甘藷畑
台所には幾つもの甘藷が残っていたので、それらを種芋として使わせてもらえないかお願いしたところ、お婆さんは快諾してくれた。
お婆さんに連れられて畑に行くと既に人が集まっていた。アルバーノさんやユリウスたちが走り回って町の有力者たちに伝達してくれたらしい。
噂を聞いた一般の方々も見物に来たみたい。うわぁ、緊張するなぁ。
ドキドキしながら『最初に何て言おう……』って考えていたら、お婆さんが大音量で怒鳴った。
「お前ら! この方は正真正銘の聖女様だよ! この町の役に立つことを教えてくださるんだ! 冷やかしたり、失礼な態度を取ったら、このあたしが許さないからね!」
小柄なお婆さんから出ているとは思えない大迫力。
一方、人々はうぉぉぉぉぉ!と盛り上がっている。
えーっと、もしかしてこのお婆さんはこの町でとても影響力のある方……なのかな?
全員の真剣な顔を見て、私の気持ちも定まった。
「あの、この辺りでは不作で食べ物が不足しがちだと聞きました。それで、この甘藷を育てたらどうかと思ったんです。甘藷は水をそれほど必要としませんし、害虫にも強く、育つのも早いです。まず、この種芋を育てます」
私は幾つかの種芋を畑の土の中に埋めた。
そして地面に魔力を流す。
魔法は無から有を生み出すことはできないけど、存在するものに働きかけることは可能だ。
『種芋よ。育って!』
心に念じながら慎重に魔力を大地に流していくと、種芋を植えたところからみるみる茎と葉が生えてきた。
人々から「ぉぉお~」という歓声があがる。
一つの種芋から複数の茎が生えてきている。30㎝ほど育ったところで一本の茎を根本近くから切った。かなり多くの茎が手に入るだろう。
この茎を畑の別な畝に植え付ける。これで無事に根付けば甘藷が育つはずだ。
最初の種芋はそれほど多くなかったけど、茎は多い。見ていた人が手伝ってくれて、なんとか三列の畝が埋まるほどの植え付けが完了した。
ちょっと水が欲しいな、と思った。土は肥料の効いていない“砂壌土”が理想的だったはず。痩せた土地で育つんだよね。そういう意味でこの畑は理想的だけど、やっぱり最初は多少の水分が必要だ。
精霊王の加護をもらったから大きな天候の変化は無理でも、短時間小雨を降らせることはできないかな。ちょっとの湿気で十分なんだけど。
「小雨でいいので、この畑に雨を降らせて下さい。精霊王さま! 天の龍神様! お願いします!」
両手を広げて空に訴えかけると、驚くことに本当に黒い雲が近づいてきた。
そして、霧のような優しい雨が畑に降り注ぐ。
町の人達は呆気に取られてぽかんと口を開けた。
「せ、聖女さま……?」
「本当に雨を降らせることができるんだ!?」
「すごい!」
「俺達はこれでもう安泰だ!」
「飢饉も終わりだ!」
最初はざわざわとした声が大歓声に変わる。泣いている人もいる。
まずい! 私は焦った。変に期待を持たせてはいけない。
「あの! 私は大きく天候を変えることはできません。一時的に少し雨を降らせるくらいです。ですから、この雨が止んだら、またもとの旱魃に戻ってしまうと思います。ごめんなさい!」
深々と頭を下げた。
「えーっ!」
「なんだそれ!?」
「期待外れだな」
不満の声があがり、いたたまれなくなった私を庇うようにお婆さんが拳を振りあげた。
「あんたたちは大バカものだ! 聖女さまは神様じゃないんだよ。あたしたちと同じ人間だ! 聖女さまは生き残る知恵を授けてくださるんだよ! まずはそれに感謝しろ! 何でもかんでもやってもらおうなんて甘えた考えの怠け者はこの町にいらないよ!」
お婆さんの剣幕に町の人々は恥ずかしそうに俯いて、口々に「すみませんでした」と頭を下げた。
私はほっと息を吐いた。お婆さんに感謝だ。
雨が止んで土が適度に湿ったところで再び大地に魔力を流した。
再び種芋からは何本もの茎が生えてきて、植え付けた茎も見事に根付いたようだ。
植え付けた茎の根元を少し掘り起こしてみると既に数センチくらいのさつまいもができている。
うん、これならあと一~二週間で収穫できるだろう。
あとは茎を他の畑にも植え付けて、どんどん増やしていけばいい。甘藷は連作も可能だったはず。
魔法を使わないと収穫までに二-三ヶ月かかることも説明した。
でも、まったく作物が植えられないと思っていた町の人からすると、それでも十分だったらしい。大きな歓喜の声があがった。
しかし、ここから先の説明が難しい。
「皆さん、甘藷は成長に多くの水を必要とはしません。が! それでもまったく水がないと生育できません。ですから、生活用の水を少しだけ畑に提供して欲しいのです。例えば、食器を洗った後の水がありますよね?」
町の有力者らしき人が恐る恐る手を上げた。
「なんだい!? 言ってみな!」
お婆さんにビクビクしている様子を見ると、このお婆さんはホントにこの町でエライ人なんだなぁ……。
「聖女さま。貴重なお知恵を誠にありがとうございます。しかし……その……仰ったような生活用水は既に畑に撒いてきました。でも、この旱魃ではまったく足りないのです。畑はすぐに乾いてしまい作物は育ちません」
うん、その通りだね。そこで点滴灌漑システムのコンセプトを説明する。
畑全体に水を撒こうとするから水が足りなくなるのだ。作物の必要な部分にだけちょっと水を垂らすことで水を大幅に節約できるはず。
みんなが不得要領の顔をしているので、実際にやってみることにする。
畑の脇に古そうな井戸があった。
井戸に近づいて、手を合わせる。
「申し訳ありません。水を使わせてください」
精霊王の儀式と同じ拝礼を行った。
その後、密かにキッチンから持ってきたカップに魔法で井戸の中の水を少し移動させる。
大したことない魔法なんだけど、またどよめきが起こった。
苦笑いしながら、カップの水をほんの少しだけ甘藷の根元に垂らす。
「甘藷にはこれくらいの量で十分です。逆に水をあげすぎる方が良くないです」
マグカップ一杯分で畝一列分の甘藷の根元が潤った。
「ねっ! それほど多くの水は必要ありません。生活用水だけでも十分に甘藷を育てることができるでしょう!」
「そ、それだけの水で足りますか?」
「十分です。人の力でちょっとずつ根を潤すくらいで良く育ちますから。手間はかかりますけど、大切に育ててあげてください」
信じられない、という表情で人々はお互いの顔を見合わせている。
「このやり方なら従来の農業のように多くの水を必要としません。飢饉で飢え死にすることはなくなるでしょう!」
自然に起こった小さな拍手が徐々に大きくなっていく。
なぜだか「聖女さま、バンザーイ」という掛け声まで起こり、聖女コールが始まった。
ノリがいい……。
私、こういうの苦手なんです……。どうしたらいいか分かりません……。
戸惑っていると、突然聖女コールが止んで静寂になった。
みんなの顔が驚愕したように固まっている。
お婆さんの顔も硬直していて、震える指で私の背後を指さしている。
「ああ、ああああんた……うう、後ろ……」
えっ?!
振り返るとそこには大きな龍が私たちを見下ろしていた。