女王の最期
*ユリア視点に戻ります。
私は必死に色鮮やかな鳥たちの動きを目で追った。鳥たちはラザルスめがけて飛んでいく。
ラザルスが守るなか、ユリウスが鏡を狙い矢をつがえ見事に鏡を打ち砕いたのが見えた。
ユリウスが放った矢が真っ直ぐに飛んでいき、鏡が粉々になると同時にルークの周囲を取巻いていた黒い靄がシュッと消える。
「…ルーク?」
恐る恐る彼に近づくと、精力を使い果たしたルークがふらりと地面に崩れ落ちた。
「ルーク!? ルーク!? 大丈夫? しっかりして!」
ルークはぐったりと地面に横たわったまま私の頬をそっと撫でた。
「リア…さっき言ったことは全部本当か?」
かすれた声で尋ねる彼は正気に戻ったようだ。
頬が熱くなるのを感じながら私は大きく頷いた。
「うん。私はずっとルークだけ…ルークにずっと恋していたの。ルーク以外の人を好きにはなれない」
再びルークの瞳から涙が零れ落ちたが、今度は黒い涙ではなく透明で宝石のような美しい涙だった。
「…でも、俺は…俺にはリアを愛する資格がないんだ…」
「どうして? 私のために悪魔に魂を売ったから?」
「っ! なんでそれを!?」
思わず身を起こしたルークに私は抱きついた。
「大丈夫。私が絶対にルークの魂を守ってみせる」
ルークの背中に手を回しながら断言した。
自分が何をすべきかは分かっている。
ただ少し考える時間がほしい。頭を整理する時間が必要だ。
しかし魔獣らの攻撃がひっきりなしに続いている。結界や騎士に守られていてもなかなか集中できない。
落ち着け……落ち着け……。
内心パニックで焦ってしまう。
ああ、ちょっとの間でいい。邪魔しないでもらえないだろうか…。
ガチャン!
巨漢のオグル兵士が結界を攻撃し始めた。
クレメンスや騎士たちは勇敢に戦ってくれているが相手の数が多すぎる。
ルークはまだ体が動かないようで立ち上がることも難しい。
「すまない…リア。体がまだ痺れて…」
悔しそうにルークが拳を握る。
「大丈夫。結界があるから私たちは平気よ。でも…少しの間でいいから、敵に邪魔されない時間が欲しいんだけど…」
その時、爽やかな風が頬に触れるのを感じた。
「少しの時間を稼げれば良いのだな?」
馴染みのある声に顔を上げる。
「ジェラルド!?」
気がつくとすぐ近くでジェラルドがオグル兵士と激しく剣の打ち合いをしていた。
その美貌に似合う完璧な微笑みを浮かべながら……。
「リアを守るのは俺だから!」
ルークがよろよろと立ちあがろうとする。
「お願い! 無理しないで!」
無理矢理ルークを座らせた。
「何か策があるのだろう? 今の内だ! 早く!」
ジェラルドは言いながら、普段隠している左目をオグル兵士に見せた。
金色の瞳はオグルや魔獣にも効果があるようだ。
ジェラルドの瞳に見据えられた周囲の敵は瞬時に固まって動けなくなった。
今だ! 考えろ!
先ほどモナさんから教えてもらった事実をもう一度整理する。
悪魔は女王と契約をし、女王が望む腕輪を提供した。
対価として、女王は悪魔にザカリアス王国国民の命と魂を与えた。
その後、ルークは悪魔に自分の魂を提供する代わりに私の腕輪を外すことを要求した。さらに国民の命や魂を奪うことも止めるように求めた。
悪魔はその契約を受けた。
結果、悪魔はルークの魂を手に入れた。もし、ルークの魂を失ったら悪魔は再び国民の魂を奪い始めるだろう。
ルークと国民の魂の両方を救わないといけない。
今までどんなに辛い時でも使わずにいて良かった。
切り札とも言うべき約束……。
この世界に生まれ変わる前にお爺さんとした約束だ。
何でも一つ願い事を叶えてもらえるはずの約束。
今使わずにいつ使う?
私は天に向かって大声で呼びかけた。
お爺さんは絶対にこの世界の様子をどこかで観察しているはず。
「お爺さん。聞こえていますよね? 約束を覚えていますか? 一生の内にただ一つ叶えてもらう願いです」
特に返事はないけれど、絶対に私の声は届くはずという確信があった。
「どうかザカリアス王国を愛する国民全ての命と魂を悪魔から解放してください。永遠に!」
言い終わった瞬間、天から明るい光が一面を照らした。それに呼応するように強い光が私の全身から発せられる。
二つの光が渦のように絡まり、はるか地平線の彼方まで光の波で包まれた。国全体に届いたのかもしれない。
その光に魅了されたように周囲で戦っていた魔物や騎士たちの動きが止まった。
***
気がつくと少し離れたところにモナさんが立っていた。
「あ~あ、そんなわけの分からない切り札があったの? ずるいわね。本当に嫌な女だわ」
そう言いながらモナさんが変化した。
美しい金色の巻き毛が真っ白い髪の毛に、白い肌が褐色の肌に変わり、人外の美しさを持つ悪魔に姿を変える。そして、その瞳は燃える炎のように煌々と輝く。
この人は……?!
ルークと話していた謎の男性だ。
モナさんだったの!?!?!?
頭が混乱してパニック状態だけど、あの男性とモナさんが同一悪魔であるならルークと恋仲というのは完全な誤解ということだ。
良かった~。心の底から安堵した。
ホッとしている私を見て、モナさん…いや悪魔は心底嫌そうな顔でチッと舌打ちした。
今やモナさんの背中には禍々しい大きな黒い翼が生え、死神が持つような大きな鎌を手にしている。
おお、いかにも悪魔っぽい、と変に感心してしまった。
「あぁあ……。私の獲物をよくも奪ってくれたな。ルキウスの魂も、この国の民衆の魂も手の届かないところに行ってしまった…」
深く溜息をつく悪魔。
「あ、あの……ごめんなさい」
悪魔は意地悪そうな笑みを浮かべた。
「まぁ、戦利品が無いわけでもない…。あんたのことはずっと大嫌いだった……というわけでもなかった。おかげで女王の命と魂は私のものだ!!!」
女だか男だか分からない口調でそう言うと悪魔は空高く飛び立った。
悪魔(=モナさん)からは『大嫌い』と言われて当然だと思っていた私は少し拍子抜けしたまま、悪魔が飛んでいくのを呆然と見送った。
強大な悪魔の威圧なのだろう。魔物たちは全て悪魔に平伏したままじっと動かない。
女王は一人大声で何かを喚き散らしていたが、悪魔を見つけると慌てて逃げ出そうとした。
しかし、悪魔はニヤリと嗤いながら問いかける。
「女王陛下、約束は覚えておいでですね?」
絹のように滑らかな声だ。
「ま……待て…。代わりの魂を……たのむ!」
女王が泡を吹きながら叫んでいる最中に、悪魔は持っていた大きな鎌で女王の首をはねた。
そして悪魔は女王の頭を小脇に抱えて哄笑しながら……消えた。
女王を失った魔物たちは混乱して右往左往している。
その合間にトラキア騎士団と近衛騎士団に撃破され、魔物の軍隊は散り散りに逃げていくしかなかった。
あれほどの大軍だったのに呆気ない結末をむかえた虚しい戦いであった。