頭をなでて
フィオナとミュリエルはしばらく部屋の中で話をしていたが、昼食の時間になったため食堂へと向かった。
「フィオナ何食べんの?」
「どうしようかな……甘いの食べたいな」
「それは食後にしなよ。ちゃんと野菜とかいろいろバランスよく食べなきゃ」
「ミュリエルお母さんみたい」
「私までお母さんにするのやめてくれる!?」
「はーい」
フィオナは言われた通りに栄養バランスのよさそうな定食を選んだ。二人並んでカウンターで注文の品を待つ後ろ姿に、居合わせた第一魔術師団の面々は口元に笑みを浮かべた。
何だかんだで二人向い合わせに座って食事を始める。
しばらくすると、任務から戻ったマティアスが食堂にやって来た。そして食事を乗せたトレーを運んでくると、自然とフィオナの隣に座った。
「お帰り」
「ただいま。ミュリエルと仲良くなったのか」
「うん。さっき仲良くなったの」
「そうか」
マティアスの表情はゆるゆるに緩み、その目は愛しそうにフィオナを見つめている。
ミュリエルはパスタを口に運びながらジト目で二人を見た。
こんなにあからさまなのに、『お母さん』などとフィオナは思っているだなんて信じられない。
頬杖をつきながらはぁーと大きなため息が出てしまう。兄のように慕っている男が急に残念な男に見えてきてしまったではないか。
フィオナはそんなミュリエルの心中など知らず、マティアスにお願いごとを持ちかける。
「あのねマティアス、私がここに来る前みたいにミュリエルと接してあげてほしいの」
「んなっっ」
カシャンッ。
ミュリエルは突然自分の話がでてきたことに驚きフォークを皿の上に落とした。
「ん? どういうことだ?」
理解できていないマティアスにじいっと見られ、説明を求められたミュリエルは動揺した。
「ひえっ……やっ、あのっ、その……えっと……」
とっさに言葉が出てこない。ずっと言いたかった言葉があるのに。
『もっと自分を構って欲しい』何度も言おうと思っていたその言葉は、いざ面と向かうと喉の奥でつっかえてしまった。
顔を赤くしてアワアワとしているミュリエルを見て、フィオナはマティアスにずいっと顔を近づける。
「あのね、マティアスがずっと私に付きっきりだったから、ミュリエルは兄のような存在に放っておかれて寂しかったみたいなの。だからもっとミュリエルを構ってあげてほしいんだ」
ミュリエルが言えずにいることはフィオナが代弁して全て伝えた。
ミュリエルは恥ずかしい気持ちとホッとした気持ちが入りまじり、恥ずかしさの方がものすごく強くなって唇をキュッと結んだ。
「あぁ、そう言うことか」
マティアスは理解した。確かにここ最近、自分はフィオナにばかり構っている。
ミュリエルは幼い頃から自分を兄のように慕ってくれていたので、妹のように可愛がってきた。
しかし彼女はもう十七歳だ。そろそろ兄離れをするだろうとこれを機に構わなくなっていたが、それで寂しい思いをさせてしまっていたのなら申し訳ないなと反省した。
「すまなかったな、ミュリエル」
そう言って前に手を伸ばし優しく頭を撫でた。ミュリエルは久しぶりの感覚だ。昔からよくこうやって撫でてもらっていたのだ。
「……うん」
これだけでもう寂しかった気持ちは薄らいでいく。
マティアスに頭を撫でられ、顔を赤くしながらも穏やかに笑うミュリエルを見て、フィオナは安堵した。自分のせいで離れていた距離が元に戻ったようで一安心だ。
それにしても良いなと羨ましい気持ちが湧いてきて、ようやく食事を取り始め、肉を切り分けている隣の手をじいっと見た。
「どうした? 肉ほしいのか?」
マティアスはフィオナのちょっとした仕草も見逃さない。
「ううん、お肉は狙ってないよ」
そう言って視線を目の前の食事に移して黙々と食べ始める。
その様子から何となく察したミュリエルがマティアスに言う。
「もしかしてさ、フィオナもマティ兄に撫でてもらいたかったりして」
「そうなのか? 今から撫でるか?」
「えっと……」
思わぬ申し出にフィオナは少し悩む。せっかくミュリエルが喜んでいたのに自分も同じようにしてもらっていいのだろうか。だけど撫でてほしくてたまらない。
マティアスはどうしようかと口をつぐんでいるフィオナの顔を覗き込む。
「遠慮しなくてもいいんだぞ? 何の手間でもないからな」
「……うん。えっとね、私も撫でてほしいの」
俯きながら素直にそう言うと、すぐに大きな手に優しく撫でてもらえた。嬉しくてフィオナはえへへとはにかんだ。
「ありがとう。撫でられるのっていいね」
「……そうか」
彼女は満足すると最後の一口を食べ終えて立ち上がり、食後のデザートを取りに行った。
「……マティ兄大変だね」
ミュリエルはフィオナの後ろ姿を見ながら、同情を込めて労りの言葉を掛ける。マティアスは苦笑いだ。
「分かってくれるか」
「うん。分かってないの本人だけだと思うよ」
「……そうか。そうだよな」
やっぱりそうだよなと肩を落とした。
* * *
フィオナの魔力が少し戻ってから数日が経った。今日も朝から迎えに来たマティアスと共に食堂へ向かう。
彼と向い合わせで席に座り、シロップの入った器を手に取ったところでルークがやって来た。彼はマティアスの右隣に座った。
「はよっす。フィオナさんは今日も朝から甘々っすか」
「おはよう。魔力を使うようになったから、甘いの食べないと調子でなくて」
そう言ってパンケーキとフルーツが浸るほどシロップをかけた。ナイフで小さく切り分けるとシロップの中を泳がせてしっかり絡めてから口に運ぶ。とにかく甘くて頬が緩む。
「うっわぁ……」
「うげ……」
自分の背後から何やらボソボソと声が聞こえてきたので、フィオナは後ろに顔を向けた。
「ミュリエル、グレアム、おはよう」
「おはよ。朝から何てもの食べてるのよ」
「はよ。見てるだけで胸焼けしそうだな」
「美味しいよ」
ミュリエルはマティアスの左隣、グレアムはフィオナの右隣に座る。
いろんな人に囲まれている。フィオナはそれがすごく嬉しくて、シロップが滴り落ちる甘い甘いパンケーキを口に放り込んで幸せそうに笑った。
「マティ兄気持ちは分かるけどさ、あれはさすがにかけすぎだって。言った方がいいよ」
フィオナには聞こえないような小さな声でマティアスの耳元に訴えかける。
「昼と夜はきちんとバランス良く食べているようだから、朝くらいは好きにさせてやれ」
「ミュリエルさん、マティアスさんの朝の楽しみを奪ったらダメっすよ。グレアムさんみたいに酷い目に遭うっすから」
隣の二人の会話にルークも混ざり、ヒソヒソ声で警告する。前の席にいるグレアムは自分の名前が聞こえた気がして睨んだ。
「オマエら何の話してんだ。コソコソすんじゃねぇよ」
「何でもないっすよ」
「そうそう。半殺しにされたくないって話よ」
「んだと、オマエだって泥水かけただろうがよ」
「っっそれはっ……」
「ちょっと待て、泥水と言ったな。詳しく聞かせろ」
フィオナが泥水をかけられたことは内緒にされていたのでマティアスは初耳なのだ。
隣から発せられた低い声にミュリエルの体はビクッと跳ね、ルークはあちゃーという顔になる。
皆仲良しだなぁ。
フィオナは穏やかに微笑んで、彼らを眺めながら朝食の時間を楽しんだ。
「マティアス、ミュリエルに酷いことしないでね。そんなことしたら嫌いになっちゃう」
「ぐっ……」
ミュリエルに詰め寄っているマティアスに釘を刺すことは忘れない。
* * *
午後になると、フィオナはバケツを手から下げモップを担いで廊下を行く。汚れてもいいように黒い七分丈ズボンに黒いシャツ、髪は高い位置でお団子にしている。
今から魔術師の拠点であり宿舎であるこの建物の廊下と階段の掃除を始めるのだ。
任務を受けられないフィオナは訓練と自室の掃除以外の予定がなく暇をもて余していた。
今までは監視が必要だったけれど、今は敷地内なら一人で自由に動けるのだ。
何でもいいので仕事が欲しいとレイラに掛け合い、掃除という仕事をもらったのである。掃除係がちょうど一人辞めたというタイミングだったらしい。
まずは柄の長いハタキで天井をパタパタ。定期的にしないとクモの巣が張るようだ。
その後は窓ガラスを拭いていき、廊下をモップ掛けする。階段をモップ掛けしながら降りていくと、次は下の階の掃除、そこも終わると更に下の階だ。
「ふぅ」
途中で額の汗を袖で拭う。魔術は一切使わずに行うのでなかなか大変である。頑張って一階まで掃除し終えると、今日のお仕事は終了だ。
喉が渇いたので食堂へ行き水を飲む。この後は中庭のベンチでボーッとするつもりでいる。
「フィーちゃんおいでおいで」
提供カウンターにいる女性に手招きされたので向かうと、小さな紙包みを手渡された。
「はい、これ甘いからお食べ」
「ありがとうおばちゃん」
中身が何かは不明だが、受けとってお礼を言った。
中庭のベンチに腰かけて、先ほど受け取った紙包みを開いてみる。
そこには宝石のような形をした飴が入っていた。ピンク、水色、黄色、紫色と色鮮やかで食べるのが勿体ないほど綺麗だ。もちろん食べるけれど。
ひとつ摘まんで口に放り込む。掃除で疲れた体に甘さが染み渡って、今日もいい日だなぁと空を見上げた。