彼女を取り戻したい
艶やかな漆黒の髪にルビーのような赤い瞳は、ガルジュード帝国において最高位の血筋であることを表す。
第一皇子ジルベートは、この世に誕生した瞬間から次期皇帝としての地位を約束されていた。
父からは正当な血筋を、隣国の姫君であった母からは類稀なる美貌を受け継いだことにより、幼い頃より持て囃されて過ごしてきた。
九歳のとある日、庭園のガゼボで優雅にティータイムを過ごしていると、少女が神器に選ばれたとの知らせを受ける。
この国で金の腕輪の使い手が現れるのは二百年振りのことだが、小さな村の少女が選ばれたと聞き、『ふーん』という感想だった。
九歳にして数多の美女に囲まれ日々を過ごしているジルベートは田舎の少女になど興味が湧かない。
しかし父である皇帝より隷属の契約を結ぶ場に立ち会うよう言われ、渋々足を運んだ。
この国では神器の使い手となった者は皇帝と隷属の契約を結び、その身に呪印を施される決まりとなっている。
他国に逃げられないよう縛り付け、死ぬまで従順な駒として働かせるためだ。
ジルベートはそこで目にしたフィオナに一目で心を奪われることとなる。
肩につかないほどの空色の髪に紫色の瞳を持つ色白の少女。整った容姿をしているが、格別に美しい容姿という訳ではない。
それなのに心の底から湧き上がる渇望を抑えきれずにいた。少女は彼の好みのど真ん中、つまり超タイプなのである。
今まで出会ったどんな女性よりも好みでたまらない。
この少女は必ず自分のものにしよう。そうと決まれば皇帝に直談判する。自分が父に代わって少女の主になりたいと申し出た。
皇帝は一瞬渋ったが、溺愛している息子の頼みを受け入れた。貴重な神器の使い手である少女の命を脅かすことはないようにと釘を刺し、主となる立場を譲った。
こうしてジルベートは無事少女の主となった。だからと言って彼女を自由にできるわけではなかった。
持ち主の魔力を無限大に増幅させるという神器の特性上、少女は魔術師としての知識と技術を研かなければいけないのだ。
朝から晩まで学び続ける少女を時たま呼び出し、ティータイムに付き合わせることくらいしかできない。
しかしその僅かな時間が彼にとってかけがえのないものとなっていた。誰にも抱いたことのない感情が仄かに胸の奥で佇む。
少女の少しぼんやりとしていて穏やかに話す姿にも好感を持っていた。
自分を褒め称えることを一切せず、媚びることもなく淡々としているところに苛立ちを覚えることもあったが、それすらも彼にとっては堪らない刺激であった。
少女が十五歳になる頃には、魔術師として十分すぎるほどの知識と技術を身に付けていた。
この頃にはすでに彼女は任務を与えられるようになっており、数々の成果を上げていた。
呪印の主はジルベートであるが、彼女に直接命令を下し意のままに動かせたのは国の最高権力者である皇帝であった。
任務の合間には必ず自分の元を訪れるようにと命じた。彼女と共に過ごすティータイムは彼にとって相変わらず至福の時であった。
基本的にいつも無表情な少女は、甘味を与えた時だけは幸せそうに微笑む。
自分が彼女の容姿を褒めてもニコリともせず、感謝すら口にしないというのに。
胸の奥には苛立ちと共に正体の分からない感情がずっと居座っている。
月日が経つにつれ、女性らしい色香を放つようになっていく少女。胸に抱く情欲を紛らすため手頃な女で発散するが、どれだけ散らそうともすぐに湧き上がってくる欲を抑えられないでいた。
彼が寝所に誘い喜ばない女など存在しなかった。彼に抱かれた女は皆、恍惚として快楽に溺れどこまでも堕ちていった。
ジルベートは意気揚々と彼女を呼び出すことにし、同衾を命じる。そして見事に撃沈した。
最初は恥じらっているだけかと思っていたが、呪印による痛みに襲われようが、おびただしい血を吐こうが、彼女は拒絶の姿勢を崩さない。
このままでは死んでしまう。慌てて命令を取り下げ治癒士を呼びつけ癒させた。一命をとりとめた彼女は、彼に目をやることもなく無言のまま部屋を出ていった。
どうしようもない焦燥感と悲しみ。彼は人生で初めて他人に拒絶されたのだ。
プライドを傷付けられた腹いせに彼女に与える食事の質を最低限に落とさせた。皇子に逆らった罪は本来なら死に等しいのだ。
自分の誘いを受け入れない女にその罪の重さを分からせないといけない。
可愛く謝罪をしてくればすぐに許してやるつもりでいた。だがそんな日はやって来ず、彼女はいつも淡々と無表情でいた。
何の感情もこもらない目でジルベートを見てくることに苛立ちが収まらないでいる。
この頃、彼の父である皇帝は原因不明の病に侵され始めていた。日に日に痩せ細り床に臥せることが増えていき、ついには寝たきりのまま意識が戻らなくなった。
ジルベートは皇帝から全ての権限を引き継ぎ、皇帝代理として国を治める立場を得た。
そうと決まれば侵略を始める。かねてより目をつけていた隣国の土地へ彼女と魔術師たちを派遣した。
そこは質の良い魔石が採れる魔鉱山と呼ばれる場所で、森の中や岩石地帯、峡谷など様々な場所に存在している。
魔石とは魔力溜まりといわれる土地でしか採取されないもの。帝国にはこの魔力溜まりが存在せず、魔石の入手は他国を頼らざるを得なかった。
この場所を奪えばわざわざ他国から高額で仕入れる必要もなくなるのだ。彼女の力を以てすれば侵略など容易いことだ。
しかし彼女は他者の命を奪うことを拒んだ。呪印によってまたしても血を吐き倒れ、治癒しなくてはいけない事態に陥る。
『なぜ命令を聞かない。死にたくないだろう』と問えば、『人殺しになるくらいなら死んだ方がマシです』と彼女は淡々と答えた。
自分の思い通りにならない女への苛立ちは募る。そして胸の奥でくすぶり続けていて、どう向き合えばいいのか分からない感情もずっと居座っている。
仕方なく彼女には向かってきた敵を退ける役目を与え、これには彼女は従順に応じた。
侵略は後回しにし、魔石の略奪のみを行わせる。
秘密裏に開発を進めている魔道具の稼働には、おびただしい量の魔石を必要とする。十分な量の魔石さえ確保すれば、彼女の力に頼らずとも侵略を進めて行けると考えた。
しかし誤算があった。エルシダ王国にも神器の使い手らしき存在がいたことだ。蒼い剣を使うその男は彼女と同程度の力を持ち、この男が現れると帝国側は撤退を余儀なくされる。
王国にはいくつかの魔鉱山があるため、男が守りを固めていない場所とタイミングを狙い、少しずつ奪っていくこととなる。
彼女には十分な休息を与えず働かせた。自分が彼女を支配していると実感し、仄暗い感情が満たされていく。それが堪らなく心地よかった。
しかしそろそろ反省した頃だろう。あと少し、もう少しだけ。限界ギリギリまで酷使した後は休息と豪華な食事を与えよう。
疲れきった心を癒しそのまま体に快楽を刻み付けてやれば、もう自分無しでは生きていけなくなるはず。
そう、ジルベートは彼女が任務から帰ってきたら温かく迎え入れ、身も心も全て優しく包み込んであげるつもりでいた。
それなのに、彼女は帰ってこなかった。
エルシダ王国の蒼い剣の使い手である男が現れ、彼女を連れ去ったという報告を受け、呆然とする。
「フィオナ……」
今宵、この腕に抱くつもりでいた彼女の名を呟く。もう帰ってこない。その事実に胸が締め付けられる。そしてずっと胸の奥に抱いていた感情が外に溢れだした。
彼女に会いたい。愛らしくて憎らしくて、自身の心を掴んで離さない存在。
フィオナが恋しい。そう、ずっと抱いていた感情は恋心だった。彼は彼女にずっと恋をしていた。
自身の手から離れたことによりようやく気づく。
「フィオナ……必ず取り戻してみせる」
ジルベートは決心した。どんな手を使ってでも彼女を取り戻し、この腕に抱くと。