を奪われて足を止めたフィオナを後ろから見守っていた。
「おや、魔術師のお嬢さん。巡回ご苦労様です。何かリクエストがありましたら作りますよ」
細い棒の先の青白い飴の塊がグニャリグニャリと形を変えていき、繊細なテクニックによって見事な龍が生まれた。
完成を見届け、感動して拍手を送っていたフィオナは、職人から声を掛けられた。
「本当ですか? えっと、それじゃ、猫を作ってください。可愛いのが良いです」
「可愛い猫ですね! 喜んで」
職人はニカッと笑うと、すぐに真剣な表情で飴を形作り始める。
あっという間に耳と足が薄桃色の可愛らしい白猫が出来上がり、フィオナは再び拍手を送った。
「さぁどうぞお嬢さん」
「ありがとうございます。わぁ……可愛い。マティアス見て、すごく可愛い」
「ああ、可愛いな」
もちろん飴を受け取って頬を染めるフィオナに向かって言ったが、当の本人は飴に夢中なので気付いていない。
サービスだから代金はいらないと言われてしまったので、手のひらサイズのガラス瓶に小さな飴が入ったものを二つ購入することにした。
ハート型のものとウサギ型のものを選び、その代金はきちんと受け取ってもらった。
フィオナは購入したものがいくつか入った紙袋を左手に持ち、右手には猫の飴を持って再び歩き出す。
最初はニコニコとご満悦だったが、徐々に浮かない顔になり、真剣な顔で隣のマティアスに相談を持ちかけた。
「どうしよう、可愛くて食べられない。だけど食べたいの。どうしたら良いと思う?」
「ぐっ……そうか。それは困ったな」
何とも気の抜けた相談だが、本人は真剣そのもの。
マティアスは顔が緩むのを何とか堪えながら一緒に考える。
食べるのを我慢するか思い切って食べるかの二択しか存在しないよなと思いつつ、どうしたものかと相談しながら歩いていると、前からミュリエルとアランが歩いてきた。
アランは屋台でいろいろと買い漁ったようで、両手はいくつもの食べ物で塞がっており、もぐもぐと何かを咀嚼している最中だ。
「フィオナいいもの持ってんじゃん」
「さっき作ってもらったんだよ。ねぇミュリエル、お願いだから一口食べてくれないかな。できれば思いっきり」
「え? うん分かった」
真剣な顔をしたフィオナが飴を目の前にズイッと差し出してくるので、ミュリエルは前足部分をパキンと割って口に放り込んだ。
フィオナは一瞬残念そうに眉をへにゃりとさせたが、すぐにホッとしたように表情を和らげた。
「ありがとう。これで心置きなく食べられるよ」
「うん、どういたしまして? ……ああ、可愛くて食べられなかったとかそんな感じ?」
「うん、そうなの」
フィオナはようやく飴を口にすることができ、顔を綻ばせる。もう遠慮することなくパキンパキンと割って食べていった。
「助かった。よくやってくれたミュリエル」
マティアスは答えの出ない相談事が解決したことに感謝しながらミュリエルの頭を撫でた。
「へへへ。どういたしまして」
とてつもなくくだらないことに感謝されているようだが、役に立てたことは嬉しい。
フィオナは紙袋からごそごそと瓶を取り出した。
「ねぇミュリエル、これあげる」
「うわぁ可愛い。貰って良いの?」
「うん。あのね、これ恋愛成就のキャンディーなんだって。もしかしたらもう必要ないのかも知れないけど……」
アランをちらりと横目で見た後、他の人に聞こえないように耳元でコソッと伝えると、ミュリエルの顔はボッと音が出そうなほど一瞬で真っ赤に染まった。
「なっ、なななっ……今日はたまたま誘われただけでっ、そういうのじゃないからねっ!……っっでもこれはありがたく貰っておく。ありがと!」
「どういたしまして。それじゃあね」
激しく狼狽えるミュリエルと、もぐもぐと食べ続けているアランに手を振って、その場を後にする。
「さて、まだ時間に余裕はあるが、そろそろ向かおうか」
「そうだね」
今日は国王から重要な役目を与えられている。時間に遅れる訳にはいかないので、二人で王城に向かって歩き出した。
どんどん人が増えてきた大通りを進んでいると、フィオナはクイクイッとローブの裾を後ろから引っ張られた。
何だろうとくるりと振り返り下方に目をやる。そこにいたのは不安そうな顔をした五歳程の少女。
「お姉ちゃん、魔術師さま? そっちのお兄ちゃんは騎士さま?」
「そうだよ」
にっこり笑って答えると、少女は背筋をピンと伸ばし、キリッとした顔で話し出した。
「私の名前はエリーです。五歳です。えっと、カマラ村からママと一緒に来ました。……これで良かったかな? ママがね、『迷子になった時は魔術師様か騎士様に声をかけるのよ』って言っていたの」
「そっか。それじゃ一緒にエリーちゃんのママを探……あ、ダメだった」
自分は今から重要な役目があるのだ。一緒に探し回っている時間はない。
「どうしよう……マティアス」
迷子の少女よりも不安そうな顔で泣きそうなフィオナに、マティアスはつい笑ってしまう。
「くくっ……そうだな、大広場の詰所へ連れて行くのはどうだ。そこで待っていれば必ず母親が迎えに来るはずだ」
「そっか、そこまでは一緒に行けるよね。それじゃ行こっか、エリーちゃん」
「うんっ!」
道中で母親とすれ違う可能性もあるだろうと、マティアスは少女をひょいと持ち上げて肩車した。
「わぁー! たかぁい!」
道行く人も町の様子も一望できるようになり、少女はご満悦だ。楽しそうにきょろきょろと辺りを見回し、景色を楽しみながら母親を探す。
フィオナはちょっぴり羨ましくなって、ちらりと横目でマティアスを見る。
視線に込められた思いをすぐに感じ取ったマティアスはフッと笑った。
「今度してやろうか?」
「……えっと、さすがに良いよ」
「そうか」
ちょっとだけ気持ちがグラリと傾いたけれど、さすがに遠慮しておいた。
結局、道中で少女の母親に出会うことなく大広場に到着した。
「わぁ……人がいっぱい」
「私しってるよ! お昼になったらね、ここですごいものが見られるんだって! ママと一緒に見ようねって……約束して……すっごく楽しみだったのに……」
はぐれてしまったから一緒に見られないかもしれない。そのことを思い出し、元気よく説明していた少女の覇気がなくなった。
「そっか。約束してたなら、エリーちゃんのお母さんもここに来るはずだよ。だから元気出して」
「うん……」
詰所前に到着すると、マティアスは少女を肩から下ろした。
フィオナは少女の前で屈み、紙袋からウサギの形をした飴が入った瓶を取り出した。
「はい、これあげる」
手渡された可愛らしい飴に少女は顔を綻ばせた。
「うさぎさんだぁ! ありがとうお姉ちゃん」
「どういたしまして。食べるのはお母さんに聞いてからにしてね。知らない人から貰った食べ物は勝手に食べちゃダメなんだよ」
「うん、分かった!」
昔、母から口うるさく言われていたことを少女に教えた。
詰所内にいた騎士達に少女を託し、手荷物も預かってもらい、マティアスと再び王城に向かって歩きだす。
大きな橋を渡って並木道を数分歩き、王城に到着した。
門番にペコリと頭を下げた後は城の中には入らずに城壁沿いに少し歩く。
マティアスと共に風の魔法陣を足元に起動させて高く飛び上がった。
降り立った場所は王城の屋根の上。町の大広場をしっかりと見渡すのに最適な場所だ。
「遠すぎるように思うが、本当にここからで大丈夫なのか?」
「うん。目に見える範囲ならどこまででもいけるよ」
「そうか。それはすごいな」
「わわっ」
感心しながら、マティアスはフィオナをひょいと横抱きにし、自身の膝の上に乗せて座った。
「ここは人前じゃないからな」
しれっと言うマティアス。フィオナはそっか、そうだよねと納得し、遠慮なく甘えることに決めた。ぎゅっと抱きつく。
「しばらくこうしてて良い?」
「……ああ、もちろんだ」
予定時刻まであと少し。それまで恋人らしく触れ合いたくなった。
「あったかい」
「……」
ここまでぴったりとくっついてくるのは想定外。マティアスは理性を保つため、無心でじっと耐えることにした。彼女は今から重要な役目があるため、手を出す訳にはいかない。
目を閉じて温もりを堪能すること数分、町の大広場の時計塔の鐘が正午を告げた。
フィオナはゆっくりと目を開き、名残惜しそうにもぞもぞと離れて立ち上がる。
凛とした佇まいで町を見据え、両手を前にスッと出した。右手にはめた腕輪は金色に淡く光る。
町に向けて彼女から放たれたのは膨大な魔力。町の上空に広がったそれらは金色のインクのようにいくつも空中を舞い、なめらかに紋様を描いていく。
大広場だけでなく目に見える範囲全てを支配下におき、青く澄み渡る空に金色の紋様を紡ぎ出す。魔法陣を全て同時に描いていった。
ものの数秒で完成した数十個の特大魔法陣が空を埋め尽くし、金色に光った。
虹色に輝く光の玉が次々と地上に舞い落ちる。くるりくるりと人々の間をすり抜けながら楽しげに飛び回る。
蝶へ、鳥へ、花へ、次々と姿を変えては光の粒が舞う。
魔術の発動を見届けると、フィオナは両手を下ろして表情を和らげた。
一度発動させてしまえば、魔力を流している限りいつまでも発動し続ける。
「喜んでくれてると良いなぁ」
ここからでは人々の様子はさすがに見えない。
「大丈夫、喜んでいるに決まっている。君の魔術は本当にすごいな」
「えへへ、ありがとう」
「もう集中していなくて大丈夫なのか?」
「うん。あとは魔力を流し続けていればいいだけだから、普通に過ごせるよ」
「そうか」
なるほど、それならもう大丈夫だと、マティアスは我慢を直ちに止めた。
「〜〜〜っっ!」
何の前触れもなく唇を塞がれたフィオナは目を丸くする。
驚きと共に体から溢れ出たのは膨大な魔力。魔術を発動させた時と比べ物にならない程の魔力は、空を埋め尽くす魔法陣全てに染み渡り、目が眩む程の強い輝きを放った。
一瞬にして王都が光に包まれたその理由は、二人以外誰も知らない。






