アグリッピナの野望
*女王アグリッピナ視点です。
『Slave in the Magic Mirror…、鏡に閉じ込められし男よ…。国中で一番美しいのは誰?』
『いいえ。女王陛下、貴方ではありません。金色の瞳の聖女は、貴方の千倍も美しくなるでしょう』
いつもの答えを聞いても、妾は腹を立てない。
『しかし、その聖女は五歳になったら魔力が充実する。だから、妾の若さと美しさのために、その魔力を搾り取ってやる。そうしたら、妾が国で一番の美しさになるのであろう?』
『はい。女王陛下、その通りでございます』
『あの赤ん坊の中にいる魂が死んだ王女のものではないというのは確かなのだな?』
『はい。女王陛下、その通りでございます。もしあの赤ん坊が死んだ王女であったなら、陛下と顔を合わせた時に、恐怖が表情に現れたことでしょう。赤ん坊には緊張はあっても恐怖はありませんでした。聖女は王女の生まれ変わりではありません』
『じゃあ、あの聖女の中の魂は誰か? 知っているのか?』
『いいえ、女王陛下。存じ上げませんが、天界の管理者が適当に選んだ魂でしょう。王女の魂には精霊王の加護がありましたが、別人の魂では精霊王の加護はありません。恐るるに足らず、と言えるでしょう。それに万が一に備えて精霊王には既に手を打っております……』
『お前の言うことを信じてきた。これからもお前を信用して良いのだな?』
『はい、女王陛下。その通りでございます』
鏡が薄ら笑いを浮かべているようで、ぞっとする。
この鏡は古道具屋の片隅で埃をかぶって佇んでいた。
初めてこの鏡から声を掛けられた時、妾はあらゆる存在の上に立てるような強大な権力と永遠の若さと美しさを欲しており、鏡は最初から妾の野心を見抜いていたに違いない。
鏡は妾の野心を理解し、様々な助言をしてくれた。
そのおかげで、現在の地位があることは確かだ。しかし、素直に感謝の気持ちが湧いてこないのは、心のどこかで此奴は妾を利用しているだけではないかという疑念があるからだ。
鏡は大昔、罰を受けて天界を追放されたのだという。
それ以来、鏡の奴隷として永遠に鏡の中に閉じ込められる運命なのだと自嘲した。
いつか必ず復讐してやる、という言葉だけは真実味があった。妾は此奴の復讐に利用されているだけかもしれないが、野望を叶えるためなら妾も此奴を利用してやるだけだ。
鏡の助言のおかげで、妾は先王を誑しこみ、息子を王太子にして女王の地位に就くことができた。
それ以外にも鏡の助言は多岐に渡る。
事故に見せかけて将軍マリウスを殺せ、というのもその一つだ。
マリウスはいずれ反乱を起こし、妾の地位を脅かすと言われた。
マリウス将軍の忠誠には真実が籠っているように感じていたので半信半疑だったが、権力を守るためには僅かの懸念材料も消しておいた方が良い。
鏡は聖女が危険な存在だと繰り返し囁いた。
聖女が生まれたらすぐに引き取り、生かさず殺さずで魔力を搾り取れ、というのが鏡の助言であった。
妾の魔力も相当高いが、この身体の若さと美しさを保つにはもっと大量の魔力が必要だ。
また、この国へ誘いこむために魔物たちへの報酬も必要だ。魔物は魔力が好物だからな。
そうすれば妾の思い通りに魔物を利用できる。
魔物の力を使い、恐怖で国の反乱分子を抑える。魔力はいくらあっても足りないくらいだ。聖女から魔力を搾り取れるのであれば僥倖。
聖女の魔力量は膨大だというが、幼い頃に無理に搾り取ると死んでしまう。魔力がある程度完成する五歳になるまで待つようにと言ったのも鏡だった。
人民が聖女を担ぎ上げることがないよう、聖女は女王の味方だとアピールしろ、というのも鏡の助言だ。だから王太子との婚約を発表させた。
元王女には生まれつき精霊王の加護があった。精霊王の加護があると、大地や天候を操ることすらできる、と聞いている。
だから、王女の魂が再び妾と対峙したいと思わないように、王女を虐待して恐怖を植えつけろと言ったのも鏡だった。
そして、予想通り王女の魂は生まれ変わらなかった。
妾の天下は続き、あの聖女の魔力を搾り取るようになれば、妾の若さと美しさも永遠のものとなる。
妾の野望は完全な形で叶えられることとなるのだ。
ふふふ、ふふ……はははははは!
笑いが止まらないとはこのことだな。
もう一つ鏡が助言したのは、人民にもある程度の情けを、というものだった。
人民が飢えないように税を軽減しろというのだが、笑止。妾のために人民が犠牲になるのは当然であろう? なぜ妾が税を下げねばならぬ?
苛烈すぎる政策は人々の反発を招く。『窮鼠猫を嚙む』にならぬように気をつけろと鏡は言うが……。飢え死にするくらい弱った人民など、反乱を起こす気力もないであろう(笑)。
それよりも、聖女からどのように魔力を搾り取るか、そちらの方が余程重要な問題だ。
聖女を逃がしてしまってはいけない。また、殺してしまってもいけない。
聖女を逃がそうという愚かな人間がいることは想像に難くない。
そのためには誰にも聖女と接触させないのが一番だが……。侍女などは必要になるだろう。
話をするなと言っても四六時中監視して止める訳にもいかぬ。
また、効率よく常に魔力を搾り取る方法も考えなくては。食べ物を与えず、死なないギリギリの線で生かしておきつつ、魔力を搾り取る。
そのような残酷なやり方は悪魔が得意だと聞いている。
悪魔や魔物を召喚するために国旗を逆さまにしているのだ。
元々は魔から防護するはずの王家の紋章だが、逆さまにすることで逆の呪いになる。
いずれ悪魔が現れるだろう、と鏡は言っていた。
『Slave in the Magic Mirror…、鏡に閉じ込められし男よ…。悪魔はいつになったら現れるのだ?』
『はい。女王陛下。既に魔は城に入りこんでおります。悪魔を召喚されますか?』
何故か鏡に嘲笑されているような気持ちになる。
『妾はすぐに悪魔を所望する。今すぐだ!』
そう言うと、鏡が再び低く嗤ったような気がした。
『では、今居る魔の中で一番高次元のものを召喚しましょう……。ふふ』
すぐに鏡から黒い光が発せられ、空中に黒い魔法陣が描かれる。
『女王陛下。血を一滴たらして下さい。貴方がこの契約の責任者です』
内心で『何故妾が……?』と思ったが、渋々指を針で刺し血を一滴魔法陣に垂らした。
『責任者となるとどうなるのだ?』
『契約が履行されなかった場合の責任を取るのです』
『なに!? 妾が!? そんなこと認められぬ……』
妾が言い終わらぬうちに、大きな黒煙とともに何かがぷしゅうっと魔法陣から出現した。
真っ黒い煙があっという間に人の形を取り、妾の目の前に跪いた。
雪のような真っ白な髪に空を映したような瞳。褐色の肌。睫毛や眉毛まで真っ白で、人間離れした美しさに思わず見惚れてしまった。
「女王陛下、お呼びでしょうか?」
滑らかな絹のような口調で悪魔は挨拶をする。
「悪魔アモン。At your service, your majesty」
ふん。悪くない。美形の悪魔め。
妾が要求を伝えると、アモンはニヤリと嗤い、宙から金属製の輪を取り出した。
腕輪? 手首か……足首につけるのだろう。
「聖女にこの腕輪をつけなさい。魔力を完全に絞り取り、陛下へ直接伝達することができます。また、この腕輪に繋がれている間、他の人間とは話をすることができません。まぁ、例外を作っておいた方が良いでしょう。陛下と婚約者である王太子殿下と……医師とも話ができるようにしておいた方が安全かもしれませんね。誰と話せるかは陛下が選択できるようにします。それから腕輪を外すことができるのは契約者である陛下か私だけです」
「医師か……必要か?」
「ギリギリのところで生かしておくというのは難しいのですよ。思いがけなく簡単に死んでしまいますからね。聖女が死ぬと魔力が得られなくなります。それに聖女が死んで教会から非難されても良いのであれば……」
「いや、分かった。そうしよう」
アモンは舌なめずりでもしそうな顔つきで妾を見据える。
「それでは、この腕輪を所望されるということでよろしいでしょうか?」
「ああ。そう言っている」
妾は苛立ちを隠せない。
「では、このアモンめは何をいただけるのでしょうか?」
「は?! 何のことだ?」
「陛下。悪魔は対価無しには何もいたしません。それが悪魔との契約です。対価をいただかない限り、この腕輪は渡せませんな」
アモンの目は完全に妾を揶揄するようなものだった。頭にカッと血が上る。バカにしおって!
「何が欲しい!?」
「悪魔が欲しがるものと言ったら……魂、でしょう? 陛下の魂を頂戴できますか?」
妾の肌が粟立った。
「ふざけるな! 貴様などに妾の魂を渡せるか!」
「では、取引は不成立ということで……」
腕輪を持ったまま退こうとするアモンを見て、妾は慌てた。その腕輪は欲しい。
「ま、待て。妾の魂は渡せぬ。だが、この国の人間の魂でも命でも欲しいだけ取って行って構わない。誰でも良い。好きにしろ!」
そう叫ぶと、アモンがニヤっと嗤った。
「女王陛下自らが国民の魂を犠牲にすると。なるほど。見上げた心意気ですね」
皮肉めいた口調だ。
苛々が募るが、今は腕輪が欲しい。
「なんとでも言うがいい。妾の国の民だ。妾に尽くすのは当然だろう」
「……万が一担保とした国民の魂に逃げられたら、女王陛下が責任を負われますか?」
「は!? お前は悪魔であろう。逃げられるようなへまはするな。国民は妾のために喜んで犠牲になるだろう」
「国民は誰でも陛下のために命と魂を投げだすと? しかし、国民の魂に逃げられたら、代わりに陛下の命と魂をいただく、という約束くらいはもらわないと」
シルクのような声音が癇に障る。
「……お前に不注意や瑕疵がなく、国民の魂に逃げられた場合のみだ。良かろう。約束する」
「As you wish」
皮肉な嗤いを残してアモンはポンと姿を消した。
床には彼が残していった腕輪がポツンと置いてあった。
慌ててそれを拾うと鏡も妾を嘲笑っているかのように感じて、苛立ちがつのる。
鏡に目もくれず、妾は自分の部屋に戻っていった。
*『魔物資源活用機構』という素晴らしく壮大な小説を書いていらっしゃるIchen様が悪魔アモンを描いて下さいました!本当に素敵です!ありがとうございます!