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塩対応の騎士が甘すぎる  作者: 北里のえ
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精霊王

精霊王の言葉を聞いて、私たちは茫然と顔を見合わせた。


やっぱり精霊王は人間に怒っているみたいだ……でも……なんで?


だって、本来なら聖女(=元王女)に加護を与えて人間を救う側に回っていたはずでしょ?


お爺さんが言っていた天界の筋書きを狂わそうとしている奴が、何かやらかしたのか……?


混乱しつつも頭の中で色々と考えながら、私は立ちあがった。


ルークは私を守るように前に出て剣の柄に手をかけるが、その手を軽く押さえて微笑んだ。


私は大丈夫。


ルークは戸惑いながらも身を引く。


精霊王に向かって深く礼を取りつつ、私は声を張り上げた。


「精霊王様。私はユリアと申します。御目文字を許していただき、誠にありがとうございます。精霊王様のお怒りの理由をお聞かせ頂けないでしょうか?」


「人間どもは信用できん。前王は多少話が分かる奴だと思って、娘に加護を与えたが正直後悔している」


「なぜ後悔されていらっしゃるのですか?」


すると精霊王の目が怒りで血走り、突然目じりから涙がこぼれた。


物凄い殺気に共に強い風が巻きあがる。風の衝撃をルークが咄嗟に盾になって防いでくれた。


「人間どもは……私の妻を! 殺したのだ!」


私とルークは驚きでその場から動けなかった。


「……殺した? 恐れ多くも精霊王の奥方様を!?」


精霊王の目から涙がはらはらと落ちる。


「見ろ! あの池を! 人間どもが何をしたのかを!」


指さした方向には、さっきから気になっていた澱んだ池がある。


「あの、奥方様はもしかしたら……睡蓮の精でいらしたのですか?」


恐る恐る尋ねると精霊王は力なく頷いた。


「そうだ……私が留守の間に、辺境伯から遣わされたという破落戸が汚い靴のまま池に入り、睡蓮の根を引っこ抜き、花も葉もめちゃくちゃにした! 水は汚れ、花も葉も枯れ、妻のスイレンは姿を消してしまった。……奴等に殺されたんだ」


精霊王の昏い眼差しを見て、恐ろしさに鳥肌が立つ。


「そんな……ひどいことを……」


「辺境伯領で水や食料が足りないから助けてほしいという連絡があったから、つい油断して侵入を許してしまった……。悔やんでも悔やみきれない。いきなり森の中に押し入ってきた。人間どもの礼儀知らずがひどくなってきたと感じていたが、これほどまでとは……。二度と人間に足を踏み入れさせないために、この森には強い結界を張った。人間は絶対に許さない。災害や飢饉で苦しんで死のうが私の知ったことではない!」


精霊王の怒りは鎮めようがないほど激しい。


でも、私はさっきから気になっていた池のことを精霊王に訴えたい。


「恐れながら精霊王様。確かに池の水は腐り、水質が悪化して、睡蓮は瀕死の状態です。でも、まだ根が生きているかもしれません。どうか、私に手入れをさせて頂けないでしょうか?」


愛する人を失う苦しみはよく分かる。


諦めたくない。


だから思いきって言ってみた。


精霊王はバカにしたように見たが、私は真剣だ。どうか……諦める前にできることがあるかもしれない。


するとそこにココとピパが現れた。


「精霊王さま。僕たちはユリアが育ててくれた花の精です。彼女は植物のことを良く知っています。とても、とても大切に僕たちの世話をしてくれました。どうか彼女を信じてください!」


ココが叫ぶと、ピパが祈るような仕草でコクコクと頷く。


精霊王は予想外の助っ人に動揺したようだ。


顎に手を当てたまま、しばらく考えこんだ。


「分かった。ただし、妻をこれ以上汚すようなことがあれば、すぐにお前を殺す」

「勿論です。ありがとうございます!」


私は深くお辞儀をした。


すぐ後ろに立っていたルークが、はぁ~っと大きな溜息をつくのが聞こえた。彼も緊張していたみたい。かくいう私も膝がガクガク震えているけれど……。


私は池に近づいてよく水を観察した。


……酷い状態だ。


水は完全に腐っていて悪臭を放ち、藻類がみっしりと水中にはびこっている。しかも表面に浮いているのは……油?


ギラギラとした油が、水の表面で光を反射している。


こんな場所にある池に油が入ることなんてある? 意図的にでもない限り、あり得ないんじゃないかしら?


「大丈夫か? 俺に手伝えることがあったら言ってくれ」


ルークが心配そうに私の肩に手を置いた。


「まずこの藻類と腐った葉を全部取り除かないといけないわ。睡蓮の根に日光が全く届かないと光合成ができないの。それから水も新鮮なものに入れかえないと」


「分かった。俺が水の中に入って、藻を取り除くから……」


「いいえ、魔法で取り除けるかやってみるわ」


私はそう言って、手に魔力を籠めた……。が、何も起こらない。


背後で嘲るような声が聞こえた。


「この森の中は人間が魔法を使えないようになっている。そんな簡単にいくと思うな!」


精霊王の声を聞いて、私は覚悟を決めた。


「池に入って掃除するしかないわね」


上着と靴を脱ぎ始めた。パンツはさすがにここで脱ぐわけにはいかないわね。


何故だかルークが慌てふためいて真っ赤になった。


「ま、待て! 俺が池に入るから。お前はここで待っていろ!」

「大丈夫よ。私、こういう作業には慣れているから……」


前世でね、と頭の中で付け加える。


「いや! ダメだ! ユリア! 俺にやらせてくれ!」


顔を赤くして言い募るルーク。


「いいの。大丈夫よ。私がやりたいの」


二人で揉めているとココとピパが声を合わせて叫んだ。


「二人でやれば良くない!?」


それもそうか。これだけの池の藻を一人で全部取り除くのは確かに大変そうだ。


ルークに一緒に手伝ってとお願いすると、しぶしぶ承諾してくれた。


「水に入った時に睡蓮の根を踏みつけないように気をつけてね」


根を踏まないように摺り足で進むこと、底にヘドロが溜まっているから滑りやすく泥に足を取られやすいことなど、他にも注意点を伝えるとルークは真面目な顔で頷いた。



乗馬用のパンツスタイルで良かった。ドレスだと大変だったろう。


ルークもテキパキと上着やブーツを脱ぎはじめた。少し薄着になったルークの体躯は引き締まっていて、逞しい筋肉がついているのが分かる。


(いい筋肉だわ~)


つい見惚れてしまい恥ずかしくなる。いかんいかん、それどころじゃない。今は池に集中!と自分の両頬を平手で叩いた。


はだしの爪先を水中に沈めると、想像以上に水質が悪い。ドロッとした気持ち悪い感触に背筋がゾクゾクする。


池の底には予想通りヘドロが溜まっている。こんなヘドロがへばりついていたら、睡蓮の根は息も吸えないだろう。……もしかしたら、完全に死んでしまったのかもしれない、という絶望に胸が苦しくなる。


でも……生き残っている根もあるかもしれない。その可能性があるうちは諦めない。


ルークと私はスカーフで鼻と口を覆っているが、それでも酷い悪臭を感じる。皮膚に触れるぬるぬるした油の感触も気持ち悪い。


私たちは黙々と手で藻や腐った葉を池の外に取り出す作業を続けた。足を進める度に睡蓮の根が残っていないかどうか確認する。


すぐに全身が泥や油にまみれ、想像以上の重労働だ。十年間ほぼ引きこもり生活で体力のない私には辛い。


でも、試すように私たちの苦労する姿を眺めている精霊王の姿を見ると「負けられない」という不思議な力が湧いてくる。


ルークはサクサクと迅速に作業を進めている。泥もヘドロも彼には苦ではないようだ。やっぱり逞しいなぁ、と感心して見ていると、彼がいきなりシャツを脱いで池の脇の地面に放り投げた。突然目に飛び込んできた上半身裸のルークに私の胸はドキドキ高鳴ってしまった。ああ、恥ずかしい、不純だわ……。


でも、ルークのバランスの取れた筋肉は本当に美しい。腹筋が綺麗に割れていて、腕や背中の筋肉のラインも適度に盛り上がり、動く度にその逞しさを誇示しているようだ。


……ああ、ホント不謹慎。こんなことを考えているヒマはない。作業に集中!と頭をブンブンと振り、再び藻類の除去作業を続けた。


泥だらけになりながら一時間ほど作業すると、爪先に何か固いものが触れた。


もしかしたら!と心臓がドキンと跳ねる。


慎重に足元からそれを取り出してみた。


……やっぱり。


小さいが間違いなく蓮の根だ。私は急いで池から這いあがり、荷物のある場所に近づいた。携帯用の水筒はいつも持ち歩いている。


根に水筒から水をかけ、優しく汚れを落としてしていく。こびりついているヘドロが無くなると薄茶色い根が見えてきた。


でも、根にはまったく生気がない。もうダメなのかな……と思った時に、ココとピパが現れて


「元気になぁれ!」


お祈りしながら、根に魔法をかけてくれているようだ。


「元気になぁれ」というのは私が花壇の世話をする時に言っていたおまじないで、実は魔法ではない。というか、あの頃の私は魔法が使えなかった。でも、ココとピパがその言葉を覚えていてくれたのが嬉しい。


ココとピパの魔力は強くない、と言っていたが、魔法自体は使うことができる。


しばらくするとわずかだが根が輝きだした。


そして、空中に薄い影が浮かんだ。美しい青い髪をした女性の顔が見える。


「スイレン!」


精霊王が叫び、その影に近づいた。


「……あナた、カのじょをシんじテ……」


そう言うと影は姿を消した。


茫然としていた精霊王は、ハッと我に返って私の肩をガクガクと揺さぶる。


「娘! この池をどうしたらいいんだ!?」

「おい! 彼女に気安く触れるな!」


ルークが精霊王の手を振り払い、私を守るように精霊王と対峙する。


目の前の逞しい背中に心臓がドキンとした。我ながら自分の煩悩に呆れてしまう。


「る、ルーク、あの、私なら大丈夫よ」


その時、精霊王が泣きそうな顔で頭を下げた。


「私の態度は酷いものだった。謝る。だから、池をどうしたら良いのか教えてくれないか?」


先ほどまでのバカにしたような態度はまるでない。


まず池の汚れを全て取り除くこと、生き残っている根を探して綺麗にすること、水を新しく替え、根をヘドロではないきちんとした土の中に埋めること。十分に日光を浴びて光合成ができるようになったら葉や花もまた生えてくるはず、と丁寧に説明した。


真剣な顔で私の話を聞いていた精霊王は「分かった」と呟くと、魔法で藻類ごと池の水を持ち上げて、森のどこかにばしゃっとぶちまけた……。


大雑把だな……。まぁ、大丈夫だろう。


池の底には汚いヘドロが溜まっているし、油もまだ見える。


「あの……油とヘドロは完全に除去しないとまた水質が悪化しますが……」


精霊王は黙って頷いて、今度は地面が露わになっている場所に魔法で大きな穴を掘り、ヘドロや油をそこに埋めた。


さすが精霊王の魔法はすごい。


土は偉大だからヘドロと油もいずれは吸収してくれるだろう。それに精霊王は植物に害を与えるようなことはしないに違いない。


ルークと二人で油やヘドロが池の底にないことを確認し残っている根を探した。思っていたよりも多くの根が見つかって安堵の息を吐く。


「あの……水で綺麗に洗浄しないと……」

「分かっている」


精霊王は天に向かって何か複雑な呪文を唱えた。


「天龍よ! 我に応えよ!」


すると、驚くべきことに本当に天から龍が現れた。龍……なのだろうか? 青紫色の美しい躯体を覆う鱗は水でできているみたいに常に流動している。


キラキラと輝きながら、その動きを止めることのない鱗の美しさに私は見惚れてしまった。


天龍が精霊王に向かって頷くと、私たちがいるところにだけ突然雨がザーザー降ってきた。


精霊王……本当に天気を操れるんだ……。スケールが凄すぎて言葉が見つからない。


私とルークは残っている睡蓮の根を雨で丁寧に洗い、池の底の土に植えつけた。


その後もしばらく激しい雨が続き、徐々に池にも水が溜まってくる。


精霊王の力、恐るべし……。さっきの龍は何者だったのだろう?


木陰で雨宿りしながら待っていると、精霊王が近づいてきた。


「……疲れただろう。ご苦労だった」


精霊王は魔法で私とルークの服を綺麗にして、乾かしてくれた。


おお、髪もすっかり乾いているし、汚れも取れた。魔法すごい!


「ありがとうございます。奥方様は……大丈夫でしょうか?」


私が尋ねると精霊王はムスっとしながら「分からん」と短く答えた。


私たちはただ黙って池に水が溜まるのを眺めていた。




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