ユリウスの見解
*ユリウス視点です。
父マリウスが落馬事故で死んだと知らされた時、俺は揶揄われているのだと思った。
父さんは最強の戦士だった。戦場では百戦錬磨。平民出身ながらその強い魔力でも有名だった。
全勝将軍と呼ばれ、兵士たちは父が率いている限り負けることはないと絶対的信頼を抱いていた。
逆に、敵にとっては父の名前を聞いただけで震えあがるくらいの恐ろしい存在だったという。
そんな父が?! 落馬事故で死亡?!
……あり得ない。
しかし、現実には目の前に父の躯が横たわっている。
俺とルキウスを厳しくも優しく鍛えてくれた父。
父のおかげで俺は若年ながらも弓の腕では国一番と言われているし、ルキウスの剣技もあと数年で国一番になるだろうと言われている。
母さんが父さんの遺骸に縋りつき慟哭する中、俺とルキウスは手をつないで溢れる涙も拭わずにただ立ち尽くしていた。
つい最近母さんは妊娠が分かったばかりで、父さんもとても喜んでいたんだ。
幸せそうな二人の笑顔が頭をよぎり胸の痛みが増した。
「……に、にいさん……父さんが……父さんが……信じられない。これから俺達……どうなるの?」
泣きじゃくるルキウスを強く抱きしめる。
「これからは俺がお前と母さんと守るから大丈夫だ!」
安心させるようにルキウスの背中を手のひらでごしごしと擦った。
その後は全てが目まぐるしかった。
幸い住む家や多少の貯えはあったけれど、赤ん坊も生まれることだし誰かが働いていた方が、生活は安定する。
父さんは将軍だったが平民出身で爵位があるわけでもないから、生活の保障は全くないんだ。
もちろん、妊娠中の母さんに無理はさせられない。
俺は自分が働くのは当然だと思っていたが、まだ幼いルキウスも同じように働こうとしていたことに驚いた。
ルキウスには家で母さんとお腹の赤ん坊を守ってくれ、と頼んだ。
そして、俺は父さんの元部下を頼り、王城で下働きの仕事を得ることができた。
自分で言うのも何だか俺は口が堅くそれなりに器用な人材で、運動神経も良い。
すぐに栄転というか、王城内で伝令の役割を任されるようになった。
伝令というのは色々な情報が入ってくるものだ。
女王が血眼になって聖女を探しているという噂も聞いた。教会に囲われる前に手に入れると息巻いているらしい。
正直、この国で女王を慕っている国民は少ないだろう。
亡き先王は素晴らしい方だったし、先王の一人娘だったキアラ王女も美しくて、みんなから愛されていたのに……。
最初に王女が、続いて先王が流行り病で亡くなった時は、国中が哀しみに包まれたものだ。
父も忠誠を誓った主君を失い意気消沈していたが、先王から「アグリッピナとクレメンスを頼む」と死の間際に頼まれたらしく、将軍として国を守ることを改めて決意したようだ。
しかし、女王の使用人に対する酷薄さや、人民は税を搾り取る道具くらいにしか思っていない態度に徐々に国民の心は離れていった。
俺も正直いけ好かない女だと思ってる。無論、そんなことはおくびにも出さないけどな。
溜息をついて空を見上げると、王家の紋章をあしらった大きな旗が風に翻っているのが見えた。
ザカリアス王家には代々受け継がれた紋章がある。
盾を模した紋章はありふれたものではあるが、父さんは誇らしげに言っていた。
「この紋章に魔力が籠められていて、シールド……つまり盾としての役割を果たすんだ。魔が王城に入らないように守ってくれる紋章なんだぞ」
その紋章が今では上下反対になっている。
どういう意味があるのか分からないが、女王が即位した日から王家の旗は上下さかさまで掲揚されるようになった。
もう一度溜息をついて、俺は仕事に戻った。
*****
ある日、俺はとある貴族に呼ばれた。
何でも聖女として生まれた赤ん坊の居場所が特定できたから、使者として迎えに行くという。
何があるか分からないし、小回りの利く従者が必要だからついてきて欲しいという命令だった。
俺に否と言う権利はない。黙って頷いて使者と一緒に馬車に乗った。
聖女の生家で起こった騒動を馬車の中から眺めていたが、赤ん坊と彼女の母親が気の毒でならなかった。
赤ん坊を奪われて泣き伏す母親の姿が母さんと重なった。酷いことをする……。
怒りがこみ上げてきたが、たかが従者に何ができる訳でもない。ここで騒ぎを起こしたら、母さんやルキウス、ラザルスもただでは済まないだろう。
必死で気持ちを落ち着けていると、使者が泣きわめく赤ん坊を連れて馬車に乗りこんできた。
赤ん坊は大声で泣き続けており、使者はうんざりした顔を隠そうともしない。
しまいには俺に赤ん坊を渡すと「静かにさせろ」と命令した。
驚いたことに、俺の腕の中にきた赤ん坊はすぐに泣くのを止めた。
金色の大きな瞳が興味深そうに俺の顔を見つめている。
その美しさに俺は魅了された。
真っ白なすべすべの肌に丸くて愛らしいほっぺ。少しだけ生えている髪の毛も輝くような金色だ。大きな瞳を縁取る睫毛は驚くほど長く、彼女の瞳は赤ん坊とは思えない知性と好奇心に溢れていた。
馬車の中で赤ん坊を抱きながら、俺は不思議な充足感に満たされていた。
この赤ん坊を守りたい、という思いが自然と浮かび上がる。
聖女だからというわけじゃない……。
自分でもよく分からない衝動に自分自身が一番戸惑っていた。
だから、母さんが乳母兼養育係に選ばれた時は、とても嬉しかった。ずっとユリアと一緒に居られるから。
しかし、聖女であるユリアを養育するには王城の敷地の片隅に建てられた家に住むことが条件だった。魔法が絶対に使えない結界が張られた家で、俺たち家族はそこから出ることは許されないという。
俺は王城で働いていたので、俺だけは城の中を動きまわることを許された、
家族にとっては不自由な生活となるが、母さんとルキウスはそれでも喜んでユリアの養育を引き受けた。
「王城から手当も貰えるし、家族が増えて楽しいわ」
母さんが見せた顔は、父さんを失って以来初めての笑顔のような気がしたんだ。
それまで住んでいた家は信頼できる人に預けて、俺たちは新しい家に引っ越した。
思いがけなく新居での生活は快適だった。幸い、すぐにルキウスも剣の腕を活かして王城での仕事を得ることができた。
ルキウスは近衛騎士団の雑用係に採用され、空いている時間に剣技の訓練も受けられる。
母さんは「特に出かけたいとも思わないし」とユリアとラザルスとの生活を楽しんでいるようだった。
ユリアはまったく手のかからない赤ん坊だったし、ラザルスも俺やルキウスに比べたら天使のような赤子だったので、母さんの生活は比較的穏やかだったと思う。
それでも、俺もルキウスも時間を見つけては母さんを手伝い、赤ん坊の面倒をみた。
俺はユリアが可愛くて堪らなかった。もちろん、ラザルスも可愛かったが、ルキウスがラザルスの世話をしてくれていたので、自然と俺はユリアにばかり構うようになっていた。
ユリアは好奇心旺盛でいつもキョロキョロと周囲を見回しているし、俺達の話を理解しているのではないかと思うことが何度もあった。
例えば母さんと俺が話している時。
「アグリッピナ様はユリアが五歳になったら王城に引き取ると仰っているのよね。ユリアは大丈夫かしら……?」
不安げな母さんを宥めようとすると、ベビーベッドで寝ていたユリアの目が大きく見開かれて『嫌だ』とでもいうように首を振った。
***
ある日、ルキウスが顔をしかめて話しかけてきた。
「……今日クレメンス殿下が騎士団の演習場にいらしたよ」
「おいくつになられたんだっけ?」
「五歳になられて、ようやく王宮で暮らすようになったらしいよ。女王陛下は赤ん坊がお嫌いだから、クレメンス殿下も乳母のところで五歳になるまで養育されていたんだってさ」
「へぇ。ルキウスとは年齢が近いから仲良くなれたらいいな」
「無理だね。俺はああいうガキが大嫌いだ」
「そう言うなよ。侍従にでもなれたら大出世じゃないか」
冗談で言うとルキウスは頬を膨らまして拗ねたが、そんな俺たちをユリアは金色に透き通った瞳で静かに見つめていた。