失恋の後
逃げるように宿屋の部屋に戻ると、アガタとモニカさんが心配そうに迎えてくれた。
「ユリア様……大丈夫ですか?」
モニカさんがすぐに近寄って抱きしめてくれるが、涙が溢れて声にならない。
二人に抱えられるようにしてベッドに座ると、両隣で肩を抱いたり背中を擦ったりしてくれる。
黙って何も聞かないでくれる優しさが有難かった。
……温かいな。
私はそのまま泣き疲れて眠ってしまったらしい。
気がついたら朝だった。ちゃんと寝間着に着替えて自分のベッドで眠っていたので、きっと二人が着替えさせてくれたんだろう。
一晩ぐっすり眠ったら多少の気力は戻ってきた。
もう、ルークのことは忘れよう。
モナさんとは離れられないと言った後、私を追いかけても来なかった。それが彼の答えなのだと思う。
彼への想いは断ち切ろう。
身を切られるように辛いけど……それが一番健全な決断だ。
少なくとも前世のように彼が突然死んでしまったわけではない。辛いけど……彼の幸せを心から願っている。そのためにも彼への想いを忘れることが最善なのだ。
***
気を取り直して服を着替えると、まだ眠っている二人を起こさないようにそろりそろりと台所に降りていった。
途中、治癒魔法を使って腫れた目を治す。
台所には既にお婆さんが立ち働いていて卵とパンを用意してくれていた。
「おはようございます!」
明るく挨拶すると「ふん!」と返された。
だんだん慣れてきたなぁ。
パンはお婆さんが早朝に買ってきてくれたんだと思う。
「材料を用意してくださってありがとうございます!」
お婆さんに深く頭を下げた。
「あの……この辺では食べ物は簡単に買える状況ですか?」
気になっていたことを恐る恐る聞いてみた。
お婆さんは深い溜息をついた。
「……今はまだ何とか買えるよ。でも、すぐにきつくなるね。不作が続いているし、雨も全然降らないからね。新しい作物の植え付けをしたくても、すぐに枯れちまう」
「この町の井戸の状況はどうなっていますか? ここの裏庭にも井戸がありますよね?」
「井戸は……まだ何とか持ちそうだが。飲料水や料理に使う分しかないだろう。畑に撒けるほどの量はないよ。でも、この町はまだ恵まれている方さ。もっとひどい街なんていくらでもある」
そうか。
昨日台所で甘藷を見つけて、前世の知識を思い出した。
確か飢饉に強い救荒食物の中でも、甘藷は特に優秀だったはずだ。
甘藷は気象の変化や土質を問わずに生育可能で、雑草や病害虫に強い。水を多く必要としない作物で痩せた土地でも育つ。その上、生育・成熟が早く、簡単に調理が出来、主食に替わるエネルギー量を持っている。
手早く火を起こしながら、お婆さんに甘藷のことを聞いてみた。
「甘藷? ああ、あれは山から獲って来たんだよ。自生しているからね」
なるほど。山から獲って来た甘藷を種芋にして、畑で栽培するのが一番効率良いかな。
あとで皆に相談してみよう。
色々考えながら、卵黄、油と酢を混ぜてマヨネーズを作った。卵はかために茹でておく。
ゆで卵の殻をむき細かく刻んでマヨネーズにあえる。お婆さんは黙って手伝ってくれた。やっぱり優しい人だ。
全員分の卵サンドができて、お茶も準備できた頃に他の皆が台所に降りてきた。
「うわ~、すごいですねぇ! 朝からこんなご馳走が食べられるなんて!」
アルバーノさんが感心したように叫んだ。
「お手伝いできなくて申し訳ありません!」
モニカさんとアガタは恐縮しているが「全然気にしないで」と手を振った。
ユリウスとルークはどことなく気まずそうで、挨拶はしても私と目を合わせようとはしない。
気にしない!』と自分に言い聞かせて、みんなと卵サンドの朝食を楽しんだ。
「正直……こんなに美味なるものが食べられるとは思ってもみなかった! 王宮でもこんなに美味しい食事は珍しい。聖女殿は料理が上手なのですね」
公爵まで絶賛してくれて、過分な褒め言葉に恐縮してしまう。
多分この状況だから美味しく感じるってだけじゃないかな……?
それでも皆が口々に美味しいと言って、みるみるうちに山ほど作ったサンドイッチが消えていくと素直に『嬉しい』と思う。
食後のお茶を飲んでいる時、私は思い切って甘藷の話題を持ち出してみた。
「なるほどね。では聖女殿はこの町の畑で甘藷が収穫できるようにしたいと……?」
公爵は顎を擦りながら考えこんでいる。
「問題はやっぱり水だろうな。いくら水をそれほど必要としないと言ったって、水がまったくなかったら育たないだろう? この辺りは川も干上がっている。井戸の水は飲料水で精一杯だ。難しいかもしれないな」
公爵の言う通りだ。私もそれは考えてみた。
前世では節水型灌漑システムへの転換について、多くの研究がされていた。特に点滴灌漑システムは水不足の地域で役に立つ農業システムで、従来の農業に使用されている水の40 パーセント以上が節約されるだろうって言われていたな。
私は簡潔に点滴灌漑システムについて説明した。要はパイプを土の中に埋めて、作物が生えているところにだけ水が供給されるシステムだ。パイプには穴が開いていて、その穴の近くに作物を植えていく。パイプに水を通すと、その穴から水が出て来る仕組みだ。要は水が必要な根っこのあるところにだけ水が届くようにする、というシステムだ。
この世界ではまさかそんなシステムは作れない。
でも、この世界にはその代わりに活用できるマンパワーがある、と思うのだ。パイプの代わりに人力でできるのではないかしら?
私の計画を詳しく説明すると、みんな曖昧に頷いてくれた。
そう簡単に上手くいくのか?という顔をしている。当然だよね!
取りあえず、実際にやってみないことには始まらない。
お婆さんに町のエライ人達と話がしたいんだけど、と尋ねると、すぐに集まるように手配する、と言い切ってくれた。
実際に畑の作業ができるところがいいんだけど……と恐る恐る尋ねると、お婆さんの畑にみんなを集合させるから問題ない、と言ってくれた。
「あんた、気に入ったよ。やりたいようにやってみな!」
思いがけずお婆さんが笑顔を見せて、私の背中を思い切り叩いた。