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ここは嫌い

 目が覚めたフィオナはしばらく頭がぼんやりとしていたが、自身の置かれた状況を理解して逃亡を図ろうとした。


 手足は繋がれておらず自由だ。窓を破壊してそこから脱出しようと試みたが、魔術を発動させることができない。

 とにかくこの部屋から出ようと扉に向かった。しかしドアノブを掴んだ手を動かせない。


 どれだけ頑張ろうと、部屋から出るという行動がとれず、彼女は途方にくれてベッドに戻り膝を抱えた。


 皇子に眠らされて連れて来られた部屋は、隷属の契約をしてからずっと生活をしていた部屋とは全く違う大きな部屋だった。

 家具もベッドも全て一級品のような豪華な部屋。だけどフィオナは居心地が悪くてたまらない。

 黒を基調とした家具、金飾の額縁に入った抽象画、革張りのソファーやクッション。部屋にあるもの全てが皇子が好みそうなものばかり。気持ちが悪くてたまらない。


 しばらく膝に顔を埋めていると、ジルベートが部屋にやってきた。


「おはようフィオナ。素敵な部屋だろう」


 にっこりと笑い、優しい声色で語りかけてくる。


 ──気持ち悪い。ばか。大嫌い。


 行動は縛られているが思考の自由は奪われていないようだ。彼女は言いたいことを少しも躊躇わず臆することなく言うことにした。


「素敵なんかじゃない。気持ち悪い」


 彼女はジルベートとは目も合わせずに無表情で淡々と答えた。怒った彼に殴られようが、そんな些末なことはどうでもいい。


 彼は目を大きく見開いた後、恍惚とした表情を浮かべた。


「っは。僕にそんな口を利くなんて……堪らないな」


 彼は自身の腕を抱いて身悶えている。予想だにしていなかった反応にフィオナは眉をひそめた。


 ジルベートは彼女のすぐ隣に座った。気持ち悪くて離れようとしたが、『側においで』という言葉に抗えず、体を添わせて座ることになってしまった。

 ふかふかなのに座り心地の悪いベッド。隣には大嫌いな男。


 嫌なのにどうすることもできない。フィオナは冷めた目で皇子に尋ねた。


「私に何をしたのですか?」


 新たな呪印を施された記憶はない。頭の中に皇子の声が響いて、抗おうとすると胸が熱く苦しくなり、それから行動の自由を完全に奪われてしまった。


「ふふ、それはこれの力さ」


 ジルベートは右腕の袖を捲った。彼の腕は手首から肘まで赤黒い紋様でびっしりと埋め尽くされていた。


「これは帝国に代々伝わる秘術、血の契約さ。これはね、君の血で描かれているんだよ」

「私の……」


 フィオナは顔を歪ませる。


「そう、これによって君の所有者は僕になったんだ。発動させるにはある程度の距離まで近づかないといけなくてね。そのために仕方なくあそこまで僕は足を運んだんだ」


 ジルベートは滅多に王宮から外に出ない。可能な限り危険なことから身を守るためだ。彼は臆病なのだ。

 危険が伴う戦場に行くなんてことは今までの彼なら有り得ないこと。しかしフィオナを取り戻すため、彼はあの場所まで足を運んだのだ。


「この秘術は使用者の寿命を縮めるものだからできれば使いたくはなかったんだけどさ、君を確実に僕のものにするためにはこれしか方法がなかったからね。あぁ、君の血を保存しておいて本当に良かったよ」


「……あなたは私のことが嫌いではなかったのですか?」


 まともなご飯をくれなかったし、酷使して睡眠時間もくれなかった。大切にされた記憶なんて彼女には一つもない。


「好きだからつい虐めてしまったんだ。君を失って後悔したよ。これからはもう酷いことはしないと誓う、だから僕の愛を受け止めておくれ」


「お断りします。そんな愛はいりません」


 フィオナにキッと睨みつけられた皇子は恍惚とした。フィオナから拒絶されることは彼にとっては身悶えるほど素晴らしい刺激なのだ。


「その表情良いね。すっごくそそられる。僕を拒絶するなんて君くらいだよ。……本当に堪らない」


 なぜこの男はうっとりと頬を染めて喜んでいるのだろう。フィオナは気持ちが悪くてたまらない。

 しばらく会わなかった数ヶ月の間に皇子は変態になっていて、大嫌いな男にまた一つ嫌いな要素が増えてしまった。


「私はあなたが大嫌いです。顔も見たくない」


 そう言ってそっぽを向いた。


「……そうか。それでも君はもう僕からは逃げられない。僕なしでは満足できないようにしてあげるからね。ふふ、今夜が楽しみだ」


 下卑た笑みを浮かべながら彼女の太ももに触れるジルベート。

 ぞわりとするのに逃げられなくて、フィオナはぎゅっと目を瞑る。

 どうやら今夜、自分はこの男に穢されるようだと彼女は知った。拒絶したくても逃げることができないのなら、どうすれば良いのだろう。

 精一杯考えても答えなんて出てこず、代わりに涙が出てきて頬をつたう。


「……マティアス」


 震える声で大好きな人の名を小さく呼んだ。


「それはあの蒼い剣の男の名か? 不快だな。フィオナ、今後その名を呼ぶことは許さない」

「っっ」


 彼女はマティアスの名を口にすることができなくなってしまった。

 ジルベートが部屋から出ていき一人になると、涙が溢れて止まらなくなった。


「……うぅっ……やだぁ……」


 こんなところにいたくない。帰りたい。ここは嫌いだ。温かな部屋に帰りたい。


 エルシダ王国で住まわせてもらっていた部屋はすごく居心地が良かった。

 VIPルームだったので備え付けのベッドや家具が豪華だったのは恐縮ものだったけれど、寝具やクッションなどは女性が好むような可愛らしい色と柄で、カーテンは柔らかで落ち着ける淡いオレンジ色だった。


 本も誰もが楽しめるような品揃え、ソファーには可愛らしいぬいぐるみが並び、壁に飾ってある風景画は綺麗で。

 部屋の隅から隅まで彼女を喜ばせようという気遣いが感じられた。

 レイラに相談しながらマティアスが選んでくれたのだと後から知ったときは感動した。


 いつも自分を気遣ってくれて優しくて温かくて。そんな彼と一緒にいることが何よりも好きだった。

 それなのにもうあの場所には戻れない。あんなに幸せな生活を知ってしまっては、もうここでの色のない辛いだけの生活になんて戻れない。


 夕食は今までと打って変わって豪勢な食事が出てきたが、何一つ口にしなかった。

 空腹なんて感じない。胃のあたりにずっと気持ち悪いものが居座っていて食べたい意欲も湧かない。

 せっかく運んできてくれた給仕の女性に申し訳ないという気持ちすら出てこなくて、冷めた目で片付けて欲しいと告げた。


 ふとテーブルの上のキラリと光るナイフが目に入り、フィオナは右手を伸ばした。

 手に持ちそのまま自身の腕を切りつけようとする。しかしナイフが肌に触れる直前で右手が動かなくなった。

 どうやら眠っている間に、自分自身を傷つけないよう命を受けていたようだ。


 その後は三人の女性に浴室へと連れて行かれ、体を隅々まで洗われた。大きなバスタブにたっぷり張られた湯に浸かりながら、リラックス効果のある香油だと言われて湯に垂らされ花を浮かべられても香りなんて感じない。綺麗だなんて思わない。


 このままここで溺れて死のう。

 そう思い体を沈めていくが、顎が少し浸かったところから先には沈めなかった。

 命を絶つような行為は何も許されていないようだ。


 体を清め終わると黒い夜着が用意されていた。


「殺してもらえませんか?」

「っっ、それはできません」


 服を着せていた女性に頼んでみたけれど拒否されてしまい、フィオナは乾いた息を吐いた。

 女性が退室すると部屋で一人待たされる。ベッド横に置かれた丸テーブルの上には、小さなランプと金の腕輪と小さな小瓶が置かれている。

 あの男のことだから媚薬でも入っているのだろう。彼女は瓶を掴んで部屋の隅にぽいっと投げた。


 青白く光るランプの灯りをじーっと見ていたらジルベートがやってきた。

 ベッドで膝を抱えながらじとっと睨む。


「フィオナ。よく見せてくれ」


 そう言われ胸に刻まれた呪印がドクンと脈打つ。拒否などできない。

 スッとベッドの横に降りて立つと、ジルベートはうっとりとしながら近づいた。

 黒い夜着は大半が透けているが、彼女には少しも恥じらう気持ちは湧いてこない。舐め回すような視線に嫌悪感と吐き気を感じるだけ。


「あなたはこの国の皇子ですよね。私など放っておいて、もっと高貴な方をお相手するべきではありませんか?」


 冷やかな目を向けて淡々と告げるが、ジルベートは口元に余裕の笑みを浮かべたままフィオナを抱き寄せる。


「もちろん世継ぎは血筋の良い女に産ませるつもりだ。君はただ僕に愛されていればそれでいい」

「結構です。あなたに愛されるくらいなら死んだ方がマシです。殺してください」

「ふふふ、本当に生意気な子だ。堪らないな」


 弾むような声でそう言いながら彼女をベッドに沈め、上に被さるように跨りフィオナの顔の横に両手をついた。


「さぁ、たっぷり愛し合おうか」


 舌舐めずりをしながら頬を撫でられ、フィオナはぞわりと身震いした。


「いや、やめて。気持ち悪いから触らないで」

「ふふふ、僕を気持ち悪いなんて言うのは君くらいだよ。でも生意気を言えるのも今だけだからね」


 頬から首へと手はおりてくる。気持ち悪い。嫌だ。こんな気持ちの悪い手に触られたくない。

 彼女はもっと温かな優しい手を知っている。


「辛いのは最初だけだ。すぐに善くなる」


 ずっと気丈に振る舞っていたフィオナはポロポロと涙をこぼした。


「やだ、お願い……やめてください……お願い、します」


 震える声で懇願する様子はジルベートを更に興奮させた。


「あぁ、その顔も堪らないな。もっと泣かせたくなる」


 口元に笑みを浮かべ夜着の胸元のリボンに手を伸ばす。


「……やだぁ」



 ジルベートがリボンを解こうとした次の瞬間、斬撃音と共に天井付近に蒼い光の線が走った。

 少し斜めに入った線に沿い、ズズズと天井がズレていく。そのまま下に落ちていき轟音と共に地面が揺れた。ガラガラと崩れる音が鳴り響く。

 ずいぶんと開放的になった部屋からは夜空が見渡せるようになり、差し込む月光に照らされたジルベートはポカンと口を開けた。


「なっっ……」


 開いた口が塞がらないままベッドから降り、窓に近づきカーテンを開けて外を見渡す。

 右の方でゆらりとゆれる蒼い光が視界に入りそちらに目を向けると、ジルベートは黒いローブで姿を隠した蒼い剣を肩に担いだ人物と目が合った。


 ──そこか。


 フードから覗く藍色の瞳が鋭く光る。隣にいたもう一人の黒いローブの人物を肩に担ぐと、自身の足元に風の魔法陣を描いて高く飛び上がり、先程切り落とした場所に降り立った。


 フィオナはベッドに座ったまま突然現れた人物を呆然と見上げる。フードで顔は見えないが、その手に持っているのは大好きな人の蒼い剣だ。


「ちょっ、マティアスさんいろいろ雑っす!」


 肩に担がれた人物は叫ぶ。


「仕方ないだろう。ほら、間一髪だったようだ」

「え? うわわっ、ほんとっすね」

「見るな。殺すぞ」

「そりゃないっすよ」


 頭上でやんややんやと騒ぐ二人に、フィオナはハッとなって両手で前を隠した。さっきまでどうでも良かった透けた服が恥ずかしくなる。


「フィオナ! 蒼い剣の男を殺せ!」

「っっ……!」


 その言葉ですぐさま大型の魔法陣を描く。金の腕輪を装着するよう言われて装着し、泣きながらいくつもいくつも、黒いフードを被った人物を取り囲むように描いていく。


「っっ、やぁっ……やだぁっ……」


 ボロボロと涙を溢しながら特大の魔法陣をいくつもいくつも描いていく。

 手加減なんてできない。大好きな人に攻撃したくないのに、体はまったく言うことをきかない。


 その様子を見てローブの人物は胸を痛める。魔術が発動する前に魔法陣を斬り裂き続けていると、顔を隠していたフードが外れた。

 さらりとした金色の髪が月光に照らされる。


「フィオナ、大丈夫だ。すぐに行くから心配するな」


 マティアスは彼女が安心できるように声を掛けた。実際、どこに魔法陣が現れようが全て発動する前に斬り裂いて消していっている。

 しかしこのままではキリがない。彼女が金の腕輪を装着している限り攻撃が止むことはないのだ。


「あの男をどうにかしてこい」


 その言葉と共にマティアスは肩に担いでいた人物をポイッと投げた。


「扱い雑っす!」


 投げられたはずみでフードは外れ、赤い髪が露になる。

 ルークは文句を言って落ちながらも両手に魔力を集め、黒い紋様を描いた光の帯を作り出す。


「っっフィオナ、こっちの男も──……」


 命令を言い終わる前にジルベートは飛んできた光の帯に口を塞がれる。次いで首にも動き封じの帯が巻き付く。


 ルークは受け身をとれずに床にベチャっと落ちた。そのまま顔とお腹を押さえながら(うずくま)り、しばらくするとよろよろと立ち上がった。

 自身の胸元に手を当てながら、動けずに突っ立ったままのジルベートに近づいていく。


「あいたた……マティアスさんマジ鬼畜っす……さてと、そんじゃ失礼するっすね」


 ルークはなんの迷いもなくジルベートの右腕の袖をめくる。


「うんわ、なんすかコレ」


 腕にびっしりと描かれた赤黒い紋様に顔を歪める。

 彼はすぐに解呪に取り掛かった。しかし紋様は少しも薄れることなく腕に留まり続ける。

 それもそのはず、これは帝国に代々伝わる秘術である。そんじょそこらの呪印士に解けるはずはない。

 ジルベートは内心でほくそ笑んだ。手こずっている間にフィオナは蒼い剣の男を仕留めるはず。彼女は無尽蔵の魔力を持っているのだから。そして騒ぎを聞きつけた者たちもこの部屋に来るはずだ。


「仕方ないっすね」


 ハァと一つ息を吐くと、ルークは服の下に隠していた首飾りを取り出した。黒い鎖に黒く歪な玉がいくつも付いたものだ。

 左手で首飾りに触れて魔力を流すと首飾りは黒い(もや)を放った。


「ほんとは何度も使いたくないんすよ、コレ」


 眉尻を下げながらそう言うと、そのまま右手で呪印に触れる。ジルベートの腕はルークの右手から流れてきた黒い靄に包まれていく。

 靄は赤黒い紋様にじわりじわりと染みていき、やがて紋様と共にスーっと消え去った。


「これでよしと。マティアスさーん、オッケーっす!」

「──!?」


 上に向かって叫ぶルーク。

 自身の寿命を使ってまで施した秘術をあっさりと解かれたジルベートは、驚き目を丸くさせ、声の出ない声で叫ぶ。


 呪印が消え去ったことによりフィオナは魔法陣を描くことをピタリと止める。ボロボロと泣きすぎて目は真っ赤になっていた。

 マティアスは蒼い剣を鞘に収めるとすぐに飛び降りた。フィオナの元へ駆け寄りそのまま強く抱きしめる。


「うぅっ……マティアスっ……マティアスっっ」


 ようやく名前を呼べるようになり、何度も何度も呼びながら彼にぎゅっと抱きついた。

 マティアスはホッと息を吐くと抱きしめている力を緩め、彼女の肩に優しく手を置いて顔を覗き込んだ。


「大丈夫か? 酷いことはされてないか?」

「っっうんっ、大丈夫だよ。ちょっと危なかったけど……っあ」


 フィオナは自身の格好を思い出し、胸元を両手で隠す。

 大事なところはギリギリ隠れているけれど体のラインはくっきり丸見えな透けた服。恥ずかしすぎて涙は引っ込んだ。

 マティアスも一瞬視線を下に向けたがすぐに顔を背け、黒いローブを脱いで彼女の肩からかけた。


「これ着てろ」

「……うん。ありがとう」


 温もりが残っている大きなローブにきちんと袖を通してボタンを止める。ベッドから降りるとバタバタと数人が走り寄ってくる足音が聞こえてきた。


「フィオナ、邪魔が入らないように壁を作ってくれ」

「うん、分かった」


 すぐさま分厚い土の壁を作り出し部屋全体を覆った。外から攻撃されてもびくともしない強靭な壁だ。


「ルーク。さっさと始めろ」

「はいっす」


 マティアスは突っ立ったまま呆然としているジルベートにゆらりと近づいた。




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