クレメンスの告白
王都からやってきたカントル宰相ら一行は疲れ果てていた。出迎えたティベリオと握手を交わすカントル宰相の目の下には濃いクマがある。
「お兄さま!」
モニカさんが騎士団の中心にいた精悍な男性に抱きついた。
ルカ・サルト騎士団長はモニカさんのお兄さんだ。二人で抱き合って泣き笑いの表情を浮かべている。
モニカさんの話から仲の良い兄妹だということは想像できた。両親は既に亡くなっていて唯一の肉親だと言っていたし離れ離れで辛かっただろう。
カントル宰相は頑固そうな強面でちらりとも笑顔を見せない。でも目が優しそうだなと思った。
「聖女ユリア殿、ご立派になられて…。ずっとお救いしたいと思っていましたが叶わず…申し訳ありませんでした」
彼がゆっくりとした動作で跪いたので私は慌てふためいた。こんなエライ方に謝られては身の置き場がない。
「あ、あの…どうかお気になさらないでください。私は大丈夫ですから…」
モゴモゴしながら何とか言葉を引っ張りだすと、思いがけなくカントル宰相が微笑んだ。
微笑みは一瞬で消えたけど、サルト騎士団長や他の面々が信じられないものを見たという顔でこちらを凝視している。
「ユリア殿が誘拐されたと聞いた時は心臓が止まるかと思いました。老体には堪えましたよ」
カントル宰相の言葉は冗談っぽいが、本当に心配してくれていたのが伝わってくる。
「すみません…ご心配をおかけしました」
「いや、ご無事で良かった。あの出来損ないの王太子が、女王の意向に逆らってユリア殿を助けたと聞いた時は耳を疑いましたがね」
カントル宰相が大きな息を吐いた。
「クレメンスも辛い思いをして変わったのでしょう。彼にはとても感謝しています。酷い目に遭ったと聞きましたが、クレメンスは無事ですか?」
カントル宰相は我が意を得たり、という顔をした。
「ああ、王太子も一緒に連れてきましたが極端に体が弱っておりましてな。ユリア殿に看病をお願いできると有難い。…お願いできますかな?」
カントル宰相から頼まれて否と言えるわけがない。
アガタが不満そうに鼻を鳴らしたが、私は謹んでカントル宰相の依頼を引き受けた。
***
というわけで、私はベッドに寝たきりのクレメンスの世話をしている。
……が、どうにもこうにもやりにくい。
「ユリアには本当に悪いことをした。あんなに辛い思いをさせていたことを許してほしい。俺はずっとユリアのことを愛している。どうかもう一度婚約者に戻れないだろうか? 今度は絶対に幸せにすると約束する」
再会した時のクレメンスの言葉だ。
アガタは親の仇でも見るようにクレメンスを睨みつけているが、彼はまったく意に介さず隙をついては私の手を握ったり耳元で甘い言葉を囁いたりする。
困った……。
前世も含めて、人生初めてのモテ期というものが訪れてしまったのだろうか。
ジェラルドからのラブレターにクレメンス……。突然のイケメン二人からのアプローチに私は心底戸惑っていた。
クレメンスは王城で見た時よりは多少ふっくらしていて、体力も戻ってきているようだ。
本当に看病が必要な状態なのか?
カントル宰相の言葉を疑いたくなるが以前より痩せてしまったのは確かだ。素行は悪かったが剣術などは真面目に鍛練していたので、体もガッチリと筋肉質だった。今は腕も小枝のように細い。
元々の顔面偏差値は高いし、多少痩せすぎにしても一般的には魅力的な男性の部類に入るだろう。性根を入れ替えたようで性格も穏やかで優しくなった…ような気がする。
「ユリア、お前は誰よりも幸せになる権利がある。どうか償わせて欲しい。お前のためなら何でもすると誓うから…」
クレメンスの透明な蒼い瞳に戸惑う自分の顔が映っている。切なそうな声に罪悪感を覚えた。
子供の頃からずっと好きだったとか、気持ちを伝えられずに酷い仕打ちをしてしまったとか、今まで想像もしていなかった新事実を突きつけられてどう対処したらいいのか分からない……。
一息つきたくて、アガタともう一人の侍女に後を任せて部屋を出ると警備の兵士とカントル宰相が話をしているところだった。
「ユリア殿、休憩ですかな? 少し話をしても?」
カントル宰相は有無を言わさず私を中庭に連れだした。
「……クレメンスは素直になりましたかな?」
驚いてカントル宰相の顔を見つめる。この方はクレメンスの気持ちを知っていたのかしら?
微妙な私の表情を見て宰相は苦笑いを浮かべた。
「あれは子供の頃から意固地でね。ユリア殿に初めて会った時に一目惚れしたそうですよ。それなのにあなたに酷いことをしてしまったと後悔していました」
「……全然知りませんでした。嫌われているとばかり」
「好きな子をいじめてしまうという子供の不器用さもあったのでしょうが、クレメンスの暴力を正当化することはできません。あなたが許せないと思って当然だ。だが、謝罪して素直に気持ちを伝える機会を与えたくてね。出来が悪い子供ほど可愛いという気持ちなんでしょうが…」
「クレメンスを可愛がっていらしたのですね?」
カントル宰相はふと目尻を和らげた。
「……には家族がいません。結婚もしませんでした。ただ、国に仕えることだけが目的の人生でしたから。前ザカリアス国王とキアラ王女は素晴らしい方々でした。私の忠誠を、人生を捧げて後悔はありませんでした。前国王が崩御された時…『アグリッピナとクレメンスをよろしく頼む』と遺言されたのです。それを忠実に守ろうとしてきました。しかし女王に私の言葉は届かない。せめて王太子にはザカリアス王国の直系として、亡き父君に胸を張って誇れるような人間になってほしかった。何度も何度も説教を繰り返しましたよ。全然聞いてはもらえませんでしたがね…。ただ、今になって少しはまともな人間になったようだ。ユリア殿を守ったと聞いた時は嬉しかった。ようやく…努力が少し報われたような気がしました」
宰相の独白を聞きながら、この人も苦労したんだな…としみじみ思った。あの女王相手だ。憤懣やるかたない経験も沢山してきただろう。
「ですから! 謝罪と告白の機会だけは与えました。その答えはユリア様の正直な気持ちで結構です。好きでもないのに気持ちに応えようとするほど残酷なことはありませんからな」
私の気持ちを尊重してくれている。やっぱりカントル宰相は優しい人だ。
「カントル宰相、ありがとうございます。ごめんなさい。やっぱりクレメンスの気持ちには応えられそうにありません…」
「分かっていますよ。彼も気がすんだでしょう」
カントル宰相は私の肩に手を置いて優しく頷いてくれた。肩にかかる重みを感じて何故か泣きそうになった。
***
クレメンスの部屋に戻ると渋るアガタをどうにか説得して人払いしてもらった。
アガタは警備兵と一緒に部屋の外で待つと譲らず、何となく『早く終わらせないと』と気が急いてしまう。
なので単刀直入に切り出すことにした。
クレメンスは「いきなり、ふ、二人っきりなんて……」と顔を赤らめている。
ああ、罪悪感がつのる。でもちゃんと言わないと。
「クレメンス。あなたの気持ちはとても嬉しいわ。でも、私にはあなたへの恋愛感情がないの。だから…ごめんなさい!」
精一杯はっきりと明確に気持ちを伝えたつもりだった。ところがクレメンスはまったく落胆した様子を見せない。
むしろ生き生きとした表情で返答した。
「大丈夫だ! ユリアの気持ちは分かっている!」
思いがけない返事に私は戸惑った。
「えーと……分かってるということは、そ……もう私への気持ちは無くなったという理解で…?」
「どうして? ユリアが現在俺に対する恋愛感情がないのは分かっているけど、だからといってユリアへの気持ちが消えるわけじゃない。俺は何があってもユリアを愛することを止めはしない!」
クレメンスの口から前向き発言が飛び出した。
「あの…その…なんで?」
絶句しながらも尋ねてみた。
「俺はユリアに酷いことをしてきた。だから嫌われていて当然だと思っている。ただこれからの俺の行動を見てほしい。ユリアのためならどんな努力でもする。なんだってする。そうしたら、いつかユリアの気持ちも変わるかもしれないだろう?」
「いや…その…変わらないと思う」
「どうして!?」
「私には…好きな人がいるの。失恋したけど…」
「俺はユリアに恋人がいたとしても、たとえ結婚していたとしても諦めない。ずっと好きでい続けるから。もちろん、迷惑はかけないようにする。嫌な思いもさせたくない。でも、ユリアのことを好きでいることは許してくれないか? 諦めようとしても諦められるものじゃないんだ…」
懇願するような表情に胸がツンと痛んだ。
ああ、私と同じだな。私もルークへの想いを諦めようとしても諦めきれない。
自分にできないことを人に強要してはいけない。
「分かったけど…それだとクレメンスは幸せになれないよ。私がクレメンスを好きになることはないから」
ついぽろっと直接的な本音が出てしまう。
「…それでもいいんだ。俺が勝手に好きなだけだから」
切なそうなクレメンスの声と自分の心の声が重なった。
どうして、好きな人に好きになってもらうのってこんなに難しいんだろう……。