神のお告げ
私とルークが休養している間、ザカリアス王国には大きな変化があった。
カントル宰相、ファビウス公爵、ティベリオ、ユリウス、ラザルス等々、多くの人々が戦の後始末に奔走していた。
大変だったことだろう。後で話を聞いて非常に心苦しい。
しかし、私たちがゆっくり二人で話し合うことをみんなが望んでいたと聞いて、恥ずかしいような、申し訳ないような、有難いような、何とも形容しがたい気持ちにもなった。
おかげでルークとの距離が縮まったのは確かなので心から感謝の気持ちしかない。
女王が消えたため多少の混乱もあったが、クレメンスが即位し国王となり、カントル宰相、ファビウス公爵、サルト騎士団長が支える体勢が整った。
ユリウスはカントル宰相が、ラザルスはファビウス公爵が、それぞれ片腕として鍛えたいと申し出てくれて、将来的には国を支える重要な存在になると期待されているらしい。
ルークも体調が落ち着いたら、近衛騎士団の副団長として働かないかとサルト団長から誘われている。
***
私たちはティベリオたちに別れを告げ、王都に戻って新たな生活を始めた。
エミリアは辺境伯領に引っ越していく前に王都で住んでいた家を売却したが、実はそれを買ったのはファビウス公爵だったそうだ。
ファビウス公爵はカエサル家の貢献に報いたいので、家をそのまま返してくれると言ってくれた。エミリア母さんは売却したお金をお返ししたいと申し出たのだが、公爵は頑として受け取ってくれなかったらしい。国が落ち着くまでユリウスたちに適切な給金を与えることができないから、それまでの生活資金にしてくれ、と言われたそうだ。
ムア帝国はまだ混乱もあるが、精霊王様がジェラルドを全面的に支援しているようで大分落ち着いたと聞く。いずれ民主化の道を進ませたい、とジェラルドから手紙がきていた。
ティベリオの辺境伯領も戦の被害はほとんどなく、民衆も普段の生活に戻り平和に暮らしていると聞いた。ティベリオとアルバーノさんのコンビなら今後も賢明に領地を守っていけるだろう。
ザカリアス王国の王都から魔物の姿は消え、国旗は再び正しく掲揚されるようになった。まだ国内に残っている魔物も多少はいるらしいので、魔物討伐隊を編成する予定だとサルト団長は言っていた。
王都から逃げ出した人々もどんどん王都に戻ってきていると聞く。
ようやく平和が訪れて普通の生活ができるようになった。平穏な生活の有難みを心から実感して感謝する日々を送っている。
エミリア母さんのもとで再び三兄弟と一緒に生活できるような幸運が訪れるとは思ってもいなかった。
しかも、あんなに塩対応だったルークがこんなに激甘になるなんて……。
「我が息子ながら…視線のやり場に困るわね…」
エミリア母さんが頬を押さえてほぉっと溜息をついた。
「……すみません」
そういう私はルークの膝の上にのせられている。
「リアが謝ることはない」
艶っぽい声で囁きながらルークは私のうなじにチュッとキスをした。
「ひゃっ」
飛びあがりそうになる体にルークの逞しい腕が絡みつく。
「早く結婚して二人だけの新居を構えてちょうだいな」
呆れたようにヒラヒラと手を振りながらエミリアが出ていこうとする。
「俺も今すぐ結婚したいんだ。どうしたらいい?」
「今すぐ結婚って言っても、結婚式とか色々と準備が必要でしょう? ユリアのドレスだって新調しないといけないし…。今はユリウスたちも忙しいし、もう少し国が落ち着くまで待ちなさい」
エミリアの言うことは正論だが、ルークは不満そうに頬を膨らませた。
それを見たエミリアは思わず噴き出した。つられて私も笑ってしまう。
「な、なんだよ!」
赤面するルーク。
「氷の騎士とか言われていた子とは思えないわね。……でも、良かった。あなたが感情を素直に出せるようになって私も嬉しいわ」
華麗にウィンクしながらエミリアは立ち去った。
***
ああ、幸せだなぁ…とのんびり過ごしていた私に、ある日一通の招待状が届いた。
教会のトップであるリベルト・グリマルディ枢機卿からの手紙も同封されていた。国の将来について神意を確かめるため巫女が神のお告げを伝える儀式があるらしい。巫女に神が憑依して神意を伝える儀式だそうだ。
聖女である私にも是非儀式に出席して欲しいという招待だった。
一応聖女と言われていることだし、儀式には出席すると返信した。
*
儀式の日、私は髪を一つに纏めて真っ白いドレスに身を包んだ。
あまり華美になってはいけないと思ったので、シンプルで清楚な雰囲気の衣装にした。
エスコートしてくれる予定のルークは私を見た瞬間、がくりと床に膝をつく。
「リア…可愛すぎ…」
両手で顔を覆っているが、少し伸びた髪の間から覗く耳まで赤い。
「ああ可愛い…。可愛すぎる…。他の奴に見せたくない」
隣を歩きながら何度も私をチラ見しては呟いている。
そういうルークも今日は正式な騎士服で美丈夫ぶりが際立っている。
背が高いし姿勢も良いからそれだけで絵になる。端整な顔立ちに黒いサラサラの前髪がかかって、少し陰ができるのもカッコいいなと見惚れてしまう。
私の視線を受けて「ん? どした?」とルークに微笑んでもらえるだけで、心臓のドキドキが止まらない。
そんなルークと儀式が行われる大聖堂へ向かいつつ、デートのような気がしてつい浮かれた気分になってしまうのは否めない。
ルークは私の手を取りながらエスコートしてくれるが、彼の表情もとても幸せそうだった。
教会に到着すると枢機卿が直々に出迎えてくれた。
枢機卿が案内してくれたのは大聖堂の中心にある大きな広間だ。この世界の神様らしき彫像が置かれ、背後の壁には美しい絵画が一面に描かれている。
三対六枚の大きな翼を広げた神様の姿を見て、神々しさに胸を打たれた。自然と頭が下がりその場に跪いて祈りと感謝を捧げると、ルークも隣で一緒に跪く。
お爺さんの話を聞いて、神様の存在がリアルに感じられたのかもしれない。
その後、枢機卿から儀式の手順を説明してもらい、巫女となる女性を紹介してもらった。
「彼女は数十年巫女の役割を務めてくれています。何度も神からのお告げを伝えてくれました。ユリア様が誕生された時も、彼女が神のお告げを伝えてくれたのですよ」
巫女は穏やかそうな中年女性で、丁寧にお辞儀をしてくれた。
「お会いできて光栄です。ずっとお会いしたいと思っていました。聖女様は素晴らしい方だと猊下より伺っておりましたから」
「そんな…私もお会いできて嬉しいです。あの…今日は頑張って下さい」
一体何を頑張るのか?
バカなことを言ったと自分で自分に突っ込むが、優しい巫女さまは笑わずに優しく微笑んでくれた。
*
厳かな儀式が始まり、私とルークは枢機卿と並んで用意された椅子に座る。
巫女さまがゆっくりと舞を始めると、明らかにその場の雰囲気が変わった。
空気中に微かに光の粒子が現れ、舞に合せて光が緩やかな波形を描く。その姿は優美であり神々しくもあった。
どんどん舞の動きが早くなり光も強くなる。いよいよ憑依されるのかも、と思った瞬間に大きな光が発生し、私は眩しくて目を開けていられなくなった。
光が消えた後ゆっくりと目を開くと、巫女さまが戸惑った様子でその場に立ちすくんでいた。
枢機卿も驚いた様子でその場から立ち上がり、すぐさま巫女さまに駆け寄った。周囲にいた教会の神官たちもバタバタと走り回っている。
その時、隣に座るルークの様子がおかしいのに気がついた。
「る、ルーク?! ルーク?! 大丈夫?!」
ルークは完全に意識を消失していた。ガタンと大きな音を立てて、彼が椅子から床に崩れ落ちる。
それを見た巫女さまが叫んだ。
「ああ! ルキウス様が…恐らく憑依されています」
え!? 巫女さまでなくてルークが!? 憑依されている? どういうこと?
パニックになった私はルークの肩を揺さぶった。
「ルーク! ルーク! しっかりして!」
巫女さまが私に走り寄りルークの肩に置いた手をそっと外す。
「聖女様。どうかルキウス様に触らないでくださいまし」
私が不安で見守るなか、巫女さまと神官たちは綺麗な布を床に敷き、その上にルークの体を仰向けに寝かせた。ルークに触れる人たちの手つきがとても丁寧で慎重なので、少しずつ不安が消えていく。
「かけまくも畏き全能の大神様……」
巫女さまが祈りを捧げ始めた。
しばらくすると、横たわったままのルークの体が淡く光りカッと両目が見開いた。
「……國體を保つための主義主張は自由である。但し、民意を尊ばず政を行うは愚か者の業なり。民を守り、その生活を安んじるべし」
ルークの顔、ルークの口から出る言葉なのに声は全然ルークじゃない。衝撃のあまり思わず口を両手で押さえる。
これが……憑依されているということ? 私は初めて見る光景に圧倒されていた。
しかし、枢機卿や巫女さまは平静に話を聞いている。こういった儀式に慣れているのだろう。
「は! 承知仕りました!」
枢機卿が叫んだ。
これが神のお告げ……神意ということなのね。
「……博愛の情を持つこと。そして、異性同士だけでなく、同性同士の縁も尊重すべし。神は男女の縁だけでなく、男性同士、女性同士の縁も祝福するであろう」
それを聞いて枢機卿だけでなく、その場にいた人全員が顔面蒼白になりどよめいた。
「神よ…男性同士、女性同士の縁も祝福するとは…それは禁忌なのでは…?」
「禁忌ではない。神意である。……神意を疑うか?」
ルークの口から発せられる言葉には明らかに怒りが籠められていた。
「い、いえ! 無論、そのようなことは。では、今後は禁忌ではないと……?」
「禁忌ではない。民衆にも知らしめよ。偏見や差別は許すまじ。愛とは尊ぶべきもの。性別は関係ない」
「は、ははぁぁ~」
枢機卿が平伏した。
こ、これは……こないだお爺さんにお願いしたことが、ちゃんと神様に伝わっているってこと、かな?
その直後ルークから発せられる光が消え、その場がしんと静まり返った。
「……これでお終いだと思います」
巫女さまが震える声で終わりを告げた。
みんな、何が起こったのか分からず混乱しているようだった。
「何故、今回に限ってルキウス様が憑依されたのかは分かりませんが……。しばらくすれば気がつかれると思います」
巫女さまの言葉にホッと安堵の息を吐いた。
「何とも…不思議なお告げだったが…。しかし、神意とあらば民にも伝えねばなるまい」
枢機卿が独り言のように呟いた。
「はい! 差別や偏見をなくすのは良いことだと思います!」
聖女の私が断言すると、枢機卿も少し安心したようだった。
その時ルークが身じろぎした。
「ルーク! ルーク!」
ぎゅっと彼の手を握る。
頭が痛いのかもしれない。ルークは頭を押さえながら上半身を起こそうとした。
背中を支えるようにしながら彼の顔を覗きこむ。
長い睫毛が震えて綺麗な蒼い瞳が私をとらえた。
そして次に出てきた言葉を聞いて驚きのあまり言葉を失った。
「……実奈?」
彼は確かにそう言ったのだった。