王都の状況
*モナ視点です。
うふふ。なーんか面白くなりそうだわ。
心の中で呟くとアモンの姿に戻り、王都に転移した。
王都の街をアモンの姿で歩き出す。
これまで悪魔として多くの人間を堕落させてきた。
人間は欲深く、目先の利益に捕らわれ、自分のことしか考えない。
そうでない人間もいるのかもしれないが、悪魔と積極的に関わろうという人間は一様にそんな人間ばかりだった。
魔女も同様だ。特にあの魔女の女王は欲深い。
欲深く魔力も高いが……あまり賢くはないな。大局的な戦略を立てられるタイプではないだろう。
だからこそ鏡の助言が重要なんだが、それも分からないくらい愚かなのかもしれないな。
くくっ。面白い。高慢ちきなあの魔女は、聖女がいなかったとしてもいずれ玉座から追われていただろうが……。このままだと国は弱体化し、いずれ魔物か他国の侵略を受けて滅びることになるだろう。
さて……あの聖女が登場したせいで何が変わるのか?
久しぶりに退屈しのぎができそうだ。
王都は魔を呼び寄せる退廃的な甘い匂いがする。上下逆さまにした国旗が風にたなびき、その上を魔物が飛び回っている。街中を歩く魔物のオグルの姿も見かけた。
ここの住民はそんな光景にも慣れてしまったのだろう。大騒ぎする人は誰もいない。
今のところ魔物たちも人間を襲わずに大人しくしているようだな。
だが、女王が提供できる魔力が無くなったということがバレたら?
アモンはいい気分で王宮内に入った。魔であれば自由に出入りできる。もっとも、アモンに行けない場所はないがな。ふふ。
王城への入口に立つ衛兵を眺めながら、軽やかに女王の間へ転移した。
まずは女王の狂乱ぶりを見物させてもらうか。
姿を消して女王の間に入ると、髪を振り乱した女王が鏡に向かって怒鳴り散らしていた。
「どういうことじゃ!? あの小娘はどこに行った? この腕輪は妾と悪魔しか外せないのではなかったのか?! 追っ手はどうしている? 何か役に立つ報告はないのか!? 役立たずどもめ!!!」
部屋を見回すと警備兵らしき数人の男が床に倒れていた。微かに息があるが、重傷だ。恐らく女王にやられたのだろう。
「それに! ファビウスとあのマリウスの倅たちはどこに行った?! 妾が目をかけてやっていたというのに裏切りおって!」
女王の手にはアモンが渡した腕輪が握られている。激しい怒りのせいだろう、手がブルブル震えている。はは。醜態だな。
鏡は黙って女王を見つめていたが、アモンの気配に気づいたようだ。鏡からの視線を感じて面倒くさくなったのでその場を離れた。
聖女が監禁されていた事実は王城でも一部の人間しか知らなかった。だから、女王が半狂乱になって「聖女が逃げた!」と叫んでいる理由が分からず、使用人も貴族たちも混乱しているらしい。
近衛騎士団はさすがに事情を知っていた。騎士団長と騎士団がいつも通りにふるまっているので、かろうじて城内の雰囲気は落ち着きを保っている。
ユリウスとファビウス公爵はどうなったかしらね?
モナの口調が移ったか。まぁいい。
女王にはまだ捕まっていないみたい。どこかに隠れているのかな? それとも逃げた?
反女王派が多いから、誰かが匿っている可能性もあるわよね。
ああ、面白い。
鼻歌まじりに歩いていると、近くにあった豪奢な扉をノックしている人間がいた。
「王太子殿下。カントル宰相とのお約束の時間がもうすぐです。起きてください」
背の高いスラっとした男が優雅にノックしながら声を掛けている。
何度ノックしても返事がないのに苛立ったのか、もう少し乱暴に扉を叩きだした。
「殿下! 殿下! どうか起きて下さい!」
しばらくすると静かにドアが開いて、シーツを体に巻きつけただけの裸の女がおずおずと顔を覗かせた。
「あの、殿下はまだお休み中で……」
恥ずかしそうに言いかける女を無視して、男は乱暴に扉を開ける。
「殿下! 起きてください! 今何時だと思っているんですか?」
男はズカズカと中に入り、中央にある大きな寝台に近寄って怒鳴りつけた。
寝台には王太子ともう一人別な女が眠っている。
……面白いな。こいつのクズぶりも相変わらずか。
この王太子は甘やかされたクズという印象しかない。
「殿下! カントル宰相との面会には遅れないでください。あれほど注意しましたよね? それに聖女様の姿が消えて、女王陛下が大変なことに……」
その瞬間にガバっと王太子が起きあがった。
「ん、ななんだと!? ユリアが消えた? どういうことだ!?」
男の腕をギュッと掴み叫ぶ王太子は血相が変わっている。
面白い。このクズの聖女に対する執着心にも興味が湧いた。
あの聖女も面白いおもちゃになりそうだな。ふふ。
「私にも分かりません。ただ、陛下は非常に動揺されておいでです。でも、その前にカントル宰相との面会をお忘れなく。非常に重要な話があると宰相が仰っていたのを覚えておいでですよね?」
「分かっている。ただ、ユリアのことが気になる。どういうことか調べておけ。宰相との話が終わったらすぐに母上のところへ行くから、その面会の話も通しておくように!」
そういって立ち上がると王太子は素早く身支度を始めた。
顔も立ち姿もまあまあ。美形の類だ。一応鍛えているのだろう。筋肉もついている。
だが、寝台に居た女とシーツを巻いて身の置き所がなく佇んでいた女への態度は最低だ。
「お前達はもう用済みだ。さっさと帰れ!」
くく。面白い。悪魔好みの男だな。
その時、誰かがアモンを呼ぶのを感じた。
はは、魔法の鏡が呼んでいるようだ。
アモンは再び女王の間に転移した。
「悪魔アモン、At your service, your majesty」
跪いた瞬間に腕輪が顔めがけて飛んできた。
それを手でパッと受け取ると何事もなかったかのようにアモンは頬を緩めた。
「いかがしました? 陛下?」
「その腕輪は、妾とお前しか外せない物ではなかったのか?! 謀ったな!」
後は意味の分からない喚き声が続いたので、聞き流しつつ鏡の様子を探る。
鏡もアモンを窺っている。
ふふ。悪魔と知恵比べをするか? 面白い。
視線を女王に戻すと、ゼエゼエ息を切らした女王が何かを叫びつつアモンに掴みかかってきた。
あっさりそれを避けると、女王はみっともなく床に這いつくばる。魔法が解けかかっているのだろう、顔の皺が一気に増えた。
「おのれ……おのれ……許せぬ! 殺してやる!」
真っ赤な顔で咆哮する女王。
「これは面白いことを仰る。悪魔を殺すことができると?」
そこで魔法の鏡が口を挟んだ。
「陛下。悪魔を敵に回すのは得策ではありません」
それを聞いて女王は(多少)我に返ったようだ。
「お前が売った腕輪がお前の言ったように作用しなかった。それはお前の責任ではないのか?」
咳払いをしながら、今度は理詰めで責める戦法のようだ。
「何故ですか?」
「何故って……当り前だろう! 聖女に逃げられたのだ!」
「恐れながら、それは陛下の落ち度ではありませんか? アモンは要望通りの商品を確かに渡しました。魔王の名に懸けて誓いましょう」
「っ、しかし、妾のせいではない。誰かが小娘を助けたのだ!」
「誰かが聖女を助けて逃がしたと? ……それは悪魔アモンの責任でしょうか?」
女王は言葉に詰まった。
愚かだな。腕輪を外せるのは女王か悪魔アモンだけ。女王が外したのではないのなら、悪魔アモンが外した可能性しか残っていない。そんな結論にも達しないのか。
「アモン殿が聖女を逃がしたのではないですか?」
鏡の冷静な声を聞いて、アモンはにやりと嗤う。
「なに!?」
女王の形相が変わった。
さすがだな、やはり鏡の方が鋭い。
「何故アモンがそんなことを?」
アモンは顔色一つ変えない。
「お前がやったのか?」
女王が再度掴みかかってきた。
「だから何故アモンがそのようなことをする必要があるのでしょう?」
「違うのか?」
アモンは何も答えない。
「アモンを呼んだ理由はそれだけですか?」
アモンは女王に向かって訊ねた。
「……魔物たちに供給する魔力が足りない。魔物たちが暴れ出す可能性がある」
女王は悔しそうに拳を握り締める。
「聖女以外にも魔力を持つ者がここにはいるのではないですか? 例えば、陛下や王太子や貴族たちなど……」
アモンの言葉を聞き、女王は顔を上げた。
「妾の魔力は魔物などには渡さぬ。貴族たちから魔力を集めることは既に始めている。だが、クレメンスか。確かに……」
「王太子も非常に高い魔力を持っていますね? 聖女ほどではないにせよ。まぁ、これまでは全く無駄になっていたようですが」
「……お前は我が子から魔力を搾り取れというのか?」
「陛下の御心に叶わぬことはお勧めいたしません。ただ、陛下にとっての優先順位を考えますと、背に腹は代えられぬ、と言いますからね。腕輪はまだ使えるのでしょう?」
アモンの猫なで声に女王は「悪魔め!」と毒づいた。
「あの小娘を取り戻すまでの間だけじゃ。仕方あるまい」
女王は我が子よりも自分の欲を優先させたらしい。ふふ。面白いな。
「あの小娘がどこに居るのか知らぬか?」
何気なく訊ねたのだろうがアモンはその答えを知っている。ふふ、半分正解で半分不正解の答えをやろう。
「この国で陛下に逆らいそうな人物は誰でしょうか?」
「っ! 決まっておる。あの北にいる……ティベリオ・トラキア辺境伯だ。前国王の甥だが、自分の両親を殺したのは妾だと疑っておる。ふふ。まあ、それは間違っていないのだがな」
「ではどこに居るかはお分かりではないですか?」
ニヤニヤ下卑た嗤いを浮かべる女王は「なるほと」と顎に手を当てた。
「鏡も同じことを言っていた。確かにな。では、ファビウス一派も全員辺境伯のところに居るということじゃな。しかし辺境伯領とは厄介だ。こちらも本腰を入れねばならぬ」
「では、アモンはこれで……」
ああ、消える前に契約の確認をしておこう。
「ところでアモンとの契約を覚えていらっしゃいますかな?」
「なんじゃ? 国民の魂でも命でも好きにしていいと言っただろう?」
「はい。そして国民の命と魂が手に入らなくなったら、陛下の命と魂を頂くとお約束しましたね?」
女王は不承不承頷いた。
「ということは国民の命と魂はアモンのもの。そして命と魂を提供する国民がいなくなったら……陛下のお命と魂を頂きに参ります。ふふ」
「何をいう!? もう十分に国民の魂は得たであろう? 契約は果たされたはずじゃ!」
「契約には『いつまで』という期限も『何人まで』という制限も含まれておりませんので。このアモンが満足するまで契約は有効でございますな」
アモンが哄笑すると女王が鬼気迫る形相で掴みかかってきた。
女王が触れる直前に転移して部屋を離れる。
ちょうど王太子とさっきの侍従らしき男を見かけた。
ふふ。王太子もこれから腕輪を付けられて監禁されるか。聖女の気持ちが多少は分かるようになるのかな? まぁ、聖女よりは良い待遇を受けられるのだろうが。
さて、そろそろ戻るかと思った時に、人目につかない中庭の隅で騎士団長と若い女がヒソヒソ話をしているのが見えた。
面白そうだと姿を消して近づいてみる。
「……モニカ、お前は公爵と一緒に逃げろ」
騎士団長が真剣な顔で女の肩に手を置き説得しているようだ。
面白い。ファビウスの女か?
「でも兄さんは?」
「俺は王都の人々を守る役割がある」
「王族を守るのではなくて……?」
女の言葉に騎士団長はうなだれた。
「お前だから言うが、近衛騎士団の忠誠は既に王族にはない。だが、我々が王都を離れると魔物から住民を守る者がいなくなってしまう。だから、せめてお前だけでも逃げてくれ。聖女様は無事に脱出されたようだ。あの方は長年苦しまれたのだから、これから幸せになっていただきたい。それにあの方ならこの国を救えるかもしれない」
「聖女様が国を?」
「ああ、公爵の諜報によると、聖女はキアラ・ザカリアス王女の生まれ変わりだと女王が恐れていたらしい。前王との盟約で王女には精霊王の加護がついている。国を救えるとしたらあの方だけだろう」
「分かりました。私も聖女様の助けになれるようにローラン様と一緒に王都を離れます」
騎士団長がほっとしたように微笑んだ。
「ファビウス公爵なら信頼できる。ユリウスも一緒なのだろう?」
「はい、二人とも私の部屋で匿っています。女装して城を抜け出す手筈ですが、ユリウス様は聖女様たちが逃げたのと反対の方向に囮として逃げて追っ手の目をくらませたいと……そう仰っていて……」
面倒くさいことをごちゃごちゃ考えるものだな。人間というのは。
アモンはモナの姿に戻ってにこやかに二人に声をかけた。
「あら~、初めまして~」
親しげにモニカとかいう女の肩に手を置いた。騎士団長とモニカは強い警戒心を露わにしている。
「お前は何者だ!? どこから話を聞いていた!? まったく気配を感じなかったぞ」
剣の柄に手をかけ眉間に深い皺を寄せる騎士団長。
「私はモナ。ルキウスの婚約者よ。ファビウス公爵もユリウスもモナのことを知っているわ。それに味方じゃなかったら今ごろ大声で騒ぎ立ててると思わない? 信用して? ね?」
抜群に魅力的な姿形の女だが、騎士団長は警戒心を解こうとはしない。
まぁ、いいわ。
モナはモニカに笑いかける。
「二人のところに案内してくれる? 少なくとも二人にモナがいるって伝えてちょうだい? モナなら全員を聖女様のところに転移させることができるわよ」
そう言いながらウインクした。