悪魔憑きとファビウス公爵
*まだルキウス視点です。
その後、ラザルスと母さんは本当に北方の辺境伯の城に旅立っていった。
母さんは俺たちの反対を押し切って家を売却した。父さんの思い出が残る家を売るというのは母さんの大きな決意の表れだ。もう二度と帰ってくるつもりはないのだろう。
「それに辺境伯に甘えてばかりもいられないでしょ? 何があるか分からないんだし……。先立つものがあった方が安心できるわ」
母さんは吹っ切れたような笑顔を見せた。
ラザルスもしっかりしているし、辺境伯領であるトラキアの首都ガリアまでユリウスが二人を送っていくという。きっと大丈夫だろう。
俺は王太子の護衛の任に集中することにした。
王太子はユリアとの一日二回の散歩が楽しいらしく、どんな公務が入っても散歩を欠かしたことはない。
癇癪を起してユリアに暴力を振るうことはなくなったが、代わりにやたらとユリアの体を触ろうとするので俺の苛立ちはつのっていくばかりだった。
「人目がありますから」
ユリアの腰を抱こうとする手を振り払うと、彼女はホッとしたように俺を見るが、決して視線を合わせないように気をつけた。目が合っただけで王太子に何を勘繰られるか分からない。
王太子はチッと舌打ちするが、俺に対しては歯向かおうとしない。動物的な勘で強い者には逆らわないようにしているのか。いずれにせよ俺は解雇されることなく護衛を続けることができた。
***
そんな王太子も二十歳になろうとしていた。
女王は幼い頃は王太子を放置していたが、最近は見目麗しくなった息子が可愛くて堪らないらしい。甘やかすことと可愛がることは別だと思うが……。
王太子の二十歳の誕生日パーティは国家行事として盛大に開催されることとなった。
成人するまでという約束で女王の地位を得たアグリッピナは、王太子が成人した後も王位を譲るつもりはないらしい。
彼女の生活は年々派手になり国家予算の多くを食いつぶしている、とユリウスが諦めたように語っていた。
近年、国民は高い税率や穀物の不作に苦しんでいる。そんな中、女王や王太子の誕生日には金に糸目をつけず贅沢で豪奢なパーティを行うため、国民の不満と反感は日に日に高まっていた。
王都には魔物の姿も普通に見られるようになった。女王が魔力を与えているせいか人間を襲うことはないようだが、怯えて王都から逃げ出す市民も多いと聞く。
王宮にまで魔物が入りこむような状況には嫌悪感しか抱けないが、ユリアがいる限りここから逃げ出すわけにはいかない。
***
誕生日パーティに先立って、俺は警備の最終確認や他の騎士たちとのやり取りで忙殺されていた。
パーティには全国各地から多くの人間が集まってくる。素性の知れないものや危険人物が紛れ込まないように神経を使う。豪華な食事や派手なパーティだけでなく、警備にも相当の金がかかっている。
女王が唯一苦手としている宰相兼財務相の顔が思い浮かんだ。いつも眉間に深い皺を寄せているカントル宰相のおかげで、この国はようやく保たれていると言っても過言ではない。
カントル宰相が王太子の誕生日の予算を削ろうとしたという噂は耳にしたが、女王がそれに従うはずもないだろう。
王太子は誕生日パーティでユリアを婚約者としてお披露目したいと女王に直談判したそうだ。
しかし、彼の我儘は大抵叶える女王でもそれに関しては頑として譲らず、今回もパーティにはユリアは出席しないこととなった。
『ユリアの部屋にケーキくらい届けてやればいいのに。婚約者なのに気が利かない』と思ったが、もちろん口には出さない。
パーティは悪趣味でド派手なだけだった。カントル宰相の忠告は完全に無視されたらしい。やたらと金だけかけられたような贅沢なパーティと強い香水の匂いに吐き気さえもよおしてくる。
女王は取巻きの若い男たちに囲まれてご満悦だ。今お気に入りのなよっとした若い男にしなだれかかり、耳元に何かを囁いては何が可笑しいのかひっきりなしに甲高い笑い声を立てている。
俺は嫌悪感を表情に出さないように注意しながら、王太子の周囲の警護にあたる。
女王と同様に、王太子も華やかに着飾った令嬢たちに取り囲まれて鼻の下を伸ばしている。
露骨なお世辞や媚びも楽しくて堪らないらしく、両隣の女性の腰を同時に抱き寄せながら、それぞれの耳元に何かを囁いている。それを聞いた令嬢たちが顔を紅潮させて嬌声をあげた。
お前にはユリアという婚約者がいるくせにと内心のムカムカが止まらない。
ああもう見てらんねぇ、と思った俺は近くにいた騎士に囁いた。
「悪い。ちょっと会場の周りを確認してくるから、この場を頼む」
職務怠慢だなと少し反省しつつ、その場を離れた。
ユリアという婚約者を放置して、他の女といちゃつく王太子を見るのは耐えられない。しかし、ユリアがこんな場所にいなくて良かったという矛盾した気持ちもある。
もう少し風に当たってから戻ろうと適当に会場周辺を歩いていると、バルコニーの隅で数人の令嬢が噂話をしているのが聞こえてきた。いつもは無視して通り過ぎるが今回は『悪魔憑き』という言葉が微かに聞こえて足を止める。
「……そうなのよ。それで七度目なんですって!?」
「本当に? そんなことあり得るのかしら?」
「本当よ! だって、私はパウルス子爵の従兄から直接聞いたのよ。パウルス子爵の令嬢は悪魔憑きだって!」
「……しっ! 声が大きいわ。それで七回とも結婚式の翌日に新郎が亡くなっていたのね?」
「そうなの。前日までピンピンしていたのよ。だから、彼女と初夜を迎えると殺されるんだって評判が立って……」
「それに朝になるとその前の晩のことを何も覚えていないんですって。悪魔の仕業だってみんなが噂しているわ」
「当り前だけど求婚者がいなくなっちゃって、子爵は大金を積んで結婚相手を探してるそうよ。大変らしいわ。だってもうすぐ二十五歳なんですって。ふふ、年増なんて、ふふ、言っちゃいけないけど」
「そりゃねぇ。七回もそんなことがあったら。いくら美人で有名でも。ふふっ」
クスクス笑い声が聞こえる。性格悪いな。
「マリア様はもう結婚は諦めた方がいいんじゃないかしらねぇ?」
「そうね。それはみんな言っているわ」
ゴシップはまだまだ続いていたが、俺はそっとその場を離れた。
今聞いた『悪魔憑き』という言葉が頭から離れない。もしかしたら、女王にあの腕輪を渡した悪魔アモンの手がかりとなる可能性はあるだろうか?
ユリウスの姿を探したがどこには姿は見えない。
中庭に出て、ふとユリアの部屋の窓を見上げると彼女らしき人影が見えた。
こっちのどんちゃん騒ぎは聞こえるだろう。独りぼっちでいるユリアのことを考えると胸が締めつけられる。せめて俺が側にいてやりたいと思うけど、それも不可能だ。
くそっ!と腹立たしくて石を蹴っ飛ばしたら、暗闇の中にいた誰かに当たったらしい。
「きゃっ」という女性の悲鳴が聞こえて、俺は慌てて駆け寄った。
「も、申し訳ありません。お怪我はありませんか?」
声をかけると、一組の男女が暗がりから現れた。
しまったな。逢引の邪魔をしてしまったらしい。
俺は平身低頭で謝った。
男は壮年だが華やかな容貌の美丈夫で、服装や立ち居振る舞いから高位貴族だと思われる。
「ああ、氷の騎士だね。まぁ、いいところを邪魔された」
男が隣にいる令嬢の肩を抱くと、まだ初々しい女性の頬が真っ赤に染まった。
『氷の騎士』というのは有難くもない俺のあだ名だ。何があってもニコリともしないところからつけられたらしい。余計なお世話だ。
男は苦笑いだがそれほど怒ってはいない様子だ。ほっと胸を撫でおろす。
「我々にはぶつからなかったから大丈夫だ。ただ、これからは気をつけるようにね」
「はい。誠に申し訳ありませんでした」
その時、騒ぎを聞きつけたのかユリウスが現れて男に声をかけた。
「ローラン・ファビウス公爵。弟が何か……?」
「いや、何でもないよ。ああ、氷の騎士は君の弟だったね」
(ファビウス公爵!? 公爵だって……!?)
「俺が蹴った石がお二人に当たりそうになってしまったんだ」
堪らなくなって口を挟むと、ユリウスも顔色を変えて頭を下げる。
「弟が大変申し訳ないことをいたしました。どのような厳罰でも私が受けますので」
「兄さん! 俺がしでかしたことで兄さんが責任を取ることなんてない!」
焦る俺を見て、ファビウス公爵は朗らかに笑った。
「心配することはない。実質被害は何もないよ。それに君たちは故マリウス将軍の忘れ形見だ。伝説の将軍のおかげで何度も国が救われたからね。君たちを罰するなんて愚かな真似はしない。でも……」
「「でも?」」
「ちょっと手伝ってもらいたいことがあるんだ。女王には許可を取る。腕に自信のある護衛がほしくてね」
「あ、あの、それはどのようなことでしょうか? 現在ルキウスは王太子の護衛の任についております。城を空けるとなると……」
ユリウスが躊躇いながら、おずおずと伝えた。ユリアを王城に独りきりにするわけにはいかない。
「ふむ。モニカ。君の兄上は氷の騎士の代わりに王太子の護衛を務められるだろう? 騎士団長の腕では不十分かね?」
(ああ、この令嬢をどこかで見かけたことがあると思ったら、騎士団長の妹か……。迂闊だったな)
「いえ。まさか、滅相もございません」
同意するしかない状況だ。
「騎士団長も聖女殿のことは気にかけている。君たちが留守にしても安全には気を配ってくれるだろう。気の毒な状況だからな」
独り言のように公爵が呟いた瞬間、彼の視線が俺たちの心を読むように鋭く刺さった。
聖女ユリアの悲惨な境遇は普通の貴族には知られていないはずだ。
ファビウス公爵は女性を煽てるのが上手く、美形好きの女王にも気に入られている。また、数々の女性と浮名を流すプレイボーイとしても有名だ。
これまで俺とは接点がなかったので、どこまで信用していいのか分からない。
こっそりとユリウスの顔色を伺うと、彼は真剣な面持ちで公爵の顔を見つめていた。
「承知いたしました。公爵は政治的なことにはあまり興味がないと思っておりましたが、間違いだったようです」
ユリウスが突然跪いたので、俺も慌てて同じ動作をする。兄さんが自ら跪いたということは、仕えるに値する人物だと判断したのだろう。彼のこの辺りの判断に間違いはない。
「そんなに畏まるのは止めてくれよ。私にも色々事情があってね。カントル宰相から悪魔憑きについて調べろと命じられたんだが、正直怖くてね。私自身はまったく腕に覚えがない。誰か強い護衛をお願いしようと思っていたところなんだ」
笑いながら言うが、俺は内心『嘘つきめ』と思っていた。公爵の姿勢や体つきは武人のものだ。骨格や筋肉もしっかりしている。きっと密かに鍛えているに違いない。
それにしても気になる言葉を聞いた。
「悪魔憑き……ですか? 噂では聞いていますが……」
ユリウスも同じ言葉に引っかかったらしい。
公爵の顔に影が差した。
「ここ数年、国内で悪魔憑きと噂される事件が急増していてね。流石に放置しておくのはまずいと宰相から調査命令が出されたんだ。一番暇そうな私を選ぶなんてさすが宰相は見る目がある」
冗談っぽく説明したが、彼の表情には懸念が現れており事件を真剣に捉えているのが分かる。
「分かりました。詳細については……?」
「ああ、宰相には私が伝えるから、いずれ内示と言う形で辞令が出ると思うよ。悪いね。頼むよ」
笑顔で手刀を切り、公爵は騎士団長の妹のモニカの肩を抱いてその場から立ち去った。
残された俺とユリウスは顔を見合わせて頷いた。
「……偶然だが、良い機会だと思う。悪魔憑きの事件を追っていればいずれ悪魔アモンの手がかりが得られるかもしれない」
俺は先程聞いた令嬢たちの噂話をユリウスに伝えた。
「そうだな。そこから当たってみるよう、宰相閣下に相談してみるか。令嬢はまだ生きているんだろう? 貴重な証言者だ。噂だと他の悪魔憑きの被害者はほとんど死んでいるらしいからな。俺の直感だが、七人の花婿の死というのは尋常じゃない。当たりの気がする」
ユリウスは俺の肩をばんばんと叩いた。
「早速動きだすぞ。貴重な情報だ。良くやった」
兄さんが立ち去った後、俺は茫然と立ちすくんでいた。
……貴重な情報だったんだろうか? 何かユリアの役に立っているんだろうか?
自分はまったく役立たずのような気がしてならない。俺の存在意義って何だろう?
切ない気持ちを抱えながら彼女の部屋の窓を見上げると、ユリアらしき人影はもういなかった。
彼女に会いたい……。
胸の奥が締めつけられるように痛んだ。




