マリア・パウルス子爵令嬢
*ルキウス視点が続きます。
マリア・パウルス子爵令嬢は酷くやつれていても、その美しさを失ってはいなかった。
パウルス子爵はファビウス公爵のような高位貴族が訪ねてきたことに驚き、怯えているようにも見える。ぽっちゃりした手にハンカチを握りしめて、しきりに額を拭っていた。まぁ、王都からわざわざ公爵が訪ねてきたらビビるよな。
パウルス子爵が汗を拭きながら、侍女たちにお茶や高級菓子を準備させている。
ファビウス公爵は「どうかお構いなく」と告げていたが、ゆったりとソファにくつろぐ姿を見るとこのような接待に慣れている様子が窺い知れる。
ユリウスも素知らぬ顔で公爵の隣を陣取っている。俺だけか……、ガチガチに緊張しているのは!?
お茶の準備を終え侍女たちが全員退出した後、そっと扉を開けて入ってきたのがマリア・パウルス嬢だった。
確かに評判になるのも分かる。象牙のような滑らかな肌に空色の瞳。ブルネットの豊かな髪を結い上げ上品にまとめている。心痛を隠し切れないくらいやつれているが、それが一種の凄絶な美しさとなっていた。
彼女は静かにパウルス子爵の隣に腰かけた。
一同が揃ったところで、ファビウス公爵が咳払いをして口を開いた。
「今日伺ったのは『悪魔憑き』について聞きたいからです」
公爵はいきなりの直球を投げ込んだ。パウルス子爵は慌てたように立ち上がる。顔色が真っ蒼だ。
「……な、ななにを!? ああ、あ、悪魔憑きなんて……我が家とは関係な……」
しかし、マリア嬢は落ち着いた様子で真っ直ぐに俺たちを見返した。
「私の噂をお聞きになったのですね?」
俺は気まずくて顔を伏せてしまったが公爵は平然と頷いた。さすがの貫禄だな。
「事情があって、我々はアモンという悪魔を探している。もしマリア嬢がアモンを知っているなら教えてほしい」
公爵の言葉が終わらないうちに彼女の顔色は真っ白になり体がふらついた。
「……マリア!? どうした?」
パウルス子爵が慌てて彼女を支える。
マリア嬢はハッとして顔を上げた。その顔は緊張で強張り完全に血の気が引いている。
「アモンの名をどこで……?」
俺たち三人は息をのんだ。
「アモンを知っているんですね?」
疑問形だが、断定的な言い方だ。
マリア嬢は震える指で口を覆いながら泣き出した。
「アモンのことを口外したら家族諸共皆殺しだと……」
泣き伏す娘の姿を見て、子爵は気が動転したらしい。
「お、お前! 今までは何も知らないと言っていたではないか? あ、アモンって誰だ!? な、なんで公爵閣下はその名をご存知で!?」
愁嘆場になったので公爵は一旦引くことにしたらしい。
「ここに逗留させていただくので時間は十分にあります。後で落ち着かれたらゆっくりお話ししましょう」
公爵が立ち上がろうとするとマリア嬢が必死の形相で引き留めた。
「公爵閣下、あの……! 知っていることを今から全てお話しします。ですから、どうか、どうか私の家族と使用人を助けてください!」
公爵は物問いたげにユリウスを見る。ユリウスは黙って頷いた。
それを見て公爵は再びソファに腰をかけた。
マリア嬢はほっとしたようにソファに座り直し、冷めたお茶をすすっている。
子爵は言葉を失って、呆然とその様子を眺めていた。
そして彼女の話は驚くべきものだった。
****
最初は本当に何も覚えていなかったらしい。結婚式の後に新郎と共に寝所に入り……そのまま意識をなくした。翌朝、目が醒めたら新郎が亡くなっていた。何があったのかもまったく覚えていない。
しかし、四度目の結婚の際、何とか原因を突き止めようと寝所に入る直前に針を腕に突き刺して、痛みで意識を失わないようにした。
それなのに自分の意思で体を動かすことができなくなった。自然に目が閉じ体が勝手に寝台に横たわる。腕の痛みのおかげで辛うじて意識はあった。目は開けられないが、耳は部屋の中の音を漏らさずとらえることができた。
新郎が誰かとしゃべっていて、狼狽している。
新郎と話しているのはシルクのような耳障りの声の男だ。絶対にまともな人間じゃない。こんなに妖しく魅惑的な声の人間がいるはずない。朦朧とした意識の中でマリアは考えた。
「……私は取引が大好きなんですよ」
シルクの声の持ち主が囁く。
「もし、貴方がマリア・パウルス令嬢の命を私に捧げてくれたら、望みを何でも叶えましょう。例えば、ふふ……」
その瞬間、ポンっと何かの音がした。何だろう?
夫になったばかりの男は欲望にまみれた声で奇声を発した。
「はっ、金……金だ!金……。女も……こんなに……ははっ」
歓喜の声をあげている。酔っているような声色だ。
「では、マリア嬢の命は……?」
「ああ、喜んで捧げよう! あんな不吉な女なんて死んでしまった方がいい!」
新郎が叫んだ瞬間に「うっ」という呻き声とドスンという音がした。
最初は理解できなかった会話に理解が追いつき、同時に心が酷く傷ついた。
私の夫となった人は……私の死を選んだのね。
知らず知らずのうちに目から涙が溢れていたようだ。
「はぁ……聞こえているのですか。悪い子ですねぇ」
シルクの声の持ち主が妙に優しい声色で話しかけてきた。
怖い……。無視しようとした瞬間に体の拘束が解けて、つい反射的に目を開いてしまった。
目の前には真っ白な髪の毛に空を映したような瞳の美男子が、顔を覗きこんでいた。
睫毛や眉毛まで真っ白なのに妖艶な褐色の肌。人間離れした美しさに神々しさすら感じる。
しかし、人外の美しさだ。禍々しさや荒々しさを感じる。
恐ろしさに全身が震えるのを止めることができない。
男はニヤリと嗤った。
「わざわざ腕を傷つけてまで眠らないようにしたんですか? 世間知らずのお嬢様にしてはなかなかですねぇ」
「……ひっ!」
恐ろしさのあまり後ずさるマリアを男は獲物を弄ぶ猫のように追い詰める。
「知っていますか? これまで貴方が結婚した男は全員欲につられて、貴方の死を願ったんですよ。ふ、ふふふ……」
マリアの顔が絶望に歪む。
「真に貴方を愛し欲望に打ち勝てば、死ぬこともなかったんですけどね」
「……何のためにこんなことを?」
「はは。退屈しのぎですよ! 決まっているじゃないですか? 悪魔にとって退屈した時の恰好のおもちゃは人間ですから!」
カラカラと嗤う悪魔。
「おもちゃ……」
「貴方の死を願わなければ生き残ることができたんですがねぇ。ふ、ふふふ」
「あなたは……悪魔なんですね……?」
「ああ、そうだ。我が名は悪魔アモン。この国で自由に人間をおもちゃにして良いと女王陛下から直々にお許しを得ているんだよ」
嬉しそうに告げる悪魔に吐き気が止まらない。
「私は貴方を気に入っているんだ。貴方の周りには実に強欲な人間が多い。欲深い人間を惹きつけるのに長けているようだね」
マリアの両目からポロポロと涙が溢れだした。何故こんなことを言われないといけないのか?
「私のことを誰かに話したら、貴方だけでなく家族も使用人も全員殺す。なぁに、真に貴方を愛する男が現れたら、私はこの屋敷から去ることにするよ。せいぜい頑張るんだね」
そう言うとアモンは煙となって消えた。
あまりの出来事にマリアは意識を失い、気がついたら朝になっていた。
やはり新郎は死んでいた。
昨晩あったことが現実なのか悪夢なのかマリアには分からない。
しかし、父親には「もう結婚はしたくない」と告げた。
「次は大丈夫だ! お前が結婚してくれないと子爵家の面目が丸つぶれだ」
父親は何の根拠もなく主張する。
もうとっくに丸つぶれになっているし、パウルス子爵家は既に嗤い者だ。
ただ、それを父親に告げる勇気はなかった。
その後も子爵は強引に婚姻を結ばせ、今度こそはマリア自身を愛してくれるのではないかと期待し、裏切られた。
そして七人目の犠牲者が出たのが最近だという。
パウルス子爵は蹲って体を震わせている。
話し終えて静かに涙を流すマリアに、俺たちはかける言葉が見つからなかった。




