ルークの秘密
「やっぱりユリアはすごい!」
ルークは上機嫌で私の隣を歩きながら、ずっと顔を紅潮させていた。
「精霊王は加護をくれただけじゃない。ユリアの味方になってくれた。本当にすごいことだよ! ユリアがいなかったら精霊王の奥方様も助からなかったろう」
褒めてくれるのは嬉しい。でも照れくさいというか……慣れていないから、どうしていいのか分からない。
ただ、嬉しそうに話すルークを見ると誇らしい気持ちも湧いてくる。
その時、ルークがふと立ち止まって、道端に咲いていた白っぽい花を見つめた。
「……なんか、変わった花だな? 花……だよな?」
「ああ、それね」
英語だとSpider lily、日本語だとヒメノカリスという花で、細い花びらが垂れ下がっている。確かに一般的な花には見えないかもしれないけど、ちゃんとした花なのよ。
「へぇ~。さすがユリアは何でも知ってるなぁ」
ルークは子供みたいに屈託なく笑う。その顔を見ていたら、思わず手を動かして彼の頭を撫でていた。
花を見るためにルークがちょっと屈んだので、ちょうど手が届きやすかったこともある。
ルークの黒髪はサラサラだけど少し弾力があって気持ちいいなぁ、なんて髪を指に絡ませながら撫で続けて……そして、ハッと我に返る。
無意識にやってしまった痴女的行動が恥ずかしくなり、私は慌てて手を離した。
「ご、ごめん。馴れ馴れしかったよね」
ルークはそのまま黙って俯いているから、怒っちゃったのかな、と心配になって、顔を覗き込むと彼は手を口に当てて、真っ赤になっていた。
うわぁぁぁぁぁぁぁ、可愛い!
「……」
何か呟いたので、「なに?」と聞き返すと、彼は小さな声で「……もっと」と言った。
耳まで赤いルークがとにかく可愛くて……。
笑いを堪えて背伸びをしてもう一度頭を撫でようとすると、手が届きやすいようにちょっと屈んでくれる。
サラサラの黒髪に指を通しながら、恥ずかしいようないたたまれないような、でも幸せな時間を過ごした。
再び歩き出すとルークは俄然やる気になっていた。こんな生き生きとしたルークは初めて見るかもしれない。
「俺も頑張らないとな! 魔力も使えるようになったみたいだし、ユリアに誇れるような戦士になって、絶対にユリアを守るから!」
力強くこぶしを握るルークを見て、不思議な既視感に捕らわれた。
*****
前世で私が『Nature』という世界的に権威のある学術誌に論文が掲載されると決まった時、鴨くんもこんな風に喜んでくれた。
「俺も頑張らないとな! 実奈の彼氏として恥ずかしくない実績を積まないと!」
ルークと鴨くんの笑顔が重なる。
……ダメだ。それはパンドラの箱。開けたら苦しみしか出てこない。しかも、希望も残らないんだ。
私はブンブンと頭を振って、嫌な予感を追い出した。
違う……。絶対に違う。
「ルークにも魔力があったなんて! 本当に良かったね。私もまだ魔法の使い方で不慣れなところがあるから、一緒に練習しようか?」
無理な笑顔を作っていたのが分かったのか、ルークが心配そうに立ち止まった。
「ユリア……? 大丈夫か?」
「うん! 大丈夫だよ。なんで?」
「……なんか、無理してない? 困ったことがあったら何でも俺に相談してほしい。ユリアは俺にとって特別だから……」
ルークの瞳は真剣で、本心から言ってくれているのがよく分かる。
「うん、ありがとう! 私にとってもルークは大切な家族だから。何かあったら相談させてもらうね」
私の言葉にルークはどことなく気落ちしたようだった。
二人とも気まずい雰囲気のまま、黙って歩き続ける。
ふとルークが口笛を吹いた。
聞いた瞬間に私は立っていられなくなった。愕然として膝から崩れ落ちる。
……聞いたことがあるメロディ。前世の……アニメの主題歌……。
鴨くんがよく口笛で吹いていた曲……。
涙が滝のように後から後から零れ落ちる。
ルークが慌てて私を支えようとするが、私は手で拒絶した。
「ゆ、ユリア……どうしたんだ? 何があった? 俺が何かしたか?」
慌てふためくルークは何も悪くない。
私は泣きながら「そ、その曲は?」と尋ねた。
万が一、誰かから教わったとか……。可能性は低いけど、同じ世界から生まれ変わった人が他にもいたかもしれない。
でも……所詮悪あがきだな、と心の中で自嘲する。
ずっと昔から答えは分かっていたのに……。ずっと自分を誤魔化してきた。
「え、え、この口笛の曲?! ……え、分からない。なんかふと頭に浮かんできて……。今まで聞いたことない音楽なんだけど……。この曲がどうかしたか? 何か悪いことだった? どうしたんだ? ユリア、何か言ってくれないか?」
ルークをこれ以上困らせないように泣き止まないと、と思うんだけど、どうしても涙が止まらない。
間違いない。鴨くんはルークに生まれ変わったんだ。
……本当は最初から知っていた。
でも、信じたくなかった。
認めたくなかった。
赤ん坊の時、初めてルークを見た時、ドキンと心臓が高鳴った。
『もしかしたら鴨くんかも……』
予感がしたんだ。
でも、ルークが顔を顰めながらすぐに私から視線を外した時、自分に言い聞かせた。
『違う。鴨くんがこんな反応をするはずがない。彼じゃない……』
最初は嫌われていると思っていたし……今はあんなに綺麗な婚約者がいる。
ルークが鴨君だって怖くてどうしても認められなかった。
もしかしたら違う可能性もあるって自分に言い聞かせて考えないようにしていた。
でも、このメロディは……。もう否定できない。
ルークが鴨くんなんだ。
涙が後から後から零れ落ちる。
ルークは弱り切った顔で私の傍に跪いていた。
心配そうな顔を見ると、申し訳ない気持ちが湧いてくる。
ルークは何も覚えていないんだもんね。赤ちゃんの頃から一緒に過ごしたのに、彼の心を掴むことはできなかった。結局魅力がなかった自分が悪いんだ。
そう自分に言い聞かせても、体から力が抜けて、なかなか立ち上がることができなかった。
気がつくとルークは泣いている私の頭を優しく撫でていた。
優しくしないでほしい、余計に辛くなるから、と思ったけど言葉には出せなかった。
しばらく泣きつづけると少しずつ落ち着いてきた。気持ちは傷だらけだったけど、このままずっとここにいるわけにはいかない。
待っている人達もいる。
最後は責任感という気力で無理矢理泣き止んだ。
「ルーク、ごめんね。急に泣き出して。何でもないから。心配しないで。もう大丈夫」
「……それが信じられると思うか?」
弱々しい声を無視して、私は歩きだした。
仕方なくルークもついてくる。
普通の顔を取りつくろうのに必死だった。
今は考えない、と自分に言い聞かせる。
でないと生きていけない。
……この感覚、前世でも経験したな。
鴨くんが亡くなった後、しばらくはこんな感じでとにかく生きる状態を保つことに必死だった。
あの頃の私はいつどうなってもおかしくなかったと思う。
……大丈夫。あれを乗り越えられた。だから、今回も乗り越えられるはず。
呪文のように自分に言い聞かせ、自分が考えなくてはならない現実的な問題に意識を向けるようにした。
ルークはしょんぼりしながら私の後をついてくる。
彼は何も悪くないのに、居心地の悪い思いをさせてしまったな。
でも、まだ明るく話しかけるには気力が足りない。
ごめんなさい……。
心の中で何度も謝りながら、私はただ黙々と歩き続けた。




