精霊王の森
精霊王の森に到着した私たちは、森に入る許可をもらうため儀式の準備を始めた。
元々は誰でも入れるようになっていたそうだけど、今は強い結界が張ってある。まったく立ち入れなさそうだ。
手を伸ばすとぷあんっと目に見えない風船のような感触があって、その先に進むことができない。
「私も調べてみたが、儀式は精霊王に礼を尽くすためのもので王族や貴族は必ず行っていたようだ。ただ、一般庶民が必要な時に入れるように、以前はこんな強い結界なんてなかったはずだが……」
公爵が怪訝そうに呟いた。
私が読んだ文献によると、精霊王に面会を求めにきた王族や貴族は、儀式を正しく行わないと精霊王の怒りを買い、天候不順など大きな問題が起こってしまう、と記されていた。
やっぱり精霊王は天候に影響する強い力を持っているんだね、と考えを巡らせてハタと恐ろしい可能性に気がついてしまった。
ま、まさかと思うけど、精霊王が何かの理由で怒っているせいでこの旱魃が起こっている……なんてこと……ないよね? ……はは。
嫌な予感を払いのけて祭壇の準備に集中する。
ユリウスたち男性陣は忙しそうに出かけてしまったが、アガタとモニカさんはいそいそと祭壇作りを手伝ってくれた。
モナさんはまたどこかに消えた。彼女はしょっちゅうどこかに消えては戻ってくる。それを男性陣は全く止めようとしない。
ルークなんて自分の婚約者なのに……。心配じゃないのかしら?
……心配ないくらいきっと彼女が優秀なのね。信頼されているんだ。
チクチクする胸を何とか落ち着かせて儀式の準備を進めた。
アガタたちに手伝ってもらったおかげで立派な祭壇ができた。貢物の果物が見映えよく飾られ、中央の燭台には蝋燭が鎮座している。
いよいよ儀式が始められる。
男性陣も全員揃ったところで愛読書の魔法学入門を取り出した。精霊王への祝詞を復習した後、祭壇の蝋燭に火をつける。
私がゆっくりと跪いて準備ができたと合図をすると他の面々も恭しく跪く。
ゆっくりと厳かに精霊王への感謝を寿いだ。
儀式は粛々と進んでいく。
精霊王の許可がもらえたら炎が蒼くなり、拒否されたら炎が赤くなるはずだ。
その時、蝋燭の炎が一度大きく揺れた後、その色が蒼く変わった。
やった! 許可が下りた。
ホッとした雰囲気の中、私たちは森へ歩を進めた。
大きな泡のような結界を、ぷはっとくぐりぬけて森の中に入ることができた。
しかし、振り向くと誰もついてきていない。
結界の壁の向こう側でルークやユリウスたちが何かを叫びながら透明な壁を叩いている。
みんなの焦った様子に私もパニックに陥った。
許可されたのは私だけってこと?!
一人で精霊王に面会するのは……正直怖い。
「精霊王様! 俺も中に入れてください! 彼女を一人では行かせられません! お願いします!」
ルークが突然大声で叫び地面に平伏して、いわゆる土下座をした。
元日本人の私には分かるジェスチャーだが、他の人たちは呆気に取られてルークを見つめている。
しかし、祭壇でまだ燃えていた蝋燭の炎が蒼く変わった。
「ルキウス様、恐らく許可が下りたと思います!」
アガタが知らせると物凄いスピードでルークが立ち上がり、私に向かって突進してきた。
ルークは無事に結界を通り抜けられた。息を切らしたルークが近づいてくると情けないが安心して泣きそうになってしまった。
「ルーク、ありがとう」
彼はとても嬉しそうに微笑んだ。そして後ろを振り返り、心配そうに見守る仲間たちに「俺たちは大丈夫!」と合図を送る。みんなは笑顔で手を振ってくれた。
私たちは森の深部へ向かって歩き出した。
「俺、すげー嬉しかった」
弾んだ声を出すルーク。
「何が?」
「ユリアがやっと『ルーク』って呼んでくれた!」
「なんだ、そんなこと……」
ふふっと笑ってしまった。『ルーク』って呼んだだけなのに最高に幸せそうな笑顔を見せるから。
「だって……全然呼んでくれないし……」
拗ねたように言うルークは子供っぽくて可愛い、なんて言ったら怒るかな。
「みんなの前だと呼べないよ。モナさんだって気を悪くするだろうし」
それを聞くとルークの顔色が冴えなくなった。
「どうしたの? 大丈夫?」
「いや、悪い。ちょっと嫌なことを思い出して。大丈夫だ」
彼の笑顔が無理をしているようで心配になる。
でも、ルークはそれ以上何も話すつもりはなさそうだ。
黙って歩を進めていると何となく気まずい。『何か話さなきゃ』というプレッシャーに押し負けた。
「さっき……土下座してたよね?」
いや、なんでその話題!? 内心で自分にツッコンだ。前世から自然で和やかな会話が苦手だった。何を話していいのか分からないんだ。
「どげ……ざ?」
ルークはポカンとして聞き返す。
あ、そっか。あれは前世日本の風習だね
「えーっと、前世ではそう呼ばれていてね。地面に平伏することなんだけど、謝罪する時や強くお願いする時にする行為だったのよ」
ルークは驚いたようだ。
「そう……なのか? 王家や身分の高い貴族に対面する時は平伏するのは当たり前だが……。でも、咄嗟に『精霊王に真剣にお願いするのはこうしないとダメだ!』って思ったんだよな」
それを聞いて、私の中のある不安が大きくなった。
初めてルークに会った時から感じていた不安。
……でも、違う、きっと違うってずっと自分に言い聞かせてきた。
私は頭をぶるぶると振って嫌な予感を振りはらった。
今は精霊王との面会に集中! 余計なことを考えているヒマはない!
気合を入れて拳を握りしめる。
くすっと微かな音がして、ルークを見ると蕩けるような甘い眼差しで私を見つめていた。
瞬間湯沸かし器みたいに顔が真っ赤になるのが自分でも分かる。
「……な、なに?」
「いや、ユリアは表情がコロコロ変わって、見ていて飽きない。本当に可愛いなぁって……」
ルークの愛おしくて堪らないというような瞳に腰砕けになりそうだった。な、なんという破壊力……。
でも、彼女でもない女にこの眼差し……。私がモナさんだったら絶対にキレるであろう。
彼女以外にそんなこと言っちゃダメだよ、と注意しようとした時、不意に森が開けた。
森の真ん中に大きな空間が広がっており中心に池がある。
その池が黒く濁って悪臭を放っているのが気になった。油っぽいものも浮いているし。精霊王の森の中心にある池は清浄な光を放っている、と本で読んだんだけど。
枯れている蓮の葉も見えた。睡蓮があった池に違いない。
酷い状態だ、可哀想に……。茫然と池を眺めていると「おい!」という男性の声が聞こえた。
振り返ると背の高い男性が不機嫌そうに立っていた。全身に輝くオーラを纏い、威圧感が半端ない。
腰まであるサラサラの黒髪。完璧な美貌とはきっとこのような顔をいうのだ。けぶるような睫毛。茶色く透き通った瞳。しかし、形良い鼻梁の下にある美しい唇からは苛立ったような舌打ちの音が聞こえた。
この方が精霊王?
私は慌てて跪いて最上の礼を取った。ルークも私に続く。
すると精霊王は私たちに向かってこう怒鳴りつけた。
「人間なんて滅びればよい!」




