苦手だけれど
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団長室に赴き、数回目の給与を受け取ったフィオナは、自室に戻ってソファーに座りながら考え込んでいた。
この給与を使ってマティアスにお礼をしたところで、日頃、自分が彼から与えられる物の方が多いため、あまり意味がないということに気付いてしまったのだ。
そう、自分より遥かにお金を持っている人間に物をプレゼントしたり、食事をごちそうしたところで、大したお礼にはならない。
かといって何もしないのは嫌だ。物と言葉以外の何かでお礼がしたい。どうすれば喜んでもらえるのだろうか。
「何かないかな……」
しばらく考えてみたけれど、少しもいい考えは浮かんでこない。
埒が明かないので、幼い頃からマティアスのことを知っているミュリエルに聞いてみることにした。
* * *
「──でね、何をしたら喜んでもらえるか悩んでるんだけど、何かないかな?」
昼食時、隣同士で食事をしているミュリエルに事情を説明し、助言を求める。
「……」
サラダを咀嚼しながら聞いていたミュリエルは、ごくんと飲み込むと無言でまた一口サラダを口に放り込む。ひたすらモシャモシャと咀嚼しながらじとっとフィオナを見た。
(そんなの悩む必要ないんだけど……)
アンタが『いつもありがとう』と言って抱きつくだけで十分なんだよ。などと言ったところで、そんな訳ないよと言って済まされるか、真面目に考えてと言われてしまうだけなので、ミュリエルは口には出さなかった。
この鈍い子が納得する且つマティアスが喜ぶことは何かないだろうか。ひたすらサラダを口に運びながらモシャモシャする。
「そんなの簡単っすよ。『ありがとう』って言いながら抱きついたら良いんすよ」
前の席で話を聞いていたルークが人差し指をピンと立てて陽気に提案する。彼もミュリエルと全く同じことを思ったようだ。
「あのねルーク、私は真剣に相談しているから真面目に考えてほしいの」
「いやいや、かなり真面目に提案してるっすから。喜ぶこと間違いなしっすよ」
「気を遣ってくれるのは嬉しいけど、そういうのはもう良いよ」
「何でそうなるんすか〜」
フィオナはルークがどれだけ根気強く説明しても、全く信じようとしない。
(いつもぼんやりしているくせに、何でそういうところは頑ななんだろ……)
考えに考えたミュリエルは閃いた。
「それじゃさ、マティ兄が喜ぶとっておきの場所教えてあげる。そこはね──」
とある提案をし、場所の説明をすると、フィオナは訝しげに首を傾げた。
「そんなところに連れて行って、マティアスは本当に喜ぶの?」
「もちろん。絶対に喜ぶから! 絶対の絶対っ!」
「そっか……ミュリエルがそう言うなら間違いないんだね。そっか……」
フィオナの表情は暗い。気が進まないけれどマティアスに喜んでもらえるなら。フィオナは苦手な気持ちを押し込んで頑張る決心をした。
***
二日後、夕食を終えたフィオナとマティアスは、乗合馬車で町の郊外までやって来た。
馬車を降りると、手に持ったランタンに火を灯し、暗い森の方へと歩き進めて行く。
二人以外に人影はない。
この先に存在するのは、森の手前にひっそりと佇む洋館のみ。
数十年前から廃墟となっていたそこは、一年前にとある起業家が買い取った。
現在は恐怖体験ができるデートスポットとして人気の施設になっている。
「もうすぐ着くはずなんだけど……」
フィオナは町のチケット売り場で事前に予約を取っているが、実際に足を運ぶのは今が初めてだ。
本当にこの先に目的地があるのかと不安になってきた。
「結局どこに行くんだ?」
「それは着いてからのお楽しみだよ。マティアスは絶対に楽しめる場所なの」
「なるほど?」
これは所謂サプライズというものだろう。フィオナからは自分を驚かせようという意気込みを感じたので、それ以上は追求しないことにした。
「飴食べるか?」
マティアスはお出かけのお供にと持ってきていた飴をポケットから取り出す。
彼のポケットにはその他にもいろいろなお菓子が入っているが、もちろんそれらは全て自分用ではなくフィオナ用だ。
「わぁ、ありがとう」
差し出されたフィオナは微笑みながら受け取って、すぐに口に放り込んだ。
数分歩き辿り着いた建物を前に、フィオナは息を呑んだ。
ひび割れた窓硝子に蔦の絡んだ外壁。月明かりの中ひっそりと佇む洋館の周りには墓が立ち並ぶ。
錆びた金属に縁取られた玄関扉の横には、黒い帽子を目深に被った黒いスーツの細身の男性が立っていた。
「あの……これを……」
フィオナは小刻みに震えながら男性に予約券を手渡す。せっかくだからと奮発して貸し切り予約をしたが、すでに後悔し始めている。
手に持ったランタンも預かると言われ男性に手渡すと、ギイィと音を立てて扉がゆっくりとひとりでに開いた。
男性から入るよう促されて二人が中に入ると、すぐに扉はバタンと閉まる。それだけでフィオナは再びビクッと肩を跳ね上げた。
壁に設置された蝋燭の灯だけを頼りに薄暗い廊下を行く。
しんとした空間に隙間風の音が不気味で、フィオナはマティアスの袖を右手で掴みながら歩く。
恐怖心ですでにいっぱいいっぱいだ。
フィオナは中に入ってからずっと無言のままなので、マティアスは未だにこの状態の意味が分からないでいた。
「フィオナ、一体ここに何しに来たんだ? 君はこういったところは苦手なように見えるのだが」
「えっとね、マティアスはここに来たがってたって聞いたから……」
「??」
よく分からない返答にマティアスは首を傾げる。彼はここに来たいなどと、言ったことも思ったことも一度もない。
だが日頃のお礼だと言って連れ出されたため、フィオナの気持ちを無下にしないよう、この場は話を合わせることにした。
「そうだな。感謝する。しかし無理しなくて良いんだぞ。もう引き返そう」
「だっ、大丈夫だよ。マティアスと一緒だから全然怖くな──っひゃあ」
気丈に振る舞おうとしたが、前方にゆらりと薄白い影が見えてしまい、掴んでいたマティアスの腕に強く抱きついた。そのまま暫く震えながら気持ちを整える。
「うぅ……あのね、本当はちょっと怖いけど、せっかく来たから引き返したくないの。マティアスにいっぱい楽しんでほしいから」
今にも泣きそうなのに、自分のために頑張ろうとする姿。マティアスは彼女の健気さにキュンとなる。
腕に当たるのは柔らかな温もり。
顔を青くして震えている姿を可哀想に思いながらも、フィオナがずっと腕にしがみついているこの状態はこの上ない至福。
不気味な薄暗い廊下に舞う埃さえ輝いて見える。
「ひうっ」
どこかの部屋から大きな物音が響いた。フィオナはマティアスにしがみつく力をいっそう強めた。
「ほわあっ」
頭上から首に落ちてきた水滴に体はぞわりと粟立ち、背後から微かに聞こえてくるのは女性の笑い声。
「はわわわわ……」
入館者を怖がらせる数々の現象。もちろん人為的な仕掛けだが、フィオナはそんなことに気付く余裕はない。
全てに心から恐怖する。
階段を上り二階を歩き進めてすぐの所で、恐怖心の限界を迎えてしまった。
両耳を塞ぎながら廊下に座り込む。涙目で縮こまる様子に、さすがに可哀想すぎて楽しめなくなってきたマティアスは、もうここから出ることに決めた。フィオナを抱き抱えてすぐ横の窓から飛び降りることを思い立つ。
「俺はもう十分満足した。だからここから出よう。無理をさせてすまなかった」
フィオナの左隣にそっとしゃがみこんで、声を掛けた次の瞬間、一階でも聞こえていた不気味な笑い声が彼女の右方向から聞こえてきた。
「ひゃあぁぁ追いかけてきたぁぁ」
「むぐっ」
パニックに陥ったフィオナはとっさに勢いよくマティアスに抱きついた。彼は後ろに倒れそうになったが、片手を後ろにつき、倒れるギリギリの姿勢を保った。
「きっ、来たっっ、来たぁ……何かズルズル這ってくるぅぅ……」
フィオナは消え入りそうな声で訴えかける。
────大丈夫だ。あれは音だけだから実際には何も来ないぞ。
そう言って安心させてあげたいが、マティアスには言うことはできない。
なぜなら顔に押し付けられている柔らかな膨らみのせいで、口が塞がっていて話せないから。
鼻でかろうじて呼吸できているが理性が飛ぶ寸前。彼は必死に耐えた。
* * *
翌日、フィオナは食堂に向かう途中の階段で、ルークにばったり出会った。
「はよっす。昨日の夜はどうだったっすか?」
「おはよう。あのね、楽しんでもらいたかったのに、怖すぎていっぱい迷惑をかけちゃった」
フィオナは浮かない顔をしている。
帰り道でマティアスから『楽しかった』とお礼を言ってもらえたけれど、自分がずっと邪魔をしていたので、あまり楽しんでもらえていない気がする。
落ち込むフィオナの話を聞いていたルークは朗らかに笑った。
「いやいや、確実に楽しんでもらえてるっすよ、それ」
「そうだったら良いけど……ありがとうルーク」
フィオナはルークの言葉を、いつものように気を遣って慰めてくれているのだと受け取った。
食堂の入口では、フィオナを待っているマティアスとミュリエルが立ち話をしていた。
「昨日はどうだった? 私の予想通りになってたなら良いんだけど」
「あぁ……やはりあれは君の差し金か。概ね君が予想していた通りだと思うが、彼女が怖がるようなことは止めてあげてくれないか」
呆れたようにそう言うと、ミュリエルは眉尻を下げて項垂れた。
「……そうだね。ごめんなさい」
二人の仲が進展するよう、よかれと思っていたが、フィオナがああいった場所を苦手としていると気付きながら提案したのは悪かったなと反省する。
(だけどなぁ……いい加減くっついたら良いと思うんだけど……)
一階まで降りてきて、恥ずかしそうに頬を染めてマティアスの元に駆け寄ってくるフィオナの姿を見つめながら、ミュリエルは日課になりつつある溜め息を吐いた。






