大地の龍神
全員がポカンと口を開けて、壮大な龍を見上げた。
精霊王のところで見た天の龍神とそっくりだが、色合いが微妙に違う。
天の龍神は青と紫色の混じったような色合いだった。
しかし、今この場で私たちを見下ろす龍の鱗は美しい蒼と緑が混じっていて、やはり光り輝きながら常に流動しているように見える。輝く水の流れのような動きが止まることはない。
その瞳は智慧に溢れ、優しく見守っているようにも感じる。
敵ではない。直感的にそう思った。
青緑色の光を放つ神々しい龍の姿に、私は自然と跪いて最上級の拝礼を行った。
精霊王が、天を司る龍神と地の水脈を司る龍神の話をしていたのを思い出した。
きっと、この龍が大地の水脈を守る龍神に違いない。
その場にいた他の人たちも私に続いて龍に拝礼する。
龍神が口を開いた。
「……精霊王の加護に恵まれし稀有な娘よ」
重厚な声で呼びかけられ、私は「はい」と返事をする。
ああ、心臓がドキドキする。
「お前は井戸から水を汲む時に、なぜわざわざ手を合わせ、拝礼を行ったのか?」
****
前世で、私の祖父母は山奥の遠隔地に住んでいて、家の庭には古い井戸があった。
祖父母はしょっちゅう「井戸には神様が住んでいるから不敬を働いてはいけない」と私に注意していた。
もちろん、その頃には水道が通っていたから古い井戸はとっくに使われなくなってコンクリートで蓋がしてあった。
でも、井戸の周囲には榊が植えられて神棚も残っていた。榊には白いヒラヒラした紙垂がつけられていたのを覚えている。
祖母は毎日神棚の掃除をして、そこにお供えをしていたと思う。
井戸には神様が住んでいるというのは前世で幼い頃に刷り込まれたし、この国の風習を書いた本にも井戸は神聖なものと記されていた。
だから、自然と手を合わせて拝礼するという行動につながったのだ。
「民の命を繋ぐ大切な水を与えてくれる井戸は神聖なものと学びました。神聖な存在に対して敬意を払ったのでございます」
再び拝礼をしながら返答すると、龍はフンっと鼻から息を噴き出した。
「なるほど……精霊王の加護を獲得しただけのことはある。娘よ。我は大地にある水を律するもの。民に伝えよ。一滴の水をも無駄にせず、大地と天の恵みに感謝を伝え続けるのであれば、井戸の水を枯らすことはないだろう」
井戸の水が枯れない!
それはなんて素晴らしいニュース!
人々も感謝の言葉を口々に唱えている。
「ただし!」
龍神は釘を刺すのも忘れない。
「人心が奢り、水の価値を軽視し、井戸を粗末に扱うような場合には、大地の恵みは全て失われ、多くの民が死する運命となるであろう」
神々しい龍神からの言葉に、私は責任の重さを感じた。人々にこのメッセージを伝えなければならない。
「承知致しました。然るべく取り計らう所存でございます。温情に心より感謝申し上げます。誠にありがとうございます。」
凛と声を張りあげて深くお辞儀をした。
「……娘。この長い旱魃の後には大雨が来るだろう。天にいる我の兄弟の采配だ。川が氾濫し大きな洪水も起こる。対策を講じておけ」
「龍神様、ありがとうございます! 最善を尽くします!」
龍神は私の顔を見て、顔を少し動かした。……もしかして微笑んだのかな???
なんて考えていたら、徐々に姿がぼやけて空気の中に消えていった。
うわぁ~~~っという大きな歓声が沸いた。
私も安堵の溜息をつく。
大地の龍神様は……人間を好意的に捉えてくれたようだ。良かった。
正しく敬意を払えば井戸は枯れない、という言葉を頂いただけでも大きな成果だ。
「皆さん、どうか龍神様の言葉を忘れないで下さい。一滴の水でも大切にすること。そして、井戸に敬意を払ってください」
私は町の人々に訴えかけた。
「お前ら! 調子に乗ってるんじゃないよ! いいかい! 龍神様と聖女様の約束を忘れるな! 言いつけをしっかり守っていれば、井戸の水は枯れない。井戸を粗末に扱うものはあたしらの敵とみなすからね!」
お婆さんも怒鳴ってくれる。
「町長! いいかい! ちゃんとあんたが甘藷と井戸の扱いについて政策を立てるんだよ! いい加減なことをしたら、あたしが黙っちゃいないからね!」
町の有力者らしき人の首根っこを捕まえて小柄なお婆さんが脅している。あのオドオドした人……町長だったんだ……。
町長は怯えた目でコクコクと頷いた。
うん、この町はお婆さんもいるしきっと大丈夫だ。私は晴れ晴れとした気持ちになった。
何だか色々なことがありすぎて出発しそびれてしまい、結局その夜も同じ宿屋に泊まることにした。
前夜とはまったく違い、台所のテーブルにはご馳走が並んでいる。
町の人たちが沢山食べ物を差し入れてくれたらしい。町のみんなの食べ物が…と心配したが、甘藷も水も何とかなりそうだし感謝の気持ちだから是非食べてくれ、とのことだった。
沢山食べそうな男性陣もいるし、有難く気持ちを受け取ることにした。
和やかな晩餐で、予想通り男性陣はご馳走にかぶりついている。
ルークは…少し元気が無さそうだけど、普通に食べている。良かった。
あまりルークのほうは見ないようにして、アガタとばかり喋っていた。
甘藷のことで忙しくてルークのことはあまり考えずに済んだ。
うん、きっとこうやって忙しくしていたら、いつか……この胸の痛みも少しずつ減っていくに違いない。
公爵とモニカさんは楽しそうにお互いを見つめ合いながら食事を楽しんでいる。
幸せそうだ、羨ましいな……という気持ちはそっと胸の奥の奥にしまい込んだ。
***
翌朝、私たちはお婆さんと見送りに来てくれた町の人たちに別れを告げた。
「また遊びにきな! いつでも歓迎するよ」
お婆さんは、またバーンと私の背中を叩いた。
町の人たちの顔がみんな明るく生き生きしているのが嬉しい。
きっとこの町は大丈夫だ。
他の町にも伝えたいな……。辺境伯に相談してみよう、と頭の中で色々考えながら、馬車に揺られていると突然公爵に声を掛けられた。
「聖女殿、大丈夫ですか?」
馬車には公爵とモニカ、アガタと私の四人が同乗している。
「あ、はい。大丈夫です。それから、言いそびれていたんですが、どうか名前で呼んで下さい。呼び捨てで構いませんので……」
「はい。分かりました。ユリア嬢。貴女は非常に興味深い方ですね」
公爵に言われると頬が赤らむ。どういう意味だろう? 褒められているのだろうか?
「……褒めているんですよ」
考えが読まれていたんだろうか? 焦る私に公爵はクスクス笑った。
「貴女は素直な方だから、考えていることは大体分かりますね」
モニカとアガタもくすっと笑うがその眼差しはとても優しい。
ようやく自分の居場所を見つけられたような気がして胸が温かくなった。
そうして私たちは旅の終着地、トラキアの首都であり辺境伯の城があるガリアに到着したのだった。
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の著者でいらっしゃるIchen様が大地の龍神、水脈の神様を描いて下さいました(*^-^*)!
素晴らしい龍神様です~!本当にありがとうございました<m(__)m>