特別なひと(最終話)
最終話です。最後までお読みくださりありがとうございます。感謝。
「そんじゃ失礼するっすね」
一言断りを入れると、ルークはジルベートの夜着の前ボタンを全て外す。
再び左手で黒い首飾りに触れ魔力を流し、黒い靄が出てきたところで右手をジルベートの胸部に当てた。
「ねぇ、それ何?」
「呪いを司る神器っすよ。これ国家機密っすから内密に」
フィオナの疑問にルークはあっさりと答える。
ルークが神器を所持していることは国王とマティアス含むごく僅かな限られた人間しか知らない。
彼は幼少期から呪印を扱うことに長けていた。そして彼はとんでもなくいたずら小僧だった。
王城中の扉という扉に呪印を施して開かなくしたり、宰相の秘密のポエムが仕舞ってある箱の封を開け、高らかに音読しなから城内を歩き回ったり。
いたずらする度にマティアスにこってり絞られていたが、少しも懲りることはなかった。
とある日の午後、いつものようにいたずらしようと彼は王城の宝物庫に忍び込むことにした。
彼の呪解の力を以てして解除できない扉などなく、あっさりと中に侵入する。
そこで彼は厳重に封印されている箱を見つけた。呪いや秘密といったものが大好きな彼はもちろん躊躇うことなく封印を解いた。
蓋を開けて出てきたものは黒い首飾りだった。
彼がそっと手を触れると、首飾りは黒い靄を放ちルークの首にまとわりついた。
痛くも苦しくもない靄。これは一体何だろうと、箱を手に国王の元へと行った。そこで驚愕の事実を知ることとなる。
彼は危険だからと厳重に封印されていた、呪いを司る神器に持ち主として選ばれてしまったのだ。
どんな呪いでも呪解できる力と、人を瞬く間に呪い殺すことのできる力を有する首飾り。
ルークが所有者になったことは極秘事項となり、この神器は必要時以外は宝物庫から持ち出さないことに決定した。
神器に選ばれたその日から、ルークは人が変わったように真面目になった。
とんでもないものの所有者になってしまったことで気が引き締まったのだ。もういたずらなんてできる心境ではない。
そしてその日から、今まで迷惑をかけた腹いせのように、マティアスに下僕のようにこき使われるようになったのだが、それも仕方がないと彼は諦めて付き合い続けることにした。
「ほんとはこんなことしたくないんすよ。でも自業自得っすからね。これ以上ちょっかいかけて来るなら陛下もこうするつもりでいたっすから」
「本来なら細切れにしてやったところだ。命があるだけマシと思え」
ルークは神器を扱うことは好まない。だが今はこうするしかないのだと諦める。
「まずは口止めからっすね。この首飾りや俺のこと、自身に呪印を刻まれたことを他人に伝えないこと。ここに俺たちが来たことを他人に伝えないこと」
ルークの右手から出た黒い靄はジルベートの体の中に吸い込まれていく。
「今後一切フィオナに近づくな、名前を呼ぶな、触れるな、声を聞くな」
マティアスは目を据わらせながら矢継ぎ早に言っていく。
「はいはい。えっと近づくな、名前を呼ぶな、触れるな、あとは……」
「声を聞くな、視界に入れるなだ」
「増えてないっすか!?」
「煩い。さっさとしろ」
「あーはいはい」
面倒くさそうに返事をすると、どんどんと靄を体の中に吸い込ませていく。ジルベートの目に映っていたフィオナは黒く霞がかったようになる。
「今後一切他人を傷つけるな、他人に何かを命じるな。次期皇帝には他国を侵略しようとしない奴を選べ。国民を大切にする人徳のある奴だ。もちろんお前以外のな」
今後もう非道なことができないよう、次々と制約の呪印をジルベートの体の内に刻んでいく。
「こんなもんっすかね。……あ、マティアスさんが宮殿の屋根をぶっ壊したっすけど、うちに修繕費を請求しないでくださいね。今まで散々迷惑かけられたんすからチャラっすよ」
呪印を全て体内に刻み終えると、ルークは首飾りに魔力を流すことを止めた。
「ふぅ、これでオッケーっす。万一誰かがあなたに刻まれた呪印に気づいたとしても、誰にも解けっこないんで諦めてくださいね。神器で何十倍にも呪いの効力を上げたものっすから」
ルークは腰に手を当てて得意気に告げる。
「終わったか? ぐずぐずしてないでさっさと帰るぞ」
マティアスは一日ずっと動きっぱなしで神器を何度も発動させているので疲れているのだ。腕を組みながら若干苛々している。
「はいはい、それじゃ帰るっすよ。マティアスさんまた担いでください。フィオナさんは目眩ましと足止めを頼めるっすか」
「うん、任せて」
マティアスは来たときと同じように雑にルークを肩に担ぐ。
フィオナはローブのフードを被ると、周りに張っていた土の壁の上部だけを消し去った。
二人は足元に風の魔法陣を起動し高く飛び上がり建物の切り口の上に立つ。
「さよなら」
フィオナは後ろを向かずに小さく別れを告げたが、呪印を施されたジルベートの耳に届くことはなかった。
ジルベートは動きを封じられたままで見上げることもできず、声を聞くことも姿を見ることも叶わなくなった女性を思って涙を流した。
フィオナは陽動で至るところに魔法陣を描いて魔術を放っていく。光や旋風で帝国のものたちの目を眩ませ、土の壁で行く手を阻んだ。
すぐ近くに繋いであった馬を迎えに行き、馬を走らせ王国まで帰ることにする。フィオナはマティアスの前に乗せてもらった。
途中で少し休憩を入れたが、マティアスは一刻も早く彼女を安心できる場所まで連れて行きたかった。宿屋に泊まることなく馬を走らせていく。
無事ホームまで戻ってきた頃には、もう深夜になっていた。
「ふぁぁ……おやすみっす」
ルークは目を擦りながら二階にある自室へと向かった。
「マティアス、もう良いよ……」
「ダメだ」
一人で大丈夫だからと言っても、マティアスは五階にあるフィオナの部屋まで送り届けると言って聞かない。
部屋に辿り着いた時は、彼は活動の限界を迎えてフラフラになっていた。
「おやすみ、フィオナ」
部屋の前でフィオナの頭を軽く撫でると、ふらりとしながら戻ろうとする。彼の部屋があるのは隣接する騎士宿舎の四階だ。
フィオナはマティアスの腕を引っ張って部屋に連れ込んだ。そのままぐいぐいと自分のベッドへと連れて行く。
「ここで寝て、マティアス。おやすみ」
腰の剣を外して何とか無理やり寝転ばせ毛布をかける。
マティアスは一瞬思考が停止したが、フィオナがソファーへ行き毛布を被って寝転ぶのを見届けると、『それならいいか……』と目を閉じた。
もちろん良いわけがないが、眠気と疲労が限界だったマティアスの頭は働かず、そのまま深い眠りについた。
* * *
「……」
ベッドの上で、マティアスは呆然と座り頭を抱えている。
──しまった……。
フィオナを部屋まで送り届けてすぐ力尽き、彼女のベッドで朝までぐっすり寝てしまうだなんて。不覚すぎる。
ソファーで寝ている彼女を起こさないよう、そして他の人間にも気づかれないように部屋を出ていこう。
とりあえずその前に寝顔を拝もうとソファーに近づく。
すーすーと寝息を立てる穏やかな顔を見て目元を和らげた。
彼女を無事に帝国から連れ戻すことができて本当に良かった。
北の地で帝国の魔導師たちを追い払った後、東は大丈夫だろうかと通信魔道具で連絡を入れた。フィオナが連れ去られたと知った時は、頭に血が上り帝国そのものを滅ぼすつもりで向かおうとした。
さすがに戦争になるから止めなさい、落ち着いてと宥められ、『そんなことをしたらフィオナが責任を感じてしまうわよ!』という一言で何とか踏みとどまった。
グレアムの話によると、彼女の様子は明らかにおかしく、何者かに操られているようだったと言う。
それならルークの力は絶対に必要だろうと、東の地で落ち合い共に向かった。
案の定、帝国の秘術とやらでフィオナは縛られていて、ルークがいなければバカ皇子を殺すしか術はなかった。
「……マティアス?」
寝顔を堪能しまくっていたら、フィオナは起きてしまった。ぼーっと目をこすりながら上半身を起こした。
「おはよう」
彼女は寝起きが悪い。まだ半分寝ているようなので、彼女の頭が覚醒するまでしばし待った。
そしてしっかりと目が覚め会話ができるようになると、マティアスは謝罪を口にする。
「すまない。俺はここで力尽きてしまったようだな」
「気にしないで。マティアスたちのお陰でまたここに帰ってこれたんだもん」
フィオナはソファーから立ち上がり、彼の目の前まで近づく。
「助けてくれてありがとう。もう会えないって諦めてたの。まさか帝国まで助けに来てくれるなんて思わなかった。無理させちゃってごめんね……」
「帝国だろうとどこだろうと迎えにいくさ。君はもう大事な仲間だからな。それに俺は君のお母さんみたいな人なんだろう。いなくなった娘を迎えに行くのは当然のことだ」
マティアスは彼女があまり気負わないで済むよう冗談めかして笑みを浮かべながら頭を撫でた。
そう、実際母親のように全く気にせずに部屋に泊められるような男。
安心できて信用できる存在だと思ってくれているのだと窺えるが、男として意識されていなさすぎる。彼は泣きたい気分になってきた。
フィオナは娘と言われ、複雑な気持ちを抱いていた。以前、彼をお母さんみたいだと言ったのは彼女自身なのだが、もう今はそうでない。
「……マティアスはもうお母さんじゃないよ」
ぽそっと呟くフィオナ。
「そうなのか? いつの間にお母さんをクビになっていたんだ、俺は」
それはそれで彼はショックを覚えた。何とも言えない残念で微妙な心境だ。しかし後に続いた言葉でそんな心境は吹き飛ぶこととなる。
「お母さんじゃないけど、大切で特別な人なの」
「……え?」
──大切で特別……
それはどういう存在だ。お父さんか? お婆ちゃんか?
それとも……
「フィオナ、それはどういう意味か教えてもらえるか」
もしも彼が期待しているような意味なのだとしたら、歓喜に震えることになるだろう。
しかしフィオナははっきりと言うことを躊躇った。口にするのは恥ずかしいのだ。
「えっと……それは内緒だよ」
照れくさそうに頬を染めて、少し俯きながら目を逸らした。
マティアスにはその仕草だけでもう十分すぎて、彼女をその腕にすっぽりと収めてしまったのは仕方のないこと。
「……っっ、マティアス?」
「あー…………泣きそう」
「え? 何で?」
腕の中で慌ててわたわたとしているフィオナをしばらく堪能しながら、彼は幸せを噛み締めていた。
* * *
マティアスは自分の部屋のある騎士宿舎に戻ったので、フィオナはシャワーを浴びることにした。
借りていた黒いローブを脱いだ下から現れたのは黒い透け透けの夜着だ。
そういえばこんなものを着せられたのだった。そしてマティアスにも見られてしまった。そう思うと顔が熱くなる。さっきまで抱きしめられていたドキドキもまだ収まっていない。
さっさと脱いでシャワーを浴びた後は、白いシャツと黒いズボンを着た。
団長であるレイラの部屋を訪ねて戻ってきた報告と謝罪をしたいけれど、まだ早朝なので朝食の後に行こうと決めた。
彼女は昨日の朝食を食べたっきり何も食べていないのだ。お腹はきゅるると空腹を訴え続けている。
国王への報告は一先ずはルークが済ませておくと言っていたので任せることにした。
食堂へ行こうと部屋を出たら、ミュリエルとニナが駆け寄ってきた。ニナはその勢いのまま抱きつく。
「フィオナさぁん! ちゃんと帰ってこれて良かったぁ」
「ほんとよ。マティ兄が行ったから心配はしてなかったけどね!」
ミュリエルはツンとしているけれど、その目は少し赤くなっている。
「ただいま。心配かけてごめんね」
ニナと抱き合っていると、レイラもすぐにやって来た。
「お帰り。無事で良かったわ。マティアスが行ったから大丈夫だとは思っていたけどね。むしろあちらに死人は出ていないかしら?」
「ご心配をおかけしました。私が知る限りではマティアスは宮殿の屋根を削ぎ落としただけなので、死人は出ていないと思います」
「削ぎ……そう、それなら良いわ」
レイラは深く考えないことにした。
四人でそのまま食堂へ向かうと、マティアスが入り口で待っていたので合流する。
ニナはヨナスの元へと行った。
マティアスとは隣同士、レイラとミュリエルとは向かい合わせに座って、皆で朝食を取りながらフィオナはぼんやりと考える。
昨日、皇子に帝国に連れて行かれたばかりなのに、今はもうここでこうしていつもの日常を送っているなんて不思議。
マティアスは本当にすごくて格好いい。
フィオナは食事をしながら、食堂にやってきた第一魔術師団の仲間に謝罪をしていった。皆心配していたようだが、マティアスが行ったから大丈夫だと思っていたと口を揃えて言う。
しばらくするとグレアムもやって来た。
「よう。無事帰ってこれて良かったな」
ポンとフィオナの頭を押さえてそのまま隣に座った。
「グレアム、吹き飛ばしちゃってごめんね」
「気にすんな。皇子にエロいことされなかったか?」
「うん、エッチな服は着せられたけど大丈夫だったよ」
「エッチな……」
グレアムは口ごもる。二人の会話を聞いていたマティアスはゆらりと立ち上がり、腰の剣に手を添えた。その目は据わっている。
「……今想像したな。頭を出せ。一度記憶をリセットしてやる」
「っっざけんなよ、今の俺悪くねぇだろ!? こんなとこで剣引き抜くなって。フィオナ、オマエも言ってやれ」
「うん。マティアスやめて。グレアムが死んじゃったら悲しいの。私にとってグレアムはお兄ちゃんみたいな存在だから」
その台詞を受けて目の前で傍観していたミュリエルは勢いよく立ち上がり眉を吊り上げた。
「はぁ!? マティ兄はお母さんなのに、こんな奴がお兄ちゃんなの? 信じらんない」
「っは、何オマエ、お母さんだとか言われてんの? まじウケル」
「よし、最期の言葉はそれでいいんだな」
「よくねぇよ!」
「ちょっとあなたたち煩いわよ」
「はよっす。なんか楽しそうっすね」
ルークもやって来て、やんややんやと騒がしい中、フィオナは幸せを噛み締める。
今日も大好きな人たちに囲まれて食事を取っていて、生きていて良かったなぁとしみじみと思った。
「あのね、マティアスはもうお母さんじゃないよ」
のんびりゆったりとした口調でそう告げて、フィオナは穏やかに微笑んだ。