メッセージ
窓の外を見ながらつらつらと考えてみる。
動画とは異なるストーリーになってしまった今、これからの展開がどうなるかはまったくつかめない。
マリウスの代わりをユリウスが務めて反乱を起こすのでは、と思ったこともあった。
だって、ユリウス・カエサルなんてジュリアス・シーザーのラテン名だから皇帝を暗示してるのかなって考えたんだ。
しかし、ココとピパの情報によると、既に人々の生活は女王の悪政のために逼迫し、日々の生活の糧を得るのに精一杯だ。反乱を起こす気力なんて無さそうだという。
人間、食べないと気力が湧かない。経験からもそう思う。
反乱を起こすにも気力が必要だ。食糧の安定供給……なんて前世で良く使っていた言葉を思い出し、この世界の食糧不足はどうしたら解消できるのかと考える。
最近少しずつ物事を考えられるようになったのは、ルキウスがこっそり花瓶に入れてくれる甘い物のおかげだもん。うん、食べ物、大事。
ある日、キャンディの包みを開いてみるとチョコレートと一緒に細かい字で書かれた小さな手紙が入っていた。
どきどきしながらそれを読む。
『死にそうなくらい重い病気のふりをしてくれ』
……どういうことだろう?
何の説明もないが、ルキウスには何か考えがあるのだろう。
翌日、重い病気でベッドから起きあがることすらできないという演技を始めた。
本気で心配してくれるアガタには申し訳ないが事情を話すわけにはいかない。
呻き声をあげながら意識朦朧とした演技を続けると、クレメンスがやってきた。
後ろに控えるルキウスが無表情なのに対して、クレメンスの顔色は悪い。
「……ど、どうした? 突然こんな重病になるなんて!」
クレメンスが心配しているようで純粋に驚いた。
「早く! 医師を呼べ!」
怒鳴り散らすクレメンスにアガタが慌てて部屋の外に駆け出していく。
しばらくして口髭を生やしたダンディな宮廷医師が現れた。
念入りに診察する間中、私は必死で演技を続けた。
「殿下、これは間違いなく栄養失調と運動不足です」
「な……え、栄養失調って……」
クレメンスは心当たりがあるかのように後ろめたい顔をしている。
「殿下。彼女の体を見れば分かるでしょう? こんなにガリガリで……栄養が足りないのは明らかです。このままではいずれ死に至るでしょう」
「そ、そんな……でも、母上が……食事はこれで十分だと……」
「子供は育つんですよ。栄養が足りないと発育不全に陥ります。それに成長期の子供には外気での運動が必須です。こんな薄暗い部屋に一日中閉じ込められて、病気にならない方がおかしい」
「……そ、それも母上が……」
重病の振りをしながらも、私は内心『母上、母上、うるさいなぁ! このマザコン!』と怒鳴りつけたくなった。
「殿下。このままだといずれ彼女は死んでしまうかもしれません。彼女の待遇改善を殿下から陛下に奏上して頂けないでしょうか? 彼女が死んでしまっては元も子もないのではないですか? 彼女を救えるのは殿下だけなのですよ」
医師の言葉にクレメンスは何故かやる気になったようだ。鼻息も荒くルキウスを引き連れて部屋から出ていった。
残った医師はアガタに重湯を用意するよう指示している。
栄養が改善すれば症状も改善するだろう。
……騙していることにちょっと罪悪感を覚えつつ、私は演技を続けた。
その後、驚いたことに女王はクレメンスの訴えを聞いて、食事の量を増やすことを認めたらしい。
私が死んだら、女王の若さを保つための魔力が消えちゃうからね!
急に沢山は食べられないが、久しぶりに満腹感を感じるくらいの量の重湯を貰って、お腹が幸せに震えているのが分かった。
お腹が一杯になると眠くなる。
その日の夜はぐっすりと眠れた。こんな安らかな眠りも久しぶりだった。
翌日も医師が往診にきて、クレメンスに運動についても改善するよう交渉してくれた。
重湯を飲んで元気になった私を見て、クレメンスは医師を信用することにしたらしい。なんと一日二回、外を散歩する許可を女王から取ってきた。
但し、必ずクレメンスと一緒という制約付きだったが。
それでも私は三年ぶりに外に出られて幸せだった。
ああ、懐かしい土の匂い。甘い花や木の爽やかな香り。
クレメンスに手を引っ張られて歩きながら、私は全身で外気を感じていた。
風を感じる皮膚が心地よい。お日様も久しぶりだなぁ。
前世では日焼けするのが嫌だったけど、久しぶりに感じる太陽の光はただただ眩しくて体を温かく包んでくれた。
食事の量は以前に比べたら大幅に増え、栄養もきちんと取れるような献立になっている。
お医者さんには感謝してもしきれない。
それに……ユリウスやルキウスが背後で動いてくれていた気がする。
応援してくれる人たちがいる。その事実は涙が出そうなくらい有難かった。
*****
その後の数年で私の体重は増え身長も伸び、健康を取り戻しつつあった。
相変わらず私と話ができるのはクレメンスだけだったが、侍女のアガタとは目と目で通じ合えるし、ルキウスは甘いものを差し入れてくれる。
たまにキャンディの包み紙に短いメッセージを書いてくれることがある。
「顔色が良くなった」
とか
「身長が伸びたな」
とか
「寒くなるから風邪引かないように」
とか、短いものだったけど私を案じてくれているのが分かって、とても嬉しかった。
少しは嫌われなくなったのかしら?
さすがに好かれているかも、なんて厚かましいことは考えられないけど。
少し右肩上がりのルキウスの筆跡を見ると、懐かしさに胸が高なる。
ココとピパの励ましもあり、私は生きる気力を取り戻した。
ある日、クレメンスが帰る時に珍しくルキウスが何かに躓いて、本棚に手をかけた拍子に数冊の本が床に落ちた。
「……申し訳ありません」
詫びながらも無表情でルキウスが本を本棚に戻す。
クレメンスは気にも留めていないが、その中にこの部屋には無かった本が混じっていることに気がついた。
この部屋にある本は全て把握しているんだ、と誰にともなく胸を張る。
もしかしたら、ルキウスはわざわざ外からその本を持ってきてくれたのかもしれない。
私は一人になった時にどきどきしながらその本を手に取った。
『魔法学入門』という本は読み物としても面白そうだったが、ページを捲るとたまに文字の上に傍点が付いていることがある。
……この点は何か意味があるのかな?
最初のページから傍点がついた文字をつなげてみた。
「か・な・ら・ず・た・す・け・る・に・げ・る・じ・ゆ・ん・び・を・し・て・お・け」
これはルキウスたちからのメッセージだ。嬉しさのあまり泣きたくなった。
いつかきっとこんな生活から抜けだせる、と勇気が湧いてきた。
そのためには逃げた後にどうするかも考えないといけないな。
よし、やっぱり勉強しよう。
結局私は勉強が好きなんだと呆れるけど、昔のように自嘲する気にはなれない。生き抜くためでもあるし、もっと前向きな気持ちになれた。
この部屋には魔法の本がない。女王は私に魔法を覚えてほしくないのだろう。
だから、ルキウスがこっそり忍ばせてくれた『魔法学入門』は私の愛読書となり、常にベッドの下に隠してある。
この部屋では魔法が使えないが、本を読むことで基礎的な魔力の使い方は理解できた。独りの時にエア魔法で練習もしてみる。
その後、巨大な本棚に収められた本を全て読了し、この国の歴史、地理、経済、貿易、財政など、ほぼ全てのことを把握できたと言っていい。
飢えている人たちのために何かできないだろうかと私はずっと考えていた。前世で研究していた農業の知識がようやく活かせるかもしれない。
ココとピパの情報によると、女王は魔力を餌にして魔物たちを集めているようだ。
魔力は魔物たちにとってはご褒美だ。女王は魔物を操り強い軍事力を握りたいのだろう。
しかし、一方で集まってくる魔物たちに近隣の村が襲われ、ろくに作物を育てられないという噂も聞く。
人々の生活はますます貧しくなっていくのに女王は意に介さない。
そんな状況の中、税は上げるという鬼畜ぶり。
自分にも何かできたらいいのに……
無力な自分にもどかしい気持ちを常に持っていた。
そして私は十五歳になった。




