聖女ユリア誕生
「なんだ!また女か!」
私が産声をあげたとき、初めて耳に入ってきた野太い声は不愉快極まりないものだった。
体は生まれたてでも意識は30歳の日本人だ。
ファンタジーのお約束通り、日本語でなくても言葉を理解することに問題はなかった。
だからこそ、初めて聞いたその言葉に傷ついてしまった。
この世界でも女性差別があるのかと、精神年齢が前世のアラサーのままの私は暗澹たる気持ちになる。
しかし、私を産んでくれた女性は疲れ切った顔をしながらも目が合うとニッコリ笑ってくれた。
「ねぇ、とても可愛らしい子よ。全然泣かないし、賢そうな目をしているわ。綺麗な金色の瞳……。無事に生まれてきてくれてありがとう。ねぇ、この子はユリアと名づけましょうよ」
「ふん。どうでもいい。好きにしろ」
父親らしき男は私を一瞥もせずに出ていった。
その後、五人の少女たちが次々と部屋に入ってきては私を撫でたり抱っこしたり大変な騒ぎだった。
そうか。私は六人姉妹の末娘として生まれたんだな。
確かに「また女か」とこぼしてしまった父親の気持ちは多少分かるような気がしないでもない。
私はその夜お母さんに抱きしめられて腕の温かさに包まれながら安心して眠った。
ところがその翌日。
最初に教会からの使いが来た。
昨晩この町に金色の瞳を持つ聖女が誕生した、とのお告げがあったという。教会の情報網を使って、この家に女の子が産まれたことを知ったのだろう。
教会の使者から聖女である赤ん坊(=私)を引き渡すように言われて、さすがの父親も難色を示した。
お母さんは緊張しながらも、しっかりと胸に私を抱いている。
教会からの使いと揉めているところに、今度は王都から女王の使いが現れた。
豪奢な衣装を着た使者が、護衛の騎士らと共に大きな馬車に乗って登場したので、私の両親は恐れ入って平伏するだけだった。
使者は勿体ぶって女王からだという綸旨を開く。
「懸けまくも畏き我が君の綸言の旨を申し伝える!」
使者によると、昨夜生まれた聖女(=私)を王宮に連れてくるようにとの命令だそうだ。
この世界の聖女情報の伝達の速さに感心する。
聖女は王宮で大切に養育するので速やかに引き渡すようにとの、丁寧かつ断定的な命令だった。
お母さんはポロポロ泣きながら、私を離すまいと必死で抱きしめる。全身が震えているのを感じて、私も切ない気持ちになった。
「奥方。赤ん坊は聖女として大切に養育されるだけでなく、将来は王太子と結婚し王妃として国を守る崇高な役目を果たされるのです。この子も王宮の方が良い暮らしができますよ。それに慈愛に満ちた女王陛下よりこれをお預かりしております」
差し出された重そうな金貨の袋と使者の言葉に、まず父親が陥落した。
お母さんは泣きながら私を渡すまいとしていたが、最終的には力づくで使者に奪われた。
赤ん坊の無力さに腹が立って、私は大声で泣き喚いた。
「ユリア!ユリア!」
お母さんは私に手を伸ばして泣き叫ぶ。
それを父親が腕の力で抑え込み、その隙に使者は馬車に乗りこんだ。
悲痛な叫び声をあげるお母さんを置いて、馬車は軽快な蹄の音を立てて走り去った。
泣き止まない私に使者は手を焼いている。ザマ―ミロ! もっと困らせてやる。
「静かにさせろ」
うんざりした使者は、しまいには同乗していた従者に私を渡して命令した。
従者はまだ十歳そこそこの少年で、彼に罪はないのに叱られたら可哀想だと必死で泣くのを止めた。それに彼の腕の中は居心地が良かった。
彼の腕の中ですぐに泣き止んだのを見て、使者は「ほう?」と興味深げに従者を眺める。
「赤ん坊の扱いが上手だな?」
「はい。弟が二人おりますし、一番下の弟はまだ赤ん坊ですから」
「ああ、エミリアは数か月前に赤ん坊を産んだばかりだったな。乳は出るか?」
「はい。母はいつも余って困っていると言っていました」
「そうか……なるほどな」
使者は腕を組んで考えこんだ。
「あの、この子の名前は何と言うのですか?」
「ああ、ユリアと呼ばれていた。お前の名前と似ているな」
「そうですね」
嬉しそうに笑った少年の笑顔が可愛くて見惚れてしまった。
この子は将来超絶イケメンになるに違いない。
鮮やかな赤毛。少したれ目がちな、大きなキラキラした蒼い瞳。
私みたいな名前って何だろう?
馬車の揺れに合わせてだんだん眠くなってきた。
……産んでくれたお母さんのことを思い出すとまだ胸が痛いけど赤ん坊の私にできることは無い。
大きくなったら絶対にお母さんを探して会いにいくと決めた。
私は王宮で育てられることになるのか……? 一体どんな生活になるんだろう?
思考はグルグル止まらなかったけど、気がついたら私は少年の腕の中でウトウトと眠ってしまった、ようだ。
***
夢の中で、私は前世の自分の人生を思い返していた。
名は高田実奈。東京にある国立大学農学部の後期博士課程を修了し、ポスドクを経て一般企業に就職。システムエンジニアになった。
学生時代は勉強一筋。恋愛経験も無く地味な生活を送っていたと思う。研究が一番楽しいと感じていた。
ところが、ポスドクの時に博士課程に入ってきた鴨 涼介くんと思いがけなく恋に落ちた。
鴨くんは優秀で理論的で、皆から一目置かれる学生だったけど、同時に爽やかで気さくで優しかった。女の子にも人気だったと思う。
私も仄かな憧れを感じていた。
同じ研究室の学生が「鴨は超モテるし彼女を切らしたことがない」と言っていたから、てっきり彼女さんがいるんだと思っていたけど、鴨くんから彼女はいないと言われて、告白された。
あまりのことにビックリして、最初は信じられなかった。夢かと思った。
……本当に鴨くんと過ごした数か月は夢みたいだったな。
こんなに幸せな時間を過ごしていいんだろうかって不安になるほどだった。
私はそれまでずっと「地味」「冷静過ぎる」「感情がない」とか周囲から言われ続けてきたから、鴨くんのようにずっと「可愛い」と言われると、むず痒いというか、恥ずかしいというか、照れくさくて……。
でも、嬉しかった。
自分が誰かの特別な女の子になれた奇跡に、涙が出そうになるくらい胸が熱くなったのを覚えている。
そんな時に、彼が事故に遭った……。
その後は思い出したくもない。
彼との思い出が詰まった研究室にいることが耐えられなくなって、一般企業に就職した。
それまで私が専門としていた農業工学、土木学、水理学、土壌物理学、流水システム学という学問分野とはまったく関係ない企業で、まったく関係ない職種に就いた。
システムエンジニアになったのは、忙しそうなイメージがあったから。とにかく彼を忘れるために仕事で気を紛らさないと生き続ける自信がなかった。
ただ……ただ彼に会いたい。
胸にぽっかりと空いた穴は一生ふさがらないと思っていた。
***
あのお爺さんの言葉を信じるなら、彼の魂はこの世界に転生しているはずだ。
どうかこの世界で彼に会えますように、と心の中で祈りながらも「鴨くんに会えなかったらどうしよう」と生まれつきのネガティブ気質が顔を覗かせて、私はぼんやりした頭で半分眠りながら馬車に揺られていた。
やがて意識が覚醒した頃、ガタンと音がして馬車が止まる。
目を開けると、美少年が優しい眼差しで私を見つめていた。
彼は慎重に私を抱いたまま馬車を降りる。使者は、そのまま私を女王の謁見の間まで連れていくように命令した。
ここが例の魔女の住む城か……。
目をきょろきょろさせて周囲を見回すと王城の壮大さに呆気に取られた。
これだけの王城があるなんて、どれだけの権力なのよ?!
重機なんかも無い世界だろう?
これだけの構造物を建てるのは至難の業だ。魔法を活用したに違いないが……。構造計算や強度計算はどんな風にしてるのかな?
ふと風にはためく旗が視界に入る。そこには紋章らしき図柄が描かれているが、なぜか上下逆さまに見えた。
紋章には盾のような形が使われることが多いが、その旗に掛かれた紋章の盾が上下逆になっている。珍しいな、この世界の風習だろうか?
色々と気になってもっと周囲を見たいんだけど、思うように首が動かない。目だけを動かしていたら、少年にクスクス笑われた。
「君はまだ赤ちゃんだけど、好奇心旺盛なんだね」
赤ん坊らしく大人しくしていよう。
そうやって謁見の間に辿り着いた私が見たのは、白〇姫の継母そっくりの魔女だった。お誂え向きに壁に大きな鏡まで掛かっている。
彼女が悪い魔女か……。想像通りの姿に思わず溜息が出た。
予備知識があって良かった。お爺さんが見せてくれた動画を思い出す。
「それが聖女とやらか。ああ、気持ち悪い。うるさい赤ん坊など煩わしいだけだ。いずれにしても魔力を搾り取れるのは5歳になってからだ。それまでは適当に誰かが面倒をみておけ。赤ん坊の王宮内への出入りは禁じる!」
「へ、陛下。エミリア・カエサルは最近赤ん坊を産んだばかりで乳がでます。彼女を乳母にして養育させたらいかがかでしょうか?」
私を連れてきた使者が跪いたままお伺いを立てる。
「……エミリア? ああ、死んだマリウスの妻か。良かろう。マリウスは優秀な将器であったのに夭折して残念だったな」
魔女は何故かニンマリと満足気に嗤い、私はそれを見て全身に鳥肌が立った。
マリウスの名に聞き覚えがある。
動画に出てきていたよね? 反乱軍を指揮して魔女を倒す予定の将軍……?
え~っと。今『死んだ』って聞こえたんだけども……(怖)。
「有難きお言葉を頂き、亡き父も喜んでいると思います」
私を抱いたまま跪いていた少年が静かに口を開いた。
「……お前はマリウスの倅か? 名は何と申す?」
「ユリウスと申します」
顔を伏せたまま答えるユリウス。
『ユリウス』?! 衝撃で思わずまじまじと彼の顔を見てしまった。
動画ではユリアとユリウスが結婚するエンディングだったよね?
この人と!?
彼が鴨くんの可能性は……?
絶対に彼を見つけられるなんて根拠のない自信があった自分が恥ずかしい。
正直、全然分かんない。何も感じない。ユリウスは鴨くんじゃないってことかしら?
どうしよう……?
彼を見つけられないかもしれない、と絶望に打ちひしがれている間にも話は進んでいく。
「ユリウスは弓の腕で既に国一番と言われております。弟のルキウスは幼いながらも剣技で評判が高く、いずれ国の役に立つであろう人材かと……」
使者が得意気に胸を張ると、魔女も満足げに頷いた。
「これからも妾のために励め」
使者とユリウスは再び頭を下げ謁見の間から退出した。
このような経緯で私はエミリア・カエサルに養育されることになったのである。