前世の記憶
食べ物だけでなく近くの小川から水も汲んで持ち帰ると、モナさんのふくれっ面が待っていた。
美人はふくれても可愛い。
「もう~、遅いわよぉ。二人で何してたの?」
「別に何も」
ルキウスの返事は冷たい。
モナさんの方をあまり見ないようにして、アガタに「ただいま」と笑いかけた。
「食べられるものを沢山見つけたよ」
「すみません。本来なら私が食べ物を探しにいくべきなのに……」
「いいのよ! 森なんて初めてだから珍しいものが見られて楽しかったし、今まで勉強してきたことが役に立って嬉しいの。キノコは焼いて食べるときっと美味しいよ」
そう言いながら近くにあった小枝にキノコを刺して焚火にかざす。
「私のせいでアガタも追われることになっちゃって、ごめんね。ついてきてくれて本当にありがとう」
「もったいないお言葉……」
アガタは目を潤ませている。
「私は何があってもユリア様についていきますから」
誠実なアガタに私も涙ぐんでしまい、最後は二人で抱き合ってわんわん号泣した。
よく考えたら話すのは初めてだけど、私たちはずっと目で会話していたようなものだ。アガタの気持ちが心から有難かった。
そうこうしているうちに夜が更けてきた。
「ユリウスたちは無事かしら?」
「最終的に辺境伯のところに避難する予定だ。合流するのはこの森のはずだから、動き回らずに待つのが一番いいと思う」
ルキウスがそう説明してくれた。
「そうね。うふふ、あの人たちは大丈夫よ」
モナさんが近寄ってきて親しげにルキウスの唇に人差し指を当てる。
その仕草に私の胸がズキンと痛んだ。
「……うふふ。自分の美しさを保つ魔力が逃げたって知ったらあの女王はどうなるか……? 半狂乱でまず顔の皺をどうにかしようとするわよねぇ。うふ。常に溢れていた魔力を失い若さを失い……。いや~ん、見てみたいわよねぇ。醜い女の狂乱ぶり。やっぱりちょっと見物してくるわ~。あなたたちは今夜ここで過ごすのよね。明日の朝には戻ってくるから~。じゃねぇ~」
モナさんは艶やかな笑みを浮かべたまま空中にふわりと浮かび、シュッと姿を消した。
私は呆気に取られてアガタと顔を見合わせる。
「モナは大丈夫だ」
ルキウスは諦めたように一言だけ。
アガタと私は微妙な視線を交わしつつ、焚火の世話をしながら夜を迎える準備を始めた。
ルキウスは自分が見張りをするからと私たちに眠るよう勧めてくれた。
「俺は寝ずの番に慣れてるから」
事もなげに言うけど、一人で起きているのはつまんないんじゃないかな。それに私も興奮して眠れそうもない。
アガタはふかふかの枯葉の上に横になってスヤスヤ眠っている。
私はムクッと起き上がると焚火の傍で番をしているルキウスの隣に腰かけた。
ルキウスは少し驚いたようだが何も言わずに小枝を火に投げ込んだ。
「……大丈夫か?」
ルキウスが心配そうに声をかける。
「何が?」
「いや……。ユリアは何年も閉じ込められて酷い生活を送ってきたから。急激に環境が変わって、大丈夫かなって」
ルキウスがボソボソと答えた。
「私は大丈夫。自由になれて嬉しいという気持ちしかないわ。腕輪もなくなったし、気力も体力もすごく充実している気がする。閉じ込められている間も散歩だけじゃなくて部屋で筋トレもしていたから結構体力はあると思うよ」
「きんとれ?」
「あ、ああ、こう……筋肉を鍛える練習のことよ。騎士団でもするでしょ? そういえばルキウスが凄く頑張っていたって噂を聞いたよ。鬼気迫る勢いで鍛錬に励んでたって」
「……誰から聞いたの? 王太子……がそんなこと言うはずないし」
「ほら、子供の頃、花壇の世話をしていた時にココとピパっていう精霊と仲良くなったって話したじゃない? 王宮でもずっと助けてくれたの。外に出て情報を集めてくれたりね。今回もついてきていると思う。今は姿が見えないけど……。二人とも無事かしら?」
「精霊は人には見えないし魔物も害することができない。大丈夫だと思うよ」
ルキウスは安心させるように私の頭を撫でてくれる。大きい手だな。ごつごつ骨ばっている手で頭を撫でられると、とても心地よい。
「ちょっとほっとした。王宮で酷い生活を送っている間、独りぼっちで誰も味方がいないんじゃないか、ってずっと心配だったから」
ルキウスは安堵したように甘く微笑んだ。
「ココとピパがいなかったら頭がおかしくなっていたかも。口をきくのもあの王太子しかいなくて……」
「王太子か……奴にも酷い目にあったな……」
「うん。もう二度と会いたくないよ。婚約なんて……もう破棄でいいんだよね?」
「そうだな。ユリアはもう自由だ。恋愛も自由にしていいんだ」
「恋愛かぁ。まだ実感わかないなぁ。昔好きだった人が忘れられないから……」
つい本音が出てしまう。ルキウスの眼が驚きで丸くなり表情が強張った。
「昔好きだった人って? ユリアはユリウスが好きだったんじゃないのか?」
ま、まずい……。この世界で私が会ったことがある人はとても限られている。適当にごまかそうとしても、ルキウスの眼は嘘を見抜いてしまうだろう。
「ユリウスは好きだけど恋愛じゃなくて、頼りになるお兄さんっていう感じだよ」
ルキウスの肩の力がふぅっと抜けたのが分かった。
「そう、か。そうだったのか。……でも、昔好きだった人って誰? ラザルス? それともユリアが王宮で出会った人? 王太子としか会えないと思っていたんだけど。前任の専属護衛騎士とか……?」
これはごまかせそうにない。仕方ない。信じてもらえるか分からないけど、正直に話すことにした。
「あの……ね。私ね、前世の記憶があるの」
「……記憶持ちか!? だから、赤ん坊の頃から不思議と大人びていたんだな」
ルキウスは何故か納得している。良かった。前世の記憶がある人間は結構いるのかな。
「それでね。前世でものすごく好きな人がいたの。でも、その人は若くして事故で死んじゃってね。その人のことがどうしても忘れられないんだよね」
溜息をつきながら言うと、ルキウスが真剣な顔で私の手を取った。
「ダメだ。そんな……死んだ人間のことをいつまでも忘れられないなんて……」
「でもね。すごくすごく好きだったの。もうこの人じゃないとダメだって」
「そいつはどんな奴だったんだ?」
「優しくて、愛情深くて、こんな私をいつも可愛いって言ってくれたの。口癖みたいに。目が合う度に『可愛い』って。ふふ」
「っ、そんなの、俺だって……!」
何かを言いかけたルキウスが口籠った。そして私の手を握ったまま深く俯く。
「ルキウス……?」
「俺も……ずっとユリアを世界で一番可愛いって、思ってる……よ」
彼は真っ赤な顔でそう言った。
私もつられて赤くなる……。う、うれしい……けど、そんなこと言われたって……。
「ルキウスはやっぱり優しいね。でも、そういう台詞はモナさんに言ってあげて」
微笑みながら言うと、何故だかルキウスは傷ついた顔をした。
しばらく私たちは黙ったまま、ただ焚火を眺めていた。
ふと、ルークが頭を掻きながら口を開いた。
「あのさ、俺のこと、ルキウスじゃなくて、ルークって呼んでくれないか?」
「ルーク?」
「ああ、ユリアだけの、特別な呼び方だ」
「……どうして?」
その時、私は不思議な既視感に捕らわれていた。
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「あのさ、苗字じゃなくて名前で呼んでくんない?」
付き合い始めて数週間後に鴨くんからこう切り出された。
「なんで? 『鴨くん』じゃだめ?」
「なんかさぁ、他人行儀じゃん? 実奈だけの特別な呼び方って言うかさぁ」
私は頬が真っ赤になるのを止められなかった。
確かに鴨くんはすぐに私のことを『実奈』って名前で呼び始めていた。それがとても自然で『女慣れしてる人って凄い』って思った記憶がある。
でも、私はまだ慣れないというか、照れくさい。
「ちょっと恥ずかしいかな。り、り、りょ、りょう、涼介って……その、照れくさいというか。間違って研究室のみんなの前でもつい呼んでしまいそうだし……」
ぶふっと鴨くんが噴き出す。
「いや、いいよ。呼びやすいように呼んで。そういう実奈も可愛いからさ」
鴨くんの台詞にますます頬が熱くなってもっと笑われた。
そんな他愛もないやり取りがとても、とても幸せだった。
気づいたらそんなことを考えてボーっとしていたようだ。
「……ごめん、嫌だったら気にしないで」
弱々しく言うルキウスに私も焦ってしまった
「あ、ち、違うの。前世で好きだった人も似たようなことを言ってたなって思い出しちゃって……。ごめんね。全然嫌じゃないよ。うん、『ルーク』ね。ス〇ー・ウォーズみたいでカッコいいよ!」
「ス〇ー・ウォーズ?」
「あ、ごめん。それも前世の記憶だ。うん。『ルーク』。了解です」
「いいのか? 無理強いはしたくない。ただ、その、ユリウスとお前には特別な合い言葉があるんだろ? Two peas in a podだっけ? ……羨ましいなって思ったからさ」
私の顔が紅潮した。
えっと、ココとピパが、ルキウスが嫉妬してるって言ってたやつだ! それで私も舞いあがっちゃったんだよね。ああ、今考えるとホント恥ずかしい……。
「合い言葉なんてものじゃないんだけど。ユリウスが子供の頃から言っていたから、私からだって気づいてもらえるかなって思っただけで……。そうだね、いつか似たような状況になったらルークって使うね。でも、みんなの前だと『ルキウス』のままでいい? モナさんが気を悪くしちゃうかもしれないし……」
ルークは何か言いたげに口を開いたけど「うん。分かった」と言っただけだった。