星降る夜は一緒にいたい
フィオナがエルシダ王国に来て三ヶ月が過ぎた。
第一魔術師団の一員として、自身の持つ知識と技術を存分に発揮しながら日々精一杯努め、団員たちとの仲も深めていった。現時点で彼女の魔力は一割解放されている状態だ。
今日も午前中は訓練に参加する。走り込みの後は魔術を使わない戦闘訓練が行われた。
フィオナは運動神経はあまり良くない。素手や武器を使っての手合わせは苦手であり、本日は三人と手合わせして全て惨敗。
三戦目を終えた彼女は地面に叩きつけられたままうつ伏せで動かない。
体は土まみれで、近くには先ほどまで手にしていた模造ナイフが転がっている。
「フィオナさん大丈夫?」
三戦目の相手であったニナが上から覗き込む。
「らい……じょぶ……」
フィオナは呂律が回らない疲れっぷりで返事をする。
ニナは細身で華奢な見た目だが、魔術を使わない戦闘ではレイラ、グレアムに次ぐ実力の持ち主だ。今日もフィオナを完膚なきまでに叩きのめした。
「オマエ、壊滅的にセンスねぇよな……」
グレアムも倒れている彼女の傍らに立ち、残念な子を見るような憐れみの視線を向ける。
「だって……とっさに体が動かないもん」
ムクリと起き上がってその場に座り、力なく呟いた。
魔術攻撃なら瞬時に対応できるのに、素手や武器だとそれができない。訓練を始めて二ヶ月経つが、ほとんど成長は見られないでいた。
「今まで武術を習う機会がなかったとか関係なしに、絶望的なセンスなのよね」
レイラも苦笑いだ。これに関してはもうだいぶ前から諦めている。
そしてそろそろ頃合いだなと考え、国王にある提案を持ちかけようと思っていた。
その日の夕食後、フィオナの部屋をルークが訪れた。
「フィオナさん、陛下のお許しが出たっすよ」
そう言って、彼女の手枷に施した呪印を解き、枷自体も外した。
封じられていた九割の魔力が解き放たれ、体に魔力が満ち満ちていく久しぶりの感覚だ。
「ありがとう、ルーク。でも良いのかな……」
以前は敵だったのだから、もっと慎重に徐々に解き放っていくべきではなかろうかと不安になる。
「いいんすよ。一割しか魔力を使えない状態でも十分すぎるほど強いんで、じわじわ解いていく必要はないと判断されたっす」
「そうなんだ」
「これからは任務に駆り出されることになると思うっすけど大丈夫っすか?」
「うん、いっぱい頑張るね」
ようやくこの国に恩を返せるようになるのだと喜び、強く拳を握りしめてやる気をみなぎらせた。
翌日からは、フィオナは全力で訓練に励めるようになった。
魔術を使った一対一の手合わせの最初の相手はグレアムだ。
彼はフィオナの先制攻撃を余裕で躱すほど俊敏で身軽だ。小規模な魔術の同時攻撃はひらりひらりと躱すので、訓練では少ししか当てられていない。
「手加減すんじゃねぇぞ」
「分かった」
レイラが始まりの合図を告げると、フィオナは言われた通り全力でいく。グレアムを取り囲むように隙間なく中規模の魔方陣を描きだした。
「は……!?」
一瞬のことで、グレアムは自身に防御力を上げる魔術を施す間もない。
彼は逃げ場なく囲まれた無慈悲な雷の攻撃に倒れた。治癒士がすぐに駆け寄り癒すがピクリともせず完全に気絶している。
「やり過ぎちゃったかな……」
フィオナは側にしゃがみこみ心配そうに眺める。
「大丈夫、そのうち目を覚ますわ。手加減するなって言ったのはグレアムなんだから気にしなくていいのよ」
レイラは団員二人にグレアムを端の方に運ぶよう命じ、地面に転がしたまま放置する。
彼は他の団員たちの手合わせが何度か終わったところでようやく目を覚ました。
「ごめんね?」
起きあがって座ったグレアムは、上から疑問形で謝られイラッとなり眉をひそめた。
「オマエ、任務が与えられるようになったら覚悟しろよ。コキ使いまくってやっからな」
「うんっ。頑張るからいっぱい使って」
「……」
やる気に満ち溢れた表情で答えられてしまった彼は、それ以上は何も言えなくなった。
* * *
二日後、フィオナは初任務に出掛けた。
一緒に行くメンバーはグレアム、ニナ、ヨナスの三人だ。
ヨナスとは灰色の短髪に黄色い瞳を持つ眼鏡を掛けた温和な男性で、第一魔術師団では優しいお兄さん的存在だ。
本日の任務は、とある村の近くの森に出現した魔物の群れの討伐。放っておけばどんどん数を増やし村に襲い来る危険があるため、村長より依頼を受けた。
オークの巣が確認された地点へとやってきた四人は草陰からそっと覗く。
視線の先にはオークの群れ。二メートル近くある二足歩行の豚のような魔物が三十体以上確認できた。
「フィオナ、奴等全員動けなくしろ。止めは俺たちに任せろ」
「うん、分かった」
今回のメンバーのリーダーであるグレアムの指示により、フィオナはオークたちの頭上を全て覆うよう大量の小型の魔法陣を描き、氷の矢を降らせた。
一体も外すことなく、全てのオークの両目と首を突き刺す。
次いで雷撃を浴びせ、全てのオークの体を痺れさせた。
グレアム、ニナ、ヨナスの三人は茂みから飛び出し止めを刺していった。
数分で全て仕留め終え、生き残りがないか確認すると、この日の任務は完了した。
「オマエ、マジ便利すぎ」
グレアムは悪い笑顔を浮かべてフィオナの頭をポンとひと撫でした。
「お疲れさま、フィオナさんのお陰で楽しちゃった。ありがとう」
「本当に素晴らしい力だね。仲間として頼もしい限りだよ」
「……どういたしまして」
ニナとヨナスにも称賛される。まだ褒められ慣れていないフィオナは照れてしまい、頬をほんのりと染めて俯きがちに小さく返事をした。
オークの討伐を終えたことを村長に報告し、村長、数人の村人を連れて現場に戻る。共に確認を済ませ、討伐依頼書に村長のサインをもらう。
「よし、さっさと帰るぞ」
後片付けは村人たちの仕事なので、四人は帰路についた。
「そう言えば、もうすぐ流星群の時期だね」
帰り道、ニナが思い出したようにフィオナに話し掛ける。
「流星群が見られるの?」
本でしか存在を知らないフィオナは興味津々で、ニナに詳しく話を聞くことにした。
もうすぐ年に一度見られる流星群がやってくるそうだ。この国では流星群を共に見た男女は結ばれて末永く幸せでいられるという言い伝えがあるという。
「ニナは私と見るんだよ。もうすでに結ばれているけどね」
「わぁぁちょっとヨナスさん! 恥ずかしいからやめてよ」
「はははっ」
ニナは顔を真っ赤にしてヨナスをポコポコと叩くが、彼は穏やかな笑みを崩さない。
「二人は恋人同士なの?」
フィオナが尋ねると、ニナは恥ずかしそうにこくりと頷いた。
* * *
初任務から戻ったフィオナは部屋でのんびりと過ごしていた。
緑色のシャツワンピースと黒いスパッツに着替え、日が傾き始めた窓の外をぼんやりと眺めていたら、マティアスが部屋を訪れてきた。
彼は昼過ぎには任務を終えて戻ってきていたようだ。
「お帰り。疲れてないか」
「ただいま。皆と協力してすぐに終わったから疲れてないよ」
「そうか。それならこれは要らなかったか?」
少し意地悪そうに口角を上げて手に持っていた箱の中を見せると、フィオナの目は輝いた。
そこには一口サイズの可愛いプチケーキが並んでいる。彼が昼食後に町へ行き購入してきたものだ。
「食べるか?」
「うん、食べたい」
そう言うと、マティアスは扉の外に待機させてあった小さなワゴンを押して部屋の中に入る。お茶を運んできていたのだ。
テーブルにティーセットを二つ並べポットからお茶を注ぐ。
プチケーキの入った箱はフィオナの前に置いた。箱ごとまるっと彼女の分だ。
マティアスは甘い食べ物はあまり好きではない。しかし小さなケーキを可愛い可愛いと言いながら美味しそうに食べる姿を眺め、甘い気持ちに満たされることは好きなのだ。
「あのね、もうすぐ流星群が見られるんだって」
「あぁ、もうそんな時期か。フィオナは見たことあるのか?」
「ううん、ないの。だからすっごく楽しみなんだ」
「そうか。それなら特等席を準備しておかないとな」
マティアスは己の持つ権力を発揮しようと頭の中で画策しだした。フィオナはきょとんとした顔で彼を見た。
「……一緒に見てくれるの?」
「そのつもりでいるが。もう誰かと約束したのか?」
「ううん、してないよ。……マティアスと一緒に見たいな」
何故かもじもじと恥ずかしそうにしている様子をマティアスは不思議そうに見る。彼は女性が好むようなロマンチックな事柄には疎く、言い伝えなんてものは昔耳にしたっきり忘れているのだ。
それから一週間後、少し遅めの夕食を取り終えたフィオナはマティアスと中庭を散歩していた。
夜風に乗って漂ってきた薔薇の香りが鼻腔をくすぐる。空を見上げ今日は星が綺麗だなと思っていたら、一筋の光が流れた。
「あ……」
今のは何だろうと思っているうちに、一筋、また一筋と流れていく。
「今日だったのか。フィオナ、もっとよく見える所に行くぞ」
彼に手を引かれて急いでやって来たのは王城のバルコニーだ。衛兵に一切止められることなく、顔パスでスムーズに通ってきた。
「ここ入って大丈夫なの?」
「流星群はここで見ると伝えてあったから問題ない」
「……良いのかなぁ」
どうやら彼は、使うあては殆どないと言っていた権力をまた使ったのだなと思い至った。
「そんなことよりほら、どんどん増えてきたぞ」
マティアスは空を指差した。幾筋もの光が流れては消え、流れては消えと繰り返す。さっきとは比べものにならない程に絶え間なく流れていく。
初めて目にした流星群は想像の何倍も幻想的で美しく、彼女は感動で胸がいっぱいになる。その目にしっかりと焼き付けるように見入っていた。
──……これで、来年も再来年も、そのあともずっとマティアスと一緒にいられるのかな。
ニナとヨナスみたいに。いつも仲睦まじくてお互いを大切に想い合っていた両親みたいに。
あんな風にずっと一緒にいられたらいいのにな。
流れる星に願いを託して、彼と過ごす未来を夢見る。
隣で彼女がそんな嬉しいことを考えているなどマティアスはもちろん知らない。ほうっと蕩けそうな表情を浮かべる彼女を横目でずっと眺めていた。
「っっくしゅんっ」
夜風が少し冷たくなり体が冷えたようで、フィオナはぶるりと震えた。薄手の羽織りだけでは寒く、かと言って彼も長袖シャツ一枚しか着ておらず、掛けてあげられる上着はない。
「毛布を借りてくるから待っててくれ」
そう言って彼はその場から離れようとした。
折角一緒に星を見ているのにマティアスがここからいなくなるのは嫌だと、フィオナは彼の袖を掴んで引き留める。
「やだ。行かないで」
「心細いのか? すぐに戻ってくるから大丈夫だぞ。寒いだろう」
違う。そうじゃなくて。彼がここから離れてしまったら願いが叶わなくなるかもしれない。そんなのは嫌だと、何としてでも引き留めることにする。
彼女はすがるように両手でぎゅっと強くマティアスの腕に抱きついた。
「こうしたら温かいから大丈夫だよ。だから行かないで。一緒に流星群見たいの」
「……っっそうか。分かった」
泣きそうな顔で引き留められてしまっては彼に断ることなどできるはずはない。あっさりと折れてその場に留まることにした。
マティアスは流れる星を数えながら心を静めることにする。
左腕の柔らかな温もりはどうにか考えないようにしてやり過ごそうと、彼は強靭な精神力を星に願った。