ルークの怒り
食欲旺盛なクレメンスはみるみる体力が回復していき、ガリガリだった腕にも肉がついてきた。
サルト騎士団長に頼んで剣術の訓練にも参加するようになり、騎士に交じって演習訓練をしているのをよく見かける。剣さばきも様になっていて、通りかかる女性たちから黄色い声が漏れることもあるようだ。
そういえば…クレメンスは昔から結構モテていたなぁ、なんて思い出す。
立ち止まって遠目にクレメンスと騎士の立ち合いを眺めていたら、私に気がついたクレメンスが駆けよってきた。
息せき切って一心不乱に走る姿が、大型犬が飼い主に駆けよってくるみたいで、ついクスッと笑ってしまった。
クレメンスはポカンとした表情を浮かべた後、顔を赤くして口を覆う。
「……ユリアさぁ、自分の笑顔の殺傷力に気がついてないでしょ?」
「は?」
今度は私がポカンだ。
「ユリアは人形みたいに綺麗な顔立ちだから無表情だと少し冷たい印象なんだよね。でも、笑うとその瞬間に愛らしさとか、可憐さとか、愛嬌とかが爆発して飛んでくる感じ。可愛すぎて男には致命傷だよ。他の男に向かって笑いかけないようにね」
歯が浮くようなお世辞を言われてクスクス笑いが止まらない。
こんなこと言う人だったっけ?
昔の印象だと自慢話しかしない人だと思ってた。子供の頃、褒められた記憶なんて一つもないよ。
「ほら、また笑う。通りがかる男たちがみんなユリアに見惚れてるんだよ。気をつけなよ!」
「そうやって、冗談ばかり言うから。ホント昔と変わったね」
「当り前だろ。子供の頃からユリアは死ぬほど可愛いと思ってたけど照れくさくて言えなかったんだ」
「おい!」
「……ルーク?」
話の最中に突然現れたルークに私もクレメンスも目を瞠った。
相変わらず神出鬼没だなぁ……。
間に割り込むようにして敵意をむき出しにクレメンスを睨みつけるルークは、私の姿など目に入っていないようだった。
「おい! ユリアに近づくな! 彼女をあれだけ傷つけておいて、よく平気な顔でいられるな!」
クレメンスの胸倉を掴んだルークは怒りに我を忘れているようだ。
「る、ルーク! お願い、止めて。クレメンスは変わったのよ。もう大丈夫だから。危害を加えるようなことはしないから。お願い、放して!」
ルークの腕にしがみつくと彼は信じられないという眼で私を見つめた。
「ユリア…こいつがどれだけ最低な奴か、知っているだろう? ……サルト騎士団長もカントル宰相も全然分かっていない!」
彼のじりじりとした怒りが伝わってくる。
「あ、あのね。クレメンスは変わったのよ。過去のことを反省して、私にも誠実に謝罪してくれたわ。それに、前にも言ったけど、私が誘拐された時助けてくれたのはクレメンスなのよ。だから、怒りを鎮めて…」
必死で言いつのる私にルークの瞳が暗く翳った。
「ユリアは…こんな奴も庇うんだな。さっきも笑顔で話をしていたし…。がっかりだ……」
そう言うとルークは大きな靴音を立ててその場から去っていく。
彼の言葉に衝撃を受けた私は何も考えることができず、その場に立ちすくんだ。
「…ユリア、大丈夫か? すまない…俺のせいで…」
「ううん。大丈夫。ルークも誤解しているだけだから…」
それでも目から大粒の涙がボロボロと零れ落ちるのを我慢できなかった。
情けない…。ルークのあの軽蔑したような眼差し。『がっかり』という言葉が脳内をぐるぐる廻って自分の感情をどう処理していいのか分からない。
クレメンスが恐る恐る私の頭を撫でる。
「ルキウスがあんなに感情をむき出しにするなんて想像もしなかった…」
いつも冷静なルークを怒らせてしまったんだ…。ますます涙が止まらなくなった。
クレメンスは困ったように服のあちこちを探していたが、ようやくハンカチらしきものを見つけたらしく、それをそっと差し出してくれた。
有難く受け取って涙を拭っても、どうしても止まりそうにない…。
クレメンスは途方にくれたように私の頭をポンポンと軽くたたく。
「ユリア…ここは人目につく。部屋まで送っていくよ。アガタにお茶を用意してもらおう。美味しい菓子がないかどうか厨房に聞いてくるよ」
優しく微笑むと、彼はまだめそめそしている私を部屋まで連れていってくれた。
「ユリア様! どうなさったんですか⁉ まさかまたクレメンス様が…」
アガタが非難めいた眼差しをクレメンスに向けたので私は慌てて釈明した。
「ち、ちがうの、アガタ! ルークとちょっと……」
そう言っただけで、いろいろと察してくれたらしい。
アガタは優しく背中を擦りながらソファに座らせてくれた。彼女が黙ってお茶の準備をする間にクレメンスは本当に厨房に走っていってくれたらしい。
息を切らして美味しそうな焼き菓子を山ほどアガタに手渡すクレメンス。
「甘いものは気持ちを落ち着かせてくれるから…。良かったらアガタも一緒に食べてくれ」
それを聞いた時のアガタの顔は見物だった。
クレメンスはお菓子を届けた後すぐに騎士団の訓練に戻ったので、私とアガタは黙々と美味しい焼き菓子を口に運んだ。
「ルキウス様はまたユリア様が傷つくようなことを言ったんですか?」
「よく…分からないの。なぜ彼はあんなに怒ったのかしら?」
私の説明を聞くとアガタは額を押さえながら深いため息をついた。
「確かにクレメンス様がこんなに変わるなんて実感が湧きませんから……。ルキウス様のお気持ちも分かるんですけれど。それにしても嫉妬むき出しですわね」
「嫉妬…?」
私は首を傾げた。
「ユリア様! 明らかに嫉妬ですよ。独占欲ですわ。他の男と笑いながら話していたから嫉妬したに決まっています!」
私はクスクス笑ってしまった。ルークが嫉妬なんて想像もできない。
「ルキウスが嫉妬する必要なんてないでしょう? あんなに綺麗な婚約者がいるし、それに……」
あの謎めいた男の人のことを言いかけて、慌てて口をつぐむ。さりげなくお菓子を口一杯に頬張った。
「アガタ、美味しいわね。この焼き菓子」
「そうですね。私、もう一ついただいてもよろしいでしょうか?」
嬉しそうなアガタは、私が何かを口籠ったことなど気がついていない。
良かった。ルークの秘密は守らないと。
ルークを怒らせて落胆させてしまったけど、せめて家族として近くにいたい。
気をつけているつもりなんだけど私の言動が人を不快にさせてしまう。
反省しよう。
アガタが淹れてくれた香りの良いお茶をゴクリと飲みこんだ。




