彼女を連れて帰りたい
マティアスがフィオナと出会ったのは今から一年と少し前のこと。
この国が保有する魔鉱山に帝国の魔術師たちが来るようになり、魔石を略奪するようになった時だ。
第一魔術師団や第二魔術師団、騎士団で定期的に巡回し、追い払うことに決定したのだが、彼らは逆に追いやられてボロボロになって帰ってきた。
一人の魔術師が強すぎてどうにもならなかったと言う。
「あの女ヤバすぎ。涼しい顔しながら特大魔術どんだけ放ってくんだよって感じ。オマエどうにかしろよ」
「ムリムリっ! マティ兄ぐらいしか相手できないってあの子」
「どれだけ魔術を放っても魔力切れしないみたいなのよね。私たちじゃ無理よ。あなたがどうにかしてくれるかしら」
戦った者たちは皆、口を揃えてマティアスにどうにかしろと言ってくる。
その魔術師は二十歳にも満たないほどの女性らしいが、とにかく桁違いの強さだと言う。
彼女が描いた魔法陣は金色に輝いていること、袖口からチラチラと金色に光る腕輪が見えることから、神器の使い手だと推測された。それならもう本当に彼が相手をするしかない。
しかし、敵はいつどの場所に現れるかは不明なのだ。彼は一番質の良い魔石が多量に採れる国の北側の魔鉱山を巡回することになった。
待ち構えるようになった三日後、ようやく彼の前に帝国の魔術師たちが現れた。
黒いローブ姿の魔術師たちの中で一際目立つ人物がいる。
空色の髪をした凛と立つ女性、皆が言っていた金色の腕輪を持つ魔術師は彼女で間違いないと判断した。
彼女の容姿について、皆が口を揃えて美しいと言っていたが、マティアスも確かに美しいと感じた。だがそれだけ。それ以上の感情は持たなかった。
彼はモテるため女には不足していない。あまり愛想の良い方ではないが見目はいいため、向こうから勝手に寄ってくる。
その時の気分で軽くあしらったり少し相手をしたりと、自由気ままにしていた。
一人に固執したことのない彼がわざわざ敵国の女性を好きになるなど有り得ないのだ。
共に待ち構えていた第二魔術師団の者たちが攻撃を仕掛けるが、全て彼女が放った魔術によって相殺されていく。
尋常じゃない速度で大型の魔法陣を描いていく姿を目の当たりにし、これは誰も太刀打ちできないはずだと納得する。
話には聞いていたが実際目にすると本当に見事で、敵ながら感心していた。
マティアスの持つ蒼い神器はありとあらゆるものを斬り裂く剣だ。彼女の描く魔法陣や放つ魔術を片っ端から斬り裂いて消滅させていく。
そしてマティアスの放つ斬撃も、幾重にも重ねた岩壁や魔術障壁によってギリギリ彼女には届かない。
二人の戦いに決着がつくことはなく、帝国側は渋々撤退していった。
エルシダ王国の国王は平和主義者なのでこちらから攻め入ることは決してしなかった。文書による抗議しか行わなかったため、調子に乗った帝国は幾度となく略奪を試みて攻めてきた。
マティアスがその場に居合わせた時は必ず彼が彼女の相手をした。
二人が一対一でやり合う周りでは、帝国の魔術師たちと王国の魔術師たち、騎士たちが戦っている。
王国側の方が実力者が多く、帝国側はいつも押されぎみだ。
そうなると彼女はマティアスと戦っているにもかかわらず仲間の援護をし始める。
そのため自身の防御が疎かになり、刃を受けてしまうこともしばしば。
片足を切断され、早々に撤退を余儀なくされることもあった。
とある日の休日、帝国がまた攻めてきたとの情報が入り、マティアスは休日返上で駆けつけた。辿り着いた時にはすでに味方は彼女の攻撃によりボロボロになっていた。
マティアスはいつものように彼女の相手をする。ふと近くで戦う仲間に目をやると、魔力切れになり帝国の魔術師に止めを刺されそうになっていた。
危ない。そう思った瞬間、仲間を守るように魔法陣が現れ帝国の人間が吹き飛ばされていった。
良かった、仲間が援護をしてくれたようだ。そう思ったと同時に目の前の女性の顔が歪んだ。腹部を押さえて苦しんでいるように見える。
どうしたのだろうとマティアスは思ったが、すぐにいつもの無表情に戻ったので、彼はその時はそれ以上何も気にすることなく戦った。
それ以降、マティアスは彼女が急に苦痛に顔を歪めるところを何度か目撃するようになる。
さすがに何かがおかしいと疑問に思うようになり、彼は注意深く観察し始めた。
そうして気づいたことは、味方が命の危険に晒された時には必ずどこからか援護が入り、必ず目の前の女性は苦しみだすということ。
わざわざ白く光る魔法陣を描いて、気付かれないようこっそり敵の援護をしているのか?
彼女は本当は戦いたくないのではないか?
マティアスはそれを確かめるため、彼女が放った風の刃を防御することなく受けてみることにした。
手首から下を無くす程度で済ませるつもりでいたのだが、軌道を読み違えてしまい左手を肩から切り落とされてしまう。
しまった。止めておけばよかった……
一瞬深く後悔したが、その考えは彼女の驚いた顔を見て瞬時に消え去った。
ピタリと動きが止まり明らかに動揺して泣きそうな顔になっている。
その目にだんだんと涙が浮かんできたことにより、マティアスはたまらず口元を緩ませた。
──なんだこの子、可愛すぎる。
すぐ近くにいた魔術師がマティアスを守るように結界を張り、側で控えていた治癒士に止血させた。
その場で完全に治癒することはできないので撤退することにしたが、彼は自分が無事に撤退できるよう、気づかれないように尽力している彼女の姿にまた口元が緩んでしまった。
それからというもの、マティアスは敵である彼女を愛しく思うようになってしまった。
彼女をどうにか仲間にできないものか。
そう思い、呪印士であるルークを戦いの場に同行させ、判断させることにした。
ルークは自身の胸元に手を当てて魔力を流し、じっと彼女を観察する。
そして帝国の魔術師たちが撤退した後、彼はルークに尋ねた。
「どうだ? あったか?」
「そっすね。腹部に呪印があったっす。彼女が苦しんでいる時にはばっちり呪いが発動していたっす」
「やはりそうか……」
何者かに命じられて嫌々戦っているのなら、どうにかしてこちら側に引き込めないだろうか。
マティアスは国王に相談をした。相談と言うよりは決意表明と言うべきだろうか。誰にも文句は言わせまいと、持て余していた自身の権力を活用することにした。
「俺はあの子を仲間にしてここに連れてくるつもりでいます。誰にも邪魔はさせません。文句があるなら誰だろうと相手してやりますから、そのつもりでいてください」
高らかにそう宣言すると、国王はフッと笑い、『好きにしなさい』と投げやりに言った。
許可を得たマティアス。そうと決まれば彼女がここで暮らす部屋を確保する。
どうせならいい部屋にしようと、五階という微妙な場所にあるため、たいして使われることなく持て余されていた特別室をいただくことにした。
寝具や衣類などはレイラに相談しながら手配し部屋を整える。そうしていつでも彼女を迎え入れられるよう準備は完了した。
後は説得するだけだ。彼女が現れたと連絡を受けたマティアスはルークを引き連れて現場に向かった。
到着してさっそく彼女が描き出していた大量の魔法陣を切り裂きながら、ゆっくりと近づいていった。
少し手荒になるだろうが、まずはどうにかしてルークに呪印を施させて無力化させ、それから話をするつもりでいた。
しかしまだ何もしていないのに彼女はぐらりと前に倒れていく。
マティアスは慌てて駆け寄り受け止めた。何かあったのかと少し焦ったが、彼女の呼吸は正常で表情も穏やかなのでホッとした。
「ルーク、気を失っているようだから今のうちに枷を付けろ」
「了解っす」
何ともあっさり魔力封じの枷を取り付け、腹部の呪印もその場で解除させ、彼女をその腕に収めた。
話し合いができなくなってしまったが仕方ない。またとないチャンスなのだからこのまま連れ帰ろう。マティアスはそのままひょいと抱き上げた。
「さて、帰るとするか」
「なんにも話し合いしてないっすけどいいんすかね。これ拉致っすよ」
「煩い。話は帰ってからでいいだろう。さっさと行くぞ」
「はいはい、もう知らないっす」
その場は他の者たちに任せて、マティアスは呆れ顔のルークと共にさっさと帰った。
連れ帰って部屋のベッドに寝かせると、女性の魔術師を呼んで彼女を着替えさせるよう頼む。
呪印はその時に見つけたことにする。
あとは彼女が目を覚ますのを待つだけだ。マティアスはベッド横の椅子に腰掛けてその時に備えていたが、結局その日は目を覚ますことはなかった。
他人に危害を加えないという保証はないため、渋々鎖で繋いで部屋を後にする。
翌日、マティアスは朝から彼女の部屋を訪れたが、まだ眠っていた。それからも何度か部屋を訪れてみたものの、一向に起きる気配はなかった。
大丈夫なのかと心配になったが、医者や治癒士によると体のどこも悪くないという。本当にただひたすら眠っているだけのようだ。
マティアスは昼食を取りに食堂に行き、その後また部屋を訪れることにした。まだ寝ているだろうなという気持ちで部屋の扉を開けて中に入る。
ベッドにちらりと目をやると、何と彼女は座っていた。ばっちり目が合い、しばし固まるマティアス。
「……すまない。起きていると思わなかったからノックもせず入ってしまった」
とっさに謝罪を口にする。
──さて、この子はどんな反応を示すのだろう。
今はどういう状況なのかと疑問を口にするだろうか。いきなり不満や文句をぶつけてくるだろうか。それとも敵とは口を利きたくないとそっぽを向くだろうか。
どんな反応だろうとも、納得し信用してもらえるまで、彼は根気強く説明をするつもりでいる。
しかし彼女は何とも穏やかに、そして見た目のイメージとはかけ離れたのんびりとした口調で話しだした。
「えっとね、そんなこと気にしないから大丈夫だよ。そもそも敵に気を遣う必要はないと思うの」
マティアスは再び固まった。
あれ? 何か思ってた感じとだいぶ違うぞとなる。もっとクールでスッキリとした話し口調をイメージしていたが、とてつもなくゆっくりでのんびりだ。
だがしかし何というか、これはこれで……いや、むしろグッときた。かなり可愛い。ちょっと抜けた感じでだいぶ可愛い。
表情は崩さず、心の中で絶賛する。
マティアスが丁寧に接していることをおかしく思ったらしく、彼女はクスッと笑った。
──可愛いな。
自身に刻まれていた呪印を解いてもらえたと知り、ふんわりと微笑んだ。
──めちゃくちゃ可愛いな、おい。
お腹をきゅるると鳴らしているので食事を用意するとすごく感謝され、幸せそうな顔で食べ始める。
彼女が呪印に縛られながら帝国で不当な扱いを受けていたと知り、マティアスは決意した。
今まで辛かった分、ここで俺が甘やかしまくってやろうと。
そうしていつしか『お母さんみたい』だなんて言われてショックを受けることになるのだが、それも仕方ない。
初めて心から惹かれる女性に出会い、大切にしたいという感情が溢れて止まらない。
マティアスはひたすらに彼女を愛し甘やかしていこうと決めた。