合い言葉
*久しぶりにユリア視点に戻ります。
王太子クレメンスの誕生パーティが催される日、私は窓辺にもたれかかってその様子を眺めていた。
色とりどりのドレスで装った令嬢、パリッとした礼装の大勢の人たちが中庭や城内を歩き回っている。
王太子のパーティなんて参加したくないし、ましてや「婚約者です」なんて紹介されたくもない。
招待されなくて良かったと安堵しながらも、賑やかな輪の中に入れないことが少し寂しいと感じてしまうなんて……。
ぽつんと部屋にいると自分がいかにひとりぼっちか思い知らされる。
あんなに大勢の人がいるのに、誰も私に関心を寄せない。
情けないな。
前世ではそれが当たり前だったじゃない?
会社と家の往復しかない毎日で、携帯にも仕事以外のメッセージが来ることはほとんどなかった。土日は休日出勤か、日頃の睡眠不足を補うためにひたすら眠って過ごしていたっけ。
大学時代の友人たちがSNSに恋人との旅行やパーティの写真を載せていたけど、羨ましいとか寂しいなんて思ったことなかったよなぁ。
鴨くんがいない世界で恋人なんて必要ないし、独りで生きてゆく覚悟はできていたはずだ。
今ちょっと寂しいと思ってしまうのは、やっぱり甘えて我儘になったからだろうか?
ルキウスたちの顔を思い浮かべると、胸の奥がツンと痛む。
窓から外を眺めたり、ココやピパから話を聞いたり、それなりに外部の情報は把握している。
ラザルスが北の辺境伯のところで仕官することになり、エミリア母さんと一緒に旅立ったそうだ。
お別れくらい言いたかったな……。どうか元気でいてほしいと願うくらいしかできない。
人当たりの良いユリウスはどこに行っても人気者だし、ルキウスは無愛想ながら氷の騎士と言われて、二人とも令嬢たちからモテまくっているらしい。
ユリウスにはもう何年も会っていない。たまに庭を急ぎ足で歩く彼の姿を見かけるくらいだ。
ルキウスはクレメンスと一緒に来るが目を合わせてくれたことは一度もない。
まるで赤の他人のようにふるまうルキウスは、クレメンスの目を気にしているのかもしれない。でも……。
同じ家に住んでいる時から彼の態度は変わらないので、もしかしたらまだ嫌われているのかな。
胸がズキンと痛むが、だからと言って何かできるわけもない。
好意を持っている人から壁のようなものを作られる経験は前世でもあって、そんな時はその人をそれ以上不快にさせないように、そっと距離を置くようにしていた。
でも、ルキウスは飴やチョコレートを差し入れしてくれるし、小さなメッセージも書いてくれている。
ゴソゴソとベッドの下から『魔法学入門』を取り出した。本の間にルキウスからもらったメッセージが全て挟まっている。
『顔色が良くなった』
『身長が伸びたな』
『寒くなるから風邪引かないように』
『花が綺麗に咲いている』
『夕べ母さんがロールキャベツを作った』
『今日は昨日より暖かかったな』
何だかんだで30枚以上のメッセージが入っている。
少しは好かれているから書いてくれてるんじゃないのかな?
希望的観測を持ってしまった自分に喝を入れる。
『まさか! 調子に乗っちゃダメ! 彼は優しいから放っておけないだけだよね。もしかしたらユリウスに言われて書いたのかもしれないし』
そして本のページをめくって『必ず助ける』というメッセージを何度も読み返した。
ユリウスなのか、ルキウスなのか分からないけど、誰かが私のことを気にかけてくれているというだけで心がほんのり温まる。
……大丈夫。助けようとしてくれる人がいる。
ココやピパもいるし……と考えていたところで、タイミング良く二人がパーティ見物から戻ってきた。
「ただいま~、ユリア。どうしたの? ごめんね。寂しかった?」
ココが頭を撫でてくれる。彼らはいつも私の感情の動きに敏感だ。
「ごめんね。一緒にいれば良かったね」
ピパも心配そうに声をかけた。
「平気よ。私もパーティにはちょっと興味あるもの。ユリウスたちを見かけた?」
二人はちょっと戸惑いながら、ファビウス公爵とユリウスたちとの会話を教えてくれた。
悪魔憑き?
それって危なくないのかしら? 二人が危険な目に遭ったらどうしよう?
「二人はユリアの腕輪を外したいから悪魔憑きの調査に行くんだと思うよ」
ココに言われてハッと我に返った。
「ユリウスとルキウスはユリアの腕輪の話をしていたからね」
ピパもココに同意する。
「……二人が危険な目に遭わないといいんだけど」
自分でも驚くほど暗い声が出てしまった。
「ユリウスもルキウスもユリアを助けたいんだよ?」
ピパの言葉にちょっと泣きそうになる。
「でも、危険な目に遭ったら……」
「二人は大丈夫だよ。凄く強いんだよ。ファビウス公爵も軽薄で胡散臭そうに見えるけど悪い人間じゃないと思う。大丈夫だよ」
ココが私の頬を撫でながら慰めてくれる。
「せめて危ないことはしないでって伝えたいんだけど……」
「手紙は他の人に見られる可能性があるから名前が書けないしね。あの二人にだけ通じる合い言葉みたいなものはない?」
二人にだけ伝わる合い言葉か。そんなのない。
……でも、待って。ユリウスには伝わるかもしれない。
私は慌てて小さな紙を取り出した。
「Like two peas in a pod. Please stay safe. 危険なことは絶対にしないで」
一緒に暮らしている時、ユリウスは何かというとこの言葉を口にしていた。
でも、これをどうしよう?
ココとピパは物に触れないから、手紙を運ぶのは無理だし。
「窓から手紙を落として。僕たちは風を起こすことはできる」
そう言いながらココはピパと一緒に窓辺から飛びあがる。
言われた通り手紙を小さく畳んで窓から下に落とすと、みるみる小さな点のようになった。しかし、地面に落ちる前に小さなつむじ風が起こり、手紙は人が多い通路の脇にある茂みの中に消えた。
この通路はユリウスとルキウスがよく歩いているのを見かける。私は期待しながらジーっと通路を見つめていた。
しばらくするとユリウスとルキウスがやってきた。心臓がどきどきうるさくなる。
その時、つむじ風が巻きおこり、小さな葉っぱが何枚もユリウスの顔に当たった。多分ココとピパの仕業だ。
ユリウスが手で顔を拭うように葉を落とした後、ふと周囲を見回した。彼は勘が異常に鋭い。
ユリウスはルキウスに何か話しかけながら、通路の周辺を探っているようだ。
二人が茂みに近づいた時に再び小さな風が葉をユリウスの顔に当てる。
ユリウスとルキウスは互いの顔を見合わせると、茂みの中に潜り込んだ。
しばらくしてルキウスがガッツポーズをしながら茂みから這い出てきた。子供みたいにはしゃぐ彼の笑顔に胸がときめく。
二人で頭を寄せ合って手紙を開いて読むと、ユリウスが嬉しそうな笑顔でルキウスに何か話しかけた。
ルキウスはさっきのあけっぴろげな笑顔が嘘のように暗い顔で受け答えしている。
私の手紙の内容に失望したんだろうか? 何か別なことを書くべきだった?
混乱していたら、二人がふと顔を上げて窓辺にいる私に気がついた。突然のことで動揺したが、ユリウスの大きな笑顔にちょっと安堵する。
勇気づけられて笑顔で手を振ると、ユリウスが嬉しそうに手を振り返してくれた。普段だったらこの辺りにも警備兵がいるのでそんなことできないけれど、今日は皆パーティに駆り出されていて誰もいない。
ルキウスは相変わらず無表情で、私の方には視線を向けず周囲の様子を伺っている。彼がユリウスに何か言うと、二人はそそくさとその場から歩きだした。ユリウスはもう一度振り返ると投げキッスを送ってくれた。
自分の顔が紅潮するのが分かる。
わ、私も投げキッスを返すべき……? やったことないけど……と逡巡していたら、二人の姿はあっという間に消えてしまった。
まもなくココとピパが嬉しそうに戻ってきた。
「ユリウスたち、すごく喜んでたよ!」
ココは声を弾ませる。
「でも、ルキウスはちょっと暗い顔してなかった?」
「Like two peas in a pod.ってユリウスへの合い言葉なんでしょ?」
ピパに言われておずおずと頷いた。なんかまずかったのかな?
「ユリウスはすごく喜んでたよ。ルキウスは、ユリウスにだけ宛てたものだって勘違いしちゃったのかも」
え!? そうなの?
だって、ルキウスとの合い言葉なんて存在しないし……。ユリウスに通じれば自動的にルキウスにも通じるのかなって、そう思ったんだよぉ。
「ユリウスは二人に対するメッセージだって説明してたけど……。ほら、ルキウスは嫉妬深いからさ」
泣きそうな私にココは天真爛漫に言った。
「嫉妬深い? ルキウスが?」
意外に思って尋ねると、ココとピパは顔を見合わせた。
「ルキウスはユリアが好きなんだけど、ユリウスとユリアは両想いだと思ってるから、嫉妬したんじゃない?」
ピパの言葉に私は茫然と立ち尽くした。言葉が出てこない。
驚きで固まっている私を見て、ココとピパも衝撃を受けたようだ。
「……え? まさか……全然気づいてなかったの?」
ココが呆れたように言う。
「……私はずっとルキウスに嫌われてると思ってたんだけど」
「いやもうそれユリア、鈍すぎるから!」
え? ルキウスが私を好き……? そんなことありうるの?
「揶揄ってない? 今まで一度もルキウスに好かれているなんて思ったことなかったよ」
「傍から見るとバレバレなんだけどね……。ユリアは鈍いから……」
ココが額を押さえる。
えっと、もし彼らの言うことが本当だとしたら、私はルキウスに嫌われているわけじゃない? 逆に好かれてる?
そう考えた瞬間、火が出そうなくらい頬が熱くなった。
「わぁ~、ユリアが赤くなった! ユリアもルキウスが好きなの?」
ピパに質問されると、何と返事していいか分からなくなる。
実を言うと、赤ん坊の頃ルキウスに初めて会った時に予感がしたんだ。
でも、嫌われてると思っていたから、ずっとその予感を押し殺してきた。
昔から彼はずっと私の中で特別な存在だ。
嫌われてないと思っただけで涙が出そうなくらい嬉しい。
そっと自分の胸に手を置いた。
「ルキウスもユリウスもみんな大切な家族だから大好きよ」
「え~、それじゃあつまんないなぁ」
ココが頬を膨らませる。可愛い仕草に思わず抱きしめたくなった。
あぁ、やっぱり浮かれてるのかもしれないな。
その後、微かに聞こえてくる音楽に合わせて、私はココとピパと一緒に踊ったのだった。