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菜津

***


 昔から可愛いとか女の子らしくとかって言われるのが嫌いだった。漫画も少年漫画ばっかり読んでいたし、男性のアーティストが着ている服をかっこいいと思った。そういうものが好きなだけだった。

 女の子と話をしていて特出したすれ違いは無かったし、女の子の友達と同じ様に好きなものだって沢山あった。可愛いキャラクターのグッズも好きだし、沢山持っている。

 ただ一つ、みんなが持っている恋愛という感情というものにだけは共感が出来なかった。

そんな生活をしているうちに、もっと女の子らしくしなさい、と母に言われるようになった。

 ある日母から、「あんたは本当にガサツでだらしない。お兄ちゃんはあんなに器用で綺麗好きなのに。逆だったらよかったのに」と言われた時には戦慄が走った。

 男だから、女だから、そんなわけないじゃないか。生きていく上でそれ程大切な事だと私には思えなかった。

 例えあなたが女という武器を磨いてこれまでを戦ってきたのだとして、生きてきたのだとして、それは別に嫌悪することでも構う事でもない。ただ同じ武器を持てと言われても私はその武器を持てるようには作られていないのだ。


 冬子は出会い頭から本当に意味がわからなくて、慣れていない人と話すのが苦手な癖に、下手くそなのに、最終的には言いたいこと言って、言葉に嘘がなかった。

 洋季も明保も子供向けアニメが好きで仲良くなったのだと言った。きっとみんなにとってはただそれだけの事だったのだ。

 私がどんなものを好きかなんて瑣末な事で、冬子がそれで良いと言うなら、それで良い気がした。良くも悪くも冬子は真っ直ぐだから、わかりやすくて安心するのだ。

 この心地よさがいつかは終わるのだとしても、それが今日でないのなら、この空気感の中で息をしていたい、そう思った。


「あれ、菜津なんか元気ない気がする」

 洋季が言った。毎週恒例となっている、四人とも講義が無い時間食堂に集まっている時のことだ。

「あー、うん、もうすぐ夏休みだなって」

「菜津、夏休み嫌なの。なぜ、なんで、そんな人っているの」

 明保うるさいな。声が響くんだよな。

「ああ疲れたしんどいあの講義苦手なんだよ、みんなお待たせ。って、え、夏休み嫌いなの?なんでなんでなんで」

 うるさいの二匹目登場。疲れたとか言ってすごい元気じゃないかこの人。冬子は椅子を引くや否や、なんでなんで攻撃に出てきた。そんな急かさないでくれ。ちゃんと話すから。


***


 菜津は夏休みが来るのが嫌なのだそうだ。

 私としたことが座りがけになんでなんで攻撃をかましてしまった。

「簡単に言うと、母との折り合いが悪くて、夏休みは学校が無いし、母と同じ家で長時間過ごさないといけないから、それが億劫でさ」

 菜津は苦虫を噛み潰したような顔をした。簡潔に言ってるけど、実際もっと理由があるよな。まそれは自分から言い出すまではそっとしておくとして、いいこと思いついた。

「なるほど。じゃあ、うち来ちゃいなよ」

「冬子の家に」

「そう。私はお盆だけ実家帰ればいいし、うちに家出に来ちゃえばいいよ。菜津が来てくれたら私も楽しいし」

「冬子の部屋汚そうじゃね」

 明保はまた余計な事を言ってくる。

「汚くありませんー。散らかってるだけですから。ちょちょいのちょいで元通りですから」

「それ汚ねえってことじゃねえか」

 明保が鼻で笑った。まあいつもの事だし無視しよう。私はちょっと大人になったぞ。言ってる側からドラクエのレベルアップの音自動的に鳴らす自分の脳内やめてくれ。テレレレレッテッテーじゃないんだって。

「じゃ、してみよっかな。家出」

「よしきた。菜津、ウェルカム」

「冬子は菜津を独り占めしたいだけでしょ」

 洋季は最近、皮肉が明保に似てきているぞ。悪い影響だ。


***


 夏期の集中講義を残し、夏休み前の講義は今日で修了した。

 明日からは家に菜津が来るからと掃除機をかけつつ、角の埃を全然吸い込んでくれない事に文句を言っていると、洋季から着信があった。

「もしもし冬子」

「うん、どうしたの」

「学部のさ、共通の集中講義の紙張り出されてたでしょ。あれ写真撮ってあるかなって。取り忘れちゃって」

「ああ、一応撮っといたよ。あとで送るね」

「うん、ありがとう」

「ところで洋季よ、あの殴り合いの一件以来、なんかもやもやしてたのが吹っ切れたっていうか、前よりも心開いてくれるようになった気がするんだけど、どうなの」

「冬子って意外と人の事よく見てるよね」

「そんなこたあないよ。洋季はわかりやすいから。なんでか洋季の事はよくわかる気がするんだよ」

 私は自身の感情の正体を知っている。悟られてはならない。

「冬子にはお見通しか。そっか。じゃあさ、まだ気づかないふりしてて。お願い」

 洋季の声が少し揺れた気がした。

「うん。私は何も気づいてないし何も知らない」

「苦労かけるね。ごめんね」

「なんのそのだよ。そういえば洋季の家広いって言ってたよね。夏休み中に菜津と明保連れて行くわ。いいよね?みんなでご飯食べよう。じゃあまた連絡する」

 洋季の天秤はグラグラに揺れてて、それでも感情の引き出しを開けたり閉めたりしてなんとか保とうとしていた。

 私の天秤は傾かない。傾けてはいけない。大切なものに順番をつける事は今の私にはできないから。何も起こらないなら、このままを保っていたいのだ。


***


 菜津が家に来て何日か経った。

 茹だる暑さで動く気にもなれないし、課題も進まないでいた。

「あ、そうだ。洋季の家いかない」

 フローリングに寝そべっている菜津に聞いた。

「動けない」

 菜津の体は完全に床に張り付いている。

「ほら、そんなこと言わずにさ。洋季の家にはエアコンがあるらしいぞ」

 餌に釣られた菜津はピクリと首を震わせ短く言葉を仰せになった。

「行くぞ」

 その後洋季と明保に連絡を入れ、集まることとなった。


「洋季手際いいじゃん」

 菜津はテーブルで大根を剥いている。

「一人暮らしだからこれくらいはね。って菜津何してるの」

 洋季はキッチンから振り返ってそれを見てしまった。

「大根」

「わかるんだけど、それ、剥きすぎ。無くなる」

 え、なになに、どうした、何それ、何してるの菜津、などと明保と私は囃し立ててしまったので、菜津は不機嫌になりソファに横たわって何もしなくなった。

「さっきの菜津ウケたな」

 と、明保は卵焼きに添えてある大根おろしを何の気なしに全部取った。

「なんで」

 と私が呟くと、 

「ね、なんでだろうね」

 菜津も呼応する。

 洋季は、なにが、と困惑していた。

「これは無いわ」

 菜津が呆れ出した。

「お前ら何の話…」

 明保は訳がわからないと言った様子のところに、お前だよ、と菜津と私の言葉が被った。

「ね、なんで。なんで大根おろし全部取ったの。卵焼きみんなまだ食べてないよね」

 菜津が興奮気味に言った。私も援護射撃だ。

「大体さ、全部取らないよね。百歩譲って取るにしても、大根おろし全部貰って良いですか、って聞くよね」

「そんなの知らねえよ。俺は食べたかったの。足りないならまたおろせば良いじゃねえか。俺やってくるし」

 明保は立ち上がろうとし、菜津が次に話し始めたその時だった。

「大根もう無いよ。さっき菜津が剥きすぎて量無かったんだよ」

 と洋季が言い放った。もう誰も何も言えない。何が何だかもうわからないけど、洋季ごめん、と思った。

 波乱の展開を期した夕飯ではあったが、その後は滞りなく食べ進め、少し酔ってきた頃、家出しようと思った事は話しておかないとね、と菜津が話し出した。

 母との折り合いが悪い事、恋愛感情が自分には無いという事。

 母の言う男らしさ女らしさがどういう意味かわからなくてずっと疑問を持って生きてきた。兄は母の求める「男らしさ」を含め何でも出来、母がとても可愛がっていて、それに対してどうして自分は出来ないんだろうと劣等感を感じていた。無視していればいいのに、なぜここまでその言葉に嫌悪感を抱いてしまうのか。

 そして自分は性的欲求や恋愛感情を持っていない人間なのだと大人になるにつれてわかって、なんとなく腑に落ちたのだとの事だった。

 ぽつりぽつりと、菜津は自信無さそうに話した。

「そっか。菜津、このまま冬子の家に居るのもいいと思うけど、居るなら居るでちゃんと理由言いに行こう。俺らに言えたんだからさ。別にその恋愛感情が無いとかの話は言いたくなかったら言わなくていいんだし」

 聞いている間、しばらく声を出さなかった洋季が突然言った。

「そうだね」

 私もそう思った。洋季が言葉を発せなかった理由もなんとなくわかっていた。

「いやいや、行くってちょっと待てお前らわかってんのか。家族の事に口出しすんなよ」明保の言っていることは正しい。でも、だ。

「わかるよ。わかるけど、菜津をお預かりする身としてはさ。どうせ菜津はどこに行くとかちゃんと言っていないだろうし。一人じゃ言えないんだろうし。それに他の人にはそれ程深刻な話じゃなくても、菜津がこんなに悩んでる。だから言わなきゃ。菜津は菜津という一人の人間なんだって。私は男だから女だからって選んで菜津と一緒に居るんじゃない。ただ、菜津という人間が好きだから一緒にいる」

 途中ちょっとだけ泣きそうになった私を菜津は抱きしめて、ありがとう、と言った。抱きしめられた私の肩は少し濡れていた。

「わかった、わかった。俺は女の子の涙には弱いんだよ。勘弁してくれ。それに深刻じゃないなんて思ってねえよ。よし、じゃあ後日ご挨拶に行くか。菜津はそれでいいんだよな」

 四人は多いんじゃない、と菜津は笑った。

 なんだかんだ言って、明保は優しいのだ。



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