ごはんが美味しい
マティアスの話によると、フィオナは倒れてから丸一日寝ていたようだ。
ルークから手渡された水を飲んでいたらお腹が空いてきた。さすがに図々しいので言えないが、食事はもらえるのだろうかとぼんやりと薄目で考える。
「食事できそうか?」
「しょくじ……」
今まさに欲していた言葉に彼女のお腹はきゅるるると鳴り空腹を告げた。ほんのちょっと恥ずかしいが、本当にほんのちょっとだけなので動じない。
「……お腹は空いているみたいだな。目が覚めたらすぐに食べられるように用意はさせているが、体調が良くないなら食べられそうなものを持ってくるぞ」
「えっとね、元気だから何でも食べられるよ。ありがとうマティアス」
フィオナは前のめりになり、瞳を輝かせた。
「……では取りに行ってくる」
そう言いながらすぐにマティアスは部屋を出た。
「うんわ、マティアスさんがあんな表情するなんてびっくりっすよ」
「……?」
あんな表情とはどんな表情なのかフィオナには分からない。感謝を述べたらすぐに後ろを向いて出ていったから表情は見えなかったのだ。
「ねぇルーク。私、捕虜なのにどうしてこんなにいい部屋にいるの? 処刑される日はもう決まってる?」
「ははっ何すか処刑って。そんなのしないっすよ」
「何で?」
「何でって……マティアスさんにまだ何も聞いてないんすね。後で聞くといいっすよ」
ルークは頭の後ろで腕を組みながら、けらけらと笑っている。
処刑されない。そんなわけはないだろうと彼女は思う。自分は敵国の人間なのだから。
今まで幾度となく攻め入ってこの国の者たちを攻撃してきた。命を奪うことはしなかったけれど、酷いことを散々してきたのだ。
この国の国王は平和主義者で争い事を嫌うと聞いていたが、敵と言えども処刑しないのだろうか。それとも人知れずこっそりとするのかもしれない。
ここでは死ぬ直前まで人間らしく生きさせてもらえそうな感じがして、痛くて苦しくないよう楽に死なせてくれそうだと期待を抱く。最期くらいは楽に逝きたいのだ。
数年間、道具のように扱われてきて、ここ数ヵ月は特に散々だったから。
「そう言えば、戦ってる最中に急に倒れてびっくりしたっすよ。何かあったんすか? マティアスさんのせいっすか?」
「えっとね、マティアスのせいではないけど、ちょっとだけマティアスのせいかな。あの時すっごく眠かったの。あと少しで帰って寝られるって思ったのにマティアスが来ちゃったから、もう良いやって諦めたの」
「はぁ!? 何すかそれ」
何すかと言われてもフィオナは困る。事実なのだからしょうがない。
彼女はここ最近、寝る間もなく働き続けてきたことを話した。皇子にボロ雑巾の如くこき使われ、夜中でも関係なしに駆り出され戦い続けてきたと。
「はぁー、帝国の皇子バカっすね。貴重な神器使いの扱いが酷いにもほどがあるっす。それで連れ去られて奪われてるんすからザマァないっすね」
「そうだよね。ばか皇子ざまぁみろって私も思うの」
良く使える便利な駒を無くしたのだから、今頃はくやしがっているに違いない。そう思うとフィオナの心はほっこりとなった。
エロ皇子ざまぁみろ。ばか。大嫌い。心の中で何度も呟く。
呪印による痛みが襲ってこないので呟き放題で幸せだ。
何だかんだルークと楽しく話していると、マティアスが食事を持って戻ってきた。
「待たせたな」
「ううん、全然。ありがとう」
マティアスは、ベッド横のテーブルに食事を載せたトレーを置いた。トレーの上にはパン、スープ、肉と野菜の煮込み、果物が載っていた。スープと煮込みからはホカホカと白い湯気が立っている。
「足りなかったら追加を持ってくるから言ってくれ」
そう声を掛けるが、フィオナの耳にはマティアスの言葉は入ってこない。食事を前に目を輝かせ、感動している。
「わぁ、白いパンだ……スープの野菜が透き通ってる……ちゃんとしたお肉に果物なんていつぶりだろ……いただきます」
ぶつぶつと独り言のように呟きながら、パンを半分に割った。力を入れずともぱかりと割れてほわほわと湯気が立つ。
すごい。簡単に割れたと感動しながら小さくちぎって口に入れた。
久しぶりの柔らかなパンだ。顎が疲れない。すぐに飲み込める。フィオナはじーんとなった。
その様子をマティアスは怪訝な顔でじっと見る。
「どういうことだ? 君は帝国一の魔術師だろう。それなりの地位と報酬を得ていたのではないのか。今の物言いだとまるで、食べ物すら満足に与えてもらっていなかったように聞こえたぞ」
もぐもぐごっくんとしながら、報酬? 何だそれはと目を細める。そんなもの、彼女はお目にかかったことがない。
「報酬なんてもらったことないよ。宮殿の片隅に住んでたから最低限の衣食住は保証されてたけど、それだけ。だけど食事は一年半前からはクズ野菜のスープや残り物のカチコチなパンとかばっかりになっちゃって。量はそれなりにあったからお腹が空くことはなかったけど」
そう言って、また小さくちぎったパンを口に放り込む。ほんのりと甘くて香ばしくて、いくらでも食べられそうな美味しさだ。
「はぁ!? 何すかそれ。何でそんな扱いなんすか」
もぐもぐごっくんとして、眉尻を下げながら心当たりを話す。
「エロ皇子の夜の相手を断ったからだと思うの。次の日からあからさまに粗末な食事になったんだよ」
そう言って黄金色のスープをスプーンですくいあげ一口飲んだ。美味しくて口元が緩む。野菜だけでなく肉の旨味もあるスープなんて久しぶりに口にしたから。
「なるほど。君は、そのだな、帝国に心を通わせた相手はいるのか?」
「そんな人いないよ。恋してる暇があったら寝ていたと思う」
「……そうか」
マティアスはあからさまにホッとした表情を見せたが、彼女は目の前の煮込み料理のとろける肉の塊に釘付けなので気付いていない。
マティアスとルークは食事の邪魔をしないよう、しばらく話し掛けないことにした。
その間、ルークは彼女が倒れた経緯をマティアスに伝えた。
二人は話をしながら、一口一口しっかりと味わうように食べるフィオナをじっと見つめる。
果物まで綺麗に食べきり、水を飲んでほうっと幸せそうに息を吐くところまでしっかりと見届けた。
「ごちそうさまでした。すっごく美味しかった」
「足りたのか? いくらでも追加を持ってくるから遠慮なく言うんだぞ」
「ありがとうマティアス。もうお腹いっぱいだから大丈夫だよ。……そうだ。あのね、私の呪印を消してくれた人にお礼を言いたいんだけど、無理かな?」
少し遠慮がちに尋ねる。自分はここに繋がれていて動けないから、相手がここを訪ねて来ないとお礼は言えないのだ。だけど来てほしいなどと図々しいことを口にするのは気が引けてしまう。
そう思っていたら、ルークが自身の顔の横でビシッと右手をあげた。
「それならオレっすよー。呪印士であるオレが解いたっす。もちろん見つけたのは君の服を着替えさせた女性なんで、オレが身体の隅々までチェックしたわけじゃないっすからね。解くときも呪印がある範囲しか肌を見てないっすから」
彼はニカッと笑い、あげていた手でピースする。
「そう。ありがとうルーク、あのクズ皇子から解き放ってくれて。心おきなくあの人の悪口を呟けるようになって本当に清々しい気分なの」
「ん? 何すかそれ? あの呪印はどういった効力だったんすか?」
「えっとね……」
フィオナは呪印について説明を始める。
彼女の腹部に施されていた呪印の効力は、主君に絶対服従し命令に逆らい続けると命を落とすというもの。
それは行動だけでなく精神をも縛る呪いで、悪意を口にしたり心の中で呟いてもいけないという徹底ぶりだ。
反抗心を強く意思にするだけで呪いが発動し、強い痛みと共に呪いの棘が体内を侵蝕していく。
「心の中で悪態をつくだけで襲ってくる痛みにはうんざりしてたの。だからありがとう」
「はぁー……反抗心を抱くだけで発動するなんてつらすぎっすね。そんな強力な呪いを体に直接刻むなんて、帝国の人間まじ最低っす」
ルークは眉をひそめた。
「しかしそんなものを施されていたのに、よく夜の相手を断れたな。その時はまだ呪印は無かったのか?」
「ううん、あったよ。だけど死んでもいいやって思って反抗したんだ。あんな人と肌を重ねるくらいなら死んだ方がマシだもん」
「そうか……」
マティアスは顔をしかめ、喜んでいいのかいけないのか分からない複雑な心境でいた。
「皇子は要求を取り下げたからギリギリ死ななかったの」
「さすがに欲望がまかり通らなかったからって、神器の使い手を失うような馬鹿な真似はしないっすよね」
「そうだね。そうじゃなかったらとっくに死んでると思う」
フィオナは白銀の枷がはめられた自身の手首をじっと見た。本来ならば、そこには神器である金色の腕輪があったのだ。
その様子を見て、マティアスは彼女に近づく。
「すまない。その鎖は今は必要なかったな」
ポケットから鍵を取り出すと、そっと手を取り枷から鎖をガチャリと外した。
急に自由になった自身の手首を触りながら、フィオナは首を傾げる。
「繋いでおかなくていいの?」
「今はな。俺とルークのどちらかが近くにいる時は問題ない。君がよからぬ行動を起こそうとしてもすぐに対処できるからな」
「そうそう。その腕輪、魔力を封じてるだけじゃないっすからね。何かしようとしても瞬時に無力化させちゃうんで、そのつもりでいてほしいっす」
「うん、分かった」
こくりと頷いてからコップの水を一口飲んだ。そしてぶるりと体を震わせる。
「あのね、トイレに行くくらいは自由にしてもいいのかな?」
「……もちろんだ。そこの茶色の扉の先にある」
「ありがとう」
フィオナはゆっくりと立ち上がり、マティアスが指差した扉へと向かって中に入った。
「「……」」
部屋からフィオナがいなくなると、二人は示し合わせるでもなく、同時に大きく溜め息を吐いた。
「何すかあの子。めっちゃ不憫っす」
「ああ。何かしらの枷を背負っているとは思っていたが、あんな扱いを受けていたとは……」
「帝国アホっすね。神器の使い手を何だと思ってるんだか」
一国に一人いるかいないかという神器の使い手は、本来ならば丁重に扱われるべき存在。国によっては王と同程度の権力を持つほどの存在だ。
「陛下に伝えないとな。話を聞く限りでは彼女は帝国に忠誠心はなさそうだ」
「皇子のことは心の底から嫌ってる感じっすしね。バカだのクズだの散々な物言いっすから」
ルークはけらけらと笑う。
マティアスも口元に少し笑みを浮かべた。彼女が皇子の相手を断ったこと、想い人がいないことに心からホッとしている。
彼はフィオナが目の前で倒れていなくても、ここに連れてくるつもりでいたのだから。