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東京未来事件簿

選択と結果

作者: 未来から来た男


2100年東京。


「おいおい、2番バッター歩かせてどうすんだよ。」

 その言葉に、白浜行は反応する。

「いいや、妙義。多分、わざとフォアボールにしてる。いい判断だと思うよ。」

妙義

「次クリーンナップだぞ。長打率を考えろ。単純に打率だけで見ても、横並びだ。2番と勝負すべきだろう。」

「単純な数字に頼ってたら、重要なものが見えなくなることもある。」

妙義

「統計の専門家がよく言うよ。」

「専門だからこそ、言うのさ。2番の選手は味方からのプレッシャーに弱いんだ。逆に今みたいにアウェイで、周りの客が自分を応援していないと感じると気持ちが解放されるタイプさ。表情や仕草にもでやすい。今回、打つ可能性は高かった。3番は、移動日明けは調子悪い。飲み過ぎだ。」

 行が言ったところで、3番バッターは内野フライに倒れる。

 攻撃が変わるといきなりデッドボール。怒って睨みつけるバッターにピッチャーは帽子を取って頭を下げる。

妙義

「これはいけねえな。わざと当てたんじゃねえんなら、簡単に謝んなよ。勝負の世界弱みを見せた方が、負けだ。」

「僕は、君のその考えは好きじゃない。もちろん、気持ちで負けちゃだめだが、感情的になることと、勝負で奮い立つことは同じではない。」

妙義

「なんだ?それは普段の俺の行動の事を言ってんのか?」

「君がそう思うなら、そうかもね。」

妙義

「言ってくれんじゃねえか。俺がお前に手を出せないことをいいことに…。」

「おっと、もういい時間じゃないか。明日は仕事が溜まってる。需要な打ち合わせもある。入眠の儀式に入るよ。邪魔しないでくれ。」

妙義

「重要な打ち合わせ…ね。どう重要なんだか。好きな子と会えるなら、たまには積極的に行けよ。お前みたいに行動心理がどうだとか考えるより行動だろ。」

「放っといてくれ。彼女は…。誘ったって成功の可能性はほとんどない。」


 次の日職場に着いた私は、エレベーターを待っていた。やがて、エレベーターがついて、周りの数名が乗り込もうとしたとき、嫌な予感がして足を止めた。

 今日は、火曜日か。確か昨日は局内課長会議の日だったな。課長はいつも仕事を持ち帰ってきてテンパる。昨日の議題ならほぼ確実だ。担当関係なしに目に入った人に押し付けるから勘弁してほしい。この時間帯、エレベーターを使って課長に遭遇する可能性約60%。仕事を部下に押し付ける可能性70%。つまり、エレベーターを使った場合のリスクは、約42%…てとこかな。

 行は、やむを得ず、階段で上がる。ちょうど事務室に着いた時には、同僚が課長から、電子パネルでせっせと説明を受けていた。同僚は、やや迷惑そうに話しを聞いている。

 ホッと胸をなでおろしながら、パーテーションに囲まれたデスクに座る。

 さて、電子パネルを宙に開いて、近くのサービスロボにコーヒーを依頼する。

 行の担当業務は、犯罪心理や行動へのAI解析技術について、だ。とにかくパソコンと向き合い、膨大が業務をこなさないと行けない。でも行は自分の仕事が気に入っていた。




 午後からは、“重要”な打ち合わせのため、外出する。

 世間では、タイムスリップ技術の開発競争の話題が世間を賑わせていた。世界の中でも、日本は成功させる可能性が高い筆頭なのだ。共立科学研究所と東京未来研究所の二つだ。そして、先日、共立科学研究所がタイムスリップの実証実験の手続きを進めていると発表したことで、世界の注目が集まっている。今日の行き先の東京未来研究所は少し出遅れた形だ。

 タイムスリップ技術のことは専門外だが、黒瀬チーフに会えるのはうれしい。

 歩いていると、誰かが男数名に絡まれているのが目に入る。1対3だ。助けた方がいい…そう思いながらも、トラブルを避けたいという気持ちが勝ってしまう。

 だいたい、1対3だからと言って、3の方が悪いと決めつけるのは良くない。人にはそれぞれの事情っていうものがある。

 行はそのまま、通り過ぎて研究所に向かう。


「AI解析に関する技術開発で、認証を受けた5件の現状報告が少し遅れてますね。あと、新たな、アンドロイド開発に、これらの技術の応用を試みているのでは?科学省としては、正式な報告は受けてはいませんが…?」

「ええ…、まあ、そうかもだけど、私はそのことに関してはわかりませんね。」

 葵は、相手が科学省の担当者でも、内部事情はあまり話さない。

「先端技術の開発は当然、国への申請が必要になります。国としては、国民の安全のためにも、技術を把握する必要があります。」

「ねえ、仮に時空移動実験をするとすれば、申請にかかる期間は、だいたいどのくらい?」

「時空科学は専門外だからよくわからないけど、まあ、早くても3か月ってところかな。」

「ねえ、白浜さんって、共立科学研究所とも付き合いがあるの?」

「…、さあ、どうでしょうね。」

 行は、逆に、情報をぼやかして返した。

 葵は、明らかに鋭い目つきでこっちを見ている。自分が共立科学研究所の動きを何か知っていると読んでいるのだろう。

 行と葵は、しばらく事務的な会話を続けたが、葵は明らかに、共立科学研究所の動きを意識しているのか、少し張り詰めたような空気が流れた。

 ある程度、打ち合わせに目途がたったところで、その場の空気を和らげようと、話題をそらす。

「宇宙技術については、最近お台場に、面白い施設ができたんだ。」

「へー、そうなんですね。テーマパーク?」

「アクティビティもあるけど、研究者の興味をそそる相当マニアックな情報や研究史を見るものもある。」

 明らかに、葵の表情は、今までの打ち合わせと違い、興味を示した。

 行は勢いに任せてダメ元で誘ってみる。

「…良かったら、今度一緒にどうだい?」

 断られる可能性…、98%。

「…ええいいですね。連れて行ってくれるんですか?」

 98%が外れた。…どうやら、黒瀬葵が共科研の情報を知りたくて自分に接近しようとしているらしいことは少し考えて分かった。

 それでもOKされたのは嬉しかった。


 行は葵を、エスコートしながら、話をしている。

「宇宙の物質には、まだまだ未知のものが多い。時空に影響を及ぼすのはブラックホールに近い成分だというのは判明しているけど、それ以外の物質の調査も進んでいて、中には危険なものもある。どこかでは、歯止めを…。」

 話ながら、行は“しまった”と思った。せっかくのデートなのに、こんなつまらない話に相手が楽しむはずがない…。

 葵の様子を伺うと、少し考えるような表情をして言った。

「宇宙の物質の研究については、新たな発見は、今後の人類に大きな希望をもたらすものもあるわ。それにブレーキをかけるのは、かえって人のためにはならない。進化を止められない人類の性を前提を考えれば、むしろ安全や平和の為に積極的に進化をするべきよ。」

 行は少し面食らったが、せっかくなので答える。

「未知過ぎる物質は、あまりに危険なんだ。そもそも、人類はこれ以上発展しても、それが自分達にとって…」

 結局、デート…、いや勤務外打ち合わせは妙な白熱をみせて終わった。黒瀬チーフの熱い考えを聞けたのは、個人的に良かったが…。まあ、自分の本来の趣旨から考えれば成功とは言えない。



 次の日は、雨だった。何となく嫌な予感がした。持論だが、人間を含む生き物は、単なる統計から出されるものにはない、“予感”をもっていることが多々あり、自分の研究においても、膨大な行動統計に、この感覚を入れていくことが重要だと考えている。実際この日の嫌な予感は当たることになる。

同僚

「よう、この前さあ、近くの公園で喧嘩騒ぎがあって、ニュースになってるよ。3人がかりで、一人の男に伸されたやつらが、最近話題になってた犯罪集団だったんだって。全治3ヵ月とからしいぜ。やったやつはヒーローだな。」

「ああ、知ってるよ。そのニュース。正直やりすぎだ。正当防衛はなりたたないくらいやってる。」

同僚

「面白くねえやつだな…。こういうのは、悪が捕まったってことに見ててスカッとするもんがあるだろ。」

「ニュースはいつも一方的すぎる。悪なんて、誰がどう決めるのか知らないけど、誰かが叩かれるのを楽しむのが…。」

 と言いかけて、ハッとなって止める。

「…いや、なんでもない。それをやったのは、正義のヒーローなんだろうな。」

同僚

「もちろんそうだ。細かい事は考えんな。」

 その時上司が遠くから大声で叫ぶ。

「おーい、白浜!局長がお呼びだ!」

「え?局長が?僕をですか…?」



 呼び出された私は、局長室に入った。広々した部屋は、局長席の背後は一面東京の風景が広がる。室内の中央には大きな水槽がある。中には20センチ程度に縮小されたジンベエザメと、1センチにも満たない魚たちが群れをなして泳いでいる。0.5センチ程度のイワシの群れが渦をつくり、まさに広い海をそのまま小さくしたような風景をなしている。

局長

「君はなかなか優秀な人間だが、自己主張が少ない。」

「僕は…、それほど優秀ではありません。平凡な人間です。」

局長

「いや、君は危機管理能力に優れている。私には分かる。それでいて、守秘義務もしっかり守ることができる。」

「局長、要件は何でしょうか?私にできることですか?」

局長

「君が適任だと思ってね。最近タイムスリップ実験が話題になっているのは知ってるね?」

「ええ、報道されている程度の知識は…。でも時空化学は専門外です。」

局長

「専門ではないからこそ、いいのだよ。今度共立科学研究所が世界初の有人時空移動実験を行うことになった。そこに、科学省を代表して同行してほしい。」

「え?私が?」

局長

「ああ、そうだ。名誉なことだよ。人類初の有人時空往復実験だ。歴史に永遠に名が残る。」

 答えは勿論NOだ。

「わかりました。やりましょう。」

 …なんて言うわけがない。

局長

「そうか!やってくれるか。」

 …絶対嫌だ。

「人類初!これ以上の名誉はありません。」

局長

「いやー、安心した。正直断られるかと思ってたからね。」

「僕にできることならなんでもやります!」

「君をこんなに積極的な人間だとは思わなたったが、それもよかろう。ただトラブルだけは避けてくれ。時空への知識はないからこそ、客観的に立ち会えるが、だからこそ、スタンドプレーをすれば取り返しのつかないことにもなる。いいね。共科研の世良博士には、私から言っておくから。」

 これだから、いやなんだ。僕はとにかく静かに暮らしたい。名誉なんていらない。目立ちたくもない。なのにいつもこうなる。今回だって、結局実験への立ち合いが決まってしまった。とにかく、何事も問題が起きないよう最善の選択をするしかない。


「聞いているか?」

 その声に、ハッとなって意識がその場に戻る。

世良博士

「注意点は、だいたい局長から聞いているだろう。君は優秀な役人だから、大丈夫だと思うが…。この実験に君が同行することは、今後3年間は口外してはいけない。3年後、世間に公開するかどうかは、君次第だ。」

「ええ、分かっています。」

 ここは、日本でも屈指の先端技術研究機関。共立科学研究所だ。

 部屋の中央には、大きなソファに腰を掛け、足を組む高齢の男。ここの代表の世良博士だ。周りには、腕を組んで見ている大男、眼鏡をかけた小柄な男は、博士のデスクに腰を掛けて誇らしげに見ている。少し離れたソファには30歳前後の女の姿もある。

世良博士

「彼らは、今回君と運命を共にするうちの優秀なクルーたちだ。高瀬(大男)、木原(眼鏡の男)、町村(ソファの女)だ。」

高瀬

「よろしくな、ラッキーボーイ」

 俺はボーイではない。

町村

「私たちが、誇りをかけて作り上げた人類初の有人時空往復実験に、なんの苦労もなく、立ち合うわけね」

 本望ではないことを分かってほしい。

木原

「まさにシンデレラボーイだな」

 ボーイではない。そんなに若く見えるのか。

世良博士

「まあ、そういうな。私たちの実験の成功を証明するためには、必要なポジションだ」

高瀬

「同行するのはいいが、足を引っ張らないでくれよ。人類の運命がかかっているんだ」

「ええ、理解しています。私は人類初の実験の証人となるためにここに来ました。邪魔にならないよう、決められた行動を順守します。」

 トラブルは御免だ。


 研究所の外に出た世良博士達をマスコミが取り囲む。行は建物の3階からそれを眺めている。世間は大騒ぎのようだ。それもそのはず。人類はまさか本当にタイムスリップ技術を手に入れる日がきたのだ。

 行は、一人になった控室で、テレビのスイッチを入れる。壁側に浮かび上がる大型画面では、さっそくニュースが速報で伝えられている。世良博士が、詰め寄る記者に焦ることなく、淡々と受け答えをしている。すぐ下で今行われている風景だ。

 チャンネルを変えると、他局もこの実験について放送している。

ナレーター

『日本中が、人類初の実験に沸く中、他国では批判の声が上がっています。特に市民団体を中心に既に各地でデモが行われています。また日本においても一部で反対の…』

 更にチャンネルを変えると、討論番組で、有名な評論家が批判をしている。

評論家A

『これは、世界を支配する力。かつて、核兵器の開発競争があったように、単なる平和な技術ではなく、世界に歪を生みかねない…』

評論家B

『だからこそ、わが国が他国に先駆けて、開発することに意義がある』

評論家A

『それが危険だと言っていのだ。日本、一国なら良いが、開発競争で数国が手にした場合歯止めが利かなくなる。過去を変えることがどういうことか、誰も分からないんだ』

評論家B

『しばらくしたら、国際条約で技術開発も実験も禁止になるだろう。日本だけが技術を保有して、このときを迎えれば、日本の国力は測り知れないものとなる』

評論家A

『一国だけが持った状態になるからこそ、世界はその平和条約を批准しなくなるのだよ!日本だけが持った状態ならアメリカでさえ賛成しないさ。どの国も技術を持つ前に、条約を成立させなければならなかった』

 行は少し怖くなってきた。世間の反応は想像以上だ。考えてみれば当たり前のことかもしれない。新たな技術というにも未知するぎるうえ、危険すぎるのだ。その時、ノックが鳴った。

「時間ですよ。」


「血圧95-140、心拍数85、脳波α値が…」

「身体測定終了です。目立った異常はありません」

町村

「血圧、心拍数少し高いわね。緊張してる?」

「緊張くらいします。人類初の有人実験だから…、その…、事故が起こることも…」

高瀬

「おいおい、今更何言ってんだよ。当然承知の上でここに来たんだろ」

町村

「大丈夫よ。命は補償するわ」

 行は、次にタイムマシンの場所に案内される。大きなガレージのようなところに、4人乗りの車両が置いてある。想像していたよりも、こじんまりとした風景。準備も想像していたよりトントン拍子で進んでいく。

 車両に乗り込み、少し大げさな安全ベルトを締める。

町村

「時空ホールは、人体に影響はないけど、念のためにこれを飲んで」

 カプセルを渡され、直ぐに口に運ぶ。

木原

「すぐに眠気がくる。念のため寝ている方が安全だからちょうどいい。起きたときには、1600年だ。」

 行は、緊張の瞬間を迎える前に急激な眠気に襲われ、意識が遠のく…。



 目が覚める。

「起きたか。ちょっと寝すぎだ」

「さあ、急いで準備よ」

 行が目を覚ますと、森の中だった。他の3人はタイムマシンから既に降りて外に立っている。

 慌てて、外にでると、まず初めの行動計画を実行する。予定通りなら、ほんの少し行ったところに小さな集落があるはずなのだ。

 私たち4人は予定通りの方向へ進むと確かに丘の上からは広い景色が広がっている。村はすぐに見つかるかと思ったが、一見すると分からない。よく見ると、数軒茅葺屋根が見える。

 そこは確かに江戸の村だ。テレビや、どこかのテーマパークで見るような、古い民家が確認できる。実際にはテーマパークであるものより、手作り感があり、過去の本物というリアリティを感じさせる。民家は確認できるだけでほんの5-6軒だ。村というよりほんの数世帯の集落といった感じだ。

高瀬

「よし、予定通りだ。じゃあ、ここからは、次の行動計画にでる。我々3人は、予定の場所にタイムスリップの証拠となる木片を埋める作業をする。白浜君は、ここに残って、誰かがタイムマシンの方に行かないか監視を頼むよ。」

木原

「何かあれば、自分で判断せず、直ぐに我々に連絡をよこすこと。いいね。」

 言われなくてもそのつもりだ。局長は、自分を選んだのは、危険を冒さない性格、そして、変に名誉欲がないから、この後の守秘義務も守るからだ。そういう意味ではあっているのだろうが…。

 ここで、行は嫌な体質がでてしまう。気づいたときには、丘を降り始め、集落の方に足を運んでいたのだ。

「おぬし、何者!?」

 背後からの声に、行は我に返り、驚いて振り返りながら尻もちをつく。そこには、刀をこっちに向けて侍が立っている!

「あ、いや…、これは…」

「怪しいやつじゃ。なんだその恰好は。忍びか!」

「違うんです。これは、その…、」

 侍は黙って、行の次の言葉を待っている。

「私は、幕府の使いで、周囲の村を調査しているんです。…ほら徳川様が納めて間もなくで今周辺の調査を命じられて。この格好は、幕府が作った新しい着物で…」

 カイは、言いながら自分の説明が苦しいことを感じていた。しかし侍の反応は予想外だった。

「そうであったか。この村まで、まだ徳川勝利が伝わっていないのに、その事実を知っているなら、まあ信用に値するだろう。ご無礼をお許しください。ただし、幕府の人間であれば、この先には行かないほうがいい。村のなかには、徳川に反感を持っている者もいる。命の危険にあうことになる。」

 是非そうしたい。

 侍は軽く頭を下げて去っていった。

 行は、拍子抜けして、しばらく動けなかった。たった今、人類初、過去の人物と会話をしたのだ。しかも相手は侍だ。

 しばらく時間が経って、行はタイムマシンに戻った。この出来事が歴史に影響しないだろうか、という漠然とした不安はあった。そこから約2時間足らずで、研究所メンバーが戻ってきた。


2100年東京。

 実験を終えた行は、しばらくテレビを見る気がしなかった。タイムスリップ実験成功への世間の反応がやや怖かったのだ。

 実験は成功だった。指定された場所を掘り起こすと、500年を経過した木片が確認できた。研究メンバーが実験先で埋めたものだ。場合によっては、証言のため、自分が呼ばれる可能性もあるが、今のところその動きはない。時空ホール自体は実験前から確認されていたため、それほど世間では疑う動きはなかったうえ、身の安全のためにも同行者は極秘とされているからだろう。

 行は暇を持て余していた。自分は周りには、出張ということになっている。局長から特別休暇をもらうのはいいが、特にやることはない。

 なんとなく、朝から街を歩いていた。実験直前に感じていた不安もどこかえ吹き飛んだ。無事何のトラブルもなく終わったのだ。

 考え事をしているところで、急ぎ足の男がぶつかってきた。

「ぼーっとあるいてんじゃねえよ!」

 男は、捨て台詞を吐いて急ぎ早に通り過ぎて行った。

 行は、不快感を感じたが、トラブルは避けたい。何も言わずに、そのまま歩いた。そのときの出来事はなんとなく引っかかるものがあった。でもそれが何なのかはそのときはわからない。


 行は夜、夢を見た。夢というのは経験した出来事からの連想で成り立っている。起きたときには覚えていないことが多いが…。

 明け方、行は思わず飛び起きた。夢で過去を思い出したのだ。あの特徴的な容姿、声。忘れるわけがない特別な出来事だったからだ。

 行は汗をかいた。まさかと思った。がしかし考えれば考えるほど自分の不安は増していく…。そう、そっくりなのだ。顔も声も。あの時、江戸時代で出会った侍と昼間にぶつかった男が…。


 行は内心信じたくはなかった。国の名誉にもかかわることだ。それでも、自然と行は足は、男とぶつかった駅の周辺に向かった。たまたま出会った人物とそんなに簡単に再開することは難しい。しかし、‟朝”と‟駅”という条件は人の行動を縛るのだ。3度目にその駅の近くのオープンカフェでコーヒーを飲んでいるとき、あの男は姿を現した。

 行はその日、姿を確認しただけだった。しかし次の日、もう一度男がその道を通ったとき、行は後をつけた。

 男が向う方向は、共立科学研究所だ。行の緊張は高まる。行の不安をよそに、男は研究所の中に入っていった。立ちすくんだ行は、自然と研究所から森へと続く道を歩いていた。1時間くらいだろうか、歩いているうちに見覚えのある場所へたどり着いた。更に、その先に進む。行の不安は確信に変わった。そこにある風景は、江戸時代で見た集落そのものなのだ。

 立ちすくむ行は、人の声を聞いて思わず茂みに隠れる。聞き覚えのある声だ。高瀬と木原だ。

木原

「セットを壊すのはいいが、せっかく少人数で作った江戸の村だ。ちょっと残念だな。」

高瀬

「何感傷に浸ってるんだ。そんなもん、世界から名誉を得たことに比べれば、大したことじゃねえだろ。」

木原

「でもなぁ、なんか、その…、大丈夫かな。こんなに大事になって。やっぱりそのうちバレるんじゃ…。」

「まだそんな心配をしてるのか」

 背後からの声に二人は振り返る。世良博士だった。

世良博士

「不安を見せたら、その方が世間からは疑われる。安心しろ、世界では今後タイムスリップは禁止の方向に向かう。そうなれば、我々の実験は検証もされない。残るのはこの技術を世界で唯一保有するとう名誉だけだ。」

高瀬

「それで、日本の権威に一躍かった博士は、大出世間違いなしってことだな。」

世良博士

「ひがむなよ。俺が政府の重役ポジションにつけば、お前たちだって相応の地位が与えられるんだ。」

高瀬

「たのむぜ。これだけ危険を冒して日本に貢献してるんだ。それなりの見返りがねえと割りにあわねえ。」

 行は、実験のでっちあげを確信した。見つからないよう、ゆっくり後ずさりし、振り返ったところに、町村がいた。行は膠着し、ただ立ちすくんだ。

町村

「あら、江戸時代に帰って来たの?馬鹿ね。」

 町村は、行にスプレーを吹きかけた。

 行はすぐにめまいを覚え、意識が遠のいた。



 行は、殺風景な部屋で目を覚ました。窓はなく、地下室のように見える。唯一ある扉の向こうからは、話し声がする。

 そっと扉を少しだけ開けて、話を伺う…。

木原

「おいどうするんだ?あいつ、殺すしかないんじゃないのか?」

 いきなり聞いた単語に思わず耳を疑う。

高瀬

「そんなことして、後々バレたらそれこそ終わりだぞ」

 当たり前だ。

木原

「じゃあ、ほかにどうするんだ?正直、性格は“くそ真面目”だぞ。一緒に世界をだまそうぜ!なんて聞くわけがない。」

 “くそ”は余計だ。

 すると高瀬は、宙を睨みながら、満を持したように重く言った。

「記憶を抜く…。うちは科学研究所だ。もうそれしかない。」

「できないわよ。」

「え?」

 町村はあっさり答え、高瀬は面食らった表情になる。

「そんな高度な事、うちはできないわよ。」

高瀬

「タイムマシンはやってんのにか?」

町村

「…やってないじゃない。タイムマシン…。でっちあげてるでしょ。何にもできてないわよ。」

高瀬

「なにも…できてない…。」

木原

「それはつまり、殺すしかない…てことか。」

 行はそっと扉を閉めた。会話の内容もさることながら、研究所のレベルに呆れる。しかし、悠長なことはしていられない。殺されるかもしれないのだ。行は周りを見渡した。逃げれる場所などないようだ。

 

 しばらくすると、部屋の扉が開く。逃げることができない

 行はやむを得ず寝たふりをした。

「白浜君」

 町村が、行をゆすって起こそうとする。行は、バレないよう今起きたことを装う。

高瀬

「悪かったな。手荒な真似をして。」

木原

「これは仕方なかったんだ。あの日タイムマシンの調子がおかしくてね。でも世間には、あの日の実験を発表してしまった手前、やらないわけにはいかなかったんだ。でも信じてくれ。その後タイムマシンは直って、我々だけで時空の往復は成功させているんだ。」

 行は直ぐに嘘だと分かったが、自分の命のために話を合わせるしかなかった。

「そうなんですね。ちょっとびっくりしましたけど。」

町村

「大丈夫。世間には、あなたが世界初の有人時空移動メンバーの一人ということは、変わらないわ。あなたさえ黙っていてくれたら。」

「分かりました。僕も人類初になれるのなら、今回のことは言いません。」

 行は従順に従い、3人に囲まれるようにして、別室に連れていかれる。研究所のメンバーが、自分をただで済ませるつもりがないことは気づいていた。問題は、自分が気づいていることに相手も気づいているかどうかだ。

 行は考えた。もし判断をするなら、早い方がいい。逃げるチャンスは多くは来ない。

 次に部屋に入れられたら、状況次第では助からない可能性は十分にある。かと言って、ここで、急に逃げ出した場合、どうなるか。当然、周りは敵だらけだ。巡回ロボットもいる。無事に逃げれる可能性…15%とみた。

 この後どういう状況になるかは分からないが…、今は従順に従う。それがベストだと思った。…のだが。

 突然、行は自分の横を歩く木原の腕を掴んだ。

木原

「あ?なんだ、君!離せよ!」

 行は驚いて叫ぶ木原の手を引っ張り上げながら、思いっきり足をかける。木原は、見事に一回転して、背中から地面に叩きつけられた。

 後を歩いていた町村は悲鳴を上げる。

高瀬

「お?だんだてめえ!やんのか!」

 大男の高原が行を見下げながら近づく。明らかに威嚇し、脅そうとする雰囲気をよそに、行はニヤッと笑う。


 建物から脱出した行の周りではすぐに警報がなる。

『不法侵入者!不法侵入者!重要な情報を盗んで、外に逃げた。所内総動員!絶対に逃がすな!』

 さっきの通路では、ひっくり返った、高瀬と木原の姿をみて、町村が立ちすくんでいた。

 窓から外に出たのはいいが、我に返った行はどうすればいいか戸惑う。目の前には、街に続く一本道があったが、行は、あえて逆方向の森の中に逃げ込んだ。


 行は、江戸の村の民家に隠れて周囲を見渡す。空は、慌てて捜索する巡視艇やロボが飛び交っている。

 しかし殆どここには来ない。予想通りだった。研究所内でも、この場所は、一部の人間を除いて秘密だったのだ。でっちあげの実験はほんの少人数しか知らないのだ。情報漏洩の危険を考えれば当然のことだった。内部の人間といえど、大掛かりな捜索はここではできない。

 行は、少しそこで時間を稼ごうと思った。当然、でっちあげを知っている一部の人間は、ここを捜しに来る。しかし、ほんの数人の捜索に対して、日が暮れた江戸の村とその周辺の森に隠れるのはそう難しくなかった。

 1時間ほど、身を隠し、巡視ロボの飛来が少なくなったことを確認して、行は、夜の森の中に入っていった。暗い森の中を行くのは簡単ではなかった。しかし、行はがむしゃらに暗い茂みを進んだ。

 ようやく街に出ると、空を見上げた。明らかに不自然な動きをする車両がいくつか確認できた。研究所は、自分が街に出たことを予想して、捜索範囲を街まで広げているのだ。

 行の前には分かれ道があった。

 警察の場所は、ある程度、頭に入っていた。そっちに向かおうとしたとき、足が止まる。

 人の思考は、こういう時、警察に駆け込むのが当然。逆に言えば、自分を追っている共科研が待ち伏せるとすれば、警察の近くの可能性が高い。研究所の人員と巡回ロボの数からすれば、他のあらゆる逃げ道の中でも、この先の警察署付近で待ち構える可能性はおおよそ60%とみた。行は、もう一つの道を選んだ。その先には自分が勤める科学省がある。


 行は、建物に走り込むと、受付ロボットに話しかける。

「頼む。局長と連絡がとりたい。緊急事態だ。」

『確認します』

 受付ロボは、抑揚のない音声で、数秒して答えた。

『確認がとれました。現在、局長室にいらっしゃいます。お通りください。』

「助かった…。」

 行はつぶやいた。


「黒瀬くん…。」

 夜の、研究所のロビーを帰路につこうとした葵を嫌味男の金木が呼び止める。

「金木さん…。何か。」

金木

「君、最近、科学省の白浜くんと仲がいいみたいだね。」

「え?んー、どうかしら…。仲がいいってどういう意味で?」

金木

「さあ、君がどういうつもりで彼と接してるのか知らないけど、一つ重要なことを教えてあげるよ。」

「重要な事?」

金木

「ああ、実は彼はね…。」




「…、そうか。それは大変だった。」

 局長の反応は、やや意外だった。すぐには受け入れられないと思っていたからだ。局長は続けて言った。

局長

「だが、もう大丈夫だ。良くここまで帰ってきた。何せ、君が送り込まれたことを知っているのは、私だけだからな…」

 大きな水槽では、相変わらず小さいジンベイザメや魚たちが優雅に泳いでいる。

「ええ、本当にもうだめかと思いました。」

局長

「飲み物を入れるよ。水もあるが、オレンジジュースもある。」

「ありがとうございます。ではとりあえず水をお願いします。」

 局長から水を受け取りながら、行は言った。

「でも警察も事件に気づいてくれるかもしれませんね。空にやたらと警察車両が多い。」

 局長も、壁一面の東京の夜景を見ながら答える。

「ああ、そうだな。日本の警察は優秀だ。悪いやつは必ず暴かれて裁きを受けるよ。君ももう心配はいらない。」

 カラになったコップをテーブルに置いて、行は言った。

「局長、なんだか、疲れからか、ひどく眠いんですが…」

局長

「ああ、無理もない。少しそこのソファで横になるといい。」

 行は、椅子から立ち上がると、フラフラと歩きながら、ソファーに向かう。…が、あまりにもおぼつかない足取りで、ソファーにたどり着く前に床に倒れ込んだ。

 局長は、その様子を眺めながら、グラスにウイスキーをついだ。一口飲んだところで、電話をかける。

「もしもし、私だ。ああ、ここにいる。片づけたよ。まったく、君たちの尻ぬぐいをさせられるとは思わなかった。彼は堅実だが小心者だ。いつもトラブルを避けて生きている。…だから選んだのに君たちは、そんな彼にまで出し抜かれるなんて…。」

 電話の相手は、必死に何かを話している。

「わかったわかった。言い訳は後で聞く。今は、この男の足取りを調べろ。誰かと接触していないか…。実験のでっちあげがバレたら、終わりだ。私も共立科学研究所な…。」

 局長は、部屋を歩きながら話している。水槽のところで、異変を感じた。自分の愛するジンベイザメが浮いているのだ。サメだけではない。水槽の中にいた魚がすべて水面に浮いているのだ。まるで、毒を飲まされたかのように…。

 水槽のガラスに映る自分の姿の後ろに人影があった。局長はハッとなって振り向こうとしたが、できなかった。行に腕を回して首を絞められる。ガラスに映った、男の目つきは、局長が知るその男のものではなかった。

「…お前…誰だ…。」

 局長の足は宙にういてバタバタと抵抗したが、8秒後に止まった。


「多重人格?」

金木

「ああ、そうだ。別の人格が体の中にいる。うちも、ゲストルームに入る人物までは、詳しい脳波検査はしてないけど、一応法律で認められている範囲での簡易検査はしている。それによれば、彼は明らかに多重人格としての、特徴を持っていた。だいたいこういう男は、一見穏やかそうに見えても、何かの拍子に豹変するもんさ。ほら、最近近くで暴力事件があって、恐らくそこにも関係してるはずだ。人格の変化が運動神経にまで大きく影響し、一見弱そうな人物が異常な身体能力を見せることもあるんだ。」

「そういうのを、勝手に調べるのもどうかと思うけど…。」

金木

「あ、いや…、でもお陰で君は、危ない目に合わなくて…。」

ルイ

「葵!今帰りかい?」

「あ、ルイ。一緒に帰ろ。」

 ルイと葵が去って、金木は舌打ちした。



 ニュース速報が流れたのは、次の日の夜だった。日本中、いや世界中に激震が走った。

 行はテレビのチャンネルを変えた。

妙義

「おい、こら、何してんだ?テレビ変えるなよ。」

「勘弁してくれ。しばらくこういうのは見たくない。」

妙義

「まじで言ってんのか?俺たちのお手柄だろう!世紀のでっちあげを暴いたんだ。俺たちが。」

「日本でこんな事件が起きたことがショックだよ。僕も命の危険に侵された…。君ももうちょっと考えて行動してくれよ。」

妙義

「おい、最後に助けたのは俺だぞ。」

「こんな危険な目にあうきっかけになったのも君だ。なんであんな時に限って出てくる?最後や、研究所を逃げ出す時だって、君は無鉄砲なんだ。」

妙義

「あのまま寝たふりする方が、どうかと思うが…。」

「君はいいよ。喧嘩も強い。僕のままなら、あそこは、失神したように見せて、逃げるチャンスを伺うのが確率的にベストだった。65%さ。それより、その前の暴力事件のお陰で、この辺にも住みづらくなった。せっかく気に入った街だったのに。」

妙義

「おいおい、この2件は俺は悪くねえよ。俺は正義だった。」

「それは、結果的…。」

 行は、そうつぶやきかけてやめた。

「ああ、認める。今回は、感謝するよ。今回はね。」

 テレビを野球中継に変えながら、行はつぶやいていた。



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