2.下駄箱スルメ事件
リアル乙女ゲーイベントを見物しようと、モブの私は下駄箱に戻ってきた。
下駄箱は艶のあるマホガニーで、蓋には金の取っ手が着いている。
その取っ手に手を掛けたまま固まるポプリ。
開かれた蓋の先に鎮座するスルメ。
隠れることなく遠巻きにニヤニヤしながら眺めるアンゼリカ達。
「ひどい、誰がこんなこと…」
例の台詞だ!
さあ、誰が来るの?
クーデレ?チャラ男?腹黒?寡黙?エロオーラ?俺様?
しかし、誰も来ない。
……え、何で誰も来ないの?
ひょっとして誰の好感度も上げてないの?
でもこのイベントは全員の好感度低くてもとりあえずクーデレがくるはず…
それなのに、誰も来ない。
「やだ、スルメが入ってるわ」
「庶民にはお似合いね」
「お懐かしいんじゃなくて?」
今や伯爵令嬢である彼女に悪口を面と向かって言う者は滅多にいない。
けれどこうしてヒソヒソと悪意ある囁きを交わす生徒は、けして少なくなかった。
クスクスと広がる嘲笑に、ポプリが唇を噛み締めるのが見えた。
その瞬間、私は大股でポプリに近づいていた。
「スルメは炙ったら美味しゅうございますわね」
私の言葉に、ポプリが弾かれたように顔を上げた。
私より少しだけ背が高い。
ヘーゼルナッツの瞳が私を捉えると、長い睫毛に縁取られた眼からぽろりと涙がこぼれた。
「下駄箱に入っていたのが気になるのでしたら、お拭きになるとよいです。あとは火が解決してくれますわ」
ポプリの涙に焦って思わずいらんことまで言ってしまった。
ほんとに食べるわけなかろうに。
しかも多分、私今緊張してて真顔だ。
そんな私を見つめていたポプリが、ふにゃりと力の抜けたような笑みをこぼした。
「スルメ、炙ってみます」
「…え、ええ」
ポプリの笑みに呆けている私に、彼女はぺこりと頭を下げると、スルメを手にして立ち去った。
もっと何か話しかけてくるかと思ったのに。
意外とあっさりと会話を終わらせたポプリの背中を私はつい見つめてしまっていた。
はっ、なるほど、会話は少ない方がインパクトがあるのね。
さすがヒロインだわ。
そしてあの笑顔、破壊力がある。
スルメ臭を逃がすため下駄箱の蓋を開け閉めしながら、私は妙に納得してしまったのだった。