悪魔との契約
*引き続きルキウス視点です。
「アモンのことを誰かに漏らしたら、私だけでなく家族や使用人たちも皆殺しだと言われました。今お話ししてしまったので、私たちはもう……っ」
泣き伏すマリアに、ファビウス公爵は優しく話しかけた。
「しかし、まだ殺されていない。……ということは交渉の余地があるということじゃないかな?」
彼女は怪訝な顔つきで公爵を見上げた。
その時、一瞬空気が歪んだように感じた。
わずかな空気の動きに俺の体は自動的に反応して立ち上がっていた。
剣の柄に手をかけ身構えた瞬間、男なのか女なのか判別できない妖艶な声がした。
「その通り」
同時に大きな黒煙が空中にぷしゅうっと発生する。
真っ黒い煙があっという間に人の形を取り、その場に仁王立ちになった。
ユリウスもすぐに立ち上がり剣を抜く。
「悪魔アモンか!?」
「Wow! ははは。ちょっと待てよ。悪魔に剣は通用しないぜ」
馬鹿にしたように告げる悪魔にイラっとする。
「じゃあ、何なら通用するんだ!」
俺が怒鳴るとユリウスが『喋るな!』と目で合図をする。
しかし、悪魔は面白そうに俺を見つめている。
「ほぅ。この中では……お前が一番のおもちゃになりそうだ……」
ニヤニヤ嗤う悪魔に公爵が口を挟んだ。
「待て。彼らは私の護衛だ。貴様の相手は私だろう。私はファビウス公爵だ。貴様に話があってやってきた。彼らは関係ない」
「自分が遊ぶおもちゃは自分で選ぶさ」
悪魔は俺から目を離さない。
俺はキッと悪魔を睨みつけた。
「俺はおもちゃになる気はない!」
「ルキウス! しゃべるな!」
ユリウスが慌てて割って入るが、悪魔アモンは妙に魅惑的な眼で俺を見つめ続ける。
「ふふふ。お前には大きな渇望があるだろう? ……女……かな?」
どくんっ
心臓が嫌な音を立てる。
アモンはますますニヤニヤしながら公爵を振り返った。
「……それで用件とは? 何の交渉ですかな?」
公爵は多少の動揺を見せつつも落ち着いて用件を話しだした。
一つ、国民を犠牲にするのをやめてほしい。
二つ、この国から出て行ってほしい。
三つ、聖女に嵌められた腕輪の効力を失くしてほしい。
ずいぶん直球で交渉するのだなと少し心配になるが、公爵は馬車の中で「悪魔と知恵比べしても勝てる見込みはないからね」と肩をすくめていたっけ……。
それを聞いたアモンは鼻でせせら嗤う。
「ふふん、三つともアモンと契約者との契約内容に関わること。貴殿らにはまったく関係ない。それに国民の命と魂を好きにしていいと契約者が対価として約束したのだからな」
女王の欲望を叶えるための対価が本人の魂じゃない?
「なぜ女王の魂ではなくて、国民の命と魂なんだ!?」
思わず口が滑った。
ユリウスは『やめろ!』という顔をしている。俺は拳をギュッと握りしめた。
アモンは舌なめずりでもしそうな表情で俺に近づいてくる。
「望みを叶える対価は契約者が決める。もちろん、契約者の所有物でなければならない。あの女はこの国を統べる女王だから国民を自由にする権利がある。女王が望む腕輪を俺は提供し、あの女が対価を決めた。『国民の魂と命で払う』と」
何か文句でもあるかと言わんばかりの挑発的な顔つきだ。
「契約者が約束した対価が何らかの理由で果たされなくなった場合、契約者が責任を取る。だから、アモンが国民の魂と命を取れなくなった場合、女王が責任を取り魂と命を捧げる必要があるだろう。しかし……」
悪魔アモンは子供に言って聞かせるような優しい口調で俺に話しかける。その口調が余計に俺の苛立たしさを高める。
「今現在、アモンは国民の魂や命を取れない状況になっていないからな。残念だが、女王の魂は対価にはならない。ふふ」
悪魔の言葉を聞いて拳を握ったまま俯いた。
アモンはバカにしたような口調で公爵に言った。
「公爵ともあろう者が、何の手土産もなしにこんな勝算のない交渉をしようとはね。呆れて声もでません。何故このアモンがまったく得のないそんな交渉に乗ると思ったのでしょうねぇ?」
公爵はため息をつきながら肩を竦めた。
「まずはどんな悪魔かを確認したかった。それに悪魔は退屈が嫌いだと聞いていたのでね。これから国がひっくり返り、長年玉座にふんぞりかえっていたあの女が引きずりおろされる場面は、面白い見世物になるかと思ったんだがね」
それを聞いて、悪魔はニヤリと嗤った。
「悪魔のことを良くご存知で。確かにそれは面白そうですね。あの女の絶望は良い余興になるでしょう。公爵は聖女にそれを実現する力があると考えていらっしゃる?」
ユリアのことが話題に上り、俺は緊張した。この邪悪な悪魔にユリアが目をつけられたら堪らない。嫌でも心臓の鼓動が速くなる。
悪魔は再び俺に視線を向けると、ゆっくりと俺の前まで歩み寄った。
「……渇望の種は聖女ですか? ……面白い」
「ち、ちがっ、違う!」
慌てる俺の前にユリウスが盾になるように立ちふさがる。
「聖女には力があるし、俺たちは絶対にあの魔女を玉座から追い出すと決めている。それを見たくはないか?」
ユリウスの落ち着いた口調に、俺の心臓も少し落ち着きを取り戻した。
「ふふ。国民の魂にも飽きてきたところだ。国民の魂の代わりにこの中の誰かの魂を約束してくれたら、もう国民を襲うのは止めよう。パウルス子爵家の者の命も助ける。聖女の腕輪も外そう。ただし、魂が手に入るまで契約者とずっと行動を共にする。つまり、死ぬまでアモンと一緒だ。ふふふ、そういう条件でどうだ?」
条件を聞いたユリウスは公爵と顔を見合わせた。二人が頷き、ユリウスが言葉を発しようとした時、兄さんが何を言おうとしているのか分かった。……分かってしまった。
「分かった。俺の魂を……」
言いかけたユリウスの言葉を遮り、俺は早口で叫んだ。
「俺の魂をやる! だから、ユリウスとユリアには手を出すな!」
ユリウスと公爵は顔面蒼白になり、悪魔アモンはニヤリと嗤った。
……俺は悪魔の掌の上で遊ばれているのかもしれない。そう思ったが、一度出した言葉を引っ込めるつもりはない。
「As you wish」
アモンは満面の笑みで呟いた。
「待て! ダメだ! 俺が……!」
ユリウスは悲痛な叫び声をあげたが、悪魔はそれを無視して指をパチンと鳴らした。