船旅
公爵が用意してくれた船に乗り、私たちは出発した。
ファビウス公爵と懇意にしている商人は、全面的に協力してくれるらしい。
女王の治政が続けば人々は困窮し物が売れなくなる。
「魔物相手では商売になりませんからな~。何とか皆さんには勝って頂かないと! がっはっは~」
強面の顔に似合わず可愛らしい目をした商人は豪快に笑っていた。
あの女王を何とかしたいと多くの人々は思っている。だけど、魔物や魔女の力が恐ろしいから表立っては反抗できない、というのが実情なのだろう。
「王都の人たちは無事かしら? 女王が怒り狂って酷いことをしないといいけど……」
「騎士団が人々を守ってくれるから大丈夫だ。教会も人々の味方だろう」
ファビウス公爵の返事に少し安心する。
公爵のご家族や使用人のことも心配だったが、使用人たちには隠し通路から逃げるよう事前に指示していたし自分には血縁の家族がいないから問題ない、とサラっと言って笑っていた。
「私にとって大切な家族と言えるのはモニカだけだからね」
彼は赤くなるモニカさんの肩を抱いて爽やかな笑みを浮かべた。
いいな、仲が良くて……羨ましい。
いや、余計なことを考えるな。今は辺境伯のところに行くのが先決だ!
そう自分に言い聞かせながら、出発前に船全体に目くらましと匂い消しの攪乱魔法を掛けた。
「ユリウスとルキウスには魔力がないのかい?」
公爵が不思議そうにユリウスたちに質問した。
「父マリウスは平民の出自ながら大きな魔力がありました。でも、残念ながら俺達には受け継がれなかったようです。三兄弟の誰も魔法は使えません」
「そうか。実をいうと私も魔力はそれほど強くはない。近年貴族の間でも魔力を有する者が減ってきてね。余計に女王に逆らえなくなってきている部分もあったんだ。魔女の魔力は無尽蔵だと信じこまされている者も多い。聖女から魔力を搾り取っていることを秘密にしていたからな」
公爵は溜息をついた。
「女王が誇っていた魔力のほとんどは実は君のものだった」
私は何と返事をしたら良いか分からなくて曖昧に微笑んだ。
「魔力は魔物たちの大好物だ。女王は魔力を魔物に与えて、自分の思うように操っていたんだ。ところが、君に逃げられてしまった。今は貴族たちを集めて、魔力を搾り取ろうとしているらしい。カントル宰相が事態に対処しているようだが……。あまり時間がない。いずれ魔女は魔物たちを引き連れて君を狙ってくるだろう」
公爵の説明に聞き入っていると、突然後ろから誰かに抱きつかれた。
「そうなのよ~! あの魔女と鏡はしつこくあなたのことを狙ってたから、私が間違った情報を流しておいたわ~。貴方たちは既に辺境伯の城で匿われているって伝えたから~。精霊王の森に向かうなんて想像もできないと思うわよ。感謝しなさいよ~」
えっ!? モナさん!? どういうこと?
一瞬で頭がパニックになった。彼女は本当に心臓に悪い。
私たちは既に辺境伯の城にいる? そんな短時間で移動できると思っているのかしら?
えーっと、でも、それって……辺境伯の城が危ないんじゃ?
逆に不安が増した。
それにモナさんは女王にどうやって情報を流したの? もしかして……知り合い?
あと、鏡ってあの鏡かな? 魔法の鏡。前世でも有名だったアレよ! 魔法の鏡とも知り合い……なのかな?
疑問符で頭が一杯になった私を置いて、ユリウスが当然のように彼女の台詞に答えた。
「ああ、だから追っ手がそれほどかからないのか。おかしいと思っていた。ただ、既に辺境伯の城にいるという誤情報を流したのだったら知らせてくれ。俺もラザルスに知らせないといけないから」
ユリウスが指笛を吹くと、一羽の色鮮やかな鳥が飛んできて肩に止まった。
彼が小さな紙に何かを書き鳥の足に括り付けると、鳥は大空に飛び立った。
私が呆気に取られている間、ファビウス公爵は腕を組んで、胡散臭そうにモナさんをジロジロと眺めていた。決して好意的な目つきではない。
淑女に対して不躾じゃないかな? 普段は完璧なマナーで女性に対応しているのに……とマジマジと公爵の顔を見つめてしまった。
私の視線に気づいたのか、公爵が慌てたように釈明する。
「いや、すまない。彼女が我々に協力的なのが信じられなくてな……。何か裏で企んでいるんじゃないかと不安なんだ」
え!? ルークの婚約者に対して失礼じゃない?
「そんな言い方は……」
私が抗議しようとするとモナさんが私の肩を抱きながら耳元で囁いた。
「いいのよ~。彼が疑うのも当然だから。だってね。私ってば……」
傍観していたルークが突然走り寄り、焦ったように彼女の口を手で覆う。
「……何でもないから!」
彼はモナさんを抱きかかえるように立ち去った。
……やっぱり仲がいいんだな。
大きく溜息をついた。胸がズキズキ疼く。
ユリウスが何かを言いたそうにしていたけど、落ち込んだ顔を見られたくなくて急いで船に乗り込んだ。
*****
船の旅は順調だった。帆船だったので、私が魔法で常に風を送っていたこともあり、驚くほどのスピードで進んでいく。
豪放磊落な商人が優秀な船員も付けてくれたおかげで、テベレ川からポー川に合流する時も全く問題なく舵を取ることができた。
ポー川では一度だけ兵士に呼び止められたが、積荷や船員について質問されただけで終わった。隠れている私たちにはまったく気がつかない。兵士たちも物凄くやる気がなさそうだった。
風にも天候にも恵まれ一週間もかからずに辺境伯領(トラキア領)に入ることができた。
だが、この調子だと明日の朝には精霊の森に辿り着けそうだ、というところで問題が起こった。
川の水量が圧倒的に減っていたのだ。
そういえば、トラキア領では旱魃で作物が収穫できず飢饉になりそうだ、という噂を聞いたことがある。
川が干上がるレベルの旱魃は、間違いなく食糧供給の危機だ。
もうこれ以上は船を進められない、というところで私たちは船を降り、船員さんたちに御礼を言って、残りは徒歩と転移魔法を交互に使って精霊王の森に向かう。
ユリウスとルキウスは固辞する私たちを無視して、全員分の荷物を背負った。それでも普通より早い速度でスタスタ歩いている。まったく苦になっていない様子に「やっぱり鍛えてるんだなぁ」と感心した。
幸い、一日もかからずに精霊王の森には到着できそうだったが、旱魃にどう対応したら良いかを私はずっと考えていた。
少ない水で作物の収穫量を増やすには、灌漑システムの効率改善が必須だ。
灌漑には莫大な量の水が必要になる。
灌漑に使用される水を10パーセント減らせれば、家庭用水として利用できる水が全世界で 二倍になるだろう、と言われていた。勿論、前世での話だけど。
前世では節水の解決策として、耕作にまったく向かない土地での生産をやめること、水をあまり必要としない作物に切り替えること、節水型の灌漑システムに変えること、肥料と農薬の使用を減らすことなどが挙げられていた。
前世の知識をこの異世界でも応用することができるだろうか?
この世界では折角魔法が使えるのだから、魔法で何とかできないだろうか?
残念ながら、魔法は無から有を作りだすことはできない。だから、何もないところから水を生みだすことはできない。そう魔法学入門に書いてあった。
でも、何か工夫できることはないか?
私はずっと考え続けていた。
「大丈夫か?」
ルークが心配そうに私の顔を覗きこんだ。
「うん。旱魃が想像より深刻そうで……。それに……」
ほとんど干上がった川底に目を向ける。
「旱魃の時は害虫も発生しやすいのよ。例えば、作物も植物も全て食べてしまう悪名高いサバクトビバッタっていう虫がいるんだけどね。土の地面に卵を産むの。川底が完全に見えるくらいに干上がった河川は湿気もあるし、卵を産み付けるのに理想的なのよね。川底に卵を大量に産んで、サバクトビバッタが激増して、さらに作物が収穫できなくなるっていう悪循環が起こりやすいから……。早く何とかしないと」
独り言のように呟く私の頭をルークはポンポンと優しく叩いた。
「そうやって眉根を寄せて真剣に考えているユリアも可愛いな……あ、いや、変な意味じゃない。深刻な問題なのも理解している。不謹慎なことを言ったな。ごめん。でも、ユリアはとにかく常に犯罪的に可愛いから……」
顔が赤くなるようなことを平然というんだ、この人は!
やっぱり天然女たらしというか……罪な人だわ~。
ルークと視線を合わせないようにしながら、私は前を向いて歩き続けた。