1.きっかけはスルメ
「なんでスルメ!」
発した自分の言葉で我に帰った。
目の前には目を見開いて固まった性格キツそうな金髪巻き毛の美少女。手にはスルメ。
嫌いな相手の下駄箱に突っ込む気らしい。
ヨーロッパ風な世界観なのに何故下駄箱。
そもそもそれを言ったら何故あるスルメ。
目の前の美少女は恐る恐る口を開いた。
「え、あ、だって、生だと傷みが早いでしょう…?」
嫌がらせ相手に何その気遣い。
「ちょっと、なに言ってらっしゃるの!」
「いきなりアンゼリカ様に暴言なんて失礼じゃありません?」
美少女──アンゼリカの取り巻き連中がキャンキャン吠え始めたので、私は慌てて謝罪すると会釈して立ち去ることにした。三十六計逃げるに如かずだ。
でも私は知っている。
アンゼリカがその後嫌がらせを繰り返して学園から追放、お家柄に傷を付けたとして侯爵家ワームウッドから勘当、平民落ちしたことを。
そしてキャンキャン吠えてるあの取り巻き達が、アンゼリカの公開断罪の際裏切ったことも。
ここはゴールデンロッド学園。
良家の子女が通うおハイソな学校で、お貴族様やら大きな商家の跡取りやらがウヨウヨいる。
先ほどの美少女はアンゼリカ=ワームウッド。
侯爵家令嬢にして才色兼備、プライドもエベレスト級なお嬢様である。この世界エベレストないけど。
そしてそのアンゼリカがスルメを突っ込もうとしていた下駄箱の持ち主は、恐らく…というか間違いなく、1ヶ月前に編入してきたポプリ=カモマイル。
平民として育ったが、父親が亡くなった際、先に亡くなった母親が伯爵家の令嬢だったことが判明。祖父に引き取られ、この学園にやってきた。
美少女というほどではないが、可愛らしい顔立ちと癒しオーラ、ピンクの内巻き髪を持つ紛う方なきヒロイン体質の少女である。
体質というか、ヒロインなのだ、ポプリ=カモマイルは。
この世界…乙女ゲーム『恋するハーブガーデン』の。
さて、いい加減私のことを紹介しておこう。
私の名前はポプリ=カモマイル…ではない。残念ながら。クレナ=ローゼルというのが私の名前。
ゴールデンロッド学園の二年生、16歳。
顎のラインで切り揃えたダークブラウンの髪。緑色の瞳。
顔立ちも成績も運動神経も男爵家令嬢という家柄もぜーんぶ中の中。
背だけがちょっと低いくらい。
地味だけど、取り立てて不満もなくそれなりに楽しく学園生活を送っていた。
アンゼリカがポプリの下駄箱にスルメを突っ込もうとしてるのを目撃するまでは。
その瞬間だった。
私の頭に「なんでスルメ」というツッコミと共に、唐突に薄い長方形の物体が浮かんだ。
そこに映るのはスルメを持ってドヤ顔しているアンゼリカ。
そして下駄箱を開けて「ひどい、誰がこんなこと…」と涙ぐむポプリ。
さらにはこの学園で見たことのあるイケメン達の恥ずかしい台詞、壁ドン顎クイちょっと嬉しはずかしなスチルの数々。
そして画面が暗くなる度に映る、疲れはてた三十路OLの顔…
あ、これ、私だ。
そうだ、私、この世界知ってる。
私がハマってた乙女ゲームの世界だ。
『恋するハーブガーデン』
タイトルにハーブガーデンって入ってるのにキャラクターの名前に入ってるハーブがマイナーすぎる、あの設定ガバガバな乙女ゲームの…
なんで私こんなところにいるの?
思い出せるのは…そう、私、深夜にアイスクリームが食べたくなって、ふらっとコンビニに行こうとしたんだ。
そしたら頭痛がして、そのまま玄関で倒れて…
あとのことは分からないけど、恐らく死んじゃったんだろうな、私。
そんで転生したら乙女ゲームの世界だったわけか。
知ってる知ってる。読んだことあるもん、そういうの。
…………。
よりにもよってこの世界って!そもそもの設定がガバガバな世界って!不安すぎるでしょ!
遊ぶ側は逆におもしろかったけどこの世界で生きるとなると不安だわ!
そんで、誰?私誰?
知らないわよクレナ=ローゼルなんて!モブじゃん!まじかよ!
転生先はヒロインか、せめて悪役令嬢でしょうよ!百歩譲って取り巻きとかでしょうよ!
勘弁してよ!そういうとこやぞ運営!
大体この世界観でなんでスルメ!
で、なんでスルメ!の部分が口に出て我に帰ったわけだ。
ぼんやりと窓に映った自分、クレナの顔を眺めてみる。
死んだ、んだよね?私。
夢を見てるわけでは…ない。
これまでのクレナの人生はしっかりバッチリ歩んでいるし、何より前世の記憶は死ぬ前とゲームの画面、あとは仕事先でお局様呼ばわりされてたことくらいしか……ろくなもんじゃねぇ。
とにかく、スルメ事件で思い出すまで、間違いなく私はクレナ=ローゼルでしかなかった。
過去については少し切ないけど、今はクレナとしてしっかり生きよう!そう小さくガッツポーズを決めた時だった。
窓の外、見覚えのあるピンク頭が登校してくる。
あれは、ポプリ=カモマイル!
前世を思い出してから初めて見る、『恋するハーブガーデン』略して『ハブガ』のヒロイン様である。
そして向かう先はスルメ事件のあった下駄箱!
ゲームの中では確か、スルメを前に悲しんでいるヒロインの所にその時一番好感度が高い攻略対象がやってきて「大丈夫、スルメなんて炙っちゃえばいいのさ」とか言うんだった。キャラによって口調は異なるけど!
てことは、今下駄箱に行けば、誰の好感度が高いのか分かるわけだ…
私、転生したら乙女ゲームのモブだったわけだけど、モブならモブの立ち位置でゲームを楽しめるんじゃない?と気づきました。