高田 実奈
運命の日の早朝、私は20日連勤後の恐怖の48時間勤務を経て、クタクタになった体を引きずって、帰宅する途中だった。
いつか絶対に労基に訴えてやると思いながらも『ブラックな会社にしか内定を貰えなかった自分の能力不足を責めるべきか?』と暗く考える。
とにかく早く仕事を決めたくて、焦っていたからな……。
私は、初めて相思相愛になれた恋人を事故で失った過去がある。
生まれて初めて私という人間の全てを受け入れてくれた人だった。
胸が苦しくて、辛くて、どうしていいか分からなかった。自分の心臓をもぎ取られたようで息をするのも苦しかった。
彼が事故死してからしばらくの記憶がほとんどない。脳が現実を受け入れるのを拒否していたのだと思う。
彼のいない世界で生きている意味があるんだろうか、と今でも考えながら必死であがいている。
彼との思い出が多い研究室にいるのは辛かった。周囲の同情や憐憫の眼にも傷ついた。だから、すぐに研究室を離れて一般企業に就職したんだ。
仕事が忙しい方が気持ちも紛れるだろうと、敢えて忙しい業界に身を投げ込んだ。無我夢中で働いている間は彼のことを忘れられる。
だから、激務は大歓迎……なはずだが、やはり体には限界がある。「過労死」という単語が頭をよぎる毎日だ。
でも、結局自業自得だし、要領が悪いんだよな……。他の人の仕事や雑用を全部押しつけられて断ることができない自分が悪いんだと反省しながらも、脳みそのキャパが完全に限界を超え視界に映っている景色にも現実感がない。
全てに靄がかかっているように見える。
今日も酷い一日だった。
チームの皆の昼食をコンビニに買いに行くよう命じられ、ビルの外に出たところで知らないお爺さんが歩道の隅で蹲っていた。
「大丈夫ですか?」と声を掛けたけど、顔色が悪くて碌に返事もできないようだ。
慌てて目の前にあった自販機でペットボトルの水を買ってお爺さんに渡し、近くのベンチに連れていって座らせた。
お爺さんは嬉しそうに水をゴクゴク飲むと頭をさげた。
「……ありがとう。突然眩暈がして休んでいたんじゃが……」
「いえ、あの、救急車かタクシーを呼びましょうか?」
「いや、大丈夫。気分は大分良くなった。町中でアンケートを取るよう言われたんじゃが、なかなか集まらなくてのう。困っていて……。良かったら、アンケートにご協力頂けませんか?」
「は? えっ……と、はい、いいですよ」
戸惑いながら応えるとお爺さんは嬉しそうにアンケート用紙を差し出した。
……え~と……皆、締切が近くて殺気立ってるから、あまり遅くなると怒られる。ちゃちゃっと書いてコンビニに走らないと……と、アンケート用紙を覗きこむ。
「洪水の被害を最小限に食い止め、地域の農業を守るにはどのような施策が有効だと思いますか?」
おお! 私の専門分野だ! それ以外にも自然災害の防止策についての質問が並んでいる。
大学院時代を思い出して、ふと失った初恋の人のことを思い出した。
慌てて頭を振ってアンケートに記入する手に力を籠める。
気がついたら10分くらいかけて、細かくアンケートに記入していた。お爺さんはすっかり元気になったようでニコニコしながら私を見つめている。
私はハッと我に返った。『しまった!おつかいが!』と慌ててアンケート用紙をお爺さんに返すと挨拶をしてコンビニに走った。
しかし、会社に戻った途端「遅い! 何やってんだ!」と思い切り怒鳴られ、必死に謝って頭を下げる。ついアンケートに真剣になってしまった私の落ち度だ。
「女なんて飯の支度するくらいしか取り柄がないんだよ! それすらまともにできないなんて、お前は低能か!? 学歴ばかり高くて、まるで使えやしねえ!」
いくら謝っても上司の機嫌は直らなかった。
「なんでこんな時間がかかったんだよ!?」
「外に出たら、体調の悪いお爺さんが道端で蹲っていて……水を渡したりしていました。その後、困っていたようなのでアンケートに協力して……」
馬鹿正直に言ってしまった自分が悪い。
「税金も払わねーような役立たずのジジイなんて死んだ方が日本のためになるんだよ! 愛嬌も愛想もないてめえが知らないジジイの世話なんてすんな! 放っとけよ! バカか?!」
青筋を立てた上司に怒鳴りちらされた。
その後も何かというと嫌味と罵倒を繰り返され、身体的にも精神的にも削られ続けた……。
……最悪(泣)。
気持ちが落ちこむと嫌な記憶ばかり思い出すのはなぜだろう。
「もう30歳になるんだし、そろそろ仕事よりも結婚を……」
困ったように頬に手を当てた実家の母の言葉が甦る。
私が嫁き遅れになることを何より恐れている母は、毎月のようにお見合いの話を持ってくる。
世間体が何より大事な人だから……と思うと心が沈む。
私は鴨くんが亡くなって以来、恋愛関係に心が動くことは全く無くなってしまった。一生結婚せずに独りで生きていく覚悟もできている。
でも、母はそれを受け入れられないようだ。昔から相容れない考えの人だったが、最近はそれが加速しているような気がしてならない。
知らず知らずの内に溜息をつきながら、ふわふわと覚束ない足取りで人気のないビル街の裏路地を駅に向かって歩いていると、ひゅうっと風の鳴る音がした。
『何だろう?』と思った瞬間、私の上に何かが落ちてきて、凄まじい衝撃と共に意識が真っ暗になった。
*****
次に意識を取り戻した時、私は雲の中にいた。
雲の中としか表現のしようのない全てが真っ白な世界で眩しさに何度も瞬きをする。
そこに真っ白なお爺さんがいた。
蹲って独り言をぶつぶつと呟いている。
「……この娘なら……いや、最終的に彼奴の狙いは……」
彼の言葉が微かに聞き取れた。
……ここはどこだろう?
何かが上から落ちてきて気を失ったんだよな……。
体は……? 痛いところはない。良かった。あの調子だと重傷でもおかしくなかった。
その時、真っ白なお爺さんが振り向いて私とバッチリ目が合った。
お爺さんはその刹那ちょっと後ろめたい顔をした。間違いない。
ん?! このお爺さん……アンケートのお爺さんに似てるんだけど!
「……おうおう。起きたか。大丈夫かい? 痛いところはないかい?」
お爺さんが声を掛けてきた。
「痛いところはないですが……。ここはどこですか? 何が起こったんですか? あなたはどなたですか? 昼間会ったお爺さんですか? あの……自然災害のアンケートを集めていらした?」
お爺さんは困ったなぁ、というように頭を掻いた。
「……いやぁ、君は、その、死んでしまってね」
今、なんて言った!?
お爺さんの台詞を聞いてパニックになった私は「アンケート云々」について、すっかり頭から飛んでしまった。
……死んだ!?
……誰が?
私が……? 死んだの?
「ちょうど……その、あのビルの屋上から飛び降りた人がいてねぇ。その人は助かったんだが、君が代わりにというか……死んじゃってね」
「……そうですか」
自分が死んだと聞いて、何故かストンと納得できた。
そして、こみ上げてくる安堵の気持ちの方が強かった。
やっと……やっと鴨くんのところに行ける。彼は優しい人だったからきっと天国にいるだろう。私も彼と同じ天国に行きたい……。
もう一度彼に会いたいという強い衝動に駆られて、お爺さんに聞いてみた。
「あの……昔、私の恋人が事故で亡くなったんです。彼に会いたいので、彼と同じ天国に行けませんか?」
「ああ、君の恋人は……?」
「鴨 涼介という名前です! 黒髪で背が高くて優しくて、とても素敵な人なんです! 笑うとちょっとタレ目になって、少年っぽい笑顔がすごく可愛くて……」
お爺さんは呆れたように溜息をつくと何も言わずに、どこかから取り出したファイルを捲りだした。
「……君は……高田実奈さんだね?」
お爺さんが私を見ながら呟いた。
「はい!」
訳が分からないながらも勢いよく返事をした。
「鴨 涼介という青年は、4年ほど前にここに来た」
「……え!?」
私は正直驚いた。
「自分が死んだと知って愕然としていて……。大事な人を残してきたから死ねないと大騒ぎだったので良く覚えている」
大事な人……。
胸が締めつけられるように痛んだ。
「彼は既に転生して別な世界で生きている」
お爺さんの言葉を聞いて、私の頭にカーっと血がのぼる。
「……別な世界? どこですか、それは? 私も……私もその世界に転生させてください!」
泣きそうな顔で懇願するとお爺さんは満足気に頷いたが、その後に続く言葉に愕然とした。
「君はその世界に聖女として転生してもらう」
「……せ……聖女?」
「ああ、彼は君を守るために強い男になって転生しているはずだ!」
お爺さんはにこやかに答えた。
「私を守るため?」
「ああ、君は世界を救う聖女に生まれ変わるんだ」
「はぁ……? でも……あの……私に世界なんて救えませんけど……」
何のことやら意味が分からない。私の呟きを聞いてお爺さんはニンマリと嗤った。
あ、なんか裏があるな、と瞬間的に思った。このお爺さんは人が良さそうに見えるけど油断できない。
「大丈夫じゃ。聖女の協力者は沢山いるし、中でも強い戦闘能力を誇るのが鴨くんの生まれ変わりじゃよ。君を必ず守ると誓って転生していった。……もっとも前世の記憶は全くないがのぅ」
「えぇ! 鴨くんには前世の記憶がないんですか? 私も……?」
「君は大丈夫じゃ。君は記憶をバッチリ持ったまま転生してもらう」
「で、で、でもそれだと鴨くんに『私だ』って気づいてもらえないですよね? それに巡り合えない可能性だって……」
「大丈夫じゃ。聖女の周りにいる人間に転生しているはずじゃ。具体的に誰かは知らんがの。それに運命の相手だったら、記憶なんてなくてもまた恋に落ちるんじゃないのかい?」
「そ、そんな……。前世はたまたま運が良くて鴨くんと両想いになれたけど……。私はそんなに魅力的じゃないし。そんな良い運が長く続くとは思えないし……。仮に私が『鴨くんだ』って分かっても好きになってもらえないかもしれない……」
お爺さんはさらに笑みを深くしながら指を鳴らした。
「大丈夫じゃ。君はこうなるんじゃよ」
空中に映し出された映像には3Dの超絶美女が立っていた。
柔らかそうな金色の髪にパッチリと輝く大きな金色の瞳。雪のように真っ白な肌。均整の取れた体形。出るところは惜しみなく出っ張った理想的な体形だ。
「ワシらが用意した新しい人生……。これが君じゃ!」
私は圧倒されてその美女に見惚れていた。
「……私がこの美女になるんですか?」
思わず喉がゴクリと鳴る。
これなら……また鴨くんに好きになってもらえるだろうか?
というか、まず彼の生まれ変わりが誰なのか判別できるかどうかが問題だけど……。
でも……
うん、大丈夫。それは何となくできるような気がする。どこからその自信が生まれるのか分からないけど、彼のことは絶対に分かるだろうという不思議な確信がある。
何より彼に会いたくて焦がれていた。再びに彼に会える可能性を拒否する気持ちにはならない。
気持ちはほぼ固まっていたが、私は慎重に質問を重ねた。
「私が聖女に生まれ変わって、世界を救うと仰っていましたね? ということはつまり、世界は滅びようとしているということですか? その原因は何ですか?」
お爺さんは嬉しそうにニコニコしながら答える。
「さすが賢い娘さんだ。アンケートでの答えも完璧じゃった。世界は魔物に支配されるかもしれない。さらに自然災害や飢饉や蝗害が重なり、人類は滅亡するのじゃ」
「聖女がどうやったらそれを防げると?」
「聖女には溢れんばかりの魔力が備わっている。魔物を操るのは魔女だが……。最初の関門はその魔女じゃろうなぁ。悪い魔女が王国を支配している。魔女を倒し、自然災害や飢饉から人々を救うんじゃ!」
「……魔女?! ……というか背景知識がまったく分からない。その世界で何が起こっているかという状況説明をお願いできませんか?」
「ああ、なるほど。分かった。今から見せる動画を参考にして欲しい。天界が定めた正しい筋書きじゃ」
お爺さんが再び指を鳴らすと空中に画面が現れて、ナレーション付きの長い動画が始まった。
*********
ここは魔法が使え、精霊や魔物たちと共存する異世界。
舞台となるのはザカリアス王国。国王は愛する妻を亡くし、忘れ形見の一人娘を溺愛する良い父親だった。
しかし、権力を求めた強欲な魔女が国王を誑かし、まんまと国王と再婚することに成功した。
この世界では魔法を使えるのは貴族と一部の平民のみ。そんな中、溢れんばかりの強大な魔力を誇る魔女は国のためになると国王は判断したのかもしれない。あるいは誑かされて単に盲目になっていたのか?
邪悪な魔女には魔法の鏡があり、毎日彼女は鏡に訊ねた。
『Slave in the Magic Mirror…、鏡に閉じ込められし男よ…。国中で一番美しいのは誰?』
『女王陛下、貴方です』
しかし、ある日鏡は違った返答を出した。
『いいえ。女王陛下、貴方ではありません。貴方の継子の憐れな王女は貴方の千倍も美しい』
その答えに怒り狂った魔女は継子である王女への虐待を激化させるが、魔女の虜になった国王は気がつかない。
やがて、魔女と国王の間に王子が産まれると、すぐに立太子の儀式が行われた。生まれたばかりの赤ん坊は王太子となり、次代の国王となることが決まった。
その後、魔女は密かに国王と継子の王女を毒殺する。
そして『王太子が成人するまでの間だけ』という条件付きで女王の座についたのだ。
女王になった魔女は手下となる魔物たちを王都に集めた。
人々は彼女を恐れその独裁ぶりに口を挟める者はいなくなった。
しかし、勝利の蜜に酔った魔女に、ある日鏡は残酷な答えを返した。
『Slave in the Magic Mirror…、鏡に閉じ込められし男よ…。国中で一番美しいのは誰?』
その日、鏡は女王が欲しい答えを出さなかった。
『いいえ。女王陛下、貴方ではありません。貴方に殺された憐れな王女の魂は聖女に生まれ変わるでしょう。そして、貴方の千倍も美しくなり、この国を救うでしょう』
虐待され毒殺された可哀想な王女の魂が聖女に生まれ変わるという預言に女王の顔色が変わった。
その頃、教会にも聖女光臨のお告げが下り、魔女は血眼になって王女の生まれ変わりの聖女を探し始めた。
しかし、魔女に先んじて、教会はお告げにあった通りの金色の髪と金色の瞳を持つユリアという名の赤ん坊を見つけ出し、聖女として宣言した。
魔女は反対する教会を押し切り、聖女を王宮に連れ帰って幽閉する。
本当は殺してしまいたかった。しかし、教会の影響力は莫迦にできない。
教会が聖女を気にかけ、常に安否確認をしていたため聖女は殺されずにすんだのだ。
表向き、聖女は王太子クレメンスの婚約者として手厚く遇されていると喧伝されていた。
一方、ザカリアス王国の人々の暮らしは苦しくなるばかりだった。
女王は私利私欲のために湯水のように国の財産を浪費し、人々に重い税を課した。
不幸なことに自然災害も続き、洪水や飢饉、蝗害まで起こったため、人民の生活は辛苦を極める。
人々は土地を豊かにし作物の実りをもたらすと言われている聖女ユリアに期待を寄せるが、その聖女は女王に幽閉されている。
女王への不信と憎悪がどうしようもなく膨れあがっていった。
聖女ユリアが15歳になった時、苦しむ人々の窮状を見かねて国軍を率いるマリウス将軍が反旗を翻す。
マリウス将軍はユリアと息子ユリウスと共に国を救うための反乱軍を組織した。
元王女の魂を宿したユリアには精霊王の加護があり、天候にも影響を与えられるほどの強い力があった。
最後は精霊王の力を借りたユリアが、仲間と協力して魔女を討ち果たす。
魔女との戦いの間、北の辺境伯であった先王の甥はマリウス将軍を支持し、魔物討伐で功績をあげた。
マリウス将軍は魔女が敗れた後、辺境伯を新たな国王に推薦する。新国王は国の再建に尽力し、人々の生活も少しずつ良くなっていく。
ユリアは幽閉されていた王宮の中でスパイ活動をして情報をマリウスに流したり、魔女を打倒するために協力するうちにユリウスと恋仲になったり、なにかと忙しそうだった。
解放されたユリアは大地に魔力を流して作物の豊穣を実現し、国を豊かにする。
そして最後はユリアとユリウスの結婚式でハッピーエンド。
*********
えーと、ツッコミどころが多すぎて何から触れたらいいか分からない。
非常に有名な意地悪な継母(魔女)と魔法の鏡……。
正しい筋書きって言ったって……。
痛む頭を押さえつつお爺さんに尋ねた。
「えーっと……。どこから突っ込んだらいいのか……。まず、私は可哀想な元王女の魂ではなく、可哀想な元日本人の社畜の魂なんだよね。うん。だから、精霊王の加護なんてないし、天候に影響なんて与えられないと思うな」
感銘を受けたように彼は胸を押さえた。
「さすがじゃな。一番重要な点に気づくとは! 君のような賢い娘なら、きっと精霊王の加護がなくても大丈夫じゃ!」
お爺さんのサムズアップに冷たい愛想笑いしかでてこない。
「それに、ユリウスが鴨くんじゃなかったらどうするの? 私は好きでもない人と結婚する趣味はないので!」
「ああ、恋愛は自分の好きにしてもらって構わんよ。別にユリウスと結ばれる必要はない。それに鴨くんは、君が優秀な研究者で自然災害や農業に関する素晴らしい知識があると言っていた。だから、きっと君なら世界を救えるじゃろう、とワシも思ったんじゃよ」
「……鴨くんがそう言ったの?」
鴨くんがそんな風に言ってくれていた、と思うと少し気持ちが高揚する。
確かに農業水理学は洪水対策だけでなく農作物の安定供給に役立つし、飢饉を防止できるだろう。
それに関連して農業工学や土木も勉強した。洪水なら何とか被害を少なくすることもできるかもしれない。
地震とか雷だと無理だけど……。
そういう意味では天候が操れる聖女の方が絶対に良いよね……。
「その元王女の魂が聖女に生まれ変わったらいいんじゃないですか?」
試しに聞いてみると、お爺さんは渋い顔を更に渋くした。
「王女は嫌がって既に天国に行って、別な世界に転生してしまった」
私は呆気にとられた。
「え!? じゃあ、生まれ変わるはずの王女の魂は?」
「もうおらんのじゃ……」
お爺さんの絞り出すような声に私は頭を抱えた。
「えっと、じゃあ。もし誰も聖女に生まれ変わらなかったら……?」
恐る恐る聞いてみる。
「世界はもうおしまいじゃな。魔物に席捲され人類は滅びるだけじゃ」
お爺さんは平然と答えた。
「そうしたら鴨くんもまたすぐに死ぬ運命ということじゃな」
私はビクッと反応した。
せっかく生まれ変わった鴨くんが!?
ダメだ。それに私も彼に会いたい。
私は覚悟を決めた。
「私、聖女に生まれ変わります。でも、その前に幾つか質問させてください」
「……分かった。何でも言ってごらん」
「精霊王の加護は元王女の魂ではないと絶対にもらえないものですか?」
「いや、精霊王が気に入れば加護はもらえるはずじゃ」
「今観た動画のストーリーに変更はありませんか? もちろん、恋愛部分は変更可能だと分かっていますが、それ以外……例えば、反乱や戦いの流れなどに変更はありませんか?」
そういった途端お爺さんの顔色が変わった。
「……あ、いや……その……それは……」
口籠るお爺さんを見て、やはり何か隠している、と悟った。
「ちゃんと答えて下さい!」
「……実は色々変わっている……」
「お爺さんは神様みたいな存在ですよね? なんか運命っていうかストーリーは決まっているような感じで動画を観ましたけど、あの動画通りに物事が進むとは限らないですよね?」
お爺さんは肩を落として捨てられた子犬のような目で私を見る。
「ああ、その……ワシを恨んでいる男がいてのう。そいつはこの世界にいる。そして世界の歴史を変えるため暗躍しているんじゃ。彼奴は人類を滅亡させようと狙っている」
「それは誰ですか? 名前とか、特徴とか……?」
「……うーん。そいつは魔女の側近だろう、というくらいしか分からん。それに一つ誤解があるようじゃが、ワシは神様ではない。その下っ端の下っ端じゃ。幾つかの世界の管理者と呼ばれているだけじゃ」
ふぅーっと溜息をつきながらお爺さんが答えた。
「でも、生まれ変わる時に何か力を付与したりできるんですよね? 前世の記憶を消すか残すかも裁量できるんですものね?」
「……まぁ、ある程度はな……」
「では、一生に一度でいいので、どんな願い事も叶えて貰える権利を貰えませんか?」
突拍子もない願いだが、ダメ元で尋ねてみる。
何となくこのお爺さんを完全に信用するのが怖かったので、何か保険になるものが欲しかった。
お爺さんは途端に難色を示した。
「いや~。それは……。難しいなぁ。どんな願いか分からないんじゃろう?」
「それはそうですけど、私もいきなり聖女になれと言われて……。しかも、シナリオが変わっている訳ですよね? 何が起こるか分からないし、とても不安なんです!」
「う―――ん。困ったねぇ。叶えられない願いって言うのがあるんだよねぇ」
「もちろん、死んだ人を生き返らせるとかそういう無茶は言いません!」
「ああ、話が早いねぇ。そうなんだよ。死人を甦らせること。過去や未来にタイムトリップすること。既に起こってしまった出来事を元の状態にリセットすることはできないんだよね~」
「じゃあ、それ以外だったら一つだけ……? どうですか? お願いします!」
必死にお爺さんと目を合わせた後、深く頭を下げる。
お爺さんは渋々といった感じでため息をついた。
「分かったよ。じゃあ、一つだけね。一生に一回だけだからね。慎重に考えるんだよ。それじゃ君はユリアとしての人生を引き受けるんだね?」
「はい。分かりました。ありがとうございます」
きっぱり言うと、お爺さんはようやく安堵したように笑顔を見せた。
鴨くんにまた会えるかもしれない!
胸に希望の灯りがともったような気がした。